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五・二六事件の悪夢

第60話「分岐点」の要約:

昭和十九年(1944年)5月27日に海軍記念日の式典が行われる。

この直前には、折角これまで維持して来た戦艦を削減しようと目論む山本五十六連合艦隊司令長官及び、井上成美海軍兵学校校長は、確実に任地に居る。

そしてこの式典の為に海軍軍人が大挙移動しても不審に思う者は居ない。

「決行は5月26日早朝!」

「我々の行動の成果自体はどうでも良い。

 決起する事自体に意味がある。

 山本と井上、その二人を始末すれば良い。

 仮に失敗しても、将校に命を狙われる者が顕職に居られようか!

 どの道奴等は職を解かれる。

 その後は、伏見宮殿下がどうにかしてくれる」

決起部隊は動き始めた。


この時、ある者が同じ海軍左派の米内光政をも暗殺しようと考えた。

彼は広島に向かう為、東京の在住の米内を殺しに行く事は出来ない。

そこで馴染みの陸軍軍人に米内暗殺を依頼する。


だが彼は人選を誤った。

確かにこの軍人は亜細亜主義の秩序派軍人である。

しかし、同窓の仲が極めて良い盛岡中学校卒業生で、米内の後輩に当たった。

悩んだこの軍人は、米内を助けるべく上司である辻政信を訪ねたのであった。

(思い悩む事は無い。

 吾輩らしく行動あるのみだ!)


 辻政信は件の盛岡中学校出身の士官を連れて走り出す。

 向かった先は陸軍参謀本部。

 この者を紹介し、米内光政の安全を守るよう手を打つ。

「そうか。

 では、暴発するという海軍にはどうする?」

 その質問に辻は

「まだ事を起こしてもいないのに、出来る事は何も無いだろう。

 注意を喚起しておけばよい」

 そう答える。


 嘘である。


 彼はそういって陸軍首脳部を安心させると、帰宅すると見せかけて東京駅に行った。

「軍の用である。

 広島までの切符を手配せよ」

 そして広島に着くと、独断で兵を動かし始めた。

(これで海軍にまた貸しを作れるな)


 だが遅かった。

 電話一本入れていれば間に合ったのだが、辻はわざわざ来てしまった。

 そして権限も無いのに、大演説を打って兵を動かそうとする。

 当然だが越権行為なので、揉める。

 最終的に、参謀本部の肩書に負けた部隊が辻によって動かされた。

 その間に、決起部隊は動き出す。

 彼等は地上に手配された山本五十六と井上成美の宿舎を襲撃する。

 2人の知将の命は、決起部隊の銃弾で奪われた。

 その直後に辻の部隊がやって来る。

「鎮圧せよ!」

 派手に攻める。

 陸軍と海軍の争いに発展する。


 その為、どんなに情報統制をしようとしても呉騒動は世間に広まってしまった。


【海軍若手将校、山本大将、井上中将を襲撃ス】

【伝統有ル艦隊ノ灯ハ消サジ、国ヲ憂フ一念】

【辻中佐ノ陸軍部隊、之ヲ鎮圧】


 連合艦隊司令長官が海軍記念日の式典前に暗殺される。

 これだけでも大恥なのに、それを陸軍が鎮圧した。

 そしてそれが世間に大々的に広まってしまった。


「吾輩とした事がしくじったな」

「しくじったな、で済むか、馬鹿者が!

 何を派手にやってくれたんだ!」

「いや、颯爽と現れて彼等を鎮め、海軍に恩を売るつもりだったのだが」

「逆効果だ。

 海軍は恥を晒すきっかけとなり、怒り狂っているぞ」


 怒り狂っていたのは天皇もである。

 一体何回目か!

 陸軍も海軍も何をやっておるのか!

 天皇の怒りに触れた海軍は、陸軍に対して逆恨みを始める。

 更に、この恥を雪ぐべく功績を挙げる事を考え出した。

 陸海軍の対立が再度始まる。




 五・二六事件は新たな暗殺時代の幕開けとなった。

 特にかつて血盟団の指導者であった井上日召が張り切り出す。

 彼は昭和十五年(1940年)に要人暗殺の罪で無期懲役だったものから特赦を受けて釈放され、その後は近衛文麿の元に寄宿していた。

 近衛は、この危険人物を自分のスタッフとして飼っていたのだ。

 近衛の権勢がある内は、官憲も手を出せなかった。

 その近衛も失脚している。

 だが、アメリカ合衆国消滅に伴う国際情勢の変化に伴い、今の井上日召は近衛の庇護無しでも多数の同調者に守られ、危険は無い。

 井上日召、大川周明、そして石原莞爾の思想信奉者には軍人が多い。

 その軍人たちが、五・二六事件を「壮挙」として捉え、俄然「殺る気」を出し始めた。

 大川、石原は本人たちがそこまで過激な行動には賛成していない。

 大川は君側の奸を除く事には賛成なのだが、軍部内で余り派手にやって欲しくはない。

 彼の思想通りに亜細亜主義を実現してくれれば良い。

 石原に至っては、軍人としての立ち位置は統制派に近い。

 皇道派ではない。

 天皇が「皇道派、天皇親政を望む者」を嫌っている事も知っている。

 石原は過激化する前兆を見て、さっさと郷里・山形県鶴岡市に去ってしまった。

 郷里で「改訂版世界最終戦争論」の執筆でもしようか。


 陸海軍問わず、若手将校たちは亜細亜主義、白人追放を掲げ、上官の元に集団で押しかけては自分たちの主張を訴える。

 聞かねば殺すという脅迫すらしていた。

 統制派の首領・東条英機ですら制御不能な状態に陥っている。

 最も陸海軍上層部とて軍人である。

 脅迫に屈する事も無い。

 脅迫を跳ね除ける骨のある者も居た。

 そして……血が流される。


 かつて政府が海軍の艦隊配備計画を縮小しようとした時、

「軍の編制は天皇陛下の統帥権に関わるものである。

 天皇陛下の統帥権に政府は干犯してはならない」

 と言って大騒動になった。

 今の若手将校は、その統帥権干犯を平気でやっている。

「それは統帥権干犯だ」

 と言って、自分たちの編制や軍備、戦略を上に押し付けているのだ。

「今こそ弱り切った米英仏蘭から東亜を解放する聖戦を起こす時だ。

 ドイツと共に立ち上がり、イギリスを屈服させる。

 資源は蘭印、馬来、豪州にある。

 白人を亜細亜より駆逐し、資源を入手すれば一挙両得ではないか!」

 ここまで来ると、国の方針にすら口を出している。

 だが彼等はそう思っていない。

 そこが(たち)が悪い。

 彼等は正義を述べているのであり、正道を歩んでいるから、国の方針に口出しをしているという事は自覚をしているものの

「首脳部の目を覚ましてやっているのだから、口出しという私利私欲、傲慢な行為ではない」

 と考えている。

 いや、そう吹き込まれて信じ切っている。


 ある意味幕末のいわゆる「志士」そっくりだ。

 彼等は暗殺の際にこう言った。

「天誅」

 つまり、天に代わって誅殺を行っているのであり、故に全ては正当化される、と。

 因循姑息な幕府の小役人を暗殺したところで、心に正義が有るから、ただの殺人とは一線を画する、と。

 これと似た行為は、かつて西洋でも行われていた。

 異教徒であり、異端であり、魔女であり、神に仇為す者、神聖な教えを穢す者は殺してもかまわない、いや寧ろ殺すのが義務である、と。

 中世まで遡らずとも、ドイツでは現在進行形で行われている。

「今ドイツがこのように苦しいのは、全てユダヤ人のせいだ」

 と信じ込んだ者、信じる事で自分の仕事を納得させている。

 人はこのような精神状態になると、何かの箍が外れる。

 こいつは殺しても良いのだ、いや殺す事が正しい事なのだ、と自分を騙してしまう。

 そういう「正義の使徒」となった者にとって、議論とは「自分の主張を相手に教え込んで啓蒙する事」であり、反論とは「正義に反する行為」であった。


 この陸海軍若手将校の運動は、五・二六事件で辻率いる陸軍部隊によって捕らえられた者が、超即席裁判で即日死刑にされると、最大の高まりを見せた。

 なんと宮城(きゅうじょう)にまで押しかけ、宮内大臣と侍従長に対し天皇名義での哀悼の詔を出すよう求めた。

 天皇に謝れ!と言ったら彼等は、その思想を自ら覆す事になる。

 彼等は天皇を盟主とした大東亜共栄圏、日本人を教導主とする五族協和を訴えていた。

 故に、天皇が間違っているなら、それは側近の責任である。

 側近に責任をもって、天皇陛下の「真の御心を示されるよう働きかけよ」と強要していた。

 このような不敬に対し、天皇は

「彼の増上慢、朕自ら近衛師団を率いて殲滅せん!」

 と言ったとされる。


 だが、天皇が折れずとも側近は折れた。

 迂闊な事を天皇が言うと、彼等は思いのままにならない神輿を挿げ替える可能性がある。

 なにせ、代わりは存在するのだ。

 陸軍強硬派に近い弟宮の秩父宮殿下。

 この宮を担いで今上の天皇を退位させ、「病気御療養中」という事にして何処かに幽閉する。

 それくらいやりかねない。

 側近たちは、流石に哀悼の詔を出させる事はしなかったが、内閣総理大臣名義で「国を憂いての行為であった事は認める」という声明を出させてしまった。

 代わりに、宮城押しかけの首謀者を「第一級不敬罪」という怪しい罪状で検挙する。

 検挙の前に、その事実を教えて自決をさせた。


 これで幕引きかと思うのは甘い。

 これが幕開けであった。


 内閣総理大臣名義でこんな声明を出されたら、海軍軍法会議は面目丸つぶれである。

 東久邇宮は総理大臣でありながら陸軍軍人でもある。

 一層、海軍は陸軍に対し反感を抱く。

 若手将校は陸海軍結託しているが、上層部は激しく対立してしまう。

 更に東久邇宮は、お上の為と思っての声明を出したのだが、これにより天皇の激しい怒りを買ってしまう。

 責任を負い、東久邇総理は東條英機を後任に指名して、辞任してしまった。

 この行為にも天皇は怒りを覚えるが、かつての近衛辞職の時と違って後任が指名されていた事と、とりあえず日中戦争も終結し、戦時では無かった事から辞表を黙って受け取る。

 そして、反省を始める。

(朕の怒りにより総理が3人も交代した。

 朕は本当は英国と同じ、君臨すれど統治せずの君主を志している。

 朕の今までの行為は、これに反する事ではなかっただろうか?)


 陸海軍若手将校の行動は目に余る。

 しかしそれを正当な理由として、天皇が自ら政府を責め、政府を動かす事を良しとするのでは、主義主張を持っている事で自己を正当化している若手将校と同じになろう。

 そこまでは考えずとも、天皇には

(もしかしたら、朕に強引な政治への口出しをさせるよう、わざと暴走しておらぬか?

 朕が不甲斐ない政府に代わってこの国を率いる事こそ、皇道派の望みではないのか?)

 と思い当たるところがある。

 結果、天皇は感情を抑え、挑発に乗らずに政府に全てを委ねようと自制する。

 任せるしかない。

 天皇は総理大臣任命の時に参内した東條英機に言った。

「東條、頼むぞ」




 この日本の混乱を、嬉しそうに見ている日本人たちがいる。

 コミンテルンの協力者に自らなった者たちである。

 彼等はソ連に洗脳されたとか、協力者に仕立て上げられたとか、そういうものではない。

 自ら協力を申し入れたのだ。

 大日本帝国という国家を一度リセットする為に。


 繰り返しになるが、日本の資本主義は完全に行き詰っている。

 なのに政府は財閥を作る事を推奨し、資本を集中させて世界に対抗しようとしている。

 だが、資本主義そのものが1929年の世界恐慌以降は終焉の時を迎えている。

 彼等に限らず、この当時の人たちにはそう考える者が少なからず存在した。

 だから、資本主義の次に来る共産主義に未来を賭けた。

 マルクス主義とは論理的だから、当時の知識階級(インテリ)はハマりまくっていた。

 だが、大日本帝国は共産主義を認めない。

 政府・軍部・財界・大地主といった「持てる者」の癒着が、共産主義という労働者や小作人を富ます事を認めないのだ。

 ならば、こんな政府は一回倒した方が良い。

 自分たちではそれを出来ない。

 だから、共産主義の理想国家ソビエト連邦に代行して貰おう。

 そうする事が日本の為、人民の為、そう真剣に考えた結果の利敵行為である。


 彼等は、一見反対側にいる大川周明や井上日召の「秩序派」の中にも潜んでいた。

 そして声高に「白人を亜細亜から追い出し、亜細亜人の為の亜細亜を立てよ」と叫ぶ。

 それは即ち、ソ連に無謀な戦争を仕掛けさせるか、イギリス相手に南方で戦争を起こすかへと導く事である。

 彼等は先にイギリスと戦争させようとした。

 ソ連に負けさせて国をリセットするには、まだ今は戦力が有り過ぎる。

 勝ってしまうかもしれない。

 コミンテルンを通じ、彼等は日本の混乱と、目を南に向けさせている事をスターリンに伝える。


 スターリンは周囲と話して、方針を決める。

 呼び出された駐ソ大使に、スターリンは語った。

「我々には日ソ中立条約を破る気は全くない。

 おそらく来年は更新の為の手続きを始めるだろう。

 貴国は我が軍が東方へ移動している事を不審に思っているようだ。

 だがこれは、ドイツとの戦争で移動させた兵力を元に戻しているに過ぎない。

 我々には今、貴国と事を構えるつもりは毛頭ない。

 貴君は本国にこの事を伝え、安心させてやって欲しい」


 赴任先の国に寄り添ってしまう外務省の者は、大いに喜んだ。

 本国に「ソ連に開戦の意思無し、中立条約更新の手続きを始めて欲しい」と打電した。

 その事を知ったスターリンはほくそ笑む。

「確かに食糧は厳しい状況にある。

 だが、あと1年か2年は問題無い。

 日本が自滅するのを待ってから事を起こしても、遅くは無いだろう」

case1を終わらせたので、気が抜けてしまいます。

case2を中々始められないような気がしました。

それでエタったら嫌なので、さっさとcase2を始めました。

なので次話は21時にアップします。

(case2の3回目以降はまた隔日更新にします)


復習:

・対英宥和、経済及び産業重視、その上で対英経済従属をさせない:新日本経済派(経済派)

・亜細亜主義、反白人(除ドイツ)、日本を世界の盟主に:大東亜新秩序研究超党派会合(秩序派)

岸信介は統制経済が出来るならどっちでも良く、両方に顔を出している。

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― 新着の感想 ―
[一言] 巻き戻ってこの時点では想像より大変な状況なのがわかってないのか。うむ、この世は地獄
[良い点] ハハッ!実に地獄めいて良いですね(良くない) この愚かさこそ戦前日本の醍醐味というものです。 魔女狩りとの比喩も実に的確です。
[気になる点] >陸軍強硬派に近い弟宮の常陸宮殿下 これは秩父宮ではないでしょうか?
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