イギリスのアジア戦略見直し
復習:
アメリカ合衆国海軍は、1922年に太平洋艦隊と大西洋艦隊を統合し、一個の合衆国艦隊となった。
1940年当時
・戦闘艦隊(太平洋方面)
・偵察艦隊(大西洋方面)
・潜水艦隊
となっていて、偵察艦隊には戦艦が1隻も配備されていない時期もあったりした。
この合衆国艦隊の他、フィリピン・グアム方面を担当するアジア艦隊が独立部隊として存在していた。
1940年5月、ジェームズ・リチャードソン大将率いる戦闘艦隊は、ハワイ沖で大規模な演習を行った後、ルーズベルト大統領から
「そのままハワイを本拠地とせよ」
という命令を受け、本国・サンディエゴ軍港へ帰還せずにそこに留まった。
リチャードソン大将はこれに反対だった。
だが、1940年9月に北米大陸が消滅し、合衆国戦闘艦隊は戦力を維持したままこちらの世界に取り残された。
イギリスは日本の変化に気づいている。
情報戦にかけてはドイツやソ連の一枚上手なのがイギリスである。
ソ連シンパによる反英感情の高まりは兎も角、陸軍若手将校へのドイツ軍からの働き掛けに気づかないイギリス情報部ではない。
イギリスは現実主義者である。
「どうしてこうなった?」
と迷うより、日本が反英の方に動いていると知るや、次善の戦略に切り替えてしまう。
日本ではない東洋におけるイギリスの利権の守護者、それに選ばれたのがフィリピンの新合衆国であった。
新合衆国の領土はフィリピン、ハワイ、キューバ、そしてアリューシャン列島と、かつてのアメリカ合衆国に比べて遥かに狭い。
人口も少なく、生産力も経済力も全く無い。
だが、ハワイ・パールハーバーにかつての合衆国戦闘艦隊がそのまま残っている。
国力に合わない、極めて過大な戦備であり、正直持て余してもいる。
だが今のイギリスにはこれが好都合だ。
旧太平洋海域はイギリスからは遠い。
精々インド洋とシンガポールを守る戦力を送るのが精一杯だ。
大体、東洋にイギリスの大艦隊をそのまま収容可能な海軍拠点は無い。
故にハワイの旧アメリカ艦隊を、強大な日本海軍連合艦隊にぶつければ良い。
実際にぶつからずとも、牽制に使えたらそれで十分だ。
イギリスは、駐日大使館を通じて政府の態度が変わっていくのを確認し、新聞報道その他を分析して、日本のドイツ側での宣戦布告の可能性が上昇する度、頻繁に新合衆国の事実上の指導者ダグラス・マッカーサー元帥との連携を深めていく。
基本見栄っ張りで、国力に合わない合衆国戦闘艦隊をそのまま維持したいマッカーサーなので、資金援助と石油が得られる事は歓迎すべき事であった。
また、イギリスは蔣介石とも再接触を始める。
チャーチルの中国人に対する評価は極めて低いが、現実主義者のイギリス人が「敵の敵は味方」という初歩的な事を無視するわけがない。
日本に開戦の口実を与えない為に、もしも日本が敵対的行動を取った場合という条件をつけたが、援蔣ルートが再開されようとしていた。
イギリスは、自国内にいるオランダ亡命政府とも協議を行い、蘭印、つまりインドネシアにいるオランダ軍の増強にも手を貸した。
オランダは本国が氷河期の影響で、全人口を支えるだけの農業生産が出来なくなる。
よってイギリス同様に国民を疎開させたい。
ドイツとの戦争で、潜水艦がうろつく中、ドイツ占領下の本国から多数の国民を脱出させる事は不可能に近い。
それでも今後の事を考えると、インドネシアまで失う事はオランダの死を意味する。
危険を省みず、多くのオランダ軍が南方作戦で手薄になったドイツ軍の目を盗んでイギリスに渡り、インドネシア防衛に向かった。
オランダ亡命政府も、イギリスを全面的に信用なんかしていない。
特に、ヨーロッパの本国奪還をしないのではないか、と疑っている。
イギリスは食糧確保と自国民の安全を最優先にしている。
イタリアやスペイン・ポルトガルの支援は、その目途が立って以降の余事に過ぎない。
もしも本国奪還について、「あんな寒いとこは知らん」と捨てられた場合、オランダにはインドネシアしか救いが無いのだ。
オランダ人たちは、自国の船や様々な国の船をチャーターし、インドネシアに向かう。
太平洋は消滅した訳ではない。
南米大陸を挟んで西側の南太平洋という海は存在している。
そこにイギリス連邦の重要国オーストラリアとニュージーランドがある。
イギリスは陸軍の招集を図ると共に、艦艇を譲渡し始めた。
ドイツの海軍力は、最早潜水艦以外脅威ではない。
だが日本の洋上戦力は脅威である。
日本と直接戦って貰うのはオーストラリアとニュージーランドなので、ここの戦力を増強しておく必要がある。
日本が観念論的反英を行う間に、イギリスは現実的な対策をし始めていた。
この辺、気候変動を察知して真っ先に行動を始めた事と通じる。
その時も極めて自国優先、植民地が飢えようが知った事ではない、という態度であった。
現実主義は徹底していた。
その現実主義が日本の戦力を分析する。
「正直に言います。
現在東洋に派遣可能な戦力と、ハワイの旧アメリカ艦隊を糾合しても、日本海軍に勝てるかどうかは五分五分と言ったところです」
第一海軍卿の発言に、チャーチルは黙ったままだ。
何となく想像はつく。
旧アメリカ艦隊は、数は多いが国力の都合で更新が出来ていない。
ポスト・ユトランド海戦型戦艦が主力である。
ワシントン海軍軍縮条約明けに建造されていた新戦艦や空母は、北米大陸と共に消滅した。
旧式艦で戦わざるを得ない。
そしてイギリスも、確かにドイツ海軍はもう怖くないが、だからと言って本国や地中海をがら空きにはさせられない。
そしてイギリスとてワシントン条約の枠内で建造された16インチ砲戦艦「ネルソン」「ロドネー」と、新型戦艦という割には打撃力に疑問が残る「キング・ジョージ5世」級戦艦くらいしか日本に対する有効な牽制にはならない。
第一次世界大戦型の旧式戦艦を近代改装しているが、快速の日本艦隊相手に勝てるかどうか。
「それで、日本軍にはどのように対処する?」
戦力に問題があるのは理解出来た。
それで、その後はどうすれば良いのか。
「日本の最大の問題は、石油が無い事です。
艦隊は拠点に置いて防御を固めます。
そしてドイツ軍が我々にやっているように、潜水艦を使った通商破壊を行います。
特にタンカーを多く狙えば、日本は干上がります。
艦隊は存在させておくだけで良いでしょう。
それだけで日本に対し圧力となります」
「彼等が攻撃を仕掛けて来る可能性は?」
「あります。
シンガポールを攻めるでしょう。
ハワイは、距離的に考えられません。
ですからアメリカ艦隊、もとい新合衆国艦隊には軍港で圧力をかけて貰います。
攻めて来る可能性がある新合衆国艦隊に日本海軍も戦力を割かざるを得ず、自然とシンガポールを攻める戦力は減る事でしょう。
これであれば、東洋最強の要塞であるシンガポールは落ちません。
要塞と艦隊と連携して戦えば、日本海軍が石油を使い切るまで持ちこたえられます」
もっともな回答であった。
チャーチルもこれを是とする。
その上で彼は聞いた。
「『キング・ジョージ5世』級を何隻シンガポールに送れる?」
「2隻は可能です。
『キング・ジョージ5世』は本国艦隊旗艦ですから外せません。
現在『プリンス・オブ・ウェールズ』『アンソン』『ハウ』が本国艦隊所属。
『デューク・オブ・ヨーク』が地中海艦隊所属です。
諜報によると、ドイツ艦隊の大型洋上艦は既に主砲が外され、要塞砲に転用されたりしています。
脅威なのは潜水艦のみ。
本国艦隊の戦艦は明らかに過剰ですので、ここから2隻抽出可能です」
「機動力から、日本海軍で怖いのは、『コンゴー』級巡洋戦艦と聞くが」
「左様です。
打撃力が高い『ナガト』級16インチ砲戦艦はハワイの新合衆国艦隊に請け負って貰う以上、28ノット以上を出せる『コンゴー』級4隻から成る戦隊が一番の脅威でしょう」
「ではこちらも巡洋戦艦をつけよう。
候補となるのは何かね?」
「『フッド』『レパルス』『レナウン』となります」
「『フッド』は連合王国の誇りだ。
出す事はやめよう。
『レパルス』『レナウン』で合計4隻。
これなら問題無いな」
「しかし首相。
余りに過剰な戦力ではありませんか?
この他にセイロン島には旧式戦艦の部隊もいますが」
「君は日本と戦いたいのか?」
「命令と有らばいつでも戦います」
「そうじゃない。
あえて敵対したいと思っているか?」
「いいえ、卿」
「ならば、過剰なくらいの戦力の方が、戦わずに勝てよう。
ハワイとシンガポールに彼等に倍する兵力があれば、戦う気など起こすまい。
インドで忙しいのに、更に遠い東洋で戦争なんて必要がなければしたくも無い」
「おっしゃる通りです、卿」
「しかし、一体どうして日本は我が国を敵視し始めたのか?
ドイツの煽動だというのは分かるが、我々はちゃんと資源を売ってやったではないか」
やる事をし、打てる布石は全部終えてから、やっと理由について疑問を口にした。
やる事をやっていないと手遅れになるが、理由は後から調べても問題無い、という常識的な考え方による。
「さて、自分は存じません」
第一海軍卿はそこまで知った事ではない。
彼は、大西洋、地中海、インド洋の安全確保が仕事であり、そこに太平洋方面も加わるとなれば、現在の保有戦力で上手くやり繰りする事に頭を使っている。
次にチャーチルと打ち合わせをした陸軍関係者も同様であった。
シンガポールへの増援派遣と、ブルネイの防衛力強化。
日本が戦争を起こすとなれば、真っ先に資源の確保に動く。
セリア油田を持つブルネイと天然ゴムの林を持つマレー半島へは侵攻が予測された。
ここを守り切れば、日本はやがて立ち枯れるだろう。
その次の外務大臣とは、多少日本の謎の敵視行動について会話が出来た。
日本政府に対して打っていた布石、マツオカという官僚との情報交換で
「資源も商工業も考えない国粋主義と、アジアから白人を追い出そうとするブロック化を狙っているようです」
「ブロック経済か。
なるほど。
1929年の時は日本を排除したからなあ。
それで連中は満州や中国に経済圏を作ろうとした。
その後、状況が変わったから我々の経済圏に入れてやろうと思ったが、
どうやら我々の風下に立つのは嫌なようだな」
「こうも聞いています。
我々との協調を、財界や産業界では望んでいる。
しかし、その彼等は日本において嫌われものである、と」
「フフフ」
チャーチルは笑う。
資本家が労働者たちから嫌われるのは当たり前の事だ。
下層階級は基本的に不満しか言わないものである。
代わりに上流階級が課せられる義務や責任も負わされる事はない。
日本はその辺りをよく分かっていないようだ。
抑え込めないとは情けない。
だが、そうであれば納得も出来る。
チャーチルは、ギリギリまでオランダには対日宣戦布告をしないよう、外務省を通じて申し入れるようにした。
海軍戦略的に、新合衆国とは提携して日本を抑え込みたい。
その一方で、マレーやブルネイを狙う時、オランダ領インドネシアが中立であれば、日本の侵攻において障害となる。
オランダには、石油禁輸は依頼するが、戦時はあえて中立を守る事で日本の行動に枷を嵌めて貰おう。
これらの布石は、日本が本格的に反英に動いた時にカウンターで発動する。
それまでは、外交ルートを通じて日本の暴発を防ごう。
オセアニア地域への国民避難を進めている今、出来れば東方で事を起こしたくはない。
このようにチャーチルは合理的に判断して、なすべき事をした。
本来それは正しい事である。
だが、この時期の日本というものの分析は、やはり足りていなかった。
彼等はチャーチルの常識を大いに外れる行動をし始める。
おまけ:史実でも自分の小説でも、戦前日本はあっちこっちバラバラに物を考えているので、
それを追っかけると話があちこち飛んで落ち着きなくなっています。
一方イギリスは、決めたらやる事が一つなので、決める過程さえ描けたら大体一本道。
書いてても分かりやすいな、と思います。
多分、シンプルな方が強い!
(日本は書いてて、始める時もなあなあで始まり、終わらせる時は誰が主導権を握っているかよく分からず、作者自身が迷走せざるを得なくなってます)