8話 「幼少」
記憶の中の母は踊るとき以外は愁い気に家の窓の外をぼーっと眺めていた。母と目が合ったことなど一度もなかった…母の今際までは…。
“母さん…”
“…?あぁ!愛しい、あなた!その空色の瞳は私を孤独にさせて、淋しさばかりをもたらしたわ。空よりも美しい愛しい人、約束を守ったから迎えに来てくださったのね…”
“やくそく…?”
“忘れてしまわれたの?あの子を隠し通せたら必ず迎えに来て下さると…”
“……そうだった…ね。”
“…もう、目が開きそうにないわ…。”
“…今は、ゆっくりやすんで…”
“そう…する…わ…”
“…お休み、母さん…・”
初めて知った。母の目は美しいエメラルドグリーンだった。初めて知った。俺の目はきっと父親譲りだったのだ。初めて知った…人と共に生きたとしても感じる孤独があることを…。
“俺の目は…最後に母さんを幸せにできたか?”
そうであるならば、泣くことなど…何もない…何もないはずだった。
「…。」
「シエ、シエ?大丈夫?どうかした?どうして泣いてるの?」
踊りを披露した後、また目隠しされ移動している間に寝てしまったのだろう。いつの間にか見慣れた監禁部屋でリーフと共にベッドの上にいた。
「…泣いてねぇよ。」
「…そう。君は可愛いね。」
「馬鹿にしてんのか?」
「してないよ。君は案外、静かに泣くんだね。虚勢が何だか愛おしいよ。」
「…うぜぇ」
シェグレは自覚がある。自分はよく泣く人間であることを。自分の制御できる感情とは裏腹に、心が泣いたら勝手に涙がこぼれるのだ。自分は泣くほどのことでもないとわかっているのにもかかわらず、涙の止め方が分からない。リーフは困ったようにシェグレを見ていた。当然だ。先程まで寝ながら泣いて、起きた後でも泣いているのだ。訳も分からないだろう。
「僕の父親はね、毎日毎日、泣きながら暴れていたよ。君とは大違いだね。」
何を思ったのか、リーフはシェグレに自身の昔話を聞かせ始めた。
「僕と引き換えに母が死んでから、おかしくなっていったそうだよ。挙句の果てには“母のいない世界なんて生きてたって意味がないと”と言って自殺したさ。たった4歳の僕をおいて…。目の前で幸せそうに崖から飛び降りた父を今でも覚えているよ。」
「…。」
「僕は、父がこの世界で生きる価値を見出す存在にはなれなかったみたい…。竜の一族はね、孤児は皆で育てるんだ。皆が愛情を注いでくれたよ…。だけど、誰の一番でもなかった。村の大人も、友人も、それぞれには僕以外の一番大切な人がいて、僕は何者でもなかった。それがひどく不愉快だったのを覚えているよ…。」
「…おい、どうしたんだよ、いきなり。」
「…でもね、みんな言うんだ。リーフが最も頭がいい、リーフが一番かっこいい、リーフは誰よりも優しい…」
「…おい。」
「僕は…何者だと思う?」
「…。」
「僕のもっている才能でも、容姿でも、表面ばかりの優しさでもなく…。僕自身は誰にとっての一番になれるのかな…。」
「…。」
「それが、君であればいいのにと僕は願ったんだよ。」
リーフの手がシェグレの頬を撫でた。繊細そうな見た目に似合わぬ武骨な手で優しくそっとシェグレの涙の跡を拭い、こちらを慮るような目を向けていた。シェグレはこれがリーフの不器用な慰めなのだとそこで初めて気づいたのだった。
「だから、そんな淋しい顔しないでよ。君が泣いたら、僕も悲しいから。」
「…なんで、俺なんだよ。」
「…あの日、君に出会っちゃったからかな?あえて、意味を持たせたいのであれば、それも君が決めて。運命でも、一目惚れでも、なんでも、君が言うならそれが“僕”になる気がするから。」
「俺に決めさせんな!お前のことだろ?お前が決めろ。」
「…そうしたい所だけど、僕はもう迷子になっちゃったから。君が道標になってよ。君が僕の指標だって僕が決めたんだから、僕の意思には変わりないでしょ?」
「あのなぁ…!」
「どうしてかな?好きだよ…。」
「狂ってる。」
「じゃあ、君が“元”に戻して?」
「もう、勝手にしろよ。埒が明かね、うわっ!?」
「そうするよ。」
シェグレの勝手にしろという言葉をどのように受け取ったのか、リーフはいきなりシェグレに覆いかぶさり、キスの雨を降らせた。額、頬、唇、首、鎖骨…リーフの顔の位置が徐々にシェグレの下部に下りて行った。
「おい!?」
この攻防戦の勝者は必ず自分とならなければとシェグレは胸に誓ったのだった