閑話 謎多き異次元生命体グラーケン:支配するは南
本編が九十話に突入してきりがよかったので、ここらで少しばかりよく分からないグラーケンのいろいろについてちょっとだけ詳しい説明を。
―――エンゲージフィールド。
南のセラム、東のルクシア、西のアリンテルドに隣接するどの国にも属さない中立地帯。
街、人工物の影は一切なく、その上植物もほとんど存在しない、とてもではないが人の住める環境ではないその場所は、魔物達の住処と化していた。
過去にこの地へ挑んだ何万もの冒険者の中で、生存して帰還した者は記録上では四人。その全員が後のSランク冒険者であった。
地上が無理なら空から。地下から。そんなことを言う者もいるが、そうは問屋が卸さない。
地下に広がるのは複雑な地下洞窟。レンクシータイパン、苔ネズミなどをはじめとした、地上には生息していない未知の魔物達がひしめき合っている。
上に逃げればそこには肉食の怪鳥の魔物。空気抵抗を減らした細い形状は、自身の速度を最大二百キロまで引き上げ、冒険者たちを容赦なく貫き、噛み千切ってゆくだろう。
だが、ある程度の実力を持っているのであれば、それらを払い進むのは容易だ。だが、それでは足りない。明るい闇の世界、魔窟の支配者と相対するためには。
その主の名は―――グラーケン。
古い伝説に同じような魔物がおり、同一の存在なのではないかという噂もあるイカ型の魔物。体長は数百メートルから数キロメートルとも言われている。このふざけた記録にも納得のいく証拠は、地上で確認されたことのある触手の大きさであった。
グラーケンの超高精度のセンサーにより捉えられた生物は、エンゲージフィールド内にいる限り、そのどの場所にいようとも逃げることは出来ない。
無限に伸ばせるのではないかというほどの長さを誇るそれにより、ある時は洞窟内へ引きずり込まれ、ある時は大地を砕き地下洞窟へと叩き落される。その後の末路は言わずもがな。餌としてその一生を終えることとなるだろう。
そんな要因もあり、魔物の研究を行う者の誰も、グラーケンのサイズに関しては何も言わない。そもそも、記録上のサイズもあやふやなのだから。
文字通りの支配者とも言え、尚且つ今でも謎の多いグラーケンだが、分かっていることもある。それは属性。
それは、どちらかと言えば珍しい部類に入るであろう光。この世界の魔法士が得意とする属性は、基本とされる炎、水、風、雷、地の五つな事が多い。しかし、それらはグラーケンにとってはあまり効果の期待できないものだ。だが、比較的効果の高い闇属性も得意とするものはあまりおらず、率先してグラーケンを本気で倒そうとするものなど誰一人としていまだこの世界にはいない。
そういった相性問題もさることながら、グラーケンは本体自体のスペックも相当なものだ。
先ほども言ったように、まず思い浮かぶのがその触手。その射程はエンゲージフィールド全域、太さは直径、少なくとも十メートル以上、そんな規格外のサイズ。人間と比較すれば、猫とライオンどころではない。赤ダニと戦車である。
生半可な斬撃では断ち切ることなど到底不可能であり、ただの槍での刺突など以ての外。向こうからすれば、蚊に腕を刺された程度である。
そして次にその体の弾性。あらゆる衝撃を吸収するそれは、あらゆる打撃を無効化する。と言っても、強いて上げるなら、ガントレットによる殴打、脛あてによる蹴りあたりだろうか。ともかく、この世界の魔法士で武器を使わない者などごくわずかである。この情報は頭に入れておかなくてもいいだろう。
グラーケンに挑むためには、闇属性関連の攻撃手段を用意しておくことが最低条件。そして、最低条件と言えど、それ以上の有効打など存在しない。とどのつまり、討伐は極めて困難である。
物理、斬撃、魔法。その全てを何食わぬ顔で受けきり、たとえ一部位を破壊したところですぐに再生する。有効属性でダメージを与えても、それは蓄積されずに修復される。
ここまで述べられた少なく、そして曖昧な情報だけでも十分に分かる。こいつにはどうやっても勝てないと。
もはや一個体としての次元があまりにも違い過ぎるのだ。
勝てる勝てない、作戦を練る練らないではない。それに加え多くの冒険者は、奴と対峙する前に地上にて命を落とす。もはや挑戦するステージにすら立てないのだ。
いつの日からかグラーケンは、『死掴の洞窟烏賊』とも呼ばれている。
挑む者、迷い込んだ者、ただその地を往く者。見つかったのならば、それらを迎えるのは死へと誘う触手。それは一度得物を捕まえたのならば、死ぬまで掴み離さない。それがその二つ名の由来となっている。
しかし実のところあまりその存在を知る者はそれほど多くない。
エンゲージフィールドは怖い場所、危ない場所。そんな知識しか持ち合わせていない冒険者も案外少なくない。だが、その怪物の存在を知る者からは、どんな冒険者も勝てない化け物として恐れられている。
これは、そんな世界に数体存在する『異次元種序列』に名を連ねる特殊生命体の内の一体。人間には太刀打ちできない者達の一個体なのである―――
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