第9話:物的証拠を手に入れろ
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兄から連絡があり、「手帳」という、決定的な物証の存在が確定した。そして、マリウスがそれを常に胸ポケットに入れていることも。
…これで、舞台は整った。
私のやるべきことは、ただ一つ。「手帳」を、奪い取る…!
私は、侍女に命じた。
「ヴァレリウス公爵がご子息、マリウス様を、二人きりのお茶会にお誘いしてくださる?」
そう、全ての答えを知る、最も愚かで、最も口の軽い男から、物的証拠を手に入れる!
この身を、最大の武器にして。
私の言葉に、侍女のカエラは血相を変える。
「おやめください、アンジェーヌ様!マリウス様の噂は、ろくなものがございません!」
知ってる…茶会での噂も碌なもんじゃなかった…
モテる男気取りの、腰抜け優男。あちこちに愛人を作り好みとあればすぐに体の関係に持ち込む。その上、ソフィア様に纏わりつく、碌でもない男…
でも、命の危険が迫る中、もう悠長に調査している時間はないのだ。
◇
王宮の一角にある、陽光が降り注ぐサンルーム。
二人きりのお茶会に現れたマリウス様は、噂のせいか、以前にも増して自信に満ちた、得意げな顔をしていた。
(…単純な男で、本当に助かるわ)
私は、今日のために用意した、最も可憐で、儚げに見えるドレスを身に纏い、熱っぽい、潤んだ瞳で彼を見つめる。
「まあ、マリウス様。本日は、わたくしのためだけにお時間を…夢のようですわ」
「はは、当然だろう?今、王宮で一番の美女が、僕に夢中なのだからね」
親衛隊達グッジョブ!すっかり噂になってると信じ込んでるお間抜けさん。
そして、彼は、見た目だけは可憐な私に、すっかり骨抜きだ。よし、食いつきは完璧!
私は、彼の隣に座ると、わざとバランスを崩し、その胸へと倒れ込んだ。
「きゃっ…!ごめんなさい!」
ーーー今よ!
私は、彼の胸ポケットに、それとなく手を伸ばそうとする……
「おっと、ははは、随分と積極的じゃないか、アンジェーヌ嬢」
彼は、私の肩を抱き寄せながら、いやらしい笑みを浮かべる。その腕が邪魔で、ポケットに全く届かない!
(っっ…失敗!)
私は、潤んだ瞳で彼を見上げ、囁いた。
「…マリウス様、あなた様は、ヴァレリウス公爵の一番の右腕でいらっしゃるとか…なんて、素敵なのかしら!」
私の熱のこもった賞賛に、マリウスは気を良くし、これ見よがしに胸ポケットをポンと叩いた。
「フン、当然だ!父上は、この僕を誰よりも信頼しているからな!」
「まあ、素敵!…あら、マリウス様、胸元に糸くずが…」
私は、ハンカチを取り出すと、彼の胸元を拭うふりをして、再びポケットを狙う。だが、彼は、その私の手を、ぬるりとした感触で掴んだ。
「はは、ありがとう。だが、そんなことより…」
(また失敗…!…警戒されてるのかしら…?)
彼は、私の肩に手を置き、顔を近づけてくる。
「さあ、お茶会は終わりにして、もっと『楽しい』話をしないか?」
そう言いながら、わたしの唇を、親指でつつっと撫でる…
キモッッ!!覚悟はしてたけど…こんなに気持ち悪いなんて!
え!?この人は、本当に、これが格好いいと思ってやっているのだろうか?
ーー返答できずにいる私を、彼は肯定と受け取ったようだ!
次の瞬間、力強く腕を引かれ、ソファへと押し倒された…怖い…やばい!
「―――っ!」
声にならない悲鳴が上がった、その時。
バァン!
サンルームの扉が、凄まじい音を立てて開け放たれた。
そこに立っていたのは、氷の、いや、もはや灼熱の怒りをその身にまとった、アレクシス様だった。
「…離れろ」
地を這うような低い声。その殺気に、マリウスは蛇に睨まれた蛙のように硬直する。
「な、なぜ、ヴァインベルクの王子が…!」
アレクシス殿下は、マリウスの腕を掴むと、まるで人形のように軽々と引き剥がす。
ーーー最後のチャンスは、その一瞬!
マリウスが体勢を崩し、私の上から引き剥がされる、その瞬間!
私は、前世で、痴漢の財布をスリ取ってやった時を思い出す。
え?犯罪?ちゃんと返したわよ!痴漢で捕まった後にね!
私は右手を、マリウスの胸ポケットに滑り込ませ――黒革の手帳の感触を確かめた。
ーーー今だ!
私は、素早く手帳を抜き取り、怯えたふりで胸元に手をやり、ドレスの中へと瞬時に隠した。いや、本当に怖かったんだけどね!
アレクシス殿下の殺気に当てられているマリウスは、気づきもしない。
「な、何をする!」
「アンジェーヌに触れるな、下衆が」
アレクシス殿下に睨まれ、マリウスはほうほうの体で部屋から逃げ出していく。
私は、乱れたドレスを整え、何食わぬ顔で立ち上がった。体は震えている。だって、ホントの本当に、怖かったんだもの…でも、胸元にある、確かな「戦果」が、私に勇気をくれた。何より、「結果」を出す仕事ができたことが、元OLのプライドを大いに満足させたのだ。
アレクシス殿下は呆れたような、それでいて、どこか感心したような、複雑な顔で私を見ていた。
「…おまえという女は、いつも俺の計算を狂わせる」
「あら、最高の褒め言葉だわ!」
私が胸元の手帳をポンと叩いて見せると、彼は深いため息をついた。
「…ともかく、無事でよかった」
そう言って、私の手をひき、静かに抱きしめると、それが当然かのように私の頬に手をあて、優しく唇を重ねてきた…
え?キス?今世、初めてのキス…ファーストキス!
混乱して、思わずアレクシスの胸をドンっと叩く。
「ちょっと!私のファーストキス!」
「ーーーあっ…思わず…嫌だったか?」
その聞き方は、ずるい!
「…嫌とかじゃなくて…もっと、ロマンチックな時と場所がよかったのよ!」
「…次回は、そうする…」
「…お願いします…」
なんだか、次回のキスの予約をしてしまったみたいで恥ずかしかった…
◇
少し戻って、アレクシス…
アストリア王宮内の一室。そこは、『月影の猟犬』の臨時の拠点となっていた。
「―――以上です。マリウス・ヴァレリウスは、昼は常に問題の手帳を胸ポケットに。夜は枕の下に敷いて眠っています。強奪は可能ですが、確実に気づかれ、公爵に報告がいくかと」
部下からの報告に、アレクシスはギリ、と奥歯を噛みしめる。
リヒルトがいないと思ったら、マリウスの女に接触していた…
そして、リヒルトは、全ての計画が記してある、手帳の存在に行き着いた。
なんとか、手に入れようと部下に命じたが…
物的証拠は、喉から手が出るほどほしい。だが、下手に動けば、ヴァレリウスにこちらの動きを察知され、アンジェーヌの身がさらに危険に晒される。
「…殿下。クライネルト公爵令嬢が、マリウス・ヴァレリウスと二人きりでのお茶会を…」
別の部下からの報告に、アレクシスの心臓は、氷に浸されたように冷たくなった。
(あの馬鹿…!俺が止めても、どうせ行くだろうと思っていたが…本当にやるとは!)
彼女の行動力と、己の正義を信じて突き進むその強さに惚れたはずだった。だが、その無謀さは、時として、見ている者の正気と寿命を削り取る。しかし、彼女が動くのなら。それは、あるいは、唯一の好機かもしれない…
(…本当に、手のかかる女だ…)
アレクシスは、深いため息をつくと、部下たちに命じた。
「茶会の場所を特定しろ。何があってもいいように、周囲に部隊を配置。俺も、すぐ側で待機する」
お茶会当日、俺は、サンルームの近くで息を潜めていた。そして、アンジェーヌが、あの貞操なし男に襲い掛かられる!
ーーーこの下衆が…!アンジェに触れたその腕、切り落としてくれる…!
あの瞬間ほど、冷静さを失ったことはない。あの男を切り刻まなっかった自分を、褒めてやりたい…
ここまで読んでいただき、ありがとうございます♩
手帳を手に入れました。証拠も揃って後は断罪だけ!次回は断罪回です。
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