3話 「睡魔」
「おはよう。僕の愛し子…。」
ぼんやりとする視界の中、頬を優しくするりと撫でる感触だけがはっきりと感じ取れた。
「まだ眠いのかい?今はまだゆっくりと眠るがいいよ…おっと、いけないいけない。少し口をあけてくれないか?」
誰かが何かを言っているという事実だけが認知できた。
『…ものすごく…ねむい…』
シェグレは何故か毒にも思える程の睡魔に襲われ、思考さえもままならなかった。ここがどこで、誰がいて、自分が今どのような状況なのか、考える暇もなく思考が奪われていった。
「うーん。やっぱり人間にこの地の空気は少々厳しいものがあるかな?ちょっと失礼するよ?」
誰かが何かを話した後、シェグレの口が強引に開けられ、何かが侵入する感触を感じる。
「…っ…あ…。」
口の中に入れられた何かは口内を蹂躙し、唾液で溺れそうになれば当然のように体が勝手に嚥下をした。視界にはいっぱいのアメジストが広がっている。先程までの睡魔が嘘のように晴れていき、徐々に覚醒の道をたどる。
「っ!!?」
状況はわからないが現状は理解した。長い間口内を蹂躙していたものは俺を誘拐した殺戮男の舌だった。目一杯の抵抗の意思を込め、目の前の男の肩を押すが、力が及ばない。力には自信があったがまるで自分が赤子にでもなったように感じる。
『くそっ!どうなってるんだ!?』
「っ!むっ!!んんっ!!!ぷはぁっ!??」
「まだだよ。まだ足りないからじっとしてて?」
「っ!?やめっ!!」
シェグレの抵抗などないかのように再度口づけが交わされた。
『っ!くそが…怪力ゴリラめ!』
シェグレは諦めを覚え、目の前の男にされるがまま時が経つことを待った。
「ぷはっ!…はぁ、はぁ…なにが、もくてきだ?残念かもしれないが、俺は、色は売ってない。」
「もちろんそうじゃなきゃ困るよ。君は僕の伴侶になるんだから。」
「…おまえ、頭大丈夫か?俺はお前みたいな変人にかまってる暇はないんだよ。他をあたんな。」
男の目的は一切分からないが、少なくとも身代金が目的でも、殺人が目的でもなさそうだ。意味が分からないが、こういったイかれた奴は極力関わらない方が得策だ。
この場を離れようと立ち上がろうとしたシェグレは違和感に気付いた。足に力が入らないのである。よくよく思えば腕を動かすことでさえ億劫だ。
「まだ立てないでしょ?混乱することも重々承知で連れて来たからある程度覚悟してたけどさ…。もうちょっと穏やかになってくれないか?僕は平和的な会話を好むんだ。」
「…お前は…。」
「リーフ。僕の名前はリーフだよ。さぁ呼んでくれ。」
「…。…リーフは何のために俺を連れて来たんだ?ここはどこだ?お前は何者だ?」
「…すごく警戒を感じるな。人間は案外繊細だね。僕はね、君を伴侶にすることに決めたから、僕の住処に連れて来たんだよ。僕はうーん。しいて言うならドラゴンの末裔かな?」
『ドラゴンの末裔…竜の一族…。人攫いをする者がいると聞いたことがある。伴侶にするため人をさらっていたのか?勝手な一族だ。』
「悪いが俺はお前の嫁にはなれない。いくら俺の容姿を気に入ってくれたとしても、俺は男だ。」
「君が男だから?なお良いんじゃないかな?悪いけど、僕らの夜伽の相手は人間の女性だったらなお厳しいだろうからね。…ところで、君の名前は?」
昼には甘言を吐いた口で夜は最中に噛み殺しでもするのだろうか、シェグレはとても身の危機を感じた。力が強いのも、俺を抱きかかえてありえない程高く飛んだ身体能力も竜の一族というのなら納得がいく。生きていて一度会うか会わないか、希少な竜の末裔は人間が到底及ぶことのない力をもつ。幼い頃、寝物語に母が話してくれた竜の一族についての物語はどれも人間離れしたもので幼心に畏怖と憧れを感じるものだった。
「ねぇ?聞いてる?君の名前を教えて?」
どこか、自分勝手で反抗を一切許さない…言葉は強くないはずなのに威圧的に感じる。
「…シェグレ。」
「しぇぐれ…シェグレ。うん。良い名前だね。僕の愛しのシェグレ。今日は疲れただろう?さぁ、ゆっくりおやすみ。」
「おい!!!はなしはまだっ…!?」
シェグレの言葉は途中で放り出されてしまった。視界に手を翳されたと同時にシェグレは言いようもない睡魔に襲われ、そのまま意識は手放された。