プロローグ:完璧な人生と、呪いの言葉
シャンデリアの光が宝石のように降り注ぐ、王立学園の大ホール。今宵は、建国記念を祝う夜会が開かれている。王立学園に通う、ヴァインベルク王国の紳士淑女が集い、踊り、語らい、中には愛を囁き合うものもいる、その最中…
「アンジェーヌ嬢、話がある!」
「なんでしょう?ユリウス様?」
「この、どブス!」
「……………え?」
思考が、凍り付いた。
今、なんて?
私の婚約者であるユリウス様の、彫刻のように完璧な唇から紡がれたとは思えない、あまりにも汚らわしい、醜悪な響き。
その言葉が鼓膜を揺らした瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。
視界の端で、豪華なシャンデリアが、けたたましい車のヘッドライトに変わる。耳の奥で、優雅なワルツが、耳障りなクラクションと自転車のきしむ音に塗り潰される。鼻腔を突くのは、アスファルトの焼ける匂いと、排気ガスのむせるような臭気。
そして、私の脳裏に直接響き渡る、憎悪に満ちた男の声――。
「あ…………」
全身の力が抜け、糸が切れた人形のように、私はその場に崩れ落ちた。薄れゆく意識の中、ユリウス様の美しい顔が、なぜか満足そうに微笑んで見えた気がした。
◇
次に目覚めた時、私は見慣れた自室の天蓋付きベッドの上だった。刺繍が施されたシルクのシーツの感触、微かに香るポプリの匂い。間違いなく、クライネルト公爵家の私の部屋。
「……夢、じゃ……ない」
その呟きと同時に、扉が勢いよく開かれた。
「アンジェ!」
「お嬢様!」
涙を浮かべたお母様と侍女のカエラが、私のベッドに駆け寄ってくる。
「大丈夫?心配したのよ!あなた、2日も眠ったままで…」
お母様は、私の手をぎゅっと握りしめ、その目から大粒の涙をこぼした。
「お母様、ご心配をおかけいたしました。私、2日も目覚めなかったのですね」
「医師は体調は問題ないと言っていたが…流石に、起きなくて肝が冷えたぞ。無理はするなよ?」
少し離れた場所で腕を組むお父様は、努めて冷静を装っているけれど、その声は安堵に震えている。次期公爵である娘に何かあっては、と気が気でなかったのだろう。
「ありがとうございます。お父様」
「アンジェ!」
ベッドの反対側から、今にも飛びかかってきそうな勢いで身を乗り出してきたのは、お兄様のリヒルトだった。その姿は、まさにご主人様が心配でたまらない大型犬そのものだ。
「ユリウスのやつに何か言われたのかい?やつと話をしていて倒れたと聞いたんだ。何かあれば、僕がぶん殴り…いや、然るべき対処をするよ?」
「…そうですね…少し、考える時間をくださいませ…お兄様」
私の曖昧な返事に、お兄様は納得いかないという顔をしたが、お父様に窘められ、渋々引き下がった。
家族の深い愛情を感じながらも、私の頭の中は、先ほど蘇った衝撃的な記憶でいっぱいだった。
そう、全部、思い出してしまった!
私は、転生者だ!しかも、くたびれたスーツ着て、毎日満員電車に揺られていた、しがないOL!
特技はパソコンのショートカットキーの早打ちと、理不尽なクレームへの完璧な謝罪!
そんな私が、久々の休みにスーパーへ買いだめをしようと、中古の自転車をキーキー言わせながら公道を走っていたら、後ろから来た見知らぬおじさんに、追い抜きざまに突然、罵られたのだ。
「この、どブス!」
あまりの理不尽さに呆然として、ハンドル操作を誤って、転げてトラックに……。
うわーーー!なんて黒歴史!思い出したくもなかった!
前世の最期の記憶が、今世の婚約者からの暴言と完全にリンクするとか、それなんて拷問!?
皆が心配そうに見守る中、私は完璧なお嬢様スマイルを浮かべる。
そう、今の私は『クライネルトの宝石』と謳われる美貌の公爵令嬢、アンジェーヌ・フォン・クライネルト。
艶やかなプラチナブロンドの髪に、湖の色を映したような青い瞳。雪のように白い肌。誰もが振り返る完璧な美貌を持っているはずだった。
――そう、『はずだった』。
あの夜会までは、私の人生は完璧だった。
この国でも有数の大貴族、クライネルト公爵家に生まれ、優しいお父様とお母様に蝶よ花よと育てられ。
お兄様のリヒルトは、陽気で誰からも好かれるわんこ系のイケメンで。
謎に、次期公爵の座を全力で拒否中でお父様は頭を抱えているけれど、そのおかげで私は幼い頃から、嫁入りではなく、この家を率いる次期公爵としての英才教育を受けてきた。
正直、面倒なことも多いけど、自分の足で立つための知識と力は、私に自信を与えてくれたし。
学園に入学してからも、私の毎日は輝いていた。
頼れる親友のサミエラがいて、私を慕ってくれる取り巻きの令嬢に囲まれて。どこを歩いても、憧れの視線が向けられる。
そして、極めつけは婚約者のユリウス・フォン・シュミット様。
シュミット侯爵家の次男で、成績優秀、眉目秀麗。学園中の令嬢の憧れの的である彼が、私の婚約者。
公爵家の令嬢と侯爵家の貴公子。誰もが羨む、完璧なカップル。
このまま学園を卒業し、ユリウス様と結婚して、公爵家を盛り立てていく。
そんな、絵に描いたような勝ち組人生を、私は疑いもせずに謳歌していた。
転生したことなんて、思い出す隙もないくらいに、完璧な世界を生きていたのだ。
そう、あの夜会までは――。
たった一言。
前世の私を殺し、今世の私の世界を粉々に砕いた、あの呪いの言葉を聞くまでは。
◇
混乱する頭のまま数日をベッドで過ごし、ようやく体調が回復した私は、すぐさま行動を起こした。
原因である、ユリウス・フォン・シュミット、やつに話を聞かなければ!
「カエラ、ユリウス様にお話を伺いたいと、至急お伝えしてちょうだい」
カエラにそう命じても、返ってくるのはつれない言葉だけ。
「それがお嬢様…シュミット侯爵家からの返答によりますと、『ユリウス様は、あの夜以来、アンジェーヌ様を心配するあまり心労で臥せっております』とのことでして…しばらくは、面会は難しいかと」
はぁ!?心労で臥せってるですって!?
あの夜のことは「夜会の熱気に当てられて倒れた」と処理され、ユリウス様の暴言は、誰の耳にも届かなかったことにされているらしい。
それどころか、倒れた私のせいで、彼が心を痛めているとでも言いたいの!?
んなわけないでしょ!みんなの前で、思いっきり言ってくれたじゃないの!
…逃げたわね、あいつ。しかも、とんでもなく回りくどい言い訳を使って!
何度手紙を送っても返事はなく、面会を申し込んでも体よく断られる。
そうこうしているうちに、私の日常は、静かに、そして確実に、悪意の色に染められていくのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます♩
短編版より、家族とのやり取りや、アンジェーヌの勝ち組状況が増えたり、ユリウスの言い訳を変更したりしております。
次回以降も、大幅加筆してますのでお楽しみに♩
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