#162 天壮月光の夜:終幕
やらかした・・ここにきて完全に・・・!
俺が捕まえていたシムビコート・・・いやメルにこもっていた力が完全に抜け落ち、そのまま俺はその身体を反射的に支える。どうやら意識を失っているようで、その目は閉じてはいるが、それでもかすかに聞こえる呼吸音。脈もあるので命に別状があるわけではないようだ。だが、状況は良いとは到底言えない。
心の中でごめんと呟きながらメルの身体をその場へと横たわらせ、問題の方へと目を見やる。
「・・・・・・・」
無言で突っ立っている騎士団長は俺に背を向けただ立ち尽くしている。『神光月波』が終わり、元の――と言っても相当明るいが――明るさへと戻った天壮月光の夜の月を見ているようだった。シムビコートの本体に振り下ろすはずであったヴァルカヌスの剣とやらは背中の鞘に収められてはいないものの完全におろされており、少なくとも今の瞬間は戦闘の意思は全くと言っていいほどに感じることが出来ない。
「おいゼローグ・・あんだけ大口叩いといて、まさか自分はあっさり体を乗っ取られましたとか言うんじゃねぇだろうな・・・?」
俺の中で、結果はほぼ確定している。だが、それを認めたくなかった。いちいちムカつく奴だし、出会ってまだ数日ではあるが、俺はゼローグの実力だけは信用しているし、何なら頼りにしている部分もあった。
ダリフ以来のSランク冒険者ということもあったが、こいつの国に対する思いは真剣で、かつ本気なのが一目で分かるからだ。
それだけ実力を有しているのだから、入り込んでくるシムビコートの魔力に対してレジスト的なことを行うことが可能なのではないかと、ほんの少し頭によぎった。そして、とうとうゼローグがこちらに振り返る。奴が見せたのはいつものすました真顔ではなく―――
どこかトラウマになりそうで、どこか無邪気で、それでいて貼り付けたような笑みだった。
「・・・んっっっの馬鹿野郎が・・・」
「ふふふっ・・・悪くない。お前のその表情。縋ったほんの少しの希望が押しつぶされたようなその顔・・・!」
「ギィィッ・・・!っのクソガキが・・・!!」
「残念だったね・・!このゼローグ・スタードリアスの肉体も、黒鋼の骸骨騎士と共にいただいていくとしよう・・・!!」
あの野郎・・!このまま逃げるつもりか・・・!?
「させるわけないだろうが・・!『身体強化』身体強化五十五パーセント・・・『闘波散弾射撃』ッ!!」
こうなったら、建物の被害など知った事ではない。シムビコートをどうにかして、ゼローグごと逃げられるのを防ぐことが最優先事項だ。
瞬時に生成した光の玉は、ゼローグの身体の周りを包み来む。
「『全闘気解放』!!・・・ゼローグが死なない程度に弾けろッ・・・!」
「・・・・・ほぅ。」
常人なら余裕で死ぬだろうがな!!!
それはともかくとして、だ。この約一か月で、闘気の扱いにもかなり慣れた。光の玉の拡散範囲を、メルの身体が飲み込まれることがない程度に留めておくことだって今なら可能だ・・・!
「高熱・・高密度の光・・・闘気の玉か・・・なるほど。確かに厄介だ・・・だが・・・!ハァアッ!!!」
今度はゼローグにへと乗り移ったシムビコートは、ゆっくりと剣を鞘に納めた後、顔の前で腕をクロスさせたかと思いきや、今度はそれを勢いよく拳を握ったまま広げる。まるで力を開放するかのように。そしてそれは、俺が『身体強化』を発動するときによくやるモーションに少し似ている。
更にその直後、ゼローグの身体から出ていたオーラが一気に膨れ上がり―――
俺の生み出した光の玉を、あろうことか消し飛ばしたのだ・・・!
「うっそだろオイ・・・・・」
「君の闘気は凄まじいものだ・・並大抵の者であれば足元にも及ばないほどに・・・だがしかし、闘気は君の・・・英雄の雛の専売特許ではない。皆が魔力を持つように、闘気も全ての人間が持っているのだよ。」
「俺は魔力ないけどなクソッたれが!!」
この野郎・・・俺に対する嫌味にしか聞こえねぇぞチキショウめ。
とはいえ・・・一体―――
「一体どうやって、かい?」
「・・・人の心読んでんじゃねぇよ・・・・・」
「『相殺』したのさ。僕の・・いや、ゼローグ・スタードリアスのこの闘気で、君の闘気をね。世界に四人しか存在しないSランク冒険者ともなれば、その闘気の質も相当に高い・・・!流石にあの怪物ダリフ・ドマスレットには及ばないが・・・この程度の物であれば、この男のそれだけでも事足りる。ということだ。」
なるほど、闘気というのはそんなことも出来るのか。どうやら俺が思っているよりも、それは汎用性が高いのかもしれない。もしかすれば、魔法と同等レベルくらい・・・いやそれはないか・・・・・って、そんなことは今どうでもいい・・・!
ともかく、だ。俺の『闘波散弾射撃』も初見突破された以上、何か別の策を講じる必要がある。
(クッソ・・・頭回んねぇ・・・!)
ぶっちゃけ、俺という人間はそこまで頭脳派でもない。戦闘中は極端に頭よりも体が動いているし、複雑な作戦なども講じない。数手先の戦況を考えることなどしないし、まったく関係ないかもしれないが将棋に関してはルールすら分からない。
つまり、こんなに堂々と言うことでもないが、このような土壇場に名案を閃くほど、俺はインテリジェンス値にステータスを振っていない。ゲームならそんなもん上げる前にストレングスとアジリティ上げるし。
「・・・『月力水平加速』、『零距離加速』、『月波増幅』・・・『疑似音速走』、『栄雄への加護』・・・・・」
「なんだ・・?スキルか・・・?」
突然、シムビコートは呪文を連ねるようにスキル発動の準備を行っている。凄まじい数のスキルの重ね掛けを、今まさに目の前で行っている。ただこちらを見つめながら、ただ立ち尽くして。まるで、俺が今何もできていないことを嘲笑うかのように。そして奴の口から聞こえてくるスキル名の字面からして、確実に今奴は逃走のための準備を行っているのは間違いないだろう・・・・・
(さっきみたいに捕まえるか・・・?いや、またメルさんの身体の方に乗り移って終わりだ・・・ゼローグごと『闘気波動砲』で吹っ飛ばすか・・・?いや駄目だ普通に考えて・・・!っていうか・・・・・こいつの対処法は一体何なんだ・・・!?)
分からない。どうすればいいのか。
目の前に敵がいるというのに、一歩スタートを切れば手の届く場所にいるというのに、皆から任されたというのに、数分前まで、自身に満ち溢れていたというのに・・・・・
何も出来ない。何も策が浮かばない。
こんな時に、自分がここまで無力であったのかと、己に対する苛立ちがこみあげてくる。
「・・・・・ではさらばだ。黒鋼の骸骨騎士と、このゼローグ・スタードリアスの肉体は、この怪盗シムビコートが頂いた!ハーーッハッハッハ!!!」
「ッ・・!待っ―――」
その言葉を最後に、シムビコートはまっすぐ、一直線にはるか先へと飛んで行った。やがてその身体は夜の空と同化し、消えていった。
骸骨騎士は盗まれ、ゼローグも消えた。街は大混乱に陥り、官邸も損壊がかなりのものとなった。
とどのつまり、俺は完全敗北したのだ。この十年に一度という天壮月光の夜を舞台とした、奴の掌で行われたショーの上で。