#91 死掴の洞窟烏賊その二十一
「・・・・・ッ!!」
俺はただひたすらに走る。再び気づかれる前に、全身全霊で気配を消しながら、来た道をただまっすぐに。
逃げ腰になったわけではない。自分一人ではあまりにも分が悪かったための戦略的撤退というやつだ。おそらくあの突然現れた腕が触手の奇妙な生命体と俺とでは天と地ほどの差など存在しないため、向こうが数の暴力でこちらを攻めてくるのであれば、多分押し切られて詰む。
(にしても、かなり危なかった・・最悪の気分だが、そのおかげで何とか認識され続けずに済んだ・・・)
あの絶望的状況。初見の魔物に後れを取り、不甲斐なくも足場から地上へと真っ逆さまに落下。落下地点がその空間の結構真ん中あたりであったため、どこにも掴まれそうな場所はなく、更にそれに加え落下中グラーケンと完全に目が合った。その直後伝わって来た振動は、自分の存在が奴に完全に気づかれたことを悟らせた。
焦りは更なる焦りを生み、それはそれはお恥ずかしながらみっともなく慌てており、あろうことか『身体強化』を発動せずに地面へと衝突してしまったのだ。それが意味することは・・・もうお分かりだろう。
全身の骨は容赦なく砕け、内臓は破裂し、耳が感じた音は気分の良いものではなかった。もちろん、そんなことを感じている余裕などあるはずもなく、強化されていない生身の肉体は断末魔という名の悲鳴を上げた。
ここまで聞けばただの間抜けな馬鹿だが、ちょっとだけ待ってほしい。これにより起こったことは決して悪い事だけではなかったのだ。
そう。それがグラーケンの警戒を奇跡的に解く要因となったのだ。
まず、ここまでの状況としては、数百、数千メートルの高さから足を滑らせ落下、グラーケンにもばれた状態で地面と接触してみるも無残な姿に・・・だが、この時点で、グラーケンはどうやら俺が死んだと判断したらしく、その警戒網を解いたのだろう。
肉体が完全にこと切れているような状態だったタクは、その時呼吸も、心臓の鼓動も停止していた。グラーケンは持ち前のセンサーでそれを約五分の間徹底的に確認。その後、警戒モードを終了。元の休息状態へと戻った。
その間にも、『自己再生』による肉体の修復は進んでいたが、タクの身体は無意識にその再生速度を遅らせ、グラーケンがこちらを完全に認識しなくなるほどの時間で修復を完了させたのだ。
偵察の間、常時『闘気之幻影』を発動していたタクは、意識を取り戻すと同時にそれを再び発動。その後状況を必死に頭を回して整理し、即座に脱出を図ったのであった。
運がよかったというのもあるだろうが、とにかくあの状況で何事もなく生還できたのは確実に奇跡だろう。だが、そんな危険な状況をも何とか突破し、グラーケン+αに関する情報をゲットすることに成功した。これは大いに喜んでもいいだろう。
「だが、帰るまでが偵察だよなぁ・・・!」
まだ気を抜くには速い。これまでもこんな感じで調子に乗って散々な目にあっているのだ。先ほどだって、アルデンがどうのこうのって気を抜いていたことが発端だ。集中力を切らさなければ、気づかれる前に下へと足場を伝って戻れていたかもしれないのだ・・・やっぱりあれは無理かな・・?
そんなことを考えながら全力で走っていると、その道中現れたのは魔物の群れ。
流石にこれだけ洞窟が急に荒れたのだ。何事かと見に来るのも不思議ではないが、もう少し後にしてほしかった。
ネズミ、蜥蜴、蛇。ここまで戦ってきた奴の他にも、蝙蝠に蛙・・・あれは、魚?いや、人型・・・魚人ってやつか?ここにきてレアモンスターみたいなやつもちらほらそこには存在した。
そいつらはどうやら俺がこの騒ぎを引き起こしたと思い込んでいる様子で、こちらへ殺気を込めた威嚇を行う。
「いやいや・・・お前ら俺よりも長く洞窟にいるんだから、グラーケンがやったって分かってるだろうに・・・」
いや、でもよくよく考えてみれば、俺たちがここへと足を運ばなければ、グラーケンもあそこまで暴れたりはしなかったわけで・・・そう考えれば多少は俺も関わっていると言えるか・・・いや。
「知るかそんなもん!全員俺のスキルポイントの糧にしてやる・・・!!」
そうして、突然にして戦闘が始まった。
まず戦ったことのある三種類の魔物。
ネズミはとにかく数が多い。この魔物の集団の中にも数百単位でその個体が存在しており、いちいち群がってきて鬱陶しい上に顔が気色悪いので、視覚から共有されるのはもはや一種の恐怖映像である。
それに加え前歯が相当に鋭利だ。下手な鈍よりもその切れ味は恐らく高い。だが、ここに来てからそれは何度も見ている。俺はその攻撃達を喰らうことなく迫りくるネズミを叩き落していった。
次に蛇。これは特にいうことは無い。只ひたすらに長い。動きはそこまで速くなく、一度纏わりつかれたら危険だが、『身体強化』フル活用で何とかその体を引き千切って撃破。筋肉の密度が相当に高く、ちょっとやそっとでは全く千切れる気がせず、耐久力はここの魔物の中でもかなり高い部類だろう。
そして蜥蜴。バカでかい。昔に博物館かどこかで実物大で動くティラノサウルスの展示を見たことがあるが、それと同じくらいにはデカい。認めたくはないが、現時点で今まで見た魔物の中では断トツでかっこいい。
例えにティラノを出したが、実際は四足歩行で、予想通りのパワー型。攻撃を避けて腹を思いっきり蹴り上げ撃破。
「さて、こっからは初見だな・・・!」
このエンゲージフィールド地下洞窟は引くレベルで広い。流石に生息する魔物の種類も数種類程度ではなかった。おそらく他にもいろいろいるのだろうが、まずは目の前のこいつらを何とかしよう。同じく一種類ずつ潰していく作戦で。
はいそれでは行きましょうまずは蛙。
足のバネが相当発達しているようで、高く飛び上がった後蛙のくせに蹴りを入れてくる。全ての戦闘能力を足に振ったような奴だった。逆に言えば、上半身が思ったより貧弱だったので、足を使えないようにする、または引きちぎってやったら特に向こうは何もできない様子だった。これは難なく撃破。
次、蝙蝠。
超音波でこちらの脳に直接ダメージを与えてくる。おそらく長期戦になれば廃人にされるところだっただろう。これに関してはもはや皆使用頻度があまりにも少なすぎて忘れているであろう『闘波散弾射撃』で一気に殲滅した。
そしてラスト・・・こいつだけは他の奴よりも数段階やばそうだ・・・!
「・・・・・・・」
「他の奴らが倒されるまでずっと傍観しやがって・・・趣味悪いなチキショウ。」
洞窟に魚人がいるというのはいかがなものなのだろうかというのが正直な感想だが、ここは湧水も多いし、何よりここの主がイカなので、まぁ納得は出来る。
その細い体は、圧縮された筋肉の塊。腕、背中の鰭は金属のような光沢を放ち、その姿を例えるならば、限りなく人間に近い魚。
黙っているだけなのか喋れないのか、ただ無言を貫きながらこちらに向かい構えるその姿からは、他のそれとはまったくもって違うオーラを放つ。多分だが、グラーケンとかああいった化け物を除けば、この洞窟の中でもかなり上位に位置する魔物・・・のはずだ。正直ここに来てから規格外が多すぎて全く自信はない。
「通してくれねぇんだったら、自力で道をこじ開けるしかないよな!」
俺もそいつに向かって拳を構える。決して異常ではない、だがそれでも異質なその魔物に。