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死に花を願って  作者: とシ
3/3

第2話

 私は幸せ者だ。


 私は生まれてすぐに孤児院の入り口前に捨てられていたと言う。そんな赤ん坊の頃のことなど覚えているわけもないし、それが不幸なことだと周りは言うがそれは周囲からの視点での不幸というだけで自分からの視点では不幸だとは感じていない。だから綾瀬川家の養子として迎えられた経緯を聞かれると答えづらい。


「孤児院で育ったので養子に迎えられることなどよくあることです」


 これだけで納得してくれればいいが「何で孤児院にいたの?」などと聞かれると回答に困る。それどころか苛立ちさえ覚える。だから私は「デリカシーのかけらもないですね。脳みその代わりに蟹みそでも詰まっているんですか?」と答えることにしていた。当然それ以降声をかけられることはなくなるし、悪い噂すら流布されてしまう。私は気にしないが主人である奏多様に影響するのが頂けない。ただ、そんなデリカシーのない人間は奏多様の友人に相応しくないと考えているので露払いの意味としては良しとしている。

 私自身はそのように考えているが、奏多様はどう思っているのだろうかと少しばかり不安になる。

 友達がたくさんほしいと思っているのだろうか? 

 私が付きっきりでいるのを恥ずかしいと思っていないだろうか? 

 私は奏多様にとって余計なことをしているのではないか?

 視点が変われば良かれと思っていることや、ただの興味本位で尋ねたことも悪感情として捉えられてしまう。私が捨てられたことに対して不幸だと思われることも似たような話だろう。理解はしている。理解はしていても癇に障るものはしょうがない。


「花蓮? 疲れていない? こっちでゆっくり映画でも見よう」

「いえ、私は疲れてなど…」

「僕が花蓮と一緒に見たいんだよ」

「…そうでございますか。では失礼します」


 本当に優しい主人である。私に気を遣わせまいとする心遣い。互いに立場がある。私は使われる者であり、奏多様は私を使う者。だけど義兄妹としての関係性もあり、時折対応に困る。だから私は使用人としての立場を第一に考えて行動しているが、奏多様は義兄妹としての関係を第一に考えている節がある。私はそれに甘えてしまう。

 許されてしまうから。


 私は幸せ者だ。


 仮に私が孤児院の前に捨てられていなかったらこの出会いはなかった。

 仮に私が孤児院の前に捨てられずにそのまま本当の両親に育てられていたらどうなっていたのか。

 奏多様と出会えなかった可能性の世界線や、生まれたばかりの赤ん坊を捨ててしまうような人間に育てられるという恐怖や不安。そちらのほうが不幸な気さえしてしまうくらいに今の自分にも生活にも満足している。


 だから私は、幸せ者なのだ。


 他にはいらない。私は奏多様だけいればいい。家族も、友人も、恋人も。奏多様がいてくれれば必要ない。必要ないのに土足で踏み込んできた不届き物がいるというではないか。


「仲良くしたいって言ってた割には話しかけてこないんだよね…」

「その程度の気持ちだったのではないですか? 仲良くしたいというのは所詮口実で別なところに目的があると勘ぐってしまいます」

「そういうこと言わない」

「そうですね。口が過ぎました」

「んー…こっちからお誘いすべきなのかな?」

「誘うと言いますと何をですか?」

「ほら、花蓮の作ったお弁当おいしいし一緒に食べて御裾分けしたりすれば仲が深まるかなって。今日のサンドイッチも美味しいよ」

「恐れ入ります」


 ランチに誘うなど御免被る。ましてや私の作った、奏多様の為に作ったお弁当を分け与えるなどと…そんなことが現実に起こると考えただけで穏やかではいられない。普段なら誰かの話をしていてもなんとも思わないはずなのだ。だけど姫乃の話となると心が波立つ。


「奏多様」

「ん?」


 いや、と思い立つ。


「お口が汚れています」


 ハンカチで奏多様の口元に付いたソースを拭き取る。こういった物を見せつけて入り込む隙が無いと思い知らせればいいのではないか。

 仲良くする? 私は奏多様と三歳の頃から生活を共にしているのだと。


「明日もサンドイッチを御作りしましょうか?」

「お願いしたいかな」

「ええ、お任せ下さい」

「明日は姫乃のこと誘ってランチにしよう」


 まずはこれでもかというくらいの高級食材を使ったサンドイッチを作って自分の手には届かない存在だと思わせてやりましょう。加えて私と奏多様の仲睦まじい姿を見せつけ居た堪れない状況を演出して諦めさせる。


 楽しみですね。


 嫌な女だと思われてもいい。姫乃に嫌われたからなんだというのだ。私には何の影響もないし、むしろ関わらないでほしいとさえ思う。

 奏多様は私を大切にしてくれる。私も奏多様を大切にしたい。そんな関係があればそれでいいのだ。


 部外者はお控えください。


 何より住まいが二十階建てのタワーマンションの最上階であり一階エントランスに常駐しているコンシェルジュが入室を認めない限り綾瀬川家の者以外は招待がない場合近づくことすら出来ない。二人で暮らすには広すぎる4LDKではあるが奏多様がいればどんな住まいでも構わない。狭い部屋であれば相手を近くに感じることが出来ると聞いたことがある。実際綾瀬川家の本家からこのタワーマンションに引っ越してきた際その実感が多少はあった。

 とにかく、姫乃にはこのタワーマンションに入るということ自体難易度が高いのだ。


「やっぱり、花蓮はメイド服姿がよく似合うね」

「恐れ入ります」

「学校指定のブレザーも似合うけど、メイド服姿が見慣れてるし安心する」

「私は奏多様が安心できる存在で居れることに嬉しく思います」

「花蓮」

「はい。何でございますか?」

「自宅では二人きりだしそんな堅苦しい言葉遣いじゃなくていいんだって。外では、まあ、綾瀬川の名もあるし仕方ないって思うけど。疲れちゃうでしょ?」


 もう我慢出来ないといった様子である。

 私だけでは無い。奏多様とて分かっているのだ。私達に血の繋がりが無いこと、その意味を。


「…そうですね。おにーさま!」


 腕を組んでぴったりと寄り添えば奏多様は私の頭を撫でてくれるし、抱きしめてくれる。

 綾瀬川本家にいた頃はこの様なことはしなかった、と言うよりは出来なかった。人目があるし何より厳格に主人と使用人の関係が求められていた。私はその関係性を貫き、信頼を得たのだ。


「貴方になら奏多を任せられます。一人暮らしをする奏多を支えなさい」


 大奥様からその言葉が聞けた時は涙が出そうになった。

 そして一ヶ月程前、私と奏多様はこのタワーマンションの最上階で共に暮らす権利を得たのである。


 私は幸せ者だ。


 この一ヶ月で恋人の営みは一通り終えたと思う。互いに堰き止めていたダムは最も簡単に決壊した。求め、求められるこの関係は極上の喜びだと感じる。


 禁断の愛。そんなの上等だ。


「僕はこうして花蓮と過ごせることが幸せだよ」


 言葉で返すことも勿論いいことだと思う。だけど相手の呼吸を感じる距離ならば口付けで応えてしまうのは愛している相手を目の前にしている状況ならば仕方のないことだろう。柔らかさと熱を感じ、頬が上気するのは当然のことだろう。


「ふふ…この先はディナーの後にしましょう」


 悪戯っぽい笑みを向ければ、物欲しそうな表情を浮かべてくれる。


 可愛すぎる。


 男性に対して可愛いと形容するのは余り嬉しいことでは無いらしい。でも思ってしまうのだ。愛おしく、可愛いと。

 ディナーを終え、お風呂の準備を整えた時奏多様は呟いていた。


「アイスが食べたいな」


 私に向けて放たれた言葉では無かったのであろう。だけど冷凍庫を確認してアイスが無いことを呪った。主人が求めることに応えられ無いその事実は約十二年間使用人として育って来た私の矜持が許さない。


「おにーさま」

「ん? どうした花蓮?」

「すぐに買ってきます」


 背後から「え?」と聞こえた気がしたが、私は駆け出していた。



 女の感が告げている。

 この女に関わってはいけないと。


「待ちくたびれたわ。花蓮さん」


 ぎこぎこと鉄の軋む音を鳴らすブランコをゆっくりと漕ぐ女は外灯の明かりに照らされ不気味さを際立だせている。顔は青白く、妙に艶のある黒髪のストレートヘアーはこの暗がりだとホラーを感じさせた。


「こんな遅くにどうされたのですか? 姫乃さん。私は急ぎますのでこれで失礼します」


 奏多様を待たせるわけにはいかない。それに姫乃とは極力関わりたくない。


「待って、花蓮さん。言ったでしょう? 待っていたって」

「…」


 意味が分からない。私が出かけることになったのは偶然のことだ。奏多様の要望に応えようとしただけで、本来出かける予定などなかった。それなのにこの女は待っていた、などと言う。


 本当に気持ちが悪い女だ。


 それに、私がこの公園を通ったのはコンビニまでの近道が出来るかもしれないとたまたま通りかかっただけで、正規の道筋を辿った場合近くを通ることもなかっただろう。


「ふふ。理解できないといった様子ね。分かるわよ。私も同じ立場だったら混乱して気持ちが悪いなんて思うかもしれない。でもね、あなたはここを通るの。予定じゃなくても出かけるし、近道かもしれないって思ってこの公園を通るのよ」

「あら、姫乃さん凄いわね。まるで見てきたかのように語るじゃない。ストーカーみたいで不気味と思われてしまうからそういうのはよしたほうが良いのではなくて?」


 気丈に振舞うのは動揺している姿を見せたくなかったから。まさか、ここまで言い当てられるなんて…


「んー…今のは素直に驚いたり動揺したほうが良かったと思いますよ。強がっているのが見え見え過ぎて笑えちゃうから」

「…そう。確かに動揺したわよ。ここまで行動が読まれるなんておかしな話じゃない」

「簡単な話ですよ」

「簡単な話?」

「そうよ。私は知っていたのよ。ね? 簡単な話でしょ」

「知っていた…」


 何故知っていた。私が奏多様の為に急いでアイスを買いに行くことを知っていた…まさかあの時の会話を聞いていた? 盗聴の類のもの? でもどうやって…?


「あーいろいろ考えているのは分かるのだけど、盗聴なんかしていないわよ」

「え…?」


 この女私の思考が読めるの?


「思考も読めないわよ」


 そう言って溜息を吐く姫乃に対して私はじわじわと恐怖が込み上げた。

 嫌な予感がした。


「そうね…私はもう何百、何千回と同じ経験をしているのよ。知っているって言うのはそう言うこと」

「どう言うこと?」

「そのままの意味よ。まあ、意味わからないのは当然よね。あなたにとって今日は初めてなんだし。でも私は今日を何回もやり直しているのよ」


 気でも狂ったか? この女は何を訳の分からないことを語るのか。実際、その知っていたという理由を考えれば納得できる話でもある。だが、そんなことが現実に起こりうるとは考えにくい。


「花蓮さん? 別に信じなくてもいいのよ」

「そう、ね。にわかには信じられないわ」

「あなたがどう思うか何て関係無いの、私だけが知っていればいい話なのよ。これはそう言った類の話。だけど…」


 姫乃の笑顔は酷く邪悪でそれが私に向けられている。


「花蓮さん、あなたにはこの事実を知っておいてくれた方が面白くなるのよ」

「…よく喋るじゃない。あなたは無口で日陰的な人だと思っていたわ」

「そうね。花蓮さんが思う通りの人物像で間違いないと思うわ。昔はね」

「昔って…まだ出会って一ヶ月やそこらじゃない」

「さっきも言ったでしょう。何度も繰り返しているって。多分学校で出会っていた私は何年も前の私であって今の私とは別なもの」


 思わず笑ってしまった。遅れてやってきた中二病設定か何かだと思えた。自分は特別な存在で選ばれし存在。そんな他人とは違う自分がカッコイイと思っていそうで見ているこちらが恥ずかしくなる。


 だから「恥ずかしくないの?」聞いてしまった。


「そうだったわね…私もね、一言一句同じことを話しているわけじゃないし、様々なパターンがあるのよ。その恥ずかしいとか聞いてくる答えが未だに聞けてなくてモヤモヤしていたんだけど、どう言う意味の恥ずかしいなの?」


 言いながら姫乃はブランコから立ち上がっていた。手には何か棒の様な物が握られているが薄暗くてよく見えない。


「何を持っているの?」

「質問しているのは私よ。まずあなたが答えて」


 棒の様な物を背後に隠し「早く」と姫乃は催促してきた。


「…自分が特別だと思っている厨二病野郎みたいなこと言って恥ずかしくないのかって意味よ」

「ああ、そういうことですか。そんな妄想じみた話じゃないって教えてあげてるのにあなたはそう捉えていたのね。ちなみに」


 姫乃は背後に隠していた棒状の物を掲げ「バールのようなもの」と言う姿はやはり厨二病設定で拗らせた野郎そのものと思えた。


「もう一ついいこと教えてあげる」

「何です…?」

「断言してあげる。花蓮さんはこの世で一番死んだ回数の多い人類よ」


 そう言い放ち、姫乃は歩き出す。ゆっくりとした足取りで私に向かって近づいてくる。

 私は周囲を見渡し、迫り来る恐怖から逃れる術を探した。姫乃の話が本当ならば私はここで殺されるのかもしれない。仮に事実ならば私は何度も繰り返し殺されている。パターンがある。姫乃はそう言っていた。私がどう行動しても殺せるんだと言われている気がする。


「ああ、助けを呼ぶのはお勧めしないわよ」

「この状況で助けを呼ばない方がおかしいと思うのだけど…?」


 私は助けを呼んだことがあるのだろう。でも助からなかった?


「呼べば、私の父親が来るわ」

「それがお勧めしないのと何の関係があるの?」

「私の父親は私を殺したことがある頭のネジが飛んだ人だから」


 姫乃は掲げていたバールのようなものを振り下ろし地面に叩きつけた。転がっていた石ころが砕け散るのが分かった。それが自分の姿と重なり、思った。


 死にたくない。


 きっとあれこれ考えている場合ではない。とにかく逃げるしかない、そう思った。でも。


「大丈夫? 花蓮さん」


 足が竦んで盛大に転んでしまった。


「そうなのよね、それも知ってた」


 楽しそうに笑う姫乃の姿に体が震えた。


「あーあー…ぶるぶる震えちゃって」


 怖い…


 怖い、怖い…


「あーもう…私ね、あなたを初めて殺したとき凄く怖かったの。だって知ってる人を、話もしたことあるし、どんな人かも知っている人を殺しちゃうのよ、どうしようってなるじゃない? でも―」


 死にたくない死にたくない。


「何度も殺すうちに楽しくなちゃって」


 どうしてこんなことになった…


「あーあー、涙と鼻水で顔もぐちゃぐちゃじゃない。せっかくの可愛い顔が台無しよ」


 もうすでに姫乃が手にしているバールのようなものが振り下ろされれば直撃する距離になっていた。泣きじゃくる私を見下ろし邪悪な笑みを浮かべている。


「いつも気丈に振舞っていたあの花蓮さんがこんなにもみっともなく生にしがみ付いている姿を見ると、凄くそそられるじゃない? やっぱり花蓮さんもただの女の子なんだなって思っちゃうし、可愛いって思っちゃうじゃない? 何でこうも魅力的に見えるのかしら」

「わ、わたしは」

「ん?」

「どうしたら、いいの…?」


 絞りだした懇願の言葉だった。


「本当に花蓮さんは…でもあなたには退場してもらわないと困るのよ。それと、無駄に痛い思いはしたくないでしょう?」

「え…?」

「一発で仕留めてあげるから防御とかしちゃだめよ?」


 バールのようなものを振りかぶる姫乃の姿を見上げた。


 ああ、私はここで死ぬのね。


 奏多様にもう一度会いたかった…。


 振り下ろされるまでの数瞬が引き延ばされたような感覚に陥ったが、自分に向けて振るわれるそれをただただ眺めた。

 諦めがつくとこうも穏やかに死を待つことが出来るのかと悟ってしまう。


 そして、直撃の瞬間。


「私はあなたがよかった―」

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