ソ連とドイツの工作
※日英対立前史:
北米大陸消滅前の1940年7月27日、日本国内の五都市で憲兵隊が英国人11人を逮捕した。
軍機保護法違反の容疑である。
この取り調べ中、拘留されていたロイター通信東京支局長メルヴィル・ジェームズ・コックスが、憲兵司令部二階の窓から飛び降りて死亡した。
イギリスはこれに報復し、世界各地のイギリス帝国領内で多数の日本人を逮捕・拘束する。
結局両国で話し合い、拘留している者たちをお互い釈放する事で外交的には決着したが、日本の新聞各紙は「駐英大使を召還せよ」「英国との国交断絶だ!」などと強硬手段に出るべきという論調を張った。
反英の大衆集会も開かれた。
北米大陸消滅以前より、反英の火種が燻っていたのだ。
なおこの「コックス事件」は、陸軍等の反英過激派勢力が、ドイツの対英政策と協調し、国内の親英派の攻撃とイギリスの挑発の為に引き起こした、という見方もある。
日本は味方からの煽動工作には極めて弱いのだ。
そしてこの事件以降、外国人に対する取調べは極めて慎重になり、スパイは活動しやすくなっていた。
「日本がアジア地域からイギリスを追い出そうと考え始めた」
この情報をソ連はコミンテルンに通じる日本人から、ドイツは懇意にしている陸軍軍人から得ていた。
これらの情報は本国で検討される。
そしてソ連もドイツも同じ考えに至る。
「これを徹底的に利用してやれ」
一方で、ドイツとソ連で思惑が異なる部分もある。
ドイツは東洋において日本がイギリスと戦争し、勝ってくれる事を望んだ。
東洋なんてくれてやる。
東洋におけるイギリスの戦力が壊滅すれば、その分西洋で戦いが楽になる。
ドイツとしては中東と北アフリカを制圧出来れば、もうそれで十分だ。
これで南方生存圏は完成する。
他方、ソ連は日本とイギリスの戦争を望むが、勝って欲しいとは望んでいない。
可能なら共倒れになってくれ。
それが無理でも、出来るだけ消耗する戦争となって欲しい。
その方が後々楽である。
ドイツは日本に対し、徹底的に甘い言葉を囁き続ける。
「世界を日独で二分しよう。
ドイツはウラル山脈より西、中東やアフリカまでで良い。
日本はウラル山脈より東、アジアとオセアニアを手に入れたまえ」
日本側も乗り気になる。
「では南米はどちらのものにするのですか?」
(阿呆め、そんなとこに貴様らの手が届く筈ないだろう)
内心そう思いながらも
「南米には貴国の移民が多いそうですな。
ここは両国が共同で管理しましょう」
等と言って自尊心をくすぐった。
ソ連は、対日外交では下手に出る。
「日本が強いのは知っています。
どうか平和を守って欲しい。
中立条約がありますから、我々を敵視しないで欲しい」
という態度を見せてやる。
日本にはいまだ北進論、ソ連との戦争に備えるべしという意見が残っている。
これを可能な限り減らし、目を南方に向けさせたい。
謀略面で、ソ連は積極的に動いた。
インド人の脱出を支援し、彼等を満州に送り込む。
亜細亜主義が高まっているのだから、実際にイギリスと戦っているインド人活動家の生の声を聞かせてやれば効果的だろう。
また、日本の右翼団体の中に紛れ込んでいる隠れ共産主義者に、アジア各地で現地人を煽動するよう指示した。
曰く「日本は白人からアジアを解放し、この地に現地人の国を作るであろう」
曰く「日本は、アジアから収奪した白人の富を奪い、皆に分配するだろう」
曰く「日本は有色人種の地位を高め、白人中心の世界を終わらせるだろう」
等等。
これらは右翼思想家が実際に口にしている「理想」である。
それをさも「これから実現する」というように流布させた。
指導者の発言そのものなのだ。
実はコミンテルンに通じている者は分かった上で大袈裟に広げているが、そうでない者は心底からこれを信じて、より熱心に現地人に日本待望論を抱かせた。
(日本はこんな事出来っこない)
ソ連ではそう見ている。
日本の右翼思想家、亜細亜主義者はともかく、政府や軍部がこんな事をする訳がない。
占領して、その地に軍政を敷くであろう。
現地人は失望する。
その失望が大きければ大きい程良い。
イギリスを追い出し、日本を倒した後、その地には共産主義の衛星国が出来る。
それを狙って、あえて日本を必要以上に美化した宣伝をさせていた。
ソ連の工作は、直接日本とイギリスをどうこうしようとするものではない。
そういう露骨な手段、例えば「日本人に見せかけてイギリス人を殺害し、一方で日本にはイギリス人が横暴だったから仕方ないと宣伝し、両者の対立を煽る」なんて事はしない。
そんな直接的な事をしたら、日英どちらかには察知され、かえってソ連を敵として結束させてしまう可能性がある。
故にソ連は、日本の自滅を誘うやり方をする。
下手に出るのも、アジア各地で日本待望論を煽るのも、全て日本を増長させる為だ。
そうすれば、驕った日本人は必ず何かを仕出かす。
日本人が自ら行った事なれば、イギリスももう和解しようとすまい。
戦争となるだろう。
「信じられる嘘とは、完全に嘘で固めたものではない。
7割の真実の中に、3割程虚偽の情報を紛れ込ませるものだ」
宣伝戦はこのように行う。
ソ連は、シンパの科学者を使った工作にも余念がない。
「欧州に氷河期が到来する事は事実だ。
しかし、東亜が熱帯化する事は嘘である。
チャーチルが日本を巻き込む為に、そう言っているに過ぎない。
実際にはちょっと温かくなるだけで、かえって住みよくなる。
昭和十五年から三年程の異常気象は、北米大陸消滅に伴う反動のようなものだ。
昭和十八年の冬は寒かった。
これは即ち、熱帯化が嘘である事の証明である。
確かに温かくなるし、夏は暑いのだが、冬は寒いし大きな問題ではない。
チャーチルに騙されるな!
彼は日本を味方に引き込み、やがて手下にするつもりで詐術を仕掛けて来たのだ!」
これとて、ソ連のシナリオだけで作られたものではない。
実際に日本人の学者の中には
「去年は寒かったのだから、熱帯化は間違った計算ではないか」
と唱える者もいる。
また、異常気象そのものを「北米大陸消滅に伴う反動で、長くは続かない」という意見がドイツを中心に存在し、ドイツ人の哲学を崇拝する日本の文系の学者たちが
「大袈裟に騒ぐような事ではない。
アジアの熱帯化は世紀の大嘘だ」
なんて言っている。
……ドイツのは、ヒトラーが国民を動揺させないよう言わせているものなのだが。
「ドイツではこう言っている」
というのが拡散し、途端に「東亜熱帯化はイギリスによるデマ」という陰謀論が語られ始めた。
陰謀論はもっともだから拡散するのではない。
そう信じたいから拡散する。
そして、「これを知っている自分は、知らない者より賢い」と、自分を上位に置きたい心理も働く。
ドイツ哲学に詳しい者は、高学歴の者が多い。
浮世離れしてるような、哲学かぶれの学生、書生から拡がり出し、やがて新聞を読んで政府を叩きたい者たちがこの陰謀論を語るようになる。
日本は、日比谷焼き討ちといい、大正の米騒動といい、昭和金融恐慌時の取り付け騒ぎといい、こういった事に極めて脆い。
あっという間に不穏な空気が醸成されてしまう。
「そもそも東亜熱帯化なんて、誰も言っていないぞ!」
理系の研究者たちはデマを打ち消そうと必死になる。
彼等は平均気温の上昇と、それに伴う異常気象について話をした。
誰も熱帯雨林を思わせるような「熱帯」という言葉は使っていない。
しかし、言ったもの勝ちである。
一般には「平均気温5度上昇」と言ったってピンと来ない。
「日本が熱帯になる」と言えば、センセーショナルに捉えられる。
このインパクトが大きかっただけに
「去年の冬は寒かった。
だから、東亜熱帯化は大嘘だ」
と言ってしまえば、春から秋までの間に続く風水害があるにも関わらず
「チャーチルに騙されたのだ!」
と極端から極端に振れてしまった。
理系の発信力の弱さが出た感じである。
こうなると、イギリスの発表を元に気候変動に対応しつつ、日本の経済をどうにかしようとする「経済派」は「イギリスの詐欺の片棒を担ぐ存在」と看做されるようになる。
元々彼等は、恐慌時に資本集中させて強くなった財閥・財界寄りである。
嫌われる要素はあった。
その上で「チャーチルの手先」等とレッテルを貼られてしまうと、一気に風当たりが強くなる。
「百歩譲って、異常気象が計算間違いだとしよう。
だが、北米大陸消滅は事実であり、アメリカ合衆国からくず鉄も石油も買えなくなった事実に変わりはない」
いくらそう言っても、一回「あいつらは詐欺師だ」と噂を立てられたら、出す数字すら「でっち上げたものだろ」と言われるようになる。
ソ連の思惑を超えて、日本は混乱をし始めた。
ソ連は単に日英の離間策で、「実はチャーチルが言った事は間違いじゃないのか」とシンパを誘導しただけなのに、いつの間にか「気候変動は嘘だ!」に変わってしまった。
まあそれならそれで良いか、とソ連は傍観の姿勢である。
日本では、五・二六事件以降「売国奴には天誅だ」という暗殺時代が再来した。
経済派官僚の中には、実際に暴漢に襲われる者も出てしまう。
「田中君、君はしばらく朝鮮半島に行ってくれないか?」
田中角栄の後ろ盾である理研コンツェルン総帥・大河内正敏がそう言った。
田中角栄を暗殺が渦巻く日本から逃がしたいという思いもある。
それとピストンリングを作る理化学興業の工場を、実際に朝鮮の大田に作る計画もあった為、使える駒である田中角栄に任せたい。
田中角栄は機を見るに敏で、かつ人間の感情の機微を読み取る達人である。
松岡成十郎と協力して日本の危機に対処するつもりであったが、同時に自分が危険な状態に置かれている事も大河内の態度から察した。
後ろ髪を引かれる思いではあるが、この配慮を無碍には出来ない。
「きっとこっちの方からも日本の為の事も出来るだろう」
田中は大河内の指示を承諾し、日本を離れる事にした。
松岡成十郎は有能な片手を失ってしまった。
ソ連の陰謀能力は高いが、決して全知全能ではない。
今回の工作では、思惑を超えてしまう事がしばしば起きている。
オランダの態度もその一つである。
本国をドイツに占領されているオランダにとって、インドネシアは最後の砦となる。
危機感が大きい。
そこに、かつての中国で暴れた大陸浪人のような者たちが、日本で言う蘭印解放を叫んで各地で人民を煽っている。
当のインドネシアの諸民族は、全く団結する気が無いし、日本人の煽動家を胡散臭い目で見ているのだが、オランダ東インド植民地政府が過剰反応する。
そういった者たちを捕縛し、強制送還する為に収監する。
そして日蘭商会を通じ、日本に対し猛烈な抗議をした。
ここまでなら良い。
だが、この地を支配するオランダ人が問題を起こした。
彼等はインドネシアで圧政を敷き、オランダ人の行く所、現地人には通過するまで土下座を命じ、頭を上げさせなかった。
こんな逸話もある。
「ある水田地帯のため池に毒薬を流し、その水を飲んだ多数の水牛を死なせる。
そして伝染病の発生の恐れがあると言って農民を立ち退かせ、その一帯を接収する。
そしてそこをサトウキビ畑に変えてプランテーションとした」
こういう人たちが、同じ有色人種の日本人、それも捕縛された罪人同様の者に対して傲慢で残忍な態度を取らない筈がない。
ただでさえ敵愾心が高まっていた時期である。
インドネシアの現地人の前で、強制送還すれば済んだ筈の者を引き出し、見せしめの拷問を行ってみせた。
これに日本の朝野が激高。
抗議されていた筈が、逆にオランダの非を鳴らす。
すると、遠いインドネシアの事がちゃんと伝わっていないオランダ亡命政府が、日本が何も反省していないと反発する。
急速に日蘭の関係が悪化していく。
そしてチャーチルもスターリンも全く予想していなかった、オランダがきっかけでの戦争が勃発した。
おまけ:
この時期、田中角栄という若造の価値を認めていたのは松岡成十郎と大河内正敏くらいだったろう。
田中は人と金を動かす力、権力とも言う、と人脈があれば無類の力を発揮する。
それが大きい程、「多多ますます弁ず」というものだ。
逆にそれから引き離されれば、田中はその才能をまず一から資金集めと人脈形成の方に使わざるを得ない。
高等小学校卒としては凄まじい行動力と魅力を持つが、それでだけで国を動かす事は出来ない。
規格外の人物ではあっても、決してバランスブレイカーとかチートではないのだ。
商工省の仕事と距離を置かざるを得なくなり、日本国内に逆風が吹く中、唯一の後援者である理研の依頼で日本から離れた事により、今後日本の針路に関わる事は無くなるのであった。