第10話 芽吹く小さな違和感
いつもお読みいただきありがとうございます!
今回は、ミュリエルが仕事を始めてから約1ヶ月――
少しずつ町の空気に馴染みながらも、“この世界の常識”に疑問を抱き始めるお話です。
小さな気づきが、やがて大きな行動につながっていきます。
仕事を始めて、四日目。
ようやく「おはよう」と返してくれる人が、ぽつりぽつりと現れ始めた。
一週間が経つころには、弟子の少年もあからさまな嫌味は言わなくなっていた。
代わりに、「ここ直しといて」なんて、ぽつりと雑な指示が飛んでくる。
それが不思議と、少しだけ嬉しかった。
(……私、ほんの少しだけ、この場所にいられてる)
それでも、一ヶ月は長かった。
同じ作業、同じ顔ぶれ。変わらない日々。
けれど、その中にも、ゆっくりと染み込むような変化があった。
街のパン屋の少女が「お姉さん、今日も頑張ってるね」と笑ってくれた日。
老婦人のお客が、私の名前を覚えて「ミュリエルさん、またお願いね」と言ってくれた日。
乾物屋の主人が、無言で焼き菓子を一つくれた日――
ほんの些細な出来事が、私の胸に、確かに何かを積み重ねてくれた。
⸻
そんなある日、仕事帰りの帰路で、私は道ばたでしゃがみ込んでいる子供に気づいた。
「どうしたの?」
声をかけると、少年は怯えたように顔をあげた。
「お腹……痛くて……」
その姿を見て、私は反射的に近づき、触れる。
額は熱い。目はうるんでいる。
明らかに体調がおかしい。
「誰か……この子の家族を……!」
そう呼びかけたが、人々は遠巻きに見るばかりだった。
やがて、一人の中年男性が近づいてきた。
「こいつ、薬も買えない家の子だよ。下手に手を出したら、あとで文句つけられるよ」
「でも、倒れてるんです。せめて、薬草くらい……!」
「それが“貴族”のやり方か? なら、お前が責任とるんだな?」
――突き刺さる言葉に、私は唇を噛んだ。
(……この世界って、どうして、こんなに冷たいの?)
現代の日本なら、こんなとき、誰かがすぐに助けを呼んでくれる。
倒れてる子を放っておくなんて、そんなの、当たり前じゃなかった。
けれど、ここでは。
「……すみません」
私は自分の財布から、小さな薬草を買い、その子にそっと手渡した。
それが“間違っている”と言われたとしても、私は、放っておけなかった。
⸻
夜、宿に戻ってからも、胸の奥がずっとざわついていた。
(あれが、この世界の“普通”だとしたら――)
私は、ただ生きるだけで満足できるんだろうか?
「貴族じゃないんだから、静かにしてなきゃ」
「女は年を取る前に結婚しなきゃ」
「出すぎる女は嫌われる」
……そんな“当たり前”の言葉たちが、次々と浮かんでは消えていく。
(そんなのおかしいって、私は、ちゃんと声に出したい)
私は、静かに拳を握った。
(ここで、私にできることは、あるはずだ)
それが何かはまだ分からない。
でも、確かに何かが――動き始めていた。
最後までお読みくださりありがとうございました。
少しずつ社会に溶け込みながらも、ふとした出来事が心をざわつかせる。
そんな違和感こそが、ミュリエルにとっての“出発点”になるのかもしれません。
次回は、その揺れ動く気持ちが、思わぬ出会いや選択へとつながっていく予定です。
引き続き、よろしくお願いいたします!