#85 死掴の洞窟烏賊その十五
キキョウの回想は二話くらいで終わる予定だったのですが、気が付いたら十話を越え・・・
―――それから数日後。
無事に洞窟居住民としてこの地に住むことになったキキョウたちは、自分たちの変貌に驚くばかりであった。
「急にここまでの変化が起きるなんて・・・!どうにかして調べたいけど・・医療器具なんて持ってきてないしなぁ・・・」
「・・・研究熱心なのは、一生変わらなさそうね・・・でも、確かに凄いわね・・・」
「うあー」
職業病のようなものを発症してしまうキキョウであったが、それほどまでに精霊の加護というものの恩恵は凄まじいものだった。
まず、体が軽い。加護を受けてから、疲れという疲れは全くと言っていいほど感じておらず、歩く、走るなどといった動作も、以前よりはるかに楽になった。
年々体の衰えを少しづつ感じていたのだが、今となってはまるで嘘のようだ。さながら若返ったかのような・・・と言っても、まだそんなに言えるほど年は取っていないのだが・・・
そして、魔法を使用した際の疲れというものもなくなった。
魔力を体内に溜めておける器官。一般的に魔力炉と呼ばれる物は、本来その大きさは生涯変わることはないのだそうだが、多少魔法を使用した程度では全く底が尽きる気配もなく、これに関しても大きな変化と言えよう。
そしてなんといっても、身体能力の向上。これが途轍もない。
数日前命がけで発動した『強制覚醒』の重ね掛け状態と同じくらい・・いや、それ以上の身体的パフォーマンス常時発揮できる。
長老曰く、加護が体に馴染むまでの約一か月間はそれほど恩恵を得ることはないのだそうだが、それでもここまでのものだとは。
「ねぇ、久しぶりに・・・全力で走ってみてもいいかしら!?」
「え?もちろんいいけど・・・」
「よぅし!ちょっとムラメをお願いね!」
「あうー」
「う、うん。」
突然の提案。キキョウはユカリの意図が全く読めなかった。
それもそのはず。ユカリには、意図なんて何もないんだから。
「・・・・・せーのっ!」
「んなっ!?」
直後、ユカリが凄まじいスタートを切った。地面を蹴った瞬間から、まるで射られた矢のようにまっすぐ進む。
「あはは!凄い!速い速い!」
「た・・楽しそうだね・・・」
「あうあー!」
ユカリにこんな一面があったのかと、キキョウはここ最近で一番レベルで驚いていた。
子供のようにはしゃぐ妻の姿は、洞窟の中だというのに、海辺を走っている少女化のように輝いて見えた。ムラメも心なしか、そんな母を見て楽しそうに笑っている。案外似た者同士なのかもしれない。
「あなたー!これかなり楽しいわよーーー!!」
「でしょうね・・・って、ユカリ!前!!危ない!!!」
「え?・・・おっと。」
よそ見をしていたユカリが前方に視線を戻すと、目の前にはもうすでに岩の壁が迫っていた。
それは今から減速したとしても間に合わない距離で、この状態の急カーブも相当危険だろう。
だがユカリは冷静さを保ったまま、あろうことかそのまま前方に向かって跳躍した。そして彼女は岩の壁に垂直に足をつけ、上手く衝撃を和らげる。そこから強く壁を蹴り、後ろへと向かって宙返りして見事に着地して見せた。
その後何事もなかったかのように笑顔でユカリが戻ってきたが、キキョウの方は絶句するのみであった。
「ふぅ・・危なかったー!」
「なんというか・・怖いもの知らずだな・・・」
「・・・昔からずっと思ってたの。もっと速く走れたら、もっと高く飛べたら、もっと思い通りに体が動いたなら、どんなに楽しいだろうって。楽しめることは、楽しめるうちに全部やっておきたいなって、なんとなくそう思ったの。で、今走った!」
「うあー!」
「なるほど・・・楽しめるうちに・・・か・・・」
「何やら楽しそうじゃな・・・」
「うわっ!長老!?」
ユカリの言葉を胸の内に留めていると、突然背後から長老が姿を現した。これにはキキョウも反射的にびっくりした。
「長老。どうかなされたんですか?」
「なに・・少しは慣れたかと思うてな・・・どうじゃ?ここでの生活は?」
「えぇ。おかげさまで。ただ・・・まだ空腹には慣れなくて・・・」
実際、この数日間何も食べなくても特に問題はなかった。喉の渇きは近くの湧水でどうとでもなるので大丈夫なのだが、いかんせん突然の絶食には体も追いついていないようで、いまだに空腹感は続いている。
「まぁ・・はじめはそりゃそうじゃろうな・・・洞窟居住民の活力の源はこの洞窟の魔力。今まで食事として来ていない物を摂取しておるからな・・・じゃが、時期に慣れる。気づいたころには空腹感なぞ無くなっとるよ・・・いや・・この言い方じゃと、まるで宗教のようじゃな・・・」
「ははは、確かに。でも、ご心配ありがとうございます。」
「あうー」
「ムラメもありがとうって言ってます。」
「うむ。可愛らしい子じゃ・・・これからも、大切に育てるんじゃぞ・・・」
「えぇ・・・もちろんです!」
いろいろあったが、これからも何とか楽しく暮らせて行けそうだ。
ユカリと頷き合いながら、キキョウはそんなことを考えていた・・・・・
そう。あれは、そんな何気ない、幸せな時間。そこに・・・奴が来た。
ドガァァァァァァン!!!!!
ガラガラガラガラ・・・!!!
「な、何!?」
「しまった・・・!!居住エリアから少し離れすぎたか・・・!?」
「これは・・・一体・・・!?」
突如辺りに響き渡る轟音。それは洞窟、いや、大地そのものを揺るがし、それ以外の全てをかき消さんとした。
この辺り付近では所々が崩壊を始め、かなりの硬度を誇るこの洞窟の岩でさえも、まるで砂の城を崩すかのように。何かが当たっただけでそれが崩れるように、辺りでは岩の雪崩が起きる。幸い今キキョウたちが経っている場所でには今のところ影響は無かったが、問題はそこではない。
「しまった・・!!逃げ場が・・・!?」
周囲の足場が悉く崩れてしまい、離脱方法を完全に失った。
崩れたと言っても足場が消えたわけではなく、地面が振動で粉々になった、というべきだろうか。
移動できなくはないが、少しでも急げば躓いて転んでしまうような状態になってしまい、この場から離れるために必要な機動力が削がれてしまった。
「・・・ねぇあなた・・あれ・・・!」
「・・・・・え?」
何なのだあれは。淡く輝く黄金の光、そして、汗が滝のように吹き出すほどの圧倒的なオーラ。
だがなぜだろう。光が・・・ギロリと動いたような・・・
「長老・・はは・・・何かの・・冗談・・ですよね・・・?」
「・・・これは、紛れもないアンダーグラウンドでの周知の事実。この地の主にしてこの場所での絶対的な最強生物。誰が呼んだか・・・『死掴の洞窟烏賊』、グラーケン・・・!」
「ッ!!!」
突如、キキョウの脳内に危険信号が次々と送られる。
洞窟居住民となり、驚異的な強さを手に入れたにも関わらず、その場で絶望したキキョウは一瞬でそれを確信する。
「・・・・・こんなの・・・どうしろっていうんだよ・・・」
目の前の化け物には、勝てない。