ドイツの継戦能力という判断材料
(再掲)ドイツの主な河川(現ドイツなのでオーストリアやズデーテン地方も含む)
1.ドナウ川:流入先は黒海 流域の都市としてウィーン、ブダペストがある
2.ライン川:流入先は北海 流域の都市としてストラスブール、カールスルーエ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、デュースブルク、ロッテルダムがある
3.エルベ川:流入先は北海 流域の都市としてプラハ、ドレスデン、マクデブルク、ハンブルクがある
4.オーデル川:流入先はバルト海 流域の都市としてアイゼンヒュッテンシュタット、フランクフルトがある
国際情勢は混沌としている。
何が起こるか分からない。
陸軍には、総力戦研究所とは違う秋丸機関というシンクタンクがあった。
「仮想敵国の経済戦力を詳細に分析して最弱点を把握」
「同様に同盟国の経済戦力も分析して最弱点を把握」
「これを踏まえて日本の経済戦力の持久度を見極める」
というもので、北米大陸消滅前には
「対ソ戦が二ヶ月くらいの短期戦で終了し、直ちにソ連の生産力が利用可能となればドイツは世界に覇を唱えられる。
一方、長期戦になれば1942年より次第に経済力は低下していく」
という研究結果を出していた。
だがアメリカ合衆国、いや北米大陸消滅と大規模な気候変動が起こっている今、前提は覆っている。
陸軍は戦略を立て直す必要に迫られていた。
秋丸機関は、一番の鍵となるドイツの経済戦力を再調査する。
他の研究機関には出来ない、駐在武官派遣というやり方で同盟国ドイツの経済を徹底的に調べ上げる。
故に他の研究機関に対し、質と量で圧倒的なドイツ情報を持っていた。
「ドイツ側に立って、対英宣戦布告をしたなら、日本は勝てるのか?」
これが研究テーマである。
「イギリス側に立って、対独宣戦布告をした場合」
についても研究する。
その結果、このような分析結果を出した。
日本が積極的にドイツ側に立って参戦し、インド洋から中東地域までを協力して支配下に置き、あとはドイツに頑張ってスエズ運河と地中海を抑えて貰えれば、今次大戦はドイツがイギリスに勝利する。
逆にイギリス側に立って参戦、もしくは中立を守れば、ドイツ海軍にインド洋まで抑えられる戦力は無いし、ドイツはジリ貧でイギリスに敗北となる。
日本が大戦の勝敗における鍵を握っている、であった。
この論は陸軍のあらゆる者たちを喜ばせた。
「日本が鍵を握っている。
だからこそ今後の世界を見据えた上で行動すべきだ」
「日本次第でドイツが勝つ。
だからこそ積極的にドイツに味方して、共に世界を支配しよう」
「日本次第でイギリスが勝つ。
恩を売って、今後の資源獲得上有利にしよう」
「日本が鍵を握っている。
ギリギリまでドイツとイギリスを焦らし、もっとも良い条件を提示した側に味方しよう」
「日本次第ではないか。
だったら上手くやって日本が世界に覇を唱えよう」
どの考えにも適用出来る。
だが、秋丸機関も流石に優秀な人材の集合である。
北米大陸消滅以後は、もっと大きな問題が起こるのではないか、と予測した。
これには先んじてイギリスが気象変動について疑い、対策しているという情報が岸信介からもたらされた事も関係している。
総力戦研究所の松岡成十郎がイギリスに目をつけられ、様々な情報を与えられている。
その松岡の上司が岸である。
岸が現在は大臣を勤める商工省からも、秋丸機関への出向者は居る。
こういう経路で、イギリスが疑う「氷河期到来」が、チャーチル発表以前から秋丸機関にも伝わっていた。
故に1941年より、駐独日本大使館付駐在武官という立場で、秋丸機関の調査員が派遣されている。
英独再戦となった今、その調査員得たは情報を報告してもらうべく、帰国命令が出ていた。
そんな時期、赴任から約2年少々かかってドイツ最大の問題事項を見つけてしまう。
それは、やはりドイツまで来て、数年過ごさねば気付かなかっただろう。
ドイツの生命線、ライン川が凍結するようになったのだ。
ライン川流域には、ドイツの工業地帯が存在する。
ドイツ最大の重工業地帯・ルール工業地帯もこの流域に在る。
ライン川は河口から上流のシャフハウゼンまで、水量も多い上に滝が全く無い事から、そこまでの全域で船舶の航行が可能であった。
河口のロッテルダム港やアムステルダム港、アントワープ港で陸揚げされ、あるいは内陸から港湾に運ばれる河川輸送がドイツの流通において重要であった。
そのライン川が冬季に凍結し出した。
水量が多く、河川全体が凍る事は無いが、表面や港湾は氷に閉ざされ船舶の運航に支障が出始めていた。
現在はまだ、船底が傷つくのを覚悟で、強引に進めば何とかなる。
だが1942年の冬から春にかけてより、1943年の方が結氷期間は長く、損傷する船も増えている。
ドイツの重要河川にはライン川の他にエルベ川も在るが、これも凍結する。
こちらは以前から河口付近が結氷する事もあったのだが、上流まで氷が張るのは異常だ。
エルベ川流域にはドレスデンが在り、やはりドイツ経済を支えている。
「ドイツの経済戦力は、氷によって壊滅する」
これが秋丸機関の派遣調査員が出した結論であった。
だが、これは電信等をつかって日本本国に伝えられるものではない。
同盟国とはいえ、ドイツからドイツの欠点を電話や電報で送れば、盗聴している秘密警察に踏み込まれる恐れがある。
それに駐独日本大使館にはドイツシンパが多い。
迂闊な事は、大使館内でも口に出来ない。
それに、もう少し長く調査してから報告する予定でもあった。
たった2年ちょっとの調査では確実にそうだと言い切れない。
夏は解氷して河川輸送も復活するわけだし。
しかし帰国命令が出たし、これ以上の調査もしづらい。
日本はドイツ・イギリス両方と同盟を結んでいる。
そんな日本人が、河川を眺めて船の動向を観察しているのを、平時ならともかく戦時は好まれないだろう。
今までに分かった事を、何としても伝えなければならない。
焦りもあったのだろう。
彼はすぐに旅の手配をし、ヨーロッパを離れた。
鉄道を乗り継ぎ、ドイツ勢力圏を突っ切ってギリシャに、そこからトルコに渡る。
そこからイギリスの船をチャーターし、シンガポールに向かった。
ここで行き違いが発生する。
少し待っていれば、日本政府が避難船を派遣するという連絡を聞けたのだ。
派遣されるのは軽巡洋艦で、日本を発したばかりだから到着まで時間は掛かる。
だが、堂々と掲げられた旭日旗を攻撃する蛮勇は、ドイツにもイギリスにも無い。
まして相手は軍艦なのだし。
彼がもっと手続きに手間取り、1日ベルリンに居たなら、この報を受けて安全に帰国出来ただろう。
しかし早くヨーロッパを離れなければという焦りから、乗り継ぎが多いながらもドイツ勢力圏を行ける鉄道移動を選択し、早々と手続きを終えてベルリンから離れてしまったのが災いした。
電報を使って引き返すように連絡するが、南欧はドイツ勢力圏とは言え戦地、軍事以外の電報はやや遅れてしまい、ついに届かなかった。
そして、その調査員を乗せた船が、定刻にシンガポールに着かない。
インド洋で発生したサイクロンによって消息を絶っていた。
「例の陸軍の研究機関の人ね、発見されたそうですヨ」
岸大臣が松岡次官に話す。
松岡はその武官がドイツからの帰国途中、インド洋でサイクロンに遭って消息不明となったと聞いている。
「あまり良い情報では無さそうですね。
船が難破してたんですか?」
「そのようですネ。
イギリスの哨戒機が発見したそうです」
チャーター船はサイクロンにぶつかり、機関と電気系統が故障し、漂流していた。
「アンダマン諸島北センチネル島に漂着していたところを発見されたそうです」
「島に?
それは良かったです。
では命は助かったのですよね?」
岸はかぶりを振る。
「殺されていました」
「は?」
「ちょっと聞いたところ、北センチネル島には凶暴な土人が住んでいるそうです。
船が難破し、島に着き、乗員乗客全てで水を探したり無線を修理していたのですが、
夜に奇襲を受けて多くの者が殺された、と生き残った者が言っていたそうです」
岸の声も沈んでいる。
「なんと……」
松岡も言葉が無い。
しばし二人は沈黙でいる。
そして松岡は、とある事に思い当たって質問する。
「その何とか島の住人はどうなりましたか?」
岸はつまらん事聞くな、という表情で
「皆殺しにされている頃だと思いますヨ。
あの自国民を殺されたら戦争を起こす国が、そんな野蛮人を見逃すわけありません。
インドにいる部隊を報復の為に派遣した、と言ってました。
貴国の者の仇は打ってやる、なんて言ってましたネ」
かくして北センチネル島の貴重な先住民たちは、近代兵器の前に全滅し、地球上から姿を消す。
イギリスにはこういう怖さがある。
自分たちのルールに従わない蛮族には容赦をしないのだ。
(経済だけでなく、とても油断がならない人たちだ)
松岡はこの一件からもイギリスを警戒する。
「ま、我々と無関係の遠い島の土人がどうなろうと、知った事じゃありません。
御前会議前の関係者会合が有りますからネ」
「分かりました。
資料を纏めておきます」
「何言ってるんですか?
君も出席するんですヨ」
松岡は目の前がクラクラした。
一事務次官に過ぎない自分が、そんな重要な会議に出席しろと?
「君は既にそういう場に顔を出さなければならない立場なのですヨ」
岸はそう言う。
言われてみればそうかもしれない。
松岡は商工省事務次官という日本の資源調達に関わる職務と、異常気象対策研究会の幹事という職を兼務していた。
どちらも日本の行く末を決める上で重要である。
彼は好むと好まざるとに関わらず、情報提供者として会議に出席しなければならなかった。
「岸さん、その北なんとか島の件ですが……」
「あんな島どうでも良いでしょ?」
「はい、島はどうでも良いのです。
そこで殺された駐在武官は、何か情報を残していなかったのですかね?」
「無いですネ。
いや、有ったとしても日本に届く可能性は低いですヨ。
重要な情報なら、発見したイギリスが持っていったでしょう。
我々だってそうします。
遺品は後で送ると言っていますが、大したものは届かないでしょう。
それがどうかしました?」
「いえ、そこまで焦って帰国しようとした裏には、何か重要な事情が有ったのではないかと思いまして。
もしかしたら日本の行く末に関わる重大な情報を、電信とかでは傍受されるから、直接伝えようとしていたとか」
「ふむ。
確かにその可能性は有ります。
この会議は本来、その彼が戻って来た後で開かれる予定でした。
どうしてもそうして欲しいと、駐在武官の方が申し出ていたそうです。
ですが、もうそれを言っても始まりません。
今ある情報だけで判断するしかないですネ」
岸の言う事はもっともである。
どうもがいても死んだ人間は帰って来ない。
あの世に持っていった情報は伝わらない。
確か、トーマス・エジソンという発明家が霊界と通信出来る装置を開発したとか何とか聞いたが、そのアメリカ合衆国自体がどっかに消えてしまった。
青森の恐山に行って、口寄せして貰う程松岡のオカルト的は無い。
(なにか、極めて重要な情報が欠落したまま、日本の行く末を決めねばならない。
そんな恐怖がする)
それでも関係者会合は開かれるのであった。
お疲れ様でした。
久々の1日3話更新、疲れました。
次は19日17時にアップします。