第6話「その手を離すのは、誰のため?」
前回まで読んでくださりありがとうございます。
今回は、ミュリエルがずっと胸に秘めていた感情をぶつける、大きな転機の回です。
家族との対立、信頼の崩壊――そして、自分自身のための旅立ちが始まります。
第6話「さよならを、もう一度」
「ミュリエル、書斎へ来なさい」
父の声はいつも通り低く落ち着いていたが、そこには命令以上のものがなかった。
私は黙って席を立ち、母と父、そしてリディアの待つ書斎へと足を運んだ。
扉を開けると、三人はすでに椅子に腰かけ、私が来るのを当然のように待っていた。
「座りなさい」
母の声もまた、どこか他人行儀だった。
「ミュリエル」
父が切り出す。
「今回の一件について、家としての判断を下さねばならない」
「……判断?」
「お前が意図して母に害を加えたとは思っていない。しかし、結果として騒動が起きた以上、責任は伴う」
「それって……私のせいだって言ってるの?」
「言っていない。だが、お前が用意した茶で母が倒れたことは事実だ」
「だったら! 私が仕込んだという証拠を出して!」
「証拠云々の問題ではない。貴族というのは、常に外聞と評判で成り立っている。このままお前を屋敷に置いておけば、噂はさらに広がるだろう。よって――しばらく、領地の別宅で静養してもらう。これは決定事項だ」
「決定……? 私に相談もなく?」
「相談する余地がどこにある。お前は今、“火種”なのだ」
心がきしんだ。
「……父様、それでも本当に、私のことを娘だと思ってるの?」
父は一瞬黙り、冷たい視線を向けてきた。
「家の者である以上、娘である以前に“責任”を持て」
母がようやく口を開いた。
「あなたも、伯爵家の令嬢として育てられたのなら、理解できるはずよね」
私は凍りついたように動けなかった。
「私は……伯爵令嬢である前に、“人間”なんですけど」
「感情で動くのは子供のすることよ」
母は視線を逸らしたまま、そう言った。
「私は……これまでずっと、あなたたちの期待に応えようとしてきたのに……!」
怒りが、悲しみが、悔しさが、一気にあふれ出す。
「礼儀も、勉強も、何一つ文句を言わずに! ただ“完璧な令嬢”であろうとしてきたのに……!」
「それで報われるとは限らない」
父の一言が、決定打だった。
「……っ!」
私は机を思わず叩いた。
「じゃあなんなの!? 努力しても認められなくて、疑われて、追い出されて……私は一体なんだったの!? この家の“失敗作”? 都合が悪くなったら切り捨てられる駒だったってこと!?」
「言葉を慎め。自らの立場をわきまえろ」
父の声には、情というものが一滴もなかった。
リディアが小さく口を開いた。
「お姉さま……私は、信じています。ずっと……」
「黙って」
私は彼女を見た。
「あなたの“信じてる”って言葉が、どれだけ私を追い込んできたか……わかってる? あの舞踏会のときも、母様が倒れたときも、あなたは“私は信じてます”って言って……そのたびに周りの視線は冷たくなっていったの。あなたが“庇ってる”ふりをするたびに、私は怪しまれていった」
リディアの顔がこわばった。
「私は……そんなつもりじゃ……」
「そう、いつも“そんなつもりじゃ”ない。でも、あなたの“無垢な優しさ”は、私を殺すのよ」
私は立ち上がった。
「……もういいわ。あなたたちの中で、私はもう居場所をなくした。静養でも追放でも何でもいい。私は、出ていく。自分の足で」
「そうしてくれると助かる」
父はそれだけを言った。
母は、最後まで私と目を合わせなかった。
――
荷造りをしても、誰も部屋には来なかった。
玄関に出たとき、そこにいたのは――やはり、リディアだけだった。
「お姉さま……どうか、ご無事で」
その笑顔は、やはり“勝者の顔”だった。
「……ありがとう」
それだけ告げて、私は馬車に乗り込んだ。
外の世界へと、扉が閉じる音がした。
(私はもう、戻らない)
(誰に信じてもらえなくても、私自身だけは……私を裏切らない)
私は、唇を強く噛んで前を見据えた。
涙は出なかった。ただ、強い風が心を貫いていた。
――
ミュリエルを乗せた馬車の音が遠ざかるのを、リディアは窓辺から見下ろしていた。
「ようやく、いなくなったわね」
その声は小さく、誰にも聞こえないほどだった。
「“信じてます”って、言ってあげたのに……それすら気づかれないなんて、ほんと可哀想」
口元に浮かんだのは、冷たく歪んだ笑みだった。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
ミュリエルにとって、家はもう“守るべきもの”ではなくなってしまいました。
けれど、この離別は、彼女が“本当の自分”を見つけるための一歩でもあります。
次回から、少しずつ新しい世界が開けていきます。どうか見守ってください。