第6話 名前、覚えてないんでしょう?
★無事に神様との契約を終えた零斗。事件の解決も近いと安堵して、生徒会室を後にする
千夜学園は、かつて富士山と呼ばれた土地に生まれた巨大なくぼみの真ん中にある。半径15kmのほぼ真円に近い形をした敷地、その周囲を2000m級の山々が取り囲んでいるのだった。
学園は大きく3つのエリアに分けられる。生徒たちが授業を受ける『中央校舎群』がある中央島。登校から下校まで、生徒たちはここに集中する。
その周りを取り囲むのが内円あるいはパブリック・エリアと呼ばれる地域だ。ここには3つの学生街と、その間を埋めるように生徒たちが放課後の活動を行うクラブ棟が林立している。放課後に生徒たちはここに移動する。
さらにその外側が外円あるいはプライベート・エリアと呼ばれる地域。ここには豊かな自然の中に『パノプティコン』と呼ばれる学生寮が点々と散らばっている。ほとんどの生徒たちは眠るにつくまでのわずかな時間をここで過ごす。
細部にこだわれば迷宮と変わらない学園でも、整備された通学路を通れば真っすぐに『中央校舎群』と学生寮を行き来できるのだった。
外から内へ、そして内から外へ。この生徒たちの大きな流れは毎日毎日、途切れることなく繰り返されてきた日課である。
零斗もまた、のんびりと景色を眺めながら学生寮へと戻っていた。3日分の疲れにどっと襲われ、今は部屋に戻り布団の中に沈んでいくことしか考えられない。
「おーい、ゼロっち!」
元気溌剌な少女の声が響くけど、それに応じるだけのエネルギーはもう残っていなかった。
ゼロっち。それはたぶん自分のことだ。だが、その声を無視して進む。なぜなら今まで一度だってそんな仇名で呼ばれたことは無いのだから。
「いえーい、ゼロっち!ハイターッチ」
バシリと後頭部を勢いよくはたかれた。突然の背面ハイタッチは難易度が高すぎる。
振りむくとそこには全く見覚えがない……というわけでもない女子生徒の姿があった。見覚えは、ある。さて誰だっけ。
背丈は平均よりもやや低め。ウェーブがかった髪を綺麗に金髪に染め上げているのが特徴的だ。化粧もばっちり決め、耳にはピアスもはめている。
青春を全力で楽しんでいる感があふれて素敵ではあるけれど、零斗はこういうタイプは苦手だった。
「や、やあ」
「こんばんは。ねぇ、ゼロっち。アタシの名前呼んでみて? 」
出会って早々、要求が重い。名前を呼べって?それがどういうことか分かっているのか。
二人の間には悲しい別れが運命づけられているようだ。
ラメに縁どられた瞳でじっと表情をうかがう少女。
「名前、覚えてないんでしょう?」
もちろん彼女のことを覚えていないわけでない。同じクラスの女の子で、たぶ授業初日からずっと隣の席で授業を受けている。3回くらいは名前を聞いた気もするが、忙しくてちゃんと聞いてなかった。
確かカタカナで横文字の名前だったよね。零斗はモヤの掛かった記憶の海に漕ぎ出してみた。
「セリーヌ、エリザベス、いや違う。ああ、そうコンスタンツじゃなくてミレディー……」
「多々良葉美希だよ。ミキティって呼んでね」
ミキティは面倒くさがる様子もなくいつも通りの自己紹介をする。
60%くらいは正解していた、と安堵する零斗。
「ああ、多々良葉さん。こんばんは。こんなところで出会うなんて奇遇だね」
「違うよー。偶々じゃなくって、アタシはゼロっちを探しに来たんだ。授業中に『生徒会』のこと調べてたでしょ。それがものすごく気になって止めに来たんだよ。さぁ、危ないからさっさと帰ろう」
彼女はいつでも元気を余らせているようで、すぐ隣で話すときでさえ迫り気味にしゃべる。小さな体が20%増しで大きく見えるほどだ。
「なぜさ。みんないい人だったよ」
「ええええっ!! もしかして生徒会室に行ってきたとか言っちゃう。やばいよ。やばやば。どうしよう。早く謝って!!! 悪いもの全部吐き出して土下座してっ!!!!」
零斗は彼女が何を騒いでいるのかちっとも理解できず、ただただ感嘆符の多さに感心していた。
「何も気にすることはないさ。すべて順調、順風満帆。明日にはすべて解決してるよ」
ミキティは零斗の危機感と無縁のしまりのない表情が気に食わないようだ。顔をじぃっと見つめ、やがて閃いたとばかり大声をあげる。
「わかった。美人だったんでしょ」
「え、美人って神様のこと? まぁそりゃぁ、美人だったけどさ」
「やっぱりね。『神様』って何? そいつが美人で諸悪の根源であることは分かったけど」
「神様は神様だよ。確か生徒会長だって言ってたけど。名前は忘れちゃった」
「ほうらね。やっぱりだ。美人に騙されて、あとはもう宗教勧誘だよ。マルチ商法だよ。美人局だよ。大丈夫?」
「大丈夫だよ。ちゃんとした契約書だった」
ミキティはこれはもう手遅れだと言いたげな不安そうな顔をして、おもむろに零斗のうなじを確認する。
「手術痕のようなものは見つからない。改造はされていないか……」
「生徒会が危険だって?多々良葉さんたら、おかしなことを言うなぁ。『生徒会は僕たち生徒たちのためにある』んだよ」
「ゼロっちは、警戒心ってモノがないんだよ。危機意識ゼロ、生存本能マイナスだよ。よく今日まで生き残れたね。ちゃんと生活のしおり読みましたか?」
「は、半分はちゃんと読んだよ」
「あーはいはい。なるほど、なるほど。ゼロっちはちゃんと入学案内を聞いてた? 聞いてないよねー。千夜学園では生徒の自治は『八大委員会』が合議制で取り仕切っているんだよ。この学園に生徒会なんて組織は存在しないんだよ!?」
「何言ってんのさ。生徒会室はあったし、会長も副会長もいたよ。あれは幽霊だったとでもいうのかい?」
「だからだよ。生徒会は冗談じゃなくてホントに危ないんだよ」
両腕を振り回す大げさなボディランゲージで。
「お土産だってちゃんともらったよ。ボールペンとメモ帳、それに紅白饅頭」
「もう二度とあそこにはいかないって約束してよ」
いきなり現れてあれこれと要求を突きつけるミキティに、零斗の眠気は限界だった。
「クラスメイトとして心配してくれるのは、嬉しいけれど……感謝はしてるよ」
「何言ってるの!私たちダチンコでしょ。お礼なんていらない」
彼女はキメ顔でそう言った。
「え、チンコ!?」
殴られた。