第6話:仕組まれた療養への道
商王バルトロは、グラスの中の赤い液体を揺らしながら、静かに、そして愉悦に満ちてほくそ笑んでいた。
「ようやく、あの女も限界か。これからが本番だぞ…」
アンジェーヌが夜会で錯乱したという報告は、すぐに彼の耳に届いていた。彼は、計画を最終段階に進める時が来たと判断した。
「ユリウスを呼べ!」
呼びつけられたユリウスに、バルトロは『偽りの療養』作戦を命じる。一度入れば二度と出られない、湖畔の監獄へ、アンジェーヌを送り込む計画だ。
「ですが、それではクライネルト公爵が…!」
「だからこそ、おまえの出番だろうが!」
バルトロの脅しに、ユリウスはもはや頷くことしかできなかった。
「…一つだけ教えてほしい…『ドブス』とは一体なんだ?」
ユリウスの問いに、バルトロはうっそりと笑った。
「…あの女の世界が、崩れる音だよ。奴と、俺だけに意味が通じる…特別な、呪いの言葉さ」その底知れない不気味さに、ユリウスは背筋が凍るのを感じた。
◇
夜会での一件から、わずか二日後。
敵は、私が予想していたよりも、ずっと早く動いた。
「アンジェーヌ、少し話がある」
父であるクライネルト公爵に、応接室へ呼ばれた。重々しい空気の中、部屋のソファには、父と母、そして、なぜか婚約者のユリウス様が、沈痛な面持ちで座っている。
嫌な予感が、背筋を駆け上った…
「アンジェーヌ」
母が、涙ぐみながら私の手を取る。
「あなたの体のことが、とても心配なの…」
その言葉に続いて、ユリウスが、完璧な役者のように悲痛な表情で口を開いた。
「どうか、彼女に安らぎを与えてあげたいのです!クライネルト公爵、奥様!」
彼がテーブルの上に広げたパンフレットには、美しい湖畔に佇む、白亜の療養施設が描かれていた。
「ここは、王都から離れた静かなサナトリウムです。素晴らしい医師と、豊かな自然が、きっと彼女の心を癒してくれるはず。どうか、しばらくの間、ここで…」
そして彼は、懐から一通の封蝋された書簡を取り出した。
「これは、シュミット家と懇意にしております、高名な精神治療の専門医、ドクター・クラウゼからの書簡です。先日、私が密かにお嬢様の最近のご様子を相談したところ、早急に専門的な療養が必要との診断でした」
――来た。
これだ。これが、奴らの「次の一手」。
全身の血が、急速に冷えていく。
療養と称して、わたしを監禁するつもりなのね…
どうする?隔離なんぞされたら、アレクシス殿下に連絡することも、助けを呼ぶこともできなくなる。しかも、王都の外に連れ出されるなんて…!
なんとか、ここは回避して、一度アレクシス殿下と相談をしなければ!
「お父様、お母様!罠です!この人は嘘をついています!」
「アンジェーヌ嬢、あの夜会の日から、どうにも君の精神状態が心配なんだ…」
「はぁ?心配って、私からの面会を全て断っておきながらよく言いますわね!」
「君は、何か勘違いをしているよ?私が愛する君からの面会を断るはずがないだろう!」
「よくいうわ!そもそもあなたがあの夜会で『どブス』と言い放ってから始まったのよ!」
「何を言っているんだい?『ドブス』なんて意味のわからないことを、言うわけ無いじゃないか!大体、言われたからと言って、そこまで激昂することが、精神を病んでいる証拠だと、ドクター・クラウゼも…!」
しまった!そうだ、意味のない言葉だった…!
私は両親に必死に訴える。
「お父様、お母様!私は、ユリウス様に嵌められているのです!」
だが、私の必死の形相は、そして「高名な医師の診断書」という物的証拠は、愛する娘の健康を案じる両親の心を、完全にユリウス側へと傾けてしまった。父が、悲しげに首を横に振る。
「アンジェーヌ、聞きなさい。これは決定だ。おまえのためなのだよ」
「そんな…!」
ユリウス様が、私から視線を逸らし、誰にも気づかれないように、小さく、勝利の笑みを浮かべたのを、私は見逃さなかった。
逃げられない。私がこれまで続けてきた「演技」が、最悪の形で、私自身をこの檻へと追い込んでしまったのだ。
明日、私はこの家を出て、人里離れた監獄へと送られる…
◇
父からアンジェーヌの療養の件を聞かされた、兄、リヒルト・フォン・クライネルトは、急いで王宮へとやってきた。
(嫌な予感がする…なんとか、アンジェを助けないと!)
今まで、凄まじいラッキーさだけで生きてきたリヒルトの第六感が告げている。このままではアンジェーヌの身が危ないと!
しかし、状況が全くもって不明だ。自身の主であるアンディール第一王子から、
「何やら、お前の妹と、うちの弟がコソコソやってるようだな!」
ということだけは聞いている。
(父上や母上ではダメだ…ユリウスに丸め込まれている。第一王子殿下にご相談しても、表沙汰にできない以上、すぐには動けないだろう。…こういう、水面下の、得体の知れない『闇』を相手にするのは…ヤツしかいない!)
以前、貴族間の派閥争いが一触即発になった時も、表では誰もが気づかぬうちに、アレクシス殿下が裏で全ての火種を消し去っていた。
アレクシス第二王子に聞けば、打開策がわかるかもしれない!
先触れも、面会予約もなく、アレクシスの執務室へ飛び込んだ。
「――リヒルト?」
「…両親が、ユリウスの口車に乗せられて…明日、アンジェーヌは王都の外のサナトリウムとやらに送られます!療養とは名ばかりの監禁です!今回はヤバいと、僕の勘が言っている!」
「っっ!…そうか…そうきたか…」
「アレクシス殿下!あなたは、何かご存じなのでしょう!?妹は、罠に嵌められようとしているんだ!」
リヒルトの悲痛な叫びに、アレクシスは表情を変えずに立ち上がった。
だが、その固く握りしめられた拳が、彼の内心の怒りを物語っている。
「案ずるな。おまえの妹は、おまえが思うより、ずっと強い」
◇
クライネルト公爵邸の、主のいない一室。
侍女のカエラは、涙をこらえながら、主、アンジェーヌの旅支度を整えていた。
美しく畳まれたドレスの上に、ぽつり、と雫が落ちる。
(お嬢様…。どうか、ご無事で…)
主の身に起きている、不可解な出来事の数々。
間違いない。ユリウスは、アンジェーヌ様の面会を悉く断っていた。だとすれば、アンジェーヌ様の言っていることが本当なのだ…
何もできずに、ただ身の回りのお世話をすることしかできない自分が、ひどくもどかしかった。
カエラは、そっと、アンジェーヌが一番好きだったショールを、トランクの一番上にしまい込んだ。
それは、せめてもの、忠誠と祈りの証として…
ここまで読んでいただき、ありがとうございます♩
今回はアンジェーヌとユリウスのやり取りの加筆と、リヒルトとカエラのエピソードを加えました。
アンジェに「一人で戦ってるわけじゃないぞ!アレクシス以外にも応援してる人はいるよ!」と伝えたくて。
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