#90 死掴の洞窟烏賊その二十
その後は何とかグラーケンに警戒させることも無く、目的の足場へとたどり着いた。
登る前の一番下を地上として、一体何メートル位登って来ただろうか。ここから見ると、相当離れているように見える。
ここまで常に発動しているおかげか、闇属性版ストーン・アーツにもかなり慣れてきており、現在では多少気を抜いても気配を消す精度に問題はない。少し束の間のリラックス・・・と言っても、ただの背伸びと深呼吸なのだが。
「うーーーん・・・っと・・さて、気合い入れて行きますか。」
息をゆっくりと、音が立たないように吸い込み、それを更にゆっくりと吐き出す。
無意識のうちに頬を伝っていた汗を拭い、気配を消すことだけに全神経を注ぐ。自身を空気、または虚無と同化させるようなイメージを頭の中で構築し、しゃがみながらゆっくりと石の柱の先端へと向かう。
ドクン、ドクンと心臓の鼓動が振動となって伝わってくる。そしてそれは、俺自身の物ではない。奴のそれが、もうすぐそこまで迫っているということを嫌というほど教えてくれる。
このグラーケン。眼球だけかと思いきや、触手、触腕を除いた本体もほんのり発光しており、それがただでさえ昼間のように明るい洞窟の明度を更に上昇させる。
例えるなら、全面鏡張りの部屋で照明をつけたような、目を閉じるまでではないものの、とにかく滅茶苦茶明るい。
これがほんのりだからまだよかった。懐中電灯の光を直視したようなレベルでは、戦いどころではない。ここまで登って奴に向かっていったとしても、足場を踏み外して、どっかの大佐みたいに底へと真っ逆さまに落ちていく未来が創造できる。
さて、少し話がずれたが、その間にも相も変わらず進んでいき、とうとう先端にまでたどり着くことに成功した。
もう後はウイニングラン以下。ただ上を見上げれば、グラーケンの中身が有無を言わさず露わに・・・・・
「・・・・・うげぇ・・・」
ある程度は覚悟していた。人間のものではないとはいえ、命の灯が今もなお燃え続けている生物の内臓を見るのだ。だが一言でいえばそれは、結構エグかった。
あれは直腸辺りだろうか・・・?この洞窟に生息しているであろう生物たちの死体で牛ぎゅう詰めになっているそれは、やばい色を通り越してもはや黒だった。
「でも・・・まだ助かったな。」
俺が言う助かったとは、ぱっと見、こいつの内部構造が、元の世界のイカの内臓とさほど違いが無いという意味だ。
グラーケンはイカのくせして陸上生物なので、えらの部分が肺になっているのだろう。今もなお空気を取り込み続けているようで、一定の周期でそれが動いている。だがそれ以外は似たような感じだ。
念のため確認のためにそれらを凝視する。肝臓、直腸、墨汁のう、その上に心臓。
それらからは相当距離が離れているが、いかんせんこいつが馬鹿みたいにデカいのでなんとなく分かる。更に言えば、『身体強化』の副次的効果なのか、視力も大幅に上昇しているようで、遠くの物でもある程度であればはっきりと見える。スキルが進化したことで、更に汎用性が高くなった。
「ん?なんだあれ・・・」
俺は目に見える範囲の最奥に、何やら紫色の塊のようなものがあることを発見する。
そこらへんにある闇属性の魔石のような物なのだろうか。何やら色は似ているが・・・流石に見るだけじゃ分からない。あれを壊せばグラーケンのステータスダウンみたいなのだったらいいのに。
しかしそれにしても他の内臓器官と比べてもかなり小さい。本来あの辺りにあるのは・・・卵巣、だったか?ぶっちゃけあまり覚えていないが、あんなキツい色の臓器などない筈だ。
「いや・・まさかあれがグラーケンの不味さの根源・・・!?」
俺の脳内で一瞬かつ適当に考えた流れでは、
一、洞窟の魔物を取り込む。
二、不純物が結晶としてあのように蓄積される。
三、結晶化したあれの摩訶不思議な成分がグラーケンの肉体に浸透する。
四、結果不味くなる。
となったが、これはあくまで思いつきであり、実際は恐らく全く違うものだろう。
あんな一番奥。『身体強化』百パーセントを全て視力に振ったような状態で凝視してやっと見えるほどの物。おそらくグラーケンにとってそれは、とても重要な器官。失えば形勢が一気に傾くほどの。
しかし、あそこまで内側を登るのはかなり骨が折れる。外套膜の内側はつるつるしてるし、あそこまで登るためには、内臓を伝って上へと進んでいくしかない。しかしそれは生理的に嫌だ。なんか踏んだらグニュングニュンって音しそう。
それはあくまであれを壊さないと永遠に倒せないとかの場合でいいだろう。弱らせて一気に叩くという作戦は、今のところ変更を考えなくても問題なさそうだ。
「ん?なんだあれ?」
おや?セリフにデジャヴが。いや、本当になんだあれは。
特徴を大雑把に言っていくと、まず人型・・が一番近いか?身長一メートルあるかどうかで、色は全体的に紫。鼻、口はなく、赤く光る鋭い眼だけが確認できる。妖精の羽のようなものが生えており、その色だけはグラーケンの外套膜と同じような色。
そして腕・・・なのだろうか・・?人であるとして、腕に位置する部分には、両方に無数の触手が生えており、ものすごくうねうねさせている。いかん語彙力が・・・
身長と同じくらいのそれは、神経にワイヤーを突っ込まれた魚のように暴れており、包み隠さずいうならば、ものっっっすごく気色悪い。
それがゲーム内でモブがスポーンするかのように、音もなく突然そこに現れた。距離にして数百から千数百メートル位は離れているが、見るからに厄介そうな敵であることは間違いない。
「色的に闇属性・・・?あの羽、まさかあれが洞窟居住民に加護を与えている精霊・・・んなわけないよな・・・グラーケンだけでもよく分からないってのに、新キャラ増やすなよな・・・」
おいこら運営。この世界の創造神ってんなら、これくらい修正できるだろ。今すぐやれ。何ならグラーケンもついでに修正しろ。
俺は心の中で顔を思い出すだけで割とムカつく神に八つ当たりするが、もちろん返答など帰ってこない。この偵察作戦、思ったよりも精神的ダメージが大きいのかもしれない。意味の分からない思考まで始まってしまった。あと少し観察して、とっとと帰還することにしよう。
だが結局はイカ。内臓も大雑把に見ればそこまで複雑でもないし、多少なら過去の記憶も使い物になる。もう他には見る場所は特に・・・って、
「え?」
あの新キャラが二体に増え・・・いや五、十、百・・・!?
突然増殖バグかのように増えた触手闇妖精(仮称)の数は軽く五百を超えているだろうか。
突如として途轍もない緊張感が俺を襲う。息を呑み、増えた奴らをじっと見る。そして奴らは一匹たりともずれがない完璧なタイミングで・・・こちらを睨みつける。
「・・・・・・・」
あ、詰んだかも。
そいつらは一斉に触手の腕をこちらに向けると、それを高速でこちらへ飛ばす。いや、伸ばしているのか・・・!?
「ッ・・やべっ・・・!!」
その一瞬の焦り、それが仇となってしまった。
焦り始めた時、気が付けば俺は石の柱の端の方に立っていた。そして慌てた足はこんな最悪の状況でも滑ろうとするが、俺はそれを何とかもう片方の足で踏ん張る。だが、踏ん張った足場は運悪く砕け、突然自重を支える場所を失った俺は、高さ何メートルかも分からない場所からの命綱なしスカイダイビングを遂行する羽目になり、自身の身体はそのまま底へとどんどん沈んでいく。
「ダァァァァァックソ共がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
焦りと恐怖を何とか紛らわせるために俺は必死に声を荒げるが、その遠吠えは虚しく辺りに響き渡るのみであった・・・