はかない砦
三浦輝政さん宅から出火したのは、十月三十一日の午前二時頃だった。
その前日、Y***市には乾燥注意報が出ていた。異例なことだが、十月中頃から一切雨が降っていなかったので、こまめに天気を確認するY***市民には不思議なことではなかった。
前日の朝に市の端で天ぷら火災があり、三件を半焼させている。みんなが警戒していた。冬へ向けて見回りをし、防火の徹底を呼びかけようという話も出ていたのだ。
しかし無情にも三浦さん宅は全焼した。
わたしが三浦さん宅の全焼を知ったのは、三十一日午前七時だ。前日、用事があってベッドにはいるのが遅れたわたしは、その時まだ眠っていた。あなた、と妻の呼ぶ声で目を覚まして寝室を出、廊下の角を曲がると、玄関の三和土に憔悴した様子の中島が立っていた。
中島はわたしの幼馴染みで、同じ町内に暮らしている。夕食に招きあうくらいには親しくしているが、朝早い時間に訪問されたのは中学生以来である。
その手前、あがり框には、妻の早雪が膝立ちになっている。今にも倒れそうな中島をちらちらと見ながら、わたしを手招く。
「どうしたの? 中島、おはよう」
「あなた、三浦さんのお宅から火が出たんですって」
わたしは驚きに目を瞠り、中島を見た。中島宅は、三浦さん宅のお隣だ。「大丈夫? もしかして、飛び火したなんていわないよな、中島」
「治子が……」
「奥さんがどうした?」
中島はその場に崩れ落ちるように膝をついた。三和土に叩きつけた拳に涙が落ちる。「治子が疑われて……火をつけたんじゃないかって……」
妻がはっと息をのんだ。わたしは耳のなかでごうごうと、血が流れる音を聴いている。
三浦さんと中島の奥さんには、二年半程前から確執があった。
きっかけは、三浦さん宅の庭、それも中島宅に面したところに、三浦さんがごみを放置するようになったことである。
三浦さんは現在、八十歳手前。年金暮らしをしている。十年前までは上の娘さんと一緒に暮らしていたが、現在はひとりきりだ。
三浦さんは温和で優しい、口数の少ない男性だ。しかし、娘さんが夫や子どもと一緒に出て行くと、時折奇矯な言動をするようになった。裸足でうろうろして警察が来る騒ぎになったこともあったし、数日間布団を干しっぱなしで、近所から連絡があってわたしが行ってみると、三浦さんは「布団を干しているのを忘れていた」とはずかしそうにいっていた。数日、フローリングで寝ていたそうだ。認知症ではないかと思ってとおまわしに受診をすすめたが、今に至るまで三浦さんが受診した様子はない。
中島の奥さんは、わたしや中島の八歳下だから、今四十五の筈だ。
彼女は気が強く、自分の思い通りにならないとかんしゃくを起こす。隣近所から植物や落ち葉が侵入してくると、猛烈に抗議に行くような人物である。勿論、自宅の敷地をまもっている訳だから、当然といえば当然だが。
四年前、三浦さんが庭へごみを置くようになった当初は、他人の敷地のことだし、と彼女も黙っていた。だが、それでもはじめから気にはしていたようで、多くの記録を残している。写真だとか、映像だとかで。
中島とその奥さんがわたしに相談してきたのは、二半年前だ。三浦さんは四年ほど前からごみを放置するようになっていたが、二年半前に中島の奥さんが「ねずみとゴキブリが増えた」と中島へ訴え、区長をやっていたわたしにそれを告げに来たのだ。中島の奥さんは玄人はだしに庭仕事が好きで、薔薇園を庭の一角へつくっているのだが、そこで作業をしているとねずみの糞の匂いがしてくさくてたまらないという。
ふたりの希望は簡単で、わたしから三浦さんに注意してほしい、というものだった。区長さんからいってもらえたら三浦のじいさんも反省するでしょ、と中島の奥さんは憤懣やるかたない様子だった。彼女はすでに三浦さんへ、ごみを集めないでほしいこと、集めるのならせめて殺虫剤をまくなどしてねずみやゴキブリの対策をしてほしいこと、を訴えたそうだが、三浦さんはまったくとりあわなかったのだ。
わたしは当時も区長だったこともあり、乗り気ではなかったが三浦さん宅を訪問した。
三浦さんはいたって普通に見えた。ただ、中島達のいうとおり、玄関前に立っていても、庭に粗大ごみや、たたみが放置されているのが見えた。ほかにも、数多くのごみがあった。雨避けなのか、ビニールシートをかけているのだが、きちんと包み込んでいない為にたたみは腐れてしまっていた。
わたしは三浦さんに、粗大ごみの収集日と、年末には大型の家電――例えば、今三浦さんの庭にある大きな冷蔵庫――でもひきとってもらえる日がある、と伝えた。
三浦さんはわたしに、礼をいってくれた筈だ。これで、ごみを片付けるだろうと思った。
しかしことはそう簡単にすすまない。
三浦さんはその後もごみの放置をやめなかった。中島の奥さんが抗議に行ってもだめだった。反対に、敷地内に勝手に這入ってきたと通報する始末だ。
中島もそのことには怒り、わたしにまた、三浦さんをなんとかしてほしいといってきた。それでわたしは、また、三浦さん宅を訪れた。
三浦さんは、わたしが庭の話をするのを遮って、区長さん、と大声を出した。三浦さんらしくない声量だった。
三浦さんは隣の、だから中島の奥さんが、勝手に庭に這入ること、庭のものを盗もうとすること、更に塀越しに家を覗いてどうやら写真を撮っているらしいことなど、をわたしに訴えた。わたしは、中島夫婦からも、三浦さんからも、隣の住民が迷惑行為をしている、と相談されたのだ。
この二年半、区長の任がわたしの手から離れてまた戻ってくるだけの時間が経っているのに、中島夫婦と三浦さんの関係は修復できなかった。というか、こじれていく一方だ。
一年前に、中島の奥さんはとうとう市役所へ行って、清掃課にお隣がゴミ屋敷化しているから、ごみを持っていってと訴えた。だが、行政は動かなかった。
ゴミ屋敷担当者の金森貢という青年がやってきて、三浦さんが敷地内にものをためこむのは仕方がない、と、話し合いにとどまったのだ。それからも月に二回、彼は三浦さんを訪問して、根気よく説得している。
たしかに、正論である。三浦さんはあくまで、自分の庭、それも家の前の市道に面していない場所にごみを置いているだけだ。ごみは大きなものがほとんどで、そういったものを年末に片付けようと考えて庭に放置する人間は、三浦さん以外にも居る。三浦さん宅のごみの量がよそよりも幾らか多い、というだけだ。
三浦さんは、敷地をはみだしてごみを置いた訳でも、家の前の市道へごみをまき散らした訳でもない。市役所にしてみれば、市道に勝手に植木鉢を置く人間のほうが厳重な注意の対象になるのではないだろうか。
そもそも三浦さん宅のごみは粗大ごみばかりで、生ごみなどは含まれず、腐れているのはたたみくらいだ。中島の奥さんが大袈裟に騒ぐほど、匂いもしない。
しかし、中島達のいいぶんもわかる。ねずみやゴキブリが増えたそうだし、ほんのかすかな匂いでも四六時中しているのではたまらないだろう。折り重なった粗大ごみのすきまに、小動物がはいりこんでいたのも、中島の奥さんは目にしたそうだ。それに、ものが多いせいか湿度が高くなって、中島の庭までじめじめしているらしい。きのこが生えたと中島の奥さんが半狂乱で我が家へ飛びこんできたこともある。
たしか、その時に、燃やすことをアドバイスはしたが。
中島の奥さんは市役所の対応に不満を持ち、ご近所の奥さん達をまきこんで「ゴミ屋敷反対の会」なるものを立ち上げた。見ていて不快だから、と三浦さん宅の庭の片付けを希望しているひとは案外多かったし、なかには中島の奥さんやその友人達に頼まれて断れずに名前だけかしているひとも居て、反対の会の人数は日に日にふくらんでいった。我が家も会員だ。
反対の会は何度も市役所に抗議に行き、三浦さん宅の片付け――行政代執行――を求めてきた。わたしも一度参加させられたのだが、三浦さん宅を直に見たこともなく、写真も見ず、庭にものを置いている段階でゴミ屋敷だと猛烈な勢いで抗議する隣の区の女性を見て次からは参加すまいと心に決めた。
中島の奥さんもだが、ごみに限らず「美しくないもの」「お花など以外」を庭に置いている人間には強制的に罰を与えてほしいという、少々過激な言動をするひとが多かったのだ。そんなことをいうから、市役所にまともに相手をしてもらえないのではないか。
その中島の奥さんが、三浦さん宅の火事をひきおこしたと疑われているという。疑われても仕方がないだけのことは、彼女はしている。毎日のように三浦さんに抗議し、三浦さんが警察へ通報したのも一度や二度ではない。清掃課の金森さんから三浦さんと話し合うのに邪魔だと、反対に抗議されてしまったそうだが、中島の奥さんはなにがなんでも、今すぐにごみをどこかへやってしまいたいのだ。
中島は立ち上がれなくなってしまったので、わたしはせなかを叩いて落ち着かせようとしていた。煙草をすすめようともしたが、思いとどまる。中島に今、火に関連するものの話をするのは、あまりに無神経だろう。それに、ライターが見当たらない。
妻がぬるいお茶を持ってきて、中島はそれを半分ほど飲んだ。
「あいつが火をつけるなんて、とんでもない」
「ああ、わかってるよ。奥さんは犯人じゃない」
「そうだよな」
「でも、警察の気持ちもわかるぜ。今まで何度も、三浦さん通報してるから」
「あのじいさん、治子のいうとおりにとっととごみを片付けてたらよかったんだ。畳が燃えて……」
三浦さん宅のごみは、わたしが中島達に相談された二年半前から、格段に増えている。今でも数日に一回、ごみ置き場からなにかを拾ってきては、庭に置くらしい。だからごみは縁側にも置かれるようになっていた。
火元がごみだったので、畳など燃えやすいものを伝って縁側へ到達し、家屋まで燃やしてしまったらしい。
「中島、ここに居たって仕方ないだろ。奥さんの為に、なにかしなきゃ」
「なにかって?」
中島はすねたようにいう。昔からそうなのだが、中島はじっくりと自分で物事を考えるタイプではない。なにかというとひとに判断を仰ぐ。その割に、ひとの意見が気にくわないと、折角の提案に文句をつける。
わたしは根気よく中島を説得した。奥さんの為に弁護士を手配しろと。中島は案の定、弁護士なんて犯罪者が頼るものだと文句をいっていたが、普通の人間でも間違いで捕まること、疑われることはあるし、そういう場合に弁護士を頼るのは当然だというと、しばらくして納得したらしく、我が家から出て行った。いい弁護士を紹介する、といったのがきいたのかもしれない。
「ありがとうな、相談にのってくれて」
「いや。これ、先生の事務所の住所。そう遠くないし、今から行ったらどうだ」
「そうするよ」
中島は項垂れて、とぼとぼと歩いていった。
区長として、やることは沢山あった。失火か、放火かがはっきりしないので、予定どおり見回りと、防火を呼びかける集会を開いた。みっつの区の合同での消火訓練もあった。
わたしが区長の仕事をこなしている間、警察は火事のことを調べ、中島の奥さんは一旦家に戻った。疲れ切っていて、一日中寝ていると、相談に来た中島も憔悴した様子だった。弁護費用はだいぶかかるそうだ。もしかして借金の申し込みに来たのかもしれないが中島は流石にそんな話はしなかった。
三浦さんは、中島の反対隣の夫婦が呼びかけて目を覚まし、玄関傍までは逃げてきたらしい。
隣近所で協力してひきずりだしたが、煙を吸ってしまったのがよくなかったらしく、今も意識不明で入院中である。最後まで一緒に暮らしていた上の娘さんが戻ってきて、常に世話をしているそうだ。娘さんも迷惑しているだろう。
わたしが金森くんの訪問を受けたのは今日、十一月二日、日が暮れてからのことだ。火事からほんのふつかだが、前日に緊急で防火や消火の訓練をしたので、わたしは疲れていた。早期退職してから、「男のひとに注意されたほうがきくひとが多いから」という理由で何度も区長にされているのだが、今度のことは一番厄介で一番疲れる。そもそも三浦さん宅のごみが諸悪の根源だった。わたしは間違ったことはしていない。きちんと注意し、きちんと捨てるように促し、きちんとごみ出しの日付も教えた。わたしにそれ以上なにができたというのだろう。中島の奥さんのように、金森くんの邪魔をしていた訳でもない。
金森くんは我が家へ這入ろうとはしなかった。アイロンをあてた形跡のないワイシャツをきっちりズボンのなかへいれ、細い腰をベルトでぎちぎちに締め上げている。金森くんは小柄で痩せていて、よく日に焼けた青年だ。柔和な笑顔で居ることが多い。
「三浦さんの家のことですけど」
「ああ、はい」
小柄で痩せているが、金森くんからは妙な圧迫を感じることが多かった。彼は三浦さんのような厄介なひと相手に毎日、Y***市内をかけずりまわっているのだ。自然と迫力もついてくるのだろう。
それに彼は今日、いつものような柔和な笑顔ではなかった。
「どうしてあんなにものを沢山集めていたか、知ってますか?」
わたしは言葉に詰まった。金森くんは、鋭い目付きでわたしを見ている。くらがりから捕食対象を見詰めている野生動物のようだ。
「いや、知りません」
「そうですか。三浦さんにはご近所さんにはいわないでほしいって頼まれてたんですけど、ごみ屋敷が燃えたって喜んでいる不謹慎なひとが居るみたいなので、区長さんから伝えてもらえませんかね。掲示物に書いてもらうのでもいいんですが。あれ、違法に放置されていたものなんですよ。この区内で」
わたしは言葉をなくした。
金森くんは安っぽい合成繊維のジャンパーの前をあわせ、チャックを閉めた。日が落ちたので気温が急激に下がっている。
「区内の空き地や公道にそういったものが放置されてなきゃ、三浦さんもあれだけの量は集められなかったでしょうね。まあ、三浦さんにもそれをほしがる理由はあったし、そういうものを勝手に持っていくのもまた問題ですけど、どっちかっていうと僕は三浦さんに同情する立場ですよ。今、三浦さんの世話をしてる娘さん――かなり歳がはなれてるんですよね、僕驚いたんですけれど――そのひとが旦那さんと子どもさんと出て行ったんでしょ? 十年前」
ああ、と返事したように思う。
「子どもさん、だから三浦さんからしたらお孫さんですよね。その子が化学物質過敏で、今は家族でここよりもずっと田舎に、敷地のひろい家を買って住んでるそうです。三浦さん宅に居た頃は、お隣のつかう殺虫剤やなにかでお子さんが激しい咳の発作やじんましんを起こしてしまって、まともに眠ることもできなかったんですって。薔薇は虫が付くと大変だから、お隣に文句をいうのも筋違いだしって、三浦さんしょんぼりしてたんですよね」
中島の奥さんは薔薇を丹精している。それを思い出した。
金森くんは笑った。いつものような柔和な表情ではない。さげすんだような笑みだ。
「中島さんの奥さんはおめでたいひとですからね。自分の行動が三浦さんにバリケードをつくらせてたなんて、気付きもしないんだから」
バリケード。
「三浦さんは、お隣から殺虫剤が流れてこなくなったら、孫がちゃんと眠れると思ってたんです。僕が付き添って病院へ行ったんですけど、三浦さんは初期の認知症でした。ああ、これはいっちゃだめだったかな。まあいいか。三浦さんたまに、まだ家のなかにお孫さんが居ると思って、でもお隣に乗り込んで殺虫剤をまくなとはいえないから、風よけをつくってたんです」
そんなことは知らなかった。区長のわたしにも、三浦さんは話してくれなかった。
「きちんとお薬をのんで、進行はだいぶ抑えられてるみたいですし、最近はお孫さんがもう居ないってことも納得してくれてたんですよ。勿論波はありますから、会話が成り立たないなって時もありますよ。孫が咳こんでて苦しそうだって泣く時も。僕、ご老人の涙ってどうも苦手でね。いやなんですよ。だから僕だってとっととごみを片付けてしまいたかった。でも、しっかりと三浦さんのいうことを聴いてからじゃないと、あれを片付けることはできないと僕は考えてました。勝手に撤去しても、三浦さんが納得してなかったらまたバリケードができるだけです。そもそも三浦さんの敷地のことですし、庭の一部にものを置いてあるだけなんで、勝手に撤去なんてできっこないんですけど。それができるなら、僕は中島さんの家の庭の隅に放置された殺虫剤のあき缶を捨ててやりますよ。あの奥さん、缶の中身をぬいて捨てるのが面倒だってためこんでて、火事でそれが爆発しなくてほんとによかったですよね。あのひと達は余計なことをいって、僕と三浦さんの話し合いを邪魔するだけだったし」
金森くんはわたしを、子どもがするみたいに無邪気にひょいとゆびさした。
「で、あなたが火をつけたんですよね? 松見高彦さん」
金森くんは帰っていった。三浦さんを見舞って、三浦さんの娘さんと、保険のことなどで相談にするそうだ。公務員としてではなくて個人としてですよ、それくらいには三浦さんと親しくなってるんです僕、と。
わたしは思い出しながらこれを書いている。
十月三十日の晩、わたしは反対の会の会員である、二軒隣の奥さんにねじこまれた。三浦さん宅の庭に、またものが増えたというのだ。三浦さん宅の庭が酷いありさまであることはわたしはすでに知っていた。区長として、何度も何度も訪問している。三浦さんが男性だから、男のわたしが注意すべきだというのだ。あの年代のひとは女の話を聴かない、だからわたし達が抗議してもきいてくれないのだ、と。
わたしは疲れていた。妻も疲れていただろう。わたしがでかけている時に、「区長さんに話がある」とやってくるひと達に対応するのは妻だ。
わたしは二軒隣の奥さんに帰ってもらった。それから、散歩に行く、といって、三浦さん宅へ向かった。
三浦さんは庭に居た。ビニールシートをごみにかけて、紐で縛っていた。わたしは三浦さんを説得しようとしたのだが、彼は話を聴いてくれなかった。わたしは家へ戻った。
深夜、妻が寝ているのを確認して、わたしは家を出た。三浦さんが寝ている間に庭のごみを持ち出そうと考えていた気がする。ひとりでできる訳もないのに、そんなことを。
だが、実際三浦さん宅まで行くと、ふっと、これを持ち出すよりは燃やしてしまったほうがいい、と思った。粗大ごみが完全につかえない状態になれば三浦さんも諦めるだろう、と。
中島達に対するいらだちも含まれていたと思う。わたしは正直、三浦さん関連の相談のなかでも、中島の奥さんの偏執的なまでの抗議には、辟易していた。ひとの家の庭のことにああまで熱狂できる精神が理解できない。
厄介ごとをまとめて始末できるお手軽な方法が放火だった。
わたしは煙草を吸うから、ライターを持っている。なにかに火をつけて、畳が折り重なっている辺りに投げ込んだ。なにに火をつけたかは覚えていないが、ポケットにはいっていたものだから、おそらく反対の会のチラシか、集会のしおりか、そういったものだろう。ゴミ屋敷反対の会は、集会だなんだといって、そうやってせっせとごみを生産している。
畳が燃えはじめたのを見たら、しかし、わたしは途端にこわくなり、走って家まで逃げ帰った。途中でライターを落としたことは、次の日気付いた。顔を洗ってベッドへもぐりこみ、自分は悪い夢を見たのだと思い込むことにした。
悪いのはわたしじゃない。わたしに区長をおしつけて、無理難題を頼んできた人間に問題がある。三浦さんは自宅の庭にものを置いただけ。それに対してあそこまで攻撃的な行動を繰り返していた中島の奥さんや、それに追随した反対の会の連中は? わたしよりも罪が軽いだろうか?
金森くんがわたしのことを警察に話しているかもしれない。どうしてわたしがやったとわかったんだろう。ライターを拾ったんだろうか。
警察が来るまで待つか、それよりも先に警察署へ行くか、わたしは決めかねている。