第13話 花火の炎は、夢の色だ
「まさか、噂の『秩序十星』様がこんなに間近に……まるで夢みたい!あ、あの、サインをいただけますかっ!」
目をキラキラさせたアンフィールが、震える手でバッグからメモ帳を取り出した。
……おいおい、本気でこの金髪アホをアイドル扱いかよ?
一方、余裕たっぷりにそれを受け取ったチャールズは、ふと意味ありげな視線を俺に向けた。
「……間近だね」
「……何だよ、俺を見るな」
「ふん、別に。ところで、ちょっとお嬢さんに質問してもいいかな?」
ちょうど窓の外を雲が通り過ぎ、店内の光がふっと暗くなる。
その薄暗がりの中で、微笑みを浮かべたチャールズの顔には、どこか陰のようなものが滲んでいた。
「はいっ!なんでも聞いてくださいっ!」
「本当かい?なら、教えてくれ、ポンコツ……キミのスリーサイズを」
「上から……78……って、おじさん?!今の流れで何聞いてんのよっ?!それ、セクハラって言うんですからね!」
チッ……なんでも聞いていいって言ったのお前だろ。
……にしても、見た目より……意外とあるんだな。
「ふざけるのはその辺にしておけ、ライク……俺が聞きたいのはな、お嬢さん。キミはいったい、何者なんだ?」
「えっ……?」
予想外の問いに、俺もアンフィールも思わず固まった。
「え、えっと……!す、すみませんっ!まだ自己紹介してなかったですね……私はアンフィール・ダフネラっていいます!ヒーローになったばっかりの──」
慌てた様子で、アンフィールはバタバタと手を振る。
だが、チャールズは無言で首を横に振り、テーブルの上に置かれた端末を指さした。
「俺が聞きたいのは、それの『本来の持ち主』についてじゃない。──今、目の前にいる『キミ』自身のことだ」
「……おい、チャールズ、それはどういう意味だ? まさか、アンフィールがこの端末の持ち主じゃないって言いたいのか?」
「ライク、お前も少しは考えろ。お前がこの端末に施した『細工』程度で、こんな現象が起きると思うか?」
もしかすると俺がアンフィールにまだ『能力』のことを説明していないと気づいたのだろう、チャールズはわざと遠回しな言い方をした。
「……」
確かに──
あいつの言う通り。
俺が『鍵』を使って他人の能力を一時的に書き換えることはできても、せいぜい一時的なもんだ。
こんなふうに使用権そのものが変わるなんて──今まで一度もなかった。
「──となると、導き出される結論はただ一つだ……」
チャールズはゆっくりと背もたれに身を預け、指を組んだまま、頭上のシャンデリアを見上げた。
深いため息を吐きながら、それ以上何も口にしなかった。
……あいつがこんな顔を見せるときは、大抵ろくでもない話が待っている。
「まさか……元の持ち主が、すでに死んでいる……?」
思わず口をついて出た推測に、自分でも驚いた。
つまり──俺がやったのは一時的な権限改ざんなんかじゃなくて、偶然にも失った持ち主の端末を強制的に起動させ、自分のものにしてしまった……?
そんな、馬鹿な……。
口を突いて出た俺の動揺を見逃さず、チャールズは再び姿勢を正し、表情も一変する。
先程までの疑念混じりの空気は消え、そこに滲んでいたのは──同情だった。
「言い換えれば──『アンフィール』というヒーローは……本当に今も生きているのか?」
「……は?何をバカなことを!今、俺たちの隣にちゃんと──」
「──このお嬢さんが、ヒーロー『アンフィール』本人である証拠は?お前、彼女のヒーロー降臨を直接見たことがあるか?」
「いや……でも、あいつが俺を騙せると思うか?このポンコツで?」
「違うな。むしろ、彼女が口にするすべてが真実だからこそ、より厄介なんだよ」
「……それ、どういう意味だ?」
「いくら足掻こうと、どうにもならないこともあるさ、ライク。たぶんあの子だって──自分が、本物じゃないってことに、まだ気付いていないだけだ」
「ふざけんなッ!いつもみたいに、そんな偉そうな態度で、勝手に訳の分からないことばっかり言いやがって――!」
思わずテーブルを叩き、俺は立ち上がった。
こみ上げる怒りと焦燥感、理性と感情がぶつかり合い、思考がぐちゃぐちゃに絡み合う。
気づけば、手にしたグラスにひびが入っていた。
「……落ち着いて!おじさん」
隣でアンフィールが不安そうに俺の袖を引っ張り、首を振った。
一方、その発端を引き起こした張本人──チャールズは、相変わらず無表情で、手元のグラスを弄んでいるだけだった。
……くそっ、わかってるさ。
仲間も責任も投げ捨てて、ヒーローから逃げる道を選んだのは──
誰でもない、この俺だってことくらい。
こんな俺に、今さら何を偉そうに正義ヅラする資格があるっていうんだよ……。
「もういい、こんなヤツに頼らなくてもいい。行くぞ、アンフィール」
俺は立ち上がり、まだ迷っているアンフィールの手首をぐいっと掴んだ。
掌に伝わる、確かな温もりが、少しだけ心を落ち着かせる。
……やっぱり、あの野郎の言葉なんか信じる必要はない。全部、作り話だ。
「えぇ!?お、おじさん──?!ま、待って……あの……すみません!チャールズ様!お忙しい中、わざわざ来ていただいたのに、こんなことになって……でも、どうか!私のせいでおじさんを責めたりしないでください!」
ここまで無礼な扱いを受け、存在そのものを疑われたっていうのに。
それでもアンフィールは、去り際にきちんと頭を下げた。
「ああ、気にするな。こっちだって、今に始まったことじゃないしな……」
チャールズは肩をすくめ、
それから、わざとらしく軽い調子で続けた。
「でも、せっかく久々に会ったんだ。『口先だけの親友』として、最後に一つだけ忠告してやろう、ライク」
「……なんだよ」
「考えすぎかもしれないけど──今日だけは、あの子をできるだけ視界から外さないほうがいい」
ふん、どうせなら「どこの馬の骨かも分からないガキとは距離を取れ」とでも言うかと思ったのに。
余計なお世話だ。
このお節介な小動物、こっちが放っておいても勝手に懐いてくるんだ、見張るまでもないだろ。
俺は背後に向かって適当に手を振ると、アンフィールを引きながら、振り返ることなく店を後にした。
──去り際に、チャールズがぽつりと呟いた独り言だけは、聞かなかったことにしておく。
「……レイナ。キミが選んだ男、思ったほど出来がよくないな……なぜ俺じゃダメなんだ?」
……聞こえなかったことにしよう。
その後の半日──
アンフィールはずっと渋い顔をしながら……「こんなところ、ヒーローが来る場所じゃないよ!」
なんて騒いで帰りたがっていたが、俺が『じゃあ置いていくぞ』と脅しをかけたら、結局はしぶしぶ付いてくることにした。
──そして、俺の記憶にある限り本物の『地下闇市』を隅々まで回る羽目になった。
……が、結果は予想通りだった。
あのチャールズですら手こずった端末だ。
こんな技術レベルの差にばらつきが大きい場所、まともな原因が見つかるはずもなく──
挙げ句の果てには、群星協会のスパイじゃないかと何度も尾行される始末。
あらゆるルートを駆使してようやく追っ手を撒き、心身ともにボロボロになりながら地上に戻った時──
遠くに瞬くネオンを見上げて、ようやく気づいた。
──すでに、夜になっていた。
「はぁ……はぁ……おじさん、逃げ足は本当に速いですね……」
深呼吸しながらもそうツッコミを入れるアンフィール。
心底呆れたように言ったが、顔にはどこか楽しげな笑みが浮かんでいた。
「こんなタイミングで言うのもなんですけど……今日の仕事、大丈夫だったんですか?」
「……ああ、思い出させんなよ。せっかく忘れかけてたのに……ま、後でチャールズに『調査協力書』でも書かせりゃいいだろ。
群星協会の依頼に協力するのは市民の義務だからな、あのクソ意地悪な鬼部長だって、さすがに文句は言わないだろう……たぶん」
「……え?最初から頼むつもりだったなら、なんであんなにピリピリした空気にしたんですか?」
「ふん、あいつはそんな器の小さい男じゃねぇよ……たぶん!」
「はぁ……楽観的っていいですよね、おじさんは」
「ハッ、俺のモットーは『今日を乗り切ればそれでよし!』だ。ほら、帰るぞ」
「えっ?もう帰っちゃうんですか……」
俺が背を向けるのを見つめながら、アンフィールの楽しそうだった表情は、目に見えてしゅんと沈んでいった。
「……最初はあんなに嫌がってたくせに。ったく……俺たちは、遊びに来たわけじゃないんだぞ」
「むぅ……あっ、おじさん! 見て見て!」
アンフィールが指差した先──
ドンッ、と腹に響く音とともに、夜空に大輪の花が咲いた。
色とりどりの花火が、見えない精霊たちに操られるかのように、夜の帳をキャンバスにして、幻のような花びらを撒き散らしていく。
「花火大会か……変だな。今日って、別に特別な日でもないよな?」
「たぶん、これじゃないかな?」
そう言いながら、アンフィールはスマホを取り出して、素早く何かを検索し始めた。
そして、すぐに得意げな顔で画面を俺に向けてきた。
「えっと……何だこれ?ニュースか?超人気ヒーローアイドル!ユニット『オキザリス』、来月よりライブツアー開催決定?」
「うん!今日の花火は、そのお祝いのプレイベントだと思う!」
「……へぇ、そんなのやってたのか、初耳なんだが」
「えええっ!?おじさんは『オキザリス』も知らないのっ!?」
目を丸くしたアンフィールが、まるでサーカスの珍獣でも見るかのような顔でこっちを見てきた。
「……そんな呆れた目で見るな。まさかとは思うが、キミ、そいつらのファンとかじゃないよな?」
「それは当然です!女の子なら誰だって一度は夢見るよ、あんな華やかなステージに立ってみたいって……でも、ファンかどうかは別にして、『オキザリス』は今一番人気のアイドルですよ?毎日、駅でも彼女たちの曲が流れてるじゃないですか。おじさん、聴いたことないなんて、人生ちょっと損してますよ?」
そんなに大げさな話か?
……まあ、電車の中じゃほぼ寝てるしな、俺。
「ま、どうせあれ──『世都パブリシティ計画』とかいうやつの戦略だろ?群星協会のイメージをアピールするためなら、ほんとに手段を選ばないな」
「もうっ、おじさんはすぐそうやって夢のないこと言う!」
「悪いな。俺にとっちゃ、地に足がつかない輝きなんて——」
空から視線を落とし、足元に転がる小石を軽く蹴り飛ばした。
「……足元を見失ったら終わりだ。現実は、こんな灰色の地面ばっかりだ」
「……」
反論もせず、アンフィールは小さく俯いた。
だが、空に次々と咲き誇る花火に導かれるように、またゆっくりと顔を上げる。
その湖のように澄んだその瞳に映ったのは、夜空を流れる無数の光の尾──
まるで、銀河を駆け抜ける幾千の流れ星みたいに、 彼女の眼差しの奥で、儚く、きらめいていた。
「でもね……やっぱり、夢みたいな花火は……少しでも多い方が、嬉しいな」
パァン!
その言葉とほぼ同時に、これまでとは比べものにならないほど巨大な花火が、俺たちの目の前に、咲き誇った。
織物のように鮮やかで躍動感に満ちた光が、一瞬でアンフィールの笑顔を照らし出す。
無邪気で天真爛漫なはずのその横顔に、どこか大人びた憂いを帯びた、不思議な美しさを持っていた。
「わあっ……今のすごく綺麗だったね、おじさん!」
「あ、ああ……綺麗だ」
──何に向かって呟いたのか、自分でもよくわからない。
ただ、思考が真っ白になって、呼吸することすら忘れかけながら──
明滅する光に照らされる彼女の横顔を、夢中で見つめ続けていた。
頭上で咲き続ける無数の花火も、
足元に広がる湿った灰色の闇も、
そして遠くから聞こえる喧騒さえも──
この一瞬だけは、どうでもよくなっていた。
「……」
ふと、空から零れ落ちる微かな余光と、街路樹の下で瞬く灯りが重なり合って、
アンフィールの滑らかな髪に、柔らかな銀色の煌めきを散らした。
──その瞬間。
目の前の彼女の姿が、記憶の中にある、あの人の面影と、
そっと重なったような気がした。
「──ここは、私とライクだけの秘密だよ」
「レイナ?!」
「……おじさん?」
思わず手を伸ばしかけた瞬間、その幻は、あっけなく消えてしまった。
「えっ?あ、いや、すまん……さっき花火の音がデカすぎて、何か言った?」
「え、えっと……別に、大したことじゃないよ……」
──珍しい。
あの正直過ぎるのポンコツが、こんなにも言葉に詰まるなんて。
「……昼間、私のことで怒ってくれて……ありがとう、おじさん」
「ふん、アホめ」
「えぇぇ!?」
「別に怒ったわけじゃねぇよ。ただ、あいつの偉そうな態度が気に食わなかっただけだ」
「うぅ……」
「……でもまあ、キミが言ったこと、ひとつだけは間違ってなかったかも」
「えっ?」
俺はアンフィールの頭を軽くぽんぽんと叩いた。
そして、彼女と一緒に、再び夜空を見上げる。
「……花火って、やっぱり、多いほうがいいな」
「……うんっ!えへへ、次はどんな綺麗な花火が見られるかなっ」
──だけど。
目の前の景色に心を奪われ、この夢みたいな瞬間に浸っている俺たちは……
きっと、どこかで忘れてしまっていたんだ。
──叶わないからこそ、
『夢』は……『夢』と呼ばれるのだということを。




