第4話「私はもう、いらないの?」
お読みいただきありがとうございます。
今回は実家に戻った主人公が、優しさのなかにある距離や、静かに失われていく居場所を感じていくお話です。
はっきりした出来事がない分、じわじわと心が削れていくような回になっています。
朝、目を覚ましても、気分が晴れることはなかった。
むしろ、昨日よりも世界の色が薄くなったように感じた。
鳥のさえずり、風に揺れるカーテン。
どこもかしこも、穏やかで、変わらないはずの朝だった。
それなのに、私の中だけが、取り残されたみたいだった。
身支度をして、ゆっくりと食堂に向かう。
廊下ですれ違った使用人たちは、一様に黙礼だけして、早足で去っていった。
彼らは私に目を合わせないようにしている。
まるで「関わってはいけない人間」とでも言わんばかりに。
朝食の席では、両親がいつも通りの穏やかな表情を向けてくれた。
リディアも、優しげな微笑みで私を迎えてくれる。
「お姉さま、無理しなくてもいいんですよ」
「ありがとう……」
その言葉が嬉しくないわけじゃない。
でも、“気を遣わせている”ことに気づいてしまって、素直に甘えることもできなかった。
食卓に並ぶ料理は、以前と同じはずなのに、どれも味がしなかった。
「今日は、何かしたいことがあれば言ってちょうだいね」
「そうそう。散歩でも読書でも、好きに過ごしなさい」
「……うん」
私は少しだけ微笑んで、そのまま席を立った。
⸻
食後の庭を歩いていたときのことだった。
花壇のそばで、小さな姿が動いた。
「エマ?」
使用人の娘。まだ五歳くらいだったか。
私が以前、よく膝に乗せて絵本を読んであげていた子だ。
声をかけると、彼女は私の方を見て、一瞬だけ目を丸くした。
けれどすぐに顔をそらし、ぱたぱたと駆け出していってしまった。
「エマ、待って……!」
追いかけようとしたが、エマは庭の隅に消えた。
その背中に向かって、私はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「いらない子って言われてたもん!」
遠くから、エマの声が風に乗って聞こえた。
胸が、凍るように痛んだ。
誰が言ったの? どうして?
でも問いただす元気なんて、もう残っていなかった。
……私は、あの子にとって、もう“怖い存在”になってしまったのかもしれない。
⸻
午後、廊下を歩いていると、ふと開いていた応接室から話し声が聞こえた。
使用人たちの声だった。
「このドレス、ほんとはミュリエル様の成人式用だったんですって」
「え? そうだったの?」
「でも、今じゃあの方、もう着る機会もないし。リディア様の方が華やかでお似合いよ」
「若さって、やっぱり強いわよね。魔力もあるし、人気も出るわ」
「“使われないもの”を抱えてても、仕方ないものね」
立ち止まる。
息を吸い込むことすら、苦しかった。
――私の、成人祝いのドレス。
それが、もう“使われないもの”として扱われてる。
しかも、それを当然のことのように語られている。
膝が震えた。
目に見えない何かが、私の価値を塗りつぶしていく。
そのドレスは、母が選んでくれたものだった。
私の好みに合わせて、優しい藤色の布地に、銀糸で刺繍があしらわれていて。
あれを受け取るのが、ずっと楽しみだった。
でも、それはもう、妹のものになっていた。
「仕方ない」で、すべてを上書きされてしまった。
⸻
夕方、廊下を歩いていると、書斎の扉がわずかに開いていた。
中から聞こえる両親の声。何気ない会話のようだった。
「ミュリエルは……しばらく、このまま様子を見るしかないわね」
「でもリディアがいれば、大丈夫だ。家の名も、未来も問題ない」
「あの子は本当にしっかりしているわ。社交界でも評判がいいもの」
「うむ。魔力もあって、華やかで……まさに次期当主にふさわしい」
どれも静かな声だった。責めているわけでも、悪気があるわけでもない。
それでも、その言葉は、胸に鋭く突き刺さった。
私は、もう……“選ばれない側”なのだと。
静かに、その場を離れる。
一言も発さず、足音を立てないように歩いた。
自室に戻り、扉を閉める。
部屋は静かで、何も変わっていなかった。
でも、私の中だけが、何かを失っていた。
ベッドに腰を下ろし、ぼんやりと天井を見つめる。
ここは、私の家。生まれ育った場所。
なのに、今はどこよりも遠く感じる。
(私は……もう、いらないの?)
誰に届くこともない問いが、心の中に静かに落ちていった。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
このまま何もせずに“いらない子”として終わってしまうのか――
その問いが、彼女の中で少しずつ形になっていきます。
次回、第5話では、その静けさの中に、ほんの小さな火種が灯ります。
よければまた、お付き合いください。