#87 死掴の洞窟烏賊その十七
「・・・・・・・」
その次の日。キキョウはムラメを抱きかかえ、ずっと居住エリア内の岩に腰掛けていた。ただ悔やみ、ただ悲しみ、ただ何も考えずに。
あの後、絶叫した自分はそのまま気絶してしまっていたらしく、居住エリアの人たちがここまで運んでくれたらしい。
一体、何が正解だったんだろうか。あのまま残っていたとしても、おそらく足手纏いとなり、全員あの場でお陀仏だったろう。
全員で逃げたとしても、誰かは確実に触手の餌食にされただろう。いい案なんて今になっても分からない。
急に強くなったことで天狗になっていなければ、甘い覚悟でここに来なければ、アマテラスに残っていたならば、魔法の普及など考えていなければ。そういった様々な思考がキキョウの中を巡る。
後を追わずに済んでいるのは、ムラメの存在のおかげである。守るべき家族がまだいるからこそ、今一歩手前で踏みとどまることができている。
もしもムラメがいなければ、もしかしたら、いや、もしかしなくとも・・・・・
「・・・・・ムラメ。昨日のあの場所に少し行ってくる。長老の間で待っていてくれ。」
「あうー」
キキョウはムラメを連れて長老の間へと向かい、覇気の全く籠っていない声で目的を話す。
「ムラメを少しの間預かるのは構わんが・・・お前さん、何を考えとる・・・?」
「・・・分かりません。でも、行かなくちゃいけないって思ったんです。お願いします・・行かせて「ください。」
「・・・いいじゃろう・・だが、娘を置いてお前までいなくなるなよ。」
「・・・はい。そんなことは絶対にしません。」
ムラメは絶対に立派に育てて見せる。それが、今できるユカリへの精いっぱいの償い、そして、今後の自分が生きる目的なのだから。
そして、昨日起こった惨劇の現場にキキョウは戻って来た。
足場の石はさらに崩壊を進めており、非常に危険な状態だ。だが、そんな中でも、唯一地面が平らな状態で残っている場所が、この空間の中心部に存在する。
それこそ、昨日自分たちが立っていた場所。ユカリが命を賭して自分たちを活かしてくれた場所。
キキョウはその場所へと吸い込まれるように歩いて進む。今回はゆっくりと、俊敏さなどかけらもない速度で。ただのっそのっそと。
その足場をただ見つめながら、今歩いている地面の状態など何も確認していなかったため、途中何度も躓いて転んだ。だがそんなことは気にならない。キキョウはただ、今は早くあの場所へと行きたい。そんなことだけを考え進んでいた。
「・・・ユカリ・・・・・」
足場へとたどり着いたキキョウの脳裏に浮かぶのは、ユカリの優しい笑顔。それはどんな光よりも眩しく、どんな花よりも美しく、どんな物よりも心を温めてくれた自分の妻の姿。
出会ってからこれまで、数えきれないほどの迷惑をかけたことだろう。その恩返しもまだ何も出来ていないというのに、彼女は急に遠い所へと言ってしまった。
「・・・ユカリは私なんかよりもずっと強いんだ・・・きっと今も、グラーケンに抗い続けているのかもしれない・・・」
仮にもしそうだとしても、今のキキョウには何をすることもできない。そのもどかしさ、情けなさが、キキョウを更に追い詰める。
「ユカリ・・・いつもみたいに・・返事をしてくれないか・・・!頼むよ・・・!」
彼の目からはすでに涙が溢れてしまっていた。精神的にも、もう限界などとうに超えていた。キキョウは膝をつき、天を仰ぐ。
目に映るのは、岩の天井のみ。これからも変わることのない光景だった。
そんなとき、キキョウから音が鳴る。空腹による腹の音だ。彼はそんな何気ない音に、今は酷い苛立ちを覚えた。
全く空気の読めない場違いな音は、あまりにも耳障りで、それは己への怒りを増幅させるのみであった。
そんな中、キキョウが次に脳裏に描いたものは、いつの日かの屋台を引く男性。
「・・・・・今頃になって、あれが無性に食べたい・・・」
洞窟に来てから、キキョウはあらゆるものを手に入れたが、その代償として、それ以外の全てを失った。
それは最終的には自分で決めたことであり、全ての非は自分にある。その上、自分の家族すら巻き込んでしまったのだから。
「・・・ごめん・・二人とも・・・私のせいだ・・・!!!」
キキョウは泣いた。年甲斐もなく、声を上げて。
それを聞いている者は、今この世界には存在しない。彼は思う存分に泣き叫んだ。
そうしてしばらくたった後、ふと顔を上げる。そしてそこには、今まで気づきもしなかった、今まで見たことのない小さな箱の存在があった。
「・・・なんだ・・これ・・・」
箱に近づき、それを手に取ってみると、中に何やら入っていることに気づく。
蓋を開けてみると、中に入っていたのは、銀色のフレームの眼鏡。そして、一通の手紙。
愛しの旦那様へ
お誕生日おめでとう。
贈り物は何がいいかをムラメとずっと考えてたんだけど、結局何も思いつきませんでした。というより、ムラメが可愛すぎて考える余裕がありませんでした。
貴方はいつも仕事と勉強に熱心だし、それ以外も私たちのためにいつも動いてくれるから、それら以外に何が好きなのか、私もよく分かっていません。少しは息抜きもしてくださいね?
さて、そんなことを考えながらこの文章を書いていますが、あなたの事だから、結局仕事で使える物が良いんじゃないかと思ったわけです。
眼鏡なら、目の疲れも軽減してくれるし、あなたにとても似合うんじゃないかって。
是非是非これを読んだ後にそれをかけて、私とムラメに見せに来てください。これでも、結構楽しみにしてます。
貴方の魔法は、きっとアマテラスをいい方向に導くと思います。だから、自分の信じた道を、これからも変わることなく、そして迷わずに進んでください。
ムラメと二人で、これからもずっと応援しています。頑張ってね。
貴方の愛しの妻と娘より
「うっ・・・グッ・・・うぅぅっ・・・!」
それは、ユカリが最後の最後でそこに置いた、キキョウへの誕生日プレゼントだった。
キキョウは思い出した。今日が、自分の誕生日なのだと。
今日が誕生日であったのは偶然だが、ユカリは密かに、自分のために用意してくれていたのだ。この心のこもった手紙と、この眼鏡を。
キキョウはそれをかける。ただ一人、誰もいない洞窟で。
キキョウは見る。ユカリの連れ去られた方向、先の見えない暗闇を。
キキョウは哀れな希望を持つ。ユカリはまだ生きているかもしれないと。
「・・・あの場で握り潰されたのなら、きっと血の跡が少なからずここに残っているはずだ。」
だがそれはこの場所には見当たらない。そして、ユカリの死に様も、死体も、キキョウは目にしていない。生存の可能性は限りなくゼロだが、完全にゼロではない。
ユカリの思いに、キキョウは今度こそ腹を括った。
「待っていろグラーケン・・・貴様はこの私が、絶対に殺す・・・!!」
もう意思は揺るがない。来たるその日のために、キキョウは強くなることを誓った。
そして七年後、英雄の雛一行と共に、その悲願を果たすべく名乗りを上げたのだ。
かなり長くなりましたが、これにてキキョウの回想はひとまず終了です。
次回からは本格的にグラーケン討伐に向かって進んでいく・・・はずです!
もしよければ、評価等もしていただけたら嬉しいです。異世界武闘譚はまだまだ続くので、ぜひよろしくお願いします!