第1話 神様って悪いやつなんですか
藤原零斗は、入学3日目にして不可解な難題に行き当たった。
頼れる知り合いもいなかったので、仕方なく神様を頼ることにした。困ったときの神頼みである。
零斗が「神様はどこにいますか?」と尋ねると「生徒会室に行けば分かるよ」と教えられたので、今まさに生徒会室を探しているところだ。
零斗が『神様』の存在を知ったのは学内ネットワーク上の匿名交流サロンでだ。
匿名のネット住人たちは善良で、新参者でも温かく迎えてくれる。ちょっとしたコツさえ身につけていれば、これほど頼りになる情報源はない。友達に恵まれない孤独な現代人にとって最後の拠り所であることは学園の外でも内でも変わりはない。
零斗はネットの海の航海者である祖父からそれを学んだ。
気を付けるべきは悪意と悪戯心。「嘘は嘘であると見抜ける人でないと匿名掲示板を使うのは難しい」とは20世紀末、情報社会黎明期の言葉。その言葉の正しさは今もまったく変わらずだった。
匿名サロンいつも人で溢れかえっていた。それが入学式直後となると無知な新入生を弄ぼうと企てる暇人とそんな連中を秩序とマナーの名のもと叩き潰すことに喜びを見出す古参住人たちでごった返し、さながらお祭り状態だ。
嘘、大げさ、言葉足らずに勘違い。憶測、妄想、偽史、贋作に作り話。無責任に生み出され続ける言葉の奔流。そんな中で零斗が不思議とコレだと信じることができたのが『神様』の話だった。
『神様』の目撃談は多い。在校生たちは皆何となくその存在を知ってはいるのだが、きちんと説明する言葉を持たなかった。それでも情報の断片をかき集めると『神様』が願いを叶えてくれるのは間違いないようで、しかも成功率は100%なのだそうだ。何それ凄い。
どういうわけか新入生に『神様』の存在を教えることは『悪意』であると住人たちは認識しているらしい。『善意』の住人は新入生たちに『荒らし』の言うことだから無視するようにと注意を促していた。それでも零斗が「神様って悪いやつなんですか」と食いつくと、別の誰かが「悪い人ではないんだけどねぇ」という曖昧な言葉を漏らすのだった。
「生徒会室に行きたい」
《そのような施設は存在しません》
「生徒会」
《わかりません》
「せ・い・と・か・い」
《正確な名称をお答えください》
こりゃだめだ。
ID(アイデンティティ。個人用の携帯ネットワーク端末。かつての携帯電話の末裔である)を経由して学園案内AIに尋ねてみても、目当ての場所はなぜだか見つからない。
生徒会室へ向かう、たったそれだけのことが冒険になるのがこの学園だ。
学校法人私立千夜学園。かつて富士山と呼ばれた一帯をすっぽりと敷地に収める世界最大の教育機関である。
新入生だけで3万人。在校生すべてを合わせると20万だとか30万だとか。
生徒の数も狂っていれば、校舎のスケールもまた然り。
零斗が歩いている『北校舎』の廊下は、いわゆる『普通の学校の体育館』がすっぽり収まってしまうくらいの大きさで、窓もなければ飾りもなく殺風景な鼠色の壁が延々と続いていた。
中央校舎群には、東西南北そっくり同じ形をした4つの校舎がある。その一つ一つが地上30階建、大小500以上の部屋を持つ。その中からたった一つの部屋を探し出すのは骨の折れる話だ。北校舎に絞れただけでもラッキーだ。
《あんた、生徒会室に行きたいのか?》
先ほどまで愛想なく対応していたAIが突然、馴れ馴れしくタメ口で話しかけてきた。
「ええ、お願いできますか。僕はとても困っているんです」
強気に出られると機械相手でも腰が低くなるのが零斗。
《OK、ブラザー。入学早々悩み事を抱えて黄昏刻の校舎をひとりぼっちで冒険たぁご機嫌だね》
ゴキゲン?機嫌は特に良くも悪くもない。
《God Bless You》
端末の表示が切り替わり小さな名もなき部屋に赤い灯がともる。
《ガイドを開始します》
「やればできるじゃないか」
機械って奴もあてにはならないね、と零斗は有機生命体である自分を誇った。
最先端の科学技術が集められた学園ではあったけど、便利かと聞かれれば「少しだけ」と彼は答える。
校舎の壁や床はすべて金属なのか、プラスチックなのか、それとも陶器なのかさっぱりわからないツルツルとした手触りで光沢を放つ謎の素材でできていた。これひとつでも驚くべき最先端の科学技術の賜物なのだ。
この壁自体が演算装置であり、記憶装置であり、通信網であり、送電網だった。噛み砕いていうと、『校舎内にいる限り通信し放題、しかも充電不要』。たしかにね、『少し便利』かも。
零斗にとっては、巨大な鼠色のキャンバスの中に不釣り合いに収まっている小さな木製のドアのほうに心は動かされていた。ごく普通の一般家庭サイズ。近寄ってみると木彫りのプレートに白いインクで『生徒会室』と記されていた。
「なるほど、ここが生徒会室か。ちょっとシュールだね」
不気味なほどに人がいない北校舎、そして巨大な校舎に不似合いな木製のドア。直感を信じてここまで来てみたけれど、神様とやらがいてもおかしくない雰囲気を感じていた。
「まずいぞ。どうやれば神様に会えるか聞いてなかった」
生徒会室というのだから中には生徒会役員がいるはずだ。彼らに認められなければ『神様』に会うことなど叶うはずもない。一癖も二癖もある連中が得意満面の顔で、「君にその資格があるか試させてもらおう」だとか何だとか言って無理難題を吹っ掛けてくるんだ、知らないけど。
零斗はズボンのポケットからフィルムケースを取り出し、拳に握りこんだ。
ここから僕の学園生活が始まるなら、前に進むっきゃない。
「失礼します。新入生の藤原と申します。お尋ねしたいことがあり伺いました」
震える声で、扉を叩く。
千夜学園ニュースヘッドライン 4月10日「入学式無事終わる」
去る4月8日、79年度生の入学式が行われました。新一年生は31023人。史上最高・最凶と評された現3年生に匹敵する個性的な顔ぶれだとの噂です。在校生代表を務めたのは最年少で図書委員長に選任されるなど話題の事欠かない才女・十和凪子様。学園では皆さん一人一人が主人公だと自覚を持ってとエールを送りました。