第7話 鉄の匂い
僕は──目の前にいる雀の面をつけた少女に、恋をした。
その面越しにも、彼女の頬が真っ赤に染まっているのが分かったその姿に、僕の鼓動はさらに速まっていく。
「だって……その……えぇぇぇぇ!」
ひとりで悶えている彼女を、ただ静かに見つめた。
張り詰めた空気の中、僕はおそるおそる口を開いた。
「あの、お返事をいただいても良いですか?」
「え…あ…。」
彼女は再び僕の方を向き、何かに気づいたように目を見開いた。
「え?あんた……」
視線は僕の顔から足元へと移動する。
「?」
僕はゆっくりと下を見る。
そこには、濃い赤が広がっていた。
まるで時間が止まったように、思考が追いつく前に――
腹部に激しい痛みが走った。
「〜〜〜〜〜〜ッッッ!」
叫ぶ間もなく、僕の身体はその場に崩れ落ちた。彼女を押したときだ。あのとき、撃たれたんだ。
腹部が痛む。
視界の端が、じわじわと暗闇に染まっていく。
誰かが駆け寄る音。きっと彼女だ。
彼女に告白の返事を求めたかった。
しかし、その願いは、叶うことなく、意識が闇に沈んだ。
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目を開けた。
全身が痛む。意識はまだ朦朧としているが、どうやらベッドの上らしい。
夢……だったのか?
「〜〜〜〜ッッッ!」
だが、腹部の鈍い痛みが、それを否定する。
立ち上がろうとした瞬間。
服をめくると、包帯がぎっしり巻かれていた。爪にも包帯がある。
どうやら、あの日の事は、夢ではなかったようだった。
喜びが、ほんの少しだけ胸を満たす。
彼女は、本当に存在するんだ――。
けれども同時に、疑問が胸を締めつける。
……どうやって、僕はここへ戻ってきたのか?
記憶が断片的にしか思い出せない。あの場所から、どうやって?
──ピンポーン
インターホンが鳴った。
誰だろう…?配達は、頼んだ覚えがない。
──ピンポーン
また、鳴った。
もう一度、鳴る。僕は痛む身体を起こし、玄関へと向かった。
──ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンピンポーンピンポーンピンポーン
胸の奥に、ぞくりとした不安が広がった。
何かおかしい。
嫌な予感がする。
僕は、またゆっくりとさっきとは、逆にドアから離れるように足を動かした。
────…………。
インターホンの連打が止まった。
一体何だったのだろうか…。
そう安堵した瞬間。
───ゴォォン!
劈く爆音と共に僕の身体は、爆風で吹き飛ばされ床に叩きつけられた。
身体が動かない。
カッカッ
足音。誰かがこちらに向かってくる。
「生きてるかぁ?」
太い、冷えた声。男だった。
「寝てんじゃねぇよ!」
ドスンッ。重い音と共に蹴りが入る。視界が揺れ、痛みが遠のいていく。
男が僕の胸ぐらを片手で掴んで僕を持ち上げた。
「おい!まだ死ぬんじゃねぇぞぉ!」
男は、金髪のとても筋肉質な大男であった。
「これから、楽しみが始まるんだ!まだ死んでもらっちゃ困んだよなぁ!」
拳が、飛んできた。
その拳には、何か──手袋のような、しかしただの布ではない異様なものがはめられていた。
───ドォォン!!
轟音と共に、衝撃が顔面を直撃する。まるで爆弾が至近距離で炸裂したかのようだった。
視界が、ぐにゃりと揺れ、次の瞬間には暗転する。何が起きたのか、わからない。右耳には、甲高い耳鳴りが残響のようにこびりついていた。
「効くだろぉ!特別なんだよこれ!まだまだ、続くから覚悟しろよぉ!」
男が嗤いながら、再び拳を振り上げる。その姿が、ゆっくりとフレームのように切り取られて見えた。
意識が朽ちていく中、僕は小さく呟いた。
「た……すけて……」
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目覚める。静かだった。
助かった…のか?
あの男は、どうなった?
痛みは残るが、動ける。
僕はふらつきながら体を起こした。
何だか、鉄のような匂いがした。
「ひっ……!」
目の前。血の海に倒れた大男。
目はえぐられ、体は何度も斬り刻まれている。
恐怖が全身を駆け巡る。
その場を離れようとした僕の視界に、自分の腕が映った。
手には――血まみれの包丁。
そして、肘までべっとりと血がこびりついている。
尻もちをついた。震える手から、包丁が落ちた。
……僕が……殺したのか?
答えのない問いが、頭の中で何度も何度も反響していた。