(case1終話)その後の世界
国際連盟は存続している。
役に立たない有名無実なものとして。
実質的に世界を動かしているのは五ヵ国首脳会議、「頂上」と称される会合である。
イギリス、ドイツ、ソ連、日本、そしてトルコである。
イスタンブール平和条約のホスト国として、そして中東の代表者として座席を得ていた。
トルコのイスメト・イノニュ大統領は思う。
「たった2回、会議の場所を提供しただけでこの立場。
なんか凄く運が良かったんじゃないだろうか!」
その後、南下したがるソ連、中東に出たがるドイツ、それらを防ぐイギリスの交差する地域で、苦労も同時に背負い込んだ事を悟るのであった。
第二次世界大戦は終わった。
だが、世界から戦火は消えない。
各国は即時の作戦行動の停止を命じる。
だが、正式な戦争終結は各国が議会で終戦について承認してからとなる為、少し時差が生まれた。
ソ連は実質独裁なので、あっさりと決められる筈が、あえて日本の結果を窺って
「新規の作戦行動は停止したが、今実行中のものを停止するかどうかは、条約締結の見通し次第だ。
もしかして騙されて、条約不成立ともなれば、損をするのは今攻勢中の我が軍となる」
そう言って攻撃をやめない。
ネルチンスクの第二方面軍、大興安嶺山脈のフルンボイル兵団、第三次通遼会戦中の支那派遣軍は、いまだ激しいソ連軍の攻勢に耐えていた。
日本では陸軍の若手が、まだ猛々しかった。
ついに彼等は、戦争継続の為のクーデターを画策する。
前線の苦労を見せても、国力の疲弊具合を示しても、それでも
「最後の一兵となっても戦うべし。
いざという時は本土決戦である。
だが、海軍は健在、ソ連は一兵たりとも神国に足を踏み入れられないだろう。
その間に兵力を回復し、攻勢に出れば良い」
こう信じ込んで、自分すらそれで鼓舞していた。
もう後には引けない。
「東條さん、もうやるしかないですネ。
彼等は統制に従いなんかしませんヨ」
岸信介が東条英機に話す。
東久邇宮総理大臣、重光葵外務大臣がイスタンブールに行って不在の期間、政府は岸がまとめ、戦争は東條が指揮していた。
この2人の権威・権勢はかつてない程高まっている。
「そうだな。
英独が講和条約を締結する今、空気を読まずに戦争を続けては彼等の支援が受けられない。
政府が講和と決めたのに、それに従わない者は、最早処分するしかあるまい」
「軍の方は任せますヨ。
私は内務省に言って、民間の不穏分子を排除する方を引き受けますネ」
こうして政府側も強硬手段に出る。
皇道派の重鎮山下奉文、何を仕出かすか読めない不安要素の辻政信、国内で右翼勢力の思想的指導者となりかねない石原莞爾、日ソ戦争を始めた武藤章、これら全てが日本に居ない。
武藤に至ってはこの世にも居ないのだが。
政敵が居ない日本国内で、東條はカウンタークーデターを起こす。
若手将校のたまり場を憲兵に襲撃させ、有無を言わさず殺害した。
不穏分子がいる部隊には、他の鎮圧部隊を向かわせ、抵抗するなら攻撃をかける。
もっとも、抵抗した部隊は僅かで、他は命令に従っていただけの兵士によって、その指揮官が後ろから撃たれたり、捕らわれて終わる。
かなり強引に、国内を講和容認一本にまとめ、国会の採決を経て天皇へと奏上された。
そして終戦の詔が発せられ、日本も戦争を終える。
天皇の
「耐えがたきを耐え……」
の言葉を国民は聞き入れる。
「気候変動が無くドイツがソ連を打倒していれば、日本は満州を維持出来ただろう」
「そうでなくても、ドイツがソ連の背後を脅かしていれば良かった」
「先人の血と汗で勝ち取った満州は失われてしまった。
これ以上失う事がないよう、国家の実力をもっとつけねばならない。
三国干渉の時同様、臥薪嘗胆の気持ちで国難を乗り切ろう」
というような、田中角栄社長の新聞社が流す見解で己を慰める。
そして日ソ講和条約締結。
密約も再確認され、やっと日ソの戦争は終わった。
「生き残ってしまったか……」
助かったのに悲痛な山下奉文。
彼の兵力は九割以上が失われていた。
多くの犠牲を払い、司令部だけは生き残ってしまった。
「生き残れたぞ!」
こちらは部下と共に喜ぶ栗林忠道。
味方の為の捨て石となるべく、命を捨てて守り戦っていたのだが、
「死なんと戦えば生き、生きようと戦えば必ず死するものなり」
という上杉謙信の言葉を体現したように、予想以上に生き残る事が出来た。
彼等は生きて祖国の土を踏める。
4大勢力間の戦争は終わったが、他の地域での戦火はまだ続く、いや新しく発生すらした。
イギリスとインド解放戦線との戦いは、もうしばらく続く。
流石にドイツとソ連から支援を切られた以上、長続きはしない、筈だった。
裏で何かをするのはソ連の常套手段である。
密輸という形で、相変わらず武器支援が続けられた。
中国では、国民党対共産党の国共内戦が再発した。
ソ連が共産党を支援する。
日本が国民党を支援する。
日ソ代理戦争の形で、中国の荒れた大地で戦争が始まった。
如何に気候変動の影響の少ない地に引き籠っていた共産党勢力とはいえ、兵力の差は覆しようが無い。
だが、折角満州まで来ていたジューコフ率いるソ連赤軍だ、このまま動かないのももったいない。
満州を自国領だと主張する中華民国からも有無を言わさぬよう、ソ連の介入が始まる。
その後、今度は中国共産党の毛沢東とソ連との対立や、香港維持の為のイギリスの介入が有ったりして、中国は混迷していく。
あのイスタンブール講和条約締結後、松岡成十郎は軍需省から再び商工省へと改組された省庁の官僚として生涯を捧げる事となる。
時々議員になって欲しいと推す声が出たが、彼は全力で拒否した。
基本的に彼は保身第一の官僚である。
終戦工作の時は、何かに憑依されたかのように積極的に動いたが、彼は
「一生分の蛮勇を使い果たした。
もう面倒事はたくさんだ!」
と表舞台に立つ事を拒絶するようになる。
勧めた者もそれ以上は言わない。
議員になりたい者は他に数多くいるのだから。
まあ、官僚としても激務である事には変わりない。
海軍は、元太平洋海域全般の安全保障を任された為、大幅な削減は免れた。
だが、その装備は大幅に変えざるを得ない。
近海待ち伏せ、漸減邀撃に特化した艦隊は廃止される。
巡洋艦、超特型駆逐艦、超巡洋潜水艦という航続距離の長い艦種を揃える。
空母も、3万トン級で70機以上の搭載数という大型空母ではなく、2万トン級で搭載機は30機程度、航続距離を延ばした改「飛龍」型の「雲龍」型が建造される。
搭載機は、航続距離を延ばす為に燃料を増やしただけでなく、ジェット艦載機を運用する為に旧来の零式戦闘機の時よりも数を減らさざるを得なかった。
この海軍の大幅な削減無し、戦略転換による装備変更で、松岡の国土開発省(気候変動対策)は海軍との予算獲得で常に戦い続ける事となった。
この予算分捕りが激しくなる程、統制経済の第一人者・岸信介の権勢が増していく。
イスタンブール条約体制の日本で、最大の勝者こそ岸信介であった。
彼は交渉には出向いていないので、批判の矢表には立っていない。
講和においても、彼は案を出していない。
彼はただ、人と人を結び、内部を調整するという後方支援だけで権力を強めた。
戦争を終わらせたとはいえ、引き続き巨大な軍を維持し、担当範囲が広域となり、それでいて資源の乏しい日本は、岸の剛腕による統制経済でやっていくしかなかった。
いや、世界中が統制経済、計画経済に移行している。
これまで繁栄していたのは北半球の諸国である。
更にユーラシア大陸の西側、ヨーロッパ地域であった。
ここが気候変動で壊滅状態となる。
それでも人は生きていく。
ならば、政府の強力な指導の元、最適の行動を足並みを乱す者なく取らねばなるまい。
そういう意味で、システムの勝利者は共産主義のソ連と、国家社会主義のドイツであった。
まあ、気候変動という巨大な災害の中、そんな事の勝ち負けはどうでも良い事だが。
日本における統制経済の第一人者、岸信介はすぐには総理大臣にならない。
戦争終結後、東久邇宮内閣は総辞職をする。
この次の政権は、誰もが驚愕した。
鳩山一郎内閣、政党内閣復活である。
あっさりとイスタンブール平和条約、日ソ講和条約が国会で批准されたのは、次は鳩山に政権を任せるという岸の裏工作のお陰でもあったのだ。
この鳩山内閣の仕事は、戦争犯罪人の追求であった。
岸はこの汚れ仕事を、政党、そしてそれを選んだ国民に押し付け、しばらく身を潜める。
戦争犯罪とは、捕虜虐待とか虐殺とか戦時国際法違反とか、そういうのではない。
勝手に日中戦争及び日ソ戦争を始めた者を処罰するものだ。
明らかに大日本帝国に迷惑をかけた存在である。
当初は反対の意見
「彼等とて国の為を思ってやった事だし、実際国は生き残ったのだから良いのでは」
という声が大きかった。
これが一気に沈黙するのが、東久邇宮自殺事件である。
「陛下に対し、責任を果たすものである」
そう書き残し、割腹したと「される」。
後に、日ソ条約の立ち合いとして来日したイギリス使節団が帰国時に人一人入れる巨大な楽器ケースを運んでいったとか、イギリスの雪降る古城で東久邇宮と思われる東洋の貴人を見たとか、色素を抜いて鼻を整形して白人みたいになって歌を歌っていたとか、そういう噂が絶えない。
真偽の程は不明だ。
だが、宮様総理が戦争を始めた責を負うとし、更に満州事変の首謀者・石原莞爾が、戦地からの帰国後すぐに出頭し、自ら獄に入った事で「国に多大な迷惑をかけた者」は処罰止む無しとなった。
石原は
「俺は病気が重い、もうそろそろ死ぬぞ。
だが、俺が死んでも日本は残った。
ならば、俺は日本の病気を霊山浄土に持ち去るからな。
後は頼むぞ、憲兵隊の兵長殿」
面会に来た東条英機に対してそう言ったという。
結局、「陛下に対し奉る戦争責任を問う」裁判の容疑者として何回か答弁した後、彼は病気が重くなって審理打ち切りとなり、仮釈放という名の自宅療養後、床の上で死を迎えた。
日ソ戦争を始めた武藤章は戦死している。
これも処罰派には都合が良い。
死をもって責任を取ったのだ、他の者も彼を見倣え、となる。
陸軍統制派の東條が大鉈を振るう。
彼は石原に言われるまでもなく、徹底的に統制に従わぬ軍人を粛清していった。
「日本のスターリン」という有り難くない異名も賜った。
東條は志半ばで、反対派による襲撃を受け、陸軍省内で暗殺される。
それは統制派の先達・永田鉄山と同じような末路である。
だがこの流れは止まらず、統制派が「独断専行でも功績を上げれば帳消し」という風潮を、数十年かけて取り除いていく事となった。
日本は農業国、そして土建国家と変わっていく。
総理大臣になった岸信介は
「ソ連の強さは統制経済にあり!
二度とあの屈辱を味わわぬ為にも、日本は諸君たちの力を欲している!」
と演説し、整い出したインフラを元に、工業化をも推し進める。
だが重工業、先進工業国となる為に、まずは気候変動に対応しつつ外貨を稼がねばならない。
日本は農業国、生糸産業のような軽工業や、特殊な軍事技術の国から抜け出せずにいた。
先進技術国にはいまだなれず、ドイツがその方面を牽引している。
田中角栄は、ダム、道路、発電所、港湾というインフラ整備と、理研財閥を後ろ盾とした工場建設を請け負い続け、どんどんと勢力を拡大していく。
やがて彼は、日本中の総合建設業者を束ね、「昭和の怪物」と呼ばれるようになる。
政治家にならないかと誘われもしたが、
「日本の改造で忙し過ぎて、やってられん」
と拒絶したという。
鳩山内閣が不満を貯めまくって総辞職、次が岸信介内閣となった。
岸は官僚のまま松岡を入閣させようとしたが
「忙し過ぎて無理です、これ以上だと死にます」
と全力拒否した為、引き続き次官として起用した。
鳩山内閣でも商工次官兼国土開発省次官に留任だった為、彼は東久邇内閣→第一次鳩山内閣→第一次岸内閣→第二次鳩山内閣→第二次岸内閣→池田内閣と六代四人の総理の下で気候変動対策の国土改造と、英独ソ相手の資源獲得業務に次官として携わり続けた。
「時々、変な夢を見る」
池田政権の途中、精魂尽きたのか倒れて病院に運び込まれた松岡は、己の寿命が近い事を悟った。
まだ生きられる筈だが、あの昭和二十年に生命を削り過ぎたようだ。
見舞いに来た田中角栄に、松岡は語る。
「アメリカ合衆国が健在のまま、未来を迎えた世界の夢だった。
世界は以前のまま、全体的に温和な気候で、人々は豊かに暮らしていた。
何と言っても、統制経済をする必要が無い。
田中君、私はあの世界大戦で実は勝ったのがソ連とドイツだと思っていたよ。
だが、もしかしてどの国も結局豊かになる未来を失っていたのではないだろうか」
「ええと、松岡さん、あたしもねえ、その夢見た事ありますよ。
ええまあ、その、中々豊かな日本でしたねえ。
今よりもずっと。
まああたしが見た夢の日本はですねえ、もっと先の時代だったように思うんですよ。
あたしは、その豊かな世界を実現する為に、今日も日本列島を改造しようと頑張ってるわけですよ」
最近、しゃがれ声になった田中角栄が笑う。
(この男は強靭だなあ)
松岡はそう思う。
「それに、ソ連はもういかんですなあ。
いつぞや堀(悌吉)さんが話していた欠点で、崩壊しようとしてますよ。
科学的社会主義、真に結構、真に結構。
だがそれを運用する人間というもんが科学的じゃない。
細かく決めたって、その通りになんか動きませんよ。
自然も社会も決めた時からは変わるもんです。
それに対応出来たらいいのですが、自分が決めた事にこだわる非合理的な存在が人間ですよ。
どんなに池田さんが立てたアジアの農作業輸出をしても、買っても買っても末端に行き渡らない。
どこかの倉庫には大量にあって、腐っているのにですよ。
スターリンが死んで、箍が緩んでます。
もうもたんでしょうなあ。
人間の欲とかやる気とか意気とか人情を考えないと、こうなるってもんですよ」
そう、人間の欲とかやる気とか意気とか人情とかを把握する達人が笑う。
ドイツもヒトラーが寿命で死に、穏健な体制に移行している。
しかし統制経済は相変わらずだし、農業が壊滅状態な為、難民が中東に押し寄せている。
各国はあれ程ドイツの高圧的支配を嫌った癖に、今では国を維持する為にドイツの強力な指導を求めていた。
「各国色々だが、もうどうでも良い。
日本がこの先どうなるか、だ。
田中君が、この先に夢のある未来を見据え、そこに導くのなら素晴らしい。
未来を託して良いかな」
「ま、この不肖田中角栄にお任せ下さいよ」
松岡成十郎が永眠したのは、それからしばらくしての事だった。
その日、日本列島にはまたしても観測記録を更新する強烈な台風がやって来ていた。
この日本は、田舎のまだ行き届いていない場所では被害を受けるが、都市部、主要部ではもう洪水を起こさず、停電や道路寸断を起こさない強靭なインフラを持つようになっていた。
松岡が田中と手を組んで造った天災にも強い道路を通って、故人は寺に運ばれる。
日本での扱いは小さい。
しかしイギリス、ドイツでの評価は高いようだ。
大使級、更に親交の有った者たちが来日し、葬儀に参列する。
首脳級からの弔電も届く。
彼の真の業績は、知る人ぞ知る者である。
だが、官僚として裏方として国を支えようと志し、運命のいたずらで国の命運をかけた交渉に挑んでしまった松岡という男には、こういう送られ方で良かったのかもしれない。
分かってくれる人は分かってくれたのだから。
(case1 終)
後書き:
最初の構想は「第二次世界大戦から物理的にアメリカを排除したらどうなるかな?」でした。
そうしたら「メキシコ湾流無くなるぞ、ヨーロッパ寒冷化するんじゃね?」と気づきました。
そこから付け焼き刃で色んな情報を調べていく内に
「どう収拾をつけようか?」
と作者まで迷走する羽目に。
この世界の「戦後」は見えていたんです。
生産力と資本主義の権化が消滅し、ヨーロッパ復興の主役も居ない以上、世界は資本主義の自由経済を抑制し、統制経済を行わざるを得ない。
結局、勝敗に関わらずソ連型、ナチス・ドイツ型の統制経済、計画経済で行かざるを得ない。
頑張っても当分、イギリスはアメリカの代わりにはなれない。
そこに行き着く過程をどうするのか、深堀りすれば色々出て来た、自分は勉強して来なかった地球科学の分野とか経済学の分野に振り回されました。
知識不足も結構露呈してます。
そして、case1として分けた理由。
創作で描く最も荒唐無稽な出来事を、現実先輩が軽く超えていく現在。
日本が生き残るには、歴史上結構あった針の穴を通すような巧妙さで難関を突破する必要がありました。
事実がそうだから、それに倣って書けば「日本は無事、このおかしな世界で生き残れました」で終われましたが、正直創作として書くとどうしてもリアリティが無い。
現実で起こる方がもっととんでもないのに、創作の方が書いてて「これ、御都合主義じゃね?」と思ってしまいまして。
そこで、ナックルを投げながら針の穴を通すようなストーリーを書いた上で
「まあ、普通はこっちだろうなあ」
というストーリーも考えました。
これを「後出しだ」と言われないよう、分岐点をここだ、と書く事にしました。
なので、一旦ここで「割とチートじみた積み重ね」で成功した世界線を終えて、次は創作の方の「リアリティ」から書いてみたいと思います。
普通に考えれば、どっち進んでも詰みな気がしますが、次回から1944年5月に戻ります。
case1でもう十分、という読者様はご愛読ありがとうございました。
ここで一回御礼を言わせていただきます。
19時よりcase2を始めます。
この回よりIF分岐2個目、第60話「分岐点」からの続きとなります。
おまけのおまけ:
戦後が凄く尻切れトンボ?
そうですね。
その通りです。
戦後編も考えていたのですが、アメリカ合衆国消滅は戦後の方が影響でか過ぎて作者は纏め切れませんでした。
マンハッタン計画が無いので、核開発が明らかに遅延しています。
ソ連は段々核開発どころではなくなりますし。
ドイツは開発諦めてますし、日本は資源無いですし。
ベル研究所が消えたので、半導体の発明もどこが先にやるか?
エドワーズ・デミングが居なくなったのと、手酷い敗戦、特に工業製品の品質で痛い目に遭っていない(ソ連相手の苦杯は様相が違いますから)為、「品質管理」という概念が日本に入って来ません。
反共の最前線に立つ役が日本なので、やっぱりどこかでまた泥沼の戦争に陥りそうな気がしますし。
フォン・ブラウンとそのチームがアメリカに行かず、ソ連が完成品押収する事もなく、人工衛星開発もどうなった事か。
一番有利な立場のイギリスすら、南半球にシフトチェンジするのに忙しいので、もう脳みそでは演算の限界に達しました。
漠然と「北半球諸国は自由経済無理、統制経済でいくしかない」くらいまでしか思いつきませんでした。
あと「有色人種の日本がボロボロになってまで欧米白人国家と戦った」のではなく「イギリスやオランダの代理人として有色人種の独立や共産革命を潰す」役回りなので、第三世界は植民地だらけだろうなあ、と。
更にナチス・ドイツ健在でアメリカ消滅なのでイスラエルも建国されてない可能性が。
そうなると、中東問題は発生していない?
想像が追いつきません。
なので、尻切れトンボごめんなさい、でここまでにしておきます。