第5話:リヒルト、スパイになる
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時は少し戻って。
アストリア王国の首都に到着した公式訪問団の喧騒を離れ、リヒルトは、一人、裏路地で簡素な平民の服に着替えていた。スパイの経験など、もちろんない。隠密行動の心得もない。あるのは、人懐っこさとラッキーだけ…
「さてとー、どうしようっかなー。とりあえずお腹が空いたから、食堂でも入ろうっと」
とってもアバウトな行動だ。大通りに、混雑している食堂を見つけ、「混んでいるなら美味しいだろう」とあたりを付けてその食堂で腹ごしらえをすることにした。
その食堂『金の麦亭』には、看板娘がおり、みんなに人気だった。
亜麻色の髪をポニーテールに揺らし、懸命に働く、快活で可愛らしい少女。
「オススメある?」
「本日の日替わりがオススメですよ!」
「じゃあ、それお願い」普通にオーダーして、普通に食事をするリヒルト。
しかし、ラッキーボーイの名は伊達じゃない。隣の席の男たちの噂ばなしが聞こえてきた。
「聞いたか?宰相閣下のご子息、マリウス様のことだよ」
「ああ、あの色狂いの若様か。最近は、下町の食堂の娘に夢中らしいぜ」
「ばか!それ、リナちゃんだよ!見てみろよ…あんな健気に笑顔振りまいて働いてさ…可哀想にな。どうせ、すぐに捨てられるだろうに」
「ええ?リナちゃんだったのか!俺、いいなと思って通ってたのに…あんな男がいいなんて…」
どうやら、先ほどのオーダーを取りにきた、看板娘がリナで、宰相の息子と繋がりがあるらしい。これは、なんとか仲良くなって、話を聞きたいところだが…なんの策も浮かばない…
リヒルトは食事を終えると、店の中を注意深く観察した。昼時を過ぎても、客足は途絶えず、恰幅のいい女将さんと、リナが二人で、てんてこ舞いで働いている。
(…なるほど、人手が足りていないんだな)
彼は、にやりと笑うと、席を立ち、女将さんの元へ向かった。
「ごちそうさま!すごく美味しかったよ、女将さん!」
「あいよ!…おや、あんた、旅の人かい?」
「うん!見ての通り、元気だけが取り柄なんだ!もしよかったら、少しだけ手伝わせてもらえないかな?お代の代わりにさ!」
そう言って、リヒルトは、子犬のように人懐っこい笑顔を浮かべた。
女将さんは、一瞬きょとんとしたが、汗を拭いながら働くリナと、目の前の屈託のない笑顔の青年を見比べると、豪快に笑った。
「はっはっは!面白いことを言うじゃないか!ちょうど腰が痛くてねぇ。よし、試しに皿洗いでもやってみな!」
「はい!頑張ります!」
「お前さん、家は?」
「今、旅の途中で…」
「しょうがないねー、じゃあ、働いている間だけ、うちに泊っていきな。リナ!この子に部屋を案内してやんな!」
なんの苦もなく、リナとの繋がりを手に入れたリヒルトであった。
◇
こうして、リヒルトの、なんとも行き当たりばったりな潜入生活が始まった。女将さんに案内されたのは、屋根裏の小さな部屋だったが、旅の途中の「リヒト」と名乗る青年(公爵令息)にとっては、十分すぎるほどの寝床だった。
翌朝。厨房に降りると、そこには、いかにも頑固そうな、髭面の親父さんが腕を組んで立っていた。
「こいつか?昨日言ってた、妙な若造ってのは」
「ああ、ガンツ。この子はリヒトだよ。今日からここで働くから、よろしく頼むよ」
ガンツと呼ばれた親父さんは、ジロリと僕を睨みつける。
「なんだい、このひょろっとした兄ちゃんは。使い物になるのかねぇ」
「はい!見かけによらず、力持ちです!頑張ります、親父さん!」
リヒルトが、にぱっと笑ってそう言うと、ガンツさんは「…フン」と鼻を鳴らして、厨房の奥へと消えていった。
その日の昼時、店は戦場と化していたが、リヒルトは、生まれて初めての「仕事」に、ワクワクだった。
「はい、お待ちどうさま!日替わりランチセットね!」
「リヒト!3番テーブルの追加だ!」
「はいよ、親父さん!」
彼の太陽のような笑顔と、丁寧で、かつ親しみやすい接客に、店の常連客たちは、あっという間に彼を気に入ったようだ。
看板娘のリナは、最初こそ、突然現れた同僚に少し戸惑い、距離を置いていた。だが、貴族の若様たちが自分に向けるいやらしい視線とは全く違う、澄んだ瞳で、彼が自分を見てくれていることに、すぐに気づいた。山のような食器を抱えて、よろめいた瞬間。
「リナちゃん、危ない!半分持つよ!」
どこからともなく現れたリヒトが、さっと食器の半分を持ってくれる。
「あ、ありがとう、リヒトさん…」
「どういたしまして!リナちゃんは、仕事が早くてすごいね!」
その裏表のない優しさに、彼女の心は、少しずつ解きほぐされていった。
その日の賄いの時間。ガンツさんの作る、素朴だけど温かいスープを啜りながら、四人でテーブルを囲む。
「リヒトは筋がいいねぇ。看板息子だよ、まったく」と笑う女将さん。
「フン、まだまだだな。だが、根性だけは認めてやる」と、ぶっきらぼうに言うガンツさん。
そんな二人のやり取りが、リヒルトには、まるで本当の家族のように感じられて、自然と笑みがこぼれた。彼が作り出した、この温かい空気の中でなら、誰もが、つい、心の鎧を脱いでしまうだろう。
そして、二日目の昼下がり。店の混雑が、少しだけ落ち着いた時間だった。
リヒルトが、店の裏で樽を整理していると、リナが、俯きがちにやってきた。その目は、少しだけ赤い。
「…リナちゃん、どうしたんだい?」
リヒルトが、子犬のように心配そうな顔で尋ねる。
最初は「なんでもない」と強がっていた彼女だったが、彼の、ただただ真っ直ぐな瞳に見つめられ、ついに、ぽつり、ぽつりと、胸の内を明かし始めた。
「…マリウス様が…また、約束を、破ったの…」
「マリウス様って、あの宰相閣下の…」
「ええ…。今日も、会いに来てくれるって言ってたのに…。さっき、別のお綺麗な女の人と、腕を組んで歩いているのを見たって、お客さんが…」
彼女の瞳から、大粒の涙が、ぽろぽろと零れ落ちる。
「あの人は、いつもそうなの…。優しい言葉をくれるけど、すぐに嘘をつく…。『俺の父上が、もうすぐこの国を乗っ取る。そうしたら、おまえを正式な愛人として、王宮に迎えてやる』なんて、バカみたいなことばっかり言って…!」
リヒルトは、息を呑んだ。(王家の、乗っ取り計画…!)間違いない。彼女の恋人は、黒幕の息子。そして、彼は、計画の核心を知る人物だ。
「でも…本当かもしれないだろ?信じてあげることは出来ないの?」
「だって!あの人、ソフィア王女の王配になるのよ?わたしみたいな平民が愛人で王宮に入るなんて、出来っこないじゃない!」
「そう、ちゃんと言ってみた?」
「言ったわよ!そしたら、なんか、王女と王子の派閥に内乱させるから、王女は自分しか頼る人がいなくなる。そしたら、わたしを愛人にしても文句は言えないはずだって…そんなこと、出来るわけないじゃない!」
(…なるほど…乗っ取りってのは、ソフィアを女王に添えて傀儡にしようと考えてるわけか)
リヒルトは内側から沸々と怒りが湧いてくるのを感じる。だが、今のリヒルトは、ただの「リヒト」。目の前で泣いている、一人の少女を、慰めることしかできない。
彼は、そっと、彼女の震える肩に、自分の上着をかけた。
「そっか…。それは、辛かったね」
慰めの言葉は、得意じゃない。でも、ただ、寄り添うことはできる。
「ありがとう…リヒトさん…。あなたに話したら、少しだけ、楽になったわ」
涙を拭い、少しだけ微笑んだ彼女の顔を見て、リヒルトは、胸の奥で、静かに決意を固めていた。
(必ず、助けるからね)
愛する妹と、生涯を誓った女性を。そして、悪党に騙され、心を弄ばれている、この心優しき少女のことも。クライネルト公爵家が長男、リヒルト・フォン・クライネルトの、本当の戦いが、今、始まろうとしていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます♩
リヒルトは下町にいました。
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