9話 「月の満ち欠け」
「ねぇ、シエ。明日は一日中一人にさせちゃうけど我慢してね?」
「…シエって呼ぶな…いきなりどうしたんだよ?」
「うーん。ちょっとね…。」
いつものように監禁部屋のベッドの上に男が二人…異常だが見慣れたものとなった。しかし、これほど煮え切らない態度をリーフが見せたことは初めてだ。窓を見れば、ほぼ円形に近い大きな月が輝いていた。明日は…満月だろうか…。
それから、リーフは満月の日には必ず1日中姿を見せないという謎の行動を見せた。これは好機とばかりにシェグレは脱走を試みたが、成功したことなどない。何故なら満月の日は必ず意識を保てなくなるほどの睡魔に襲われるからだ。
『月の満ち欠けなんざに興味はねぇが、絶対に何かある。』
数か月、リーフと過ごして分かったことがある。リーフは割と自分のことは何でも適当で済ます癖がある。そんなリーフが満月の日の前日には身ぎれいにして部屋を出ていくのだ。…とても怪しい。
「シエ、明日は満月だから。また一人で過ごさせてしまうけど、我慢してね?」
「我慢も何もねぇよ。…いつもどこ行ってるんだよ。」
『直接聞くのは癪だが、これしか手段がねぇしな…』
いつもとは違う反応を示すシェグレにリーフは慈悲の目を向け、微笑んだ。
「僕の不在をいつから淋しく思ってくれてたんだい?嬉しいな…。」
「そんな風に思っちゃいねぇっ…っ!?」
シェグレの言動を嬉しく思えば濃厚なキスをする…これもここ数か月で学んだリーフの生態だった。
「ぷはぁっ!??お前なんなんだよ!?毎度毎度ちゅっちゅ、ちゅっちゅと!?」
「…でも、前より抵抗しなくなった。」
「…諦めただけだ。」
「…そっか。」
諦めたように笑う。これもリーフの癖だった。
「…うそだよ。…くそっ。言いたいことあんなら言えばいい。別に嫌じゃねぇ…。」
「…そっか。」
本当に嬉しいとき、リーフは目を細めるだけ…。少しずつ、知ってしまった。少しずつ、絆されている自分をシェグレは見て見ぬふりしている。
「…ねぇ愛しのシエ、今日は踊りを見せてくれない?」
「いつだって、見せてやるよ…着替える。その後、いつものところに連れていけ。」
竜の末裔は、魂の伴侶への執着が強いらしい。それは、抗えぬ本能のようで…外出時は伴侶の姿を他者の目に晒さないようにするため、伴侶の瞳に自分以外が映らぬようにするために、伴侶の目を隠し、頭から大きな布を被せる。それは布かけと言われ、布の柄、形、色、素材などの特徴で誰の伴侶か一目でわかるようになっている。リーフが随分前に俺に用意した布かけは薄紫色で裾にレースと青の宝石があしらわれている。目隠し用の布は依然として黒である。
リーフの同族も声だけで認識できるようになるほどにはシェグレも竜の里に馴染んでいた。
「あら、リーフ、今日は踊りを見せてもらいに行くのね?私たちも見たいわ!美しいと噂の貴方の伴侶の舞を!!」
「だよなぁ…!!いつもお前ばかりが独り占めとはいけないねぇ!」
「からかうのもそれくらいにね…リーフが明らかに不機嫌だ!」
天真爛漫そうな可愛い声のリン。お調子者そうな綺麗な低音の声をもつミトル。聡明そうな爽やかな声のルクラ。全員毎回と言っていいほど、出会うメンツである。
シェグレは毎度声を奪われるため、この3人と会話をしたことは一度もない。どのようにして他人の声を奪うなどという芸当ができるのやら、竜の一族とは本当に人知を超えた存在なのだ。
「僕の伴侶は僕のもの。当然だろ?誰にも見せないさ。」
「でも、明日も女神像の聖堂を貸し切っているんだろ?」
「…。」
「あっ!ちょっと!!おバカ!!」
「っ!いてぇ!??なにすんだよ、リン!!!」
「あちゃー。それはミトルが悪いね。」
「…わりぃ。でもよ…リーフ…お前はもう限界なんじゃねぇか?」
「…さぁね。君には関係ないさ…。僕はもう行くよ。またね。」
一瞬だが、リーフが戸惑うように息を飲んでいたことをシェグレは聞き逃さなかった。
『…リーフは満月の夜にはいつもの聖堂にいるのか?』
竜の里には100個の聖堂があるらしい。そんなにあって、何をするのやらと不思議に思っていた…易々と聖堂を貸し切るという会話を度々耳にして、より疑問が深まる一方だった。
いつもの聖堂に着くや否やシェグレは開口一番にリーフに疑問を投げかけた。
「…お前、満月の夜に…ここで何してんだよ?」
「…君は知らなくていいさ。とりあえず、踊ってよ。僕は案外、君の舞を楽しみにしてるんだから。」
「…あぁ…そうかよ…」
リーフから発された言葉は、これ以上踏み込むなという意味も同然だったが、シェグレは負けず嫌いなのだ。自分の問いに応えなかった相手の言葉を“あぁ、そうですか。”と素直に受け入れる性分でもない。
「なら、勝手に俺はお前の口を滑らせるだけだ!」
「な!?」
シェグレは勢いよくリーフの手を取り、体をするりと密着させ、リーフの体をまさぐるように舞を始めた。今まで一度もこの舞を人前で披露したことなどない。かつて母が披露していた演目の一つである、娼婦のような媚を含んだ甘い踊り。シェグレはこの舞はどうも卑しく思えて好きではなかった。だが時としてこの舞は役立つことを知っている。媚びて、高めて、知らぬ顔。相手の欲望をまさぐって、もっと欲しいと言われたら、もう勝ったようなものだ。後は、こちらが欲しい情報をくれたら続きをしてやってもいいと高飛車に振舞う。甘い蜜を吸う悪魔の踊り。
「…シエ、こんなことして後悔するよ?」
「言ってろ。後悔するかしないかはお前の話を聞いた後で、俺が決める。」
シェグレにとってリーフの言動が不可解なように、リーフにとってシェグレの行動はいつだって予測不能なのだ。