第16話「再出発の光、そして影の気配」
少しずつ積み上げてきた努力が、形になってきたミュリエル。
商売一本に絞ってからの“変化”を、今回は描きます。
乾物屋を辞めてから、一週間が経った。
朝は少し遅く起きられるようになり、目覚めても体が軽い。
頭も冴えていて、調合ミスも減った。何より――余裕ができたことで、今まで見落としていたことが、たくさん見えてきた。
(売り場の棚、もうちょっと目を引くようにしたいな)
そう思って、まずはディスプレイから手を加えた。
宿の食堂の片隅に置かれていた簡素なテーブルに、淡い布をかけ、瓶の並べ方を工夫する。
ラベルも少し装飾を加えて、用途別に色分けしてみた。
――癒しのブレンドは薄紫、リフレッシュは淡緑、おやすみ用はミルク色。
「なんか、ちょっとお洒落になった?」
そう笑ってくれたのは、常連客の仕立て屋の奥さんだった。
「これ、娘にプレゼントしてもいいかしら? ラッピングできる?」
「もちろんです。リボンもありますよ」
以前だったら手間がかかるからと断っていたかもしれない。
でも今は、こうした一つひとつが“お店づくり”なのだとわかる。
*
ある日、ハーブティーを買いに来た女性が、友人を連れてきた。
「この子、ちょっと変わってるけど、面白い子なの。ハーブの話し出すと止まらないのよ」
言われて、ミュリエルはちょっと照れながら笑った。
「すみません、つい語ってしまって……」
「それだけ愛情込めて作ってるってことよ。いいと思うわ」
客との会話が、だんだん楽しくなってきた。
買ってくれた人が「よかったよ」とまた来てくれる。
その積み重ねが、自信になっていく。
(少しずつだけど、確実に“商人”として歩いてる気がする)
そしてもうひとつ――最近、新しい要望があった。
「これ、手紙に添えて送ったら、香り残るかしら?」
ハーブを眺めながらそう尋ねてきたのは、若い旅人だった。
「……なるほど、香りの手紙ですか」
「そうそう。ほら、香り付きの文ってちょっとロマンチックじゃない?」
「いいですね、それ。ちょっと試作してみます!」
こういう会話ができるようになったのも、余裕ができたからこそ。
前の自分なら、こんなアイディアも拾えなかっただろう。
*
夜、帳簿をつけながら、ミュリエルはふっと微笑んだ。
今日は売上もよく、しかも新しいブレンドの試作品も手応えあり。
それに、マルレーネからも褒められた。
「最近、宿の客が増えたの、あんたのおかげかもね」
「そんな……」
「でも、たまには人に頼ってもいいんだからね。何でも一人でやる必要はないのよ」
「……はい」
マルレーネの言葉が、じんわりと胸に沁みた。
(私は、ずっと誰にも頼れないって思い込んでた。でも……たぶん、それは違う)
肩の力を抜くように、ゆっくりと深呼吸をした。
*
翌日の市場。
ミュリエルは新しいハーブの仕入れ先を探して、街を歩いていた。
太陽は高く、春風が頬に心地いい。
それなのに――
「……リディア様って、今こっちに?」
ふと聞こえたその名前に、ミュリエルの足が止まった。
声の主は、通りすがりの貴族風の女性たち。
背筋に、冷たいものが走る。
「噂では、婚約者と一緒に視察で来てるって。あの方、すごく可愛らしくて、笑顔が素敵なのよね」
リディア。妹の名前。
(……まさか)
ミュリエルはそのまま歩き出したけれど、心は落ち着かなかった。
(なんで、今ここに……)
商売は順調、体調も回復した。
でも――
その名前が、心のどこかに小さな棘のように引っかかっていた。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
ちょっとずつでも、自分の力で未来を変えていく姿って、やっぱり応援したくなりますよね。
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次回は、順調な日々に忍び寄る“あの影”が少しずつ見えてくるかも……?