#55 イカの味は
『死掴の洞窟烏賊』
それは、約三十年前、アリンテルドでただ一人エンゲージフィールドから脱出できた人間。他でもないダリフが付けたグラーケンの二つ名である。
地中にその身を隠し、その縄張りに一度入ったならば、死ぬまで掴み離さない。どのようなにでも触手を伸ばし逃走者を追い詰める。まさに地底のハンター。
若かりし頃、ダリフも一度仲間を引き連れて調査という名目でエンゲージフィールドを訪れたが、その際もグラーケンによりまんまと地下洞窟に叩き落された。
調査に向かった六名のうち、一人は無数の苔ネズミの群れに蹂躙され、二人はレンクシータイパンにより絞め殺される。そして二人は、その身を触手により洞窟の最奥へと引き寄せられ、その後どうなったかは分からない。
ただ一人生き残ったダリフは、迫りくる触手を合計二本切り刻み地上へと脱出し、なんとかアリンテルドへと帰還した。
そしてそれ以降、エンゲージフィールド全域を危険区域とし、Aランク未満の実力の者の立ち入りを禁止としたのである。
「あぁ・・腹減った・・・」
「そう言えば、出発してから何も食べてなかったね。」
「レルとアリヤはずっと変わんない様子だけど、問題ないのか・・?」
「まぁ、私たちは鍛えてるから。」
「鍛えたら空腹耐性かなんか付くの・・・?」
エンゲージフィールド踏破の旅三日目。
変わらず洞窟内を歩き続けている俺達だが、いかんせん腹が減ってくる。
体力は毎度おなじみ『無限スタミナ』で問題なく体力お化け二人についていけている。洞窟内には湧水が存在しているため喉の渇きも問題ない。問題は固形物の摂取ができていないということである。
通常人間は、水分を補給していようが、三週間もあれば餓死に至ってしまう。
「でもまだ三日しか経ってないじゃん。」そう思う者もいるかもしれない。だがよく考えてみてほしい。
俺は飢饉を生き抜いた人間でも、極限のサバイバルを生き抜いてきた探検家でもない。ましてや断食健康法など実践していたわけがない。今や飽食の時代と化した現代社会の一般人である。
そんな恵まれた環境でこの十七と数か月生きてきたのだから、たかが三日でも十分つらいことは容易に想像できるだろう。
「せめて食うのに抵抗がなさそうな魔物とか出てきたらいいのにな・・・」
「いるのかしら?そんなの?」
「プストルム周辺のあの森にいる水魔鳥の肝臓は珍味らしいよ。」
そうやって呑気に話していると、何度目かもわからない触手による襲撃が行われる。
この動作にも慣れたものだ。レルが触手の猛攻を抑え、俺が岩の壁を抉る。毎回隣を通り過ぎてゆく触手を見ては、こいつ何回も俺たちを狙ってて飽きねぇのかな?と疑問が浮かんでくるが、今回ばかりは少し違った。
「・・・こいつ食えるかな?」
「タク・・悪いことは言わないわ。やめておきなさい。」
アリヤに制されるも、俺に空腹ゲージがあったのならば、すでにマイナス値を限界突破しているのだ。某ゲームの主人公も、空腹が極まりすぎてネズミやら謎の生物やらを食べているが、今ならその気持ちが分からんでもない。
イカはイカでもどう考えても食えそうにないそれの動きが収まったタイミングを逃すことなく、俺は目の前の触手に向かって口を開く。
「腹痛上等!!こちとら何百年も前から魚を生で食ってる国で育ってきたんだ!多分コイツもいけんだろ!!」
俺は『身体強化』をフル活用し、尋常ではない弾力のグラーケンの触手を頬張り、勢いよく噛み千切る。
その瞬間触手は電流を流されたように動き、狭い通路の中で暴れる。これくらいの損傷でダメージはないだろうが、おそらく羽虫が腕に留まった くらいの不快感は向こうも感じたことだろう。
そして次の瞬間口内に広がるのは、独特の生臭さと、校庭の砂を詰め込んで噛み砕いたかのような不快すぎる触感。そして謎のヌメヌメ。
「ウ゛ッ・・・・・!!」
今まで食べ物において感じたことのないような不快感が全身を駆け巡る。分かったことはただ一つ。グラーケンは食用に向かない。以上。
「だ、大丈夫・・・?」
「オボボ・・コッ・・・うっ・・・」
「だから言ったじゃないの・・・」
仕方ないじゃないか。イカという生物は基本的には美味いんだから。いか刺しにイカ天、イカ団子に沖漬け。あといかみりん。
これまでイカを食って不味いと思ったことが一度もなかったため、もしかしたらいけるのではと思ってしまった俺が馬鹿だった・・・
「でも・・一つ良いこともあったぞ・・・」
「え?・・どんな?」
「これのおかげで食欲が減衰した・・・」
「「・・・・・」」
二人は呆れたような苦笑いで悶絶するタクを眺めるのであった。
「ゴク・・ゴク・・ゴク・・・っハアッ・・!!」
先ほどの味、触感を脳内からデリートしながら、俺は移動先に合った湧水をひたすら飲む。
この洞窟内の水はとんでもなく澄んでおり、変なクセもなくのど越しも心地いい。スーパーに打っている安物の水よりも遥かにクオリティが高い代物だった。
「これが無かったら俺の魔神討伐の旅はここで終わっていたかもしれない・・・!」
「いや・・それだけは本当に勘弁してよね・・・」
「ま、まぁ、落ち着いたみたいでよかったよ。」
「しっかし・・あんなに不味いイカがいるとは・・・」
もっとも、タクが普段食べていたヤリイカ、コウイカ、ホタルイカ、スルメイカなど以外にも、もちろんたくさんの種類のそれが存在するのだが、そんなこと今のタクには関係のない事である。
「グラーケンはいろんなものを体内に取り込んでいるだろうからね。こんな洞窟じゃ、砂や石なんかも全然体内に入ってると思うよ。」
「言われてみりゃそりゃそうか・・・」
タクの世界のイカと最も違う点は、海中にいるか、地中にいるかである。当然餌として食べるものも大きく違い、その味もまた全く異なるものとなるのは必然なのだ。
「タク、あなた自分の世界でどんな食生活してたのよ?」
「あのイカ野郎がおかしすぎただけで、普通の食事はかなり充実してたぞ。現代社会さまさまだな。」
「例えばどんな?」
「金さえあればケーキが食べ放題・・・」
「「ずるい!!!」」
現実世界とは全く異なるこの異世界。魔法という元の世界では絶対に敵わないものが存在するが、食に関してはこちらの方が遥かに勝っている。
こちらの世界の料理が不味いというわけでは全くないのだが、舌が肥え過ぎた現代人には少々物足りない部分もある。旅の途中でいろいろ料理を試すというのも悪くはないのかもしれない。
「今度俺の世界の料理を再現してやるよ。出来るかどうかは分からんが・・・」
「タク、ぜひともケーキを・・・」
「あなたならばきっと出来るわ・・・!」
「この世界にもあるでしょーが。あとアリヤさん?その確信はどっから出てくんだ?」
二人は目を輝かせながらそう言うが、どうせならこの世界で食べられないものを作りたい。理由は簡単。俺が食いたいからである。
この世界では砂糖はかなり希少で、一般人では中々手が出せない。というか、ラザール通りの調味料販売店を少し除いたのだが、販売すらしていなかった。店主に聞いてみると、「あんなもん滅多に入荷できないよ。」だそうな。
その他の塩や香辛料などはそこそこの種類あったので、その店ではそれらを購入した。とはいえいつまでも甘味が無いのは寂しいので、どうにかして砂糖を手に入れたいものである。
「ま、これ以上喋ってたら長くなりそうだから、俺の脳が料理にシフトチェンジする前に先を急ぐとするか。」
「今更だけど、タクって料理できたのね?なんか以外。」
「まぁ、一応俺の趣味だしな。二人は料理とかすんの?」
「焼き尽くすのは得意よ。」
「一応ナイフも作れるよ。」
「あ、ダメだこりゃ。」
片方は焼く(燃やす)。もう片方はもはや料理ではなく調理器具。この二人の発言を聞いた瞬間、タクは一瞬にしてあることを内心で決めた。
旅の道中、二人に飯の準備はさせないでおこう・・・