第一三話 血の味
舗道に刺さる街灯の光は、冷たく地を照らしていた。
先程いた店の方を振り返る。
扉には、CLOSEDの文字そして、その上には、大きく店の名前である「りうか」の文字があった。
───やっぱり、この前行ったファミレスだ…。
街にあるファミレスの裏の顔が殺し屋会社だったなんて…。
ふと気づくと、スズメさんの影はもう遠くにあり、裏路地の闇へと溶け込んでいた。
───ヤバい…。
僕は、急いで彼女を追いかける。
彼女が入っていった裏路地まで走った。
(多分…ここだよね?)
そこは、薄暗い裏路地だった。
路地は、湿気を帯びた息を潜めていた。空気は沈黙に満ちていて、無機質なコンクリートの壁がやけに閉塞感を与えた。歩道に落ちる光はもう背中の方にしかなく、足元を照らすもなど何もなかった。
意を決して入る。
人2人が入れる位の道の広さだった。
この異様な雰囲気が体を包み、脂汗が頬を伝う。
スズメさんは、どこまで行ってしまったのだろう…。
やがて曲がり角に差しかかり、さらに広がった空間に一筋の光を見る。
街灯の光がこちらを照らしていた。
…あそこにスズメさんは、向かったのかな?
光の方へ走っていく。
光がどんどん近づいていく。
それまで気にも留めなかったはずの右側に、ふと、もうひとつの細い路が口を開けていることに気づいた。
まるで誰かが、そこに気づけと囁いたかのようにほんのわずかな好奇心──というよりは、理屈では計れぬ引力に誘われるように、僕は、首をそちらへと傾けた。
瞬間──僕は、その道の奥にいた男に目が合ってしまった。
ヤバいと思ったのも束の間。
目の前には、大きな拳があった。
バギィッ!!
まるで雷鳴が皮膚の内側で炸裂したかのようだった。
そして次の瞬間、世界がひっくり返った。
地面に叩きつけられた自分の体から、記憶が抜け落ちていくのが分かった。
「よ〜〜〜〜〜〜〜やく、見つけだぜぇ。」
そこには、筋肉質の長袖を着た大男が立っていた。
「お前ぇに合いたかったよぉ。田中大樹。」
「………。」
恐怖で言葉が出なかった。
「おいおい、怖がって声もでねぇのかぁ?」
男が近づいてくる。
「そんなんで、俺の兄貴を殺したんかぁッ!?」
男の怒号と一緒に振りかぶった足が僕の腹へと向かう。
ドカッ!
瞬間、僕はまた後ろに吹き飛び、
ドンッ
壁にそのままの勢いでぶつかる。
〜〜〜〜〜ッ。
蹴られた瞬間、腹と足の間に腕を入れたのが幸いしたのか内臓には、あまりダメージは、いっていなかった。しかし、腕へのダメージが甚大だった。
腕の感覚があまりない。
「しかもよぉ、お前、六田の大兄貴に捕まった時逃げただってぇ?そこで死んどけよッ!」
バゴォッ!
再び、とんでもない強さの蹴りの衝撃が体を襲った。
「カハッ。」
痛みは言語を奪い、思考を沈黙させた。
血はもう唾液と区別がつかず、息などできるはずもなかった。
「もう、死にそうかぁ?じゃあ────」
男は手袋を取り出す。
僕は、それを以前見たことがあった。
「兄貴の武器で殺さなきゃなぁぁぁぁぁ!」
あの男の武器だった。
這う。
腕の感覚などない。それでも、生への執着だけが自分を引きずる。
「おいおい。そりゃあ逃げてるつもりかぁ!?」
男が拳を振り上げる。もうダメだ…と思った瞬間─
ヒュッ――シュンッ!!
ザシュッ!
刃が空を裂き、男の腕に突き刺さる。
「ぐっ………!?」
ナイフが飛んできた場所へと視界を向ける。
そこには、フードを被った、スズメの面をした少女が立っていた。
「……ッ、ス……ズ……メさん……ッ!!」
「……たく。なんでアンタ、目を離した内にいなくなってんのよ!」
男が唸るように彼女に向き直る。
「へへ。お前が六田の大兄貴を襲った女かぁ!一緒にぶっ殺してやるッ!!!」
「あっそ。」
ナイフが空間を踊る。
見えない。いや、速すぎるのだ。
ザシュッ! ズブッ! グサッ!
次々と、容赦なくナイフが肉に突き立つ。
一本、また一本。
皮膚を裂き、筋を割り、骨を叩く音が響いた。
「コノヤロぁ!」
咆哮とともに、男の拳が地を叩いた。
ドォォン!!
その瞬間、大気が引き裂かれ、熱風が路地の空を焼いた。
火柱が上がる。
高さにして二メートル。炎の壁が僕とスズメさんを引き裂いた。
「へへ。これでヤツも攻撃できないだろぉ。」
あの熱に包まれて、再び世界は男と僕だけのものとなる。
「お前だけでもぶっ殺してやる。」
僕は、動かぬ肉体の中で――ただ、藻掻く。
呼吸すら重たく、血はまだ喉の奥でうねっていた。
だが。
「これ何?防御のつもり?」
すうっ──
ナイフが、炎を裂いて降りてくる。
ブスッ
「ッッッなにぃ!?」
スズメさんだった。
「あっさい、防御だわね!」
その刃は、火すら意味をなさぬ速度で。
すでに目視もできないほどの速さで、次々と刃が放たれる。
肉を裂く音が、獣の断末魔よりも冷ややかに響いた。
男は、たまらず後退する。
足元にはすでに、自らの血で描いた猩々緋の輪が出来ていた。
すたっ
スズメさんが静かに降り立つ。
「これで終わりね。」
スズメさんは、男にナイフを向ける。
「はは。」
男は、笑い出す。
「何をわらってるの?」
「いやぁ。あまりに絶望的な状況過ぎてなぁ!」
「そう。」
「だかぁ─」
男は、胸ポケットに手を入れ何やら透明な袋に入った緑色の粉を摂取しようとした。
しかし
ザシュッ!
ナイフが頭蓋を割る。男は倒れ、粉は宙を舞い、散った。
「やらせるわけないじゃない。」
──静寂。
熱の膜が消え、炎の壁は跡形もなく崩れ落ちた。
スズメさんと目が合う。
「ッたく。なんでアンタ、襲われてんのよ。」
「あはは…。すみません。」
変な笑いを出すしかなかった。
「立てる?」
「すみません。立てないかもです…。」
「全く。仕方がないわね。肩k」
ドォォン!!
爆音。
黒煙。
何が起きたのか分からなかった。
「いやぁ。あぶねぇ!」
「ッッッッッ!」
黒煙の中から男が出てきた。
「なん……で。」
「いや~、舞った粉が傷口に入ってなぁ!危なかったぜぇ!」
やつは、完全に死んでいたはず…。なのにどうして…。
スズメさんの方を見ると、彼女は、血を流して倒れていた。
男は、痙攣するように笑いながら、訳の分からない言葉を口走る。
「いやぁ〜〜……ハハッ……マジで、ハイ、ハイだわ、オレ。すっげぇ……視界? いや、世界? んふふっ、全部つながってんの、わかる……!気持ちいい、気持ちよすぎ、気分、ブチ上がりィ〜……ッ!!オレ今さぁ、たぶん、飛べる。うん。空とか、関係ない、飛べる、マジで。全能感? いやいやもう、神じゃんオレ。
なんでもできる、できるできるできるできる……ッ!!」
男は、テンションが上がっているのか、大声で言葉を叫んでいる。
男は笑っていた。声にならぬ笑いを喉の奥で鳴らしながら、倒れたスズメさんへと、ゆっくりと歩み寄っていく。
「へっへ、まずは女からいっとくかぁ……?」
その声に、意識の底が冷える。
僕は、痛みに焼けた身体を、なんとか引きずり上げる。もう骨がいくつ折れているか、わからない。でも、立たなければ。動かなければ。
そして──男に、体当たりをした。
ぽすっ。
そんな、情けない音が、場違いなほど静かに響いた。まるで壁にぶつかったみたいだった。
ドォォン!!
雷鳴のような衝撃が、全身を粉々に打ち砕く。視界が白くかすんだ。内臓が、どこかへ逃げ出そうとしている気がした。
「んだよぉ?てめぇ?守りたいわけぇ?うっひゃあ〜〜カッコイイじゃんかよォ〜?」
男は無造作に片手を伸ばし、彼女の喉元をつかんで持ち上げた。
「だったらよぉ、そのまま寝とけぇえ!?お前のその目ン玉で、あの女がぐっちゃぐちゃになるのを見せてやっからよォ〜〜〜〜!!!」
男は無造作に手を伸ばし、スズメさんの喉元をつかんだ。そして、持ち上げた。
スズメさんの声が、絞り出すように、喉から漏れた。呼吸すら奪われているのが、音でわかった。
僕は叫んだ。
「いいんだな!お前の兄貴の武器じゃ、一般人1人も殺せないって事でいいんだなぁ!」
男の腕が止まった。睨んでくる。
「あぁぁ?今、なんつった?」
僕は、息を殺しながら笑った。歯がガチガチと鳴る。
「まだ、僕はぁぴんぴんしてるぞ。」
足が震えている。だが、立った。立ち上がることだけに、全神経を注いだ。気を抜けば倒れる。けれど、今は倒れるわけにはいかない。
この爆音だ。ドバト、ミサゴさん……きっと来てくれる。だから──時間を、稼がなきゃいけない。
「そんな弱い武器だから、お前の兄貴は、殺されたんじゃないのか!」
男の笑いが止んだ。その沈黙のあとで、笑いよりも残酷な音が響く。
靴音。こちらに向かって、男が歩き出す。
「──よぉし、望みどおり、ブッ殺してやるよ。脳ミソこぼしてッッ、内臓撒き散らしてェ、笑いながら地獄に送ってやんよぉおおおおおお!!! うああああっひゃはははははははは!!!!」
ドォォン!!
世界が、裏返った。
視界が上下左右に裂け、僕の身体は空を飛び、背中から地面に叩きつけられた。焼け焦げたような匂いが鼻を刺す。それが自分自身の皮膚の匂いだと気づくのに、時間はかからなかった。
身体が動かない。
靴音が近づく。
コツ、コツ。
「~~~~~♪」
男の鼻歌が聞こえた。
絶体絶命だった。
(………クソッここで終わるのか……。)
霞む視界の中、ある声が僕の中で響いた。
〘助けてやろうか?〙
僕の声だった。
でも、声なんか出していない。口は動いていない。
(誰だ…?)
〘……助けやろうか?〙
誰なのかは、分からなかった。
(………………………)
(助けてくれ…。)
〘わかった。身体を貸せ。すぐに終わる〙
──瞬間、睡魔が襲ってきた。
熱は引き、冷たさだけが身体を包む。
ゆっくりと瞼が落ちる。
男の鼻歌は、スローモーションで聞こえた。
そして、
田中大樹は、眠ってしまった。
しかし、彼が目覚めた。




