英独講和
※イギリスは情報を国民に正確に知らせる国です。
しかしそれは、1941年にイギリスの象徴・巡洋戦艦「フッド」がドイツに撃沈されてからです。
この時、新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」は健在であると嘘の発表をしました。
すると国民から
「フッドを沈められたのに、新鋭戦艦は一体何をしているんだ!」
と物凄い突き上げが来て、誤魔化し切れなくなりました。
それで「実はウェールズも大破して、しかも工事中での出撃で、戦闘出来ないのだ」と
都合が悪い情報も発表するようになったのです。
しかし、この時点はまだ1940年なので、上記事態は起きていません。
イギリスもまだ、この時は「大本営発表」をする国だと思って下さい。
内閣総理大臣近衛文麿は得意の絶頂に居る。
日独伊三国同盟締結で陸軍からの支持も国民の支持も取り付けた。
アメリカ消滅によって、三国同盟に対する反発も無い。
逆にイギリスが講和仲介を依頼して来た。
彼は英独講和の仲介役として世界に名を知られ、歴史に名を残すだろう。
その後、イギリスは第三次日英同盟を打診して来ている。
中華民国蔣介石政権もなりを潜めた。
最近はゲリラ活動も減っている。
良い事づくめだ。
後にこう評される。
「裏面の事情も知らない能天気」
と。
本来イギリスは、アメリカ合衆国が消滅しようが、戦争を諦めるような国では無い。
チャーチルの闘志に引き摺られている部分もあるが、首都を爆撃されて「では講和しましょう」なんて言う生温い国では無い。
もっと相当に底意地が悪く、やられた事は倍返しした後で無ければ和平に応じないだろう。
そのイギリスが、極東の、先日まで中国侵略で批判していた国を頼るというのは余程の事である。
どうしてそうなったかを知ったら、「お公家さん」近衛であろうとも深刻さを理解しただろう。
もっとも、事情を知らないのはイギリス国民も同様である。
イギリス政府の上の方だけが、今現在これから起こる事を予想している。
そして、パニックを抑える為に、実際に動き出しているから大丈夫という段階まで黙っているつもりなのだ。
「チャーチルは臆したか!?」
という声を平然と無視し、戦時内閣を継続しながら、イギリスの生き残りを模索している。
国民には
「アメリカ合衆国消滅が与える経済的、資源的問題について検討が必要」
亡命して来たドイツ占領国からの兵士たちには
「アメリカ消滅に伴い、戦略の再構築を行う」
と伝え、専門家集団を招集する。
無論、彼等には真実を伝え、緘口令の元で対策を考えるよう依頼した。
この専門家の中には、職業スパイでは無いが、コミンテルンに共鳴し、ソ連に情報を引き渡す「自ら進んで」スパイとなった者も潜んでいる。
イギリスの情報部は優秀なのだが、全ては防ぎ切れない。
モスクワにイギリスの不安が伝えられた。
「つまり、イギリスは戦争から脱落し、ドイツがフリーハンドとなるという事だね」
ソ連共産党指導部も、軍事的な視点でしか見ない。
彼等内陸国には実感が無い。
大体、ソ連、ロシアはただでさえ寒い。
寒冷化したって「いつも冬は寒い」という意識だ。
それに、1940年11月の時点では、まだはっきり分かる程の変化は起きていない。
地球の変動は、ある部分は敏感に、ある部分はゆっくりと現れる為、内陸国程鈍感なのだ。
それ故に、ある意味正しい分析をする。
同じ内陸国のドイツのヒトラーは、気候変動等無視してソ連を攻めるだろう、という分析だ。
問題は、いつ、何処から、どれくらいの規模で、という情報が欲しい。
ソ連はイギリスからの情報よりも、ドイツに関する情報を集める事に専念し出す。
総力戦研究所の松岡は、イギリス植民地を軍事的に奪取し、そこから資源を得る計画を口にした。
その草案も提出する。
研究所の渡辺陸軍大佐は
「君は商工畑の者だったね。
物資が欲しいのは分かるけど、こんな簡単に占領は出来ないよ。
もっと吟味して、どう物資を得られるか考える必要があるぞ。
敵は撤退時に、油田設備を爆破し、数年使用不能にしたりする事も有るのだからな」
とお説教しつつも、気に入っているようだ。
陸軍の若手参謀にも筒抜けのようで
「一度一緒に飲まないか?
是非高説を拝聴したい」
という非公式な誘いが来たりする。
一方海軍の松田大佐は
「確かにインドシナ植民地の奪取は出来るかもしれない。
だが君ねえ、イギリス海軍は強力だよ。
もっと苦戦する想定で物を考えて欲しい。
我々は負ける気は無い。
だが、君のこの案は余りにも楽観的に過ぎる」
と苦言を呈する。
イギリスの外交官と直接交渉した松岡が、このような穴だらけの案を出したのは、カモフラージュの為だった。
総力戦研究所のメンバーにすら秘密で、イギリスとドイツの講和成立で、イギリスからの物資を得られ、インドという巨大市場に輸出可能となった後を前提に、日本の戦略を考えている。
この情報を漏らせないのは、外交上の機密で口に出来ない事と、
「ブロック経済を作って我が国を排除した英国が、印度市場を開放等する筈が無い。
そのような甘い想定で物を考えて貰っては困る」
と言われ、変に目立ってしまうからだ。
それで、当たれば当たったで「何故貴様はこうなると予測出来たのか?」と問い詰められる。
面倒を起こさない為にも、確報になるまでは知らぬ存ぜぬを通した方が良い。
松岡とて万能では無い。
彼も知らない事もある。
イギリスの焦りの裏に気候変動の予測があり、イギリス政府が驚く程過敏に反応した事だ。
内陸国のヒトラーやスターリンで無くても、本来このような予測に対しては
「有り得ない。
科学者の可能性というのは形而上の物であり、そう考えられるというだけのものだ」
と言うなら可愛い方。
酷い場合だと、世を騒がせた罪で投獄や処刑も有り得る。
スウェーデンの学者の意見を、最初に聞いたヒトラーは礼節を持って無視した。
口やかましく言って来たわけではないし、政権を批判する内容でも無い。
何より中立国の権威有る老教授だ、殺したりは出来ない。
松岡の見誤りは、海軍に対する見くびりもある。
確かに松岡外相、東條陸相との縁で、そちらを重視してしまうのは仕方ない。
松岡は
(海軍は政治音痴、経済的な事は理解しない)
と思っている節がある。
確かに海軍は政治に関わろうとしない。
更に国家財政を無視した「八八八艦隊構想」なんて出したりした。
だが、政治音痴というより政略軽視というのが正しく、陸軍のように政権に影響を与えたり、政治を動かして事を成そうというのを嫌っているのが正解だ。
その海軍に、別の人間が接触している。
海洋学者の宇多博士が、海流の異常を報告し、海軍にも調査を依頼していた。
日本海軍にとって、水路調査は重要事項である。
また、海流調査も重要だ。
日本近海及び内海は海流が速い所が幾つもある。
幕末の頃から、波による座礁事故も経験して来た。
機雷敷設した後に流されないか、潜水艦の航行の妨げにならないか、等軍事上も重要である。
宇多博士の報告した、黒潮の流れが速くなったという事を、海軍では重要視する。
水路部は直ちに調査を開始する。
戦時下であり、日本周辺海域の事は詳細に知っておくべきであろう。
さて、近衛総理の水先案内人となって英独講和を纏める外務省担当者は、へとへとになっていた。
確かにイギリスは講和を願っている。
ドイツも対英戦争をこれ以上続けたくない。
であるが、双方とも講和条件を譲らない。
交渉決裂、再戦、という勢いで言い合いとなっている。
この辺、仲介役は辛い。
ドイツからは「交渉決裂時は自陣営で参戦」と約束している。
意外に日本国内の空気は「対英戦やむなし」から、「英国より亜細亜の解放」を謳う新聞各社の報道に民衆が引っ張られ、好戦的になっているという。
そして総理からは
「一体何をやっているのか!?」
と叱咤だけされる。
中立国スイス、チューリッヒで開かれている講和会議で、外務省担当者たちは泣きそうになっていた。
そんな彼等の立場を同情もせず、英独は裏で密使を送り合う。
講和条件について、日本抜きで話し合っていた。
その結果、
・対ソ連戦でイギリスは中立を守る
・ドイツへの資源禁輸措置を行わない
・イギリス連邦各国への輸出を禁止しない
・スエズ運河の自由航行権
・トルコ以北はドイツが自由にして良い
という事で妥協が成立した。
急転直下、チューリッヒ講和条約が締結される。
それまでドイツは
「エジプト、アラビアの割譲」
「賠償金の支払い」
「イギリス海軍の軍備削減」
を求め、イギリスは
「フランス、オランダ、ベルギー、デンマーク、ノルウェーからの軍撤退」
「ポーランドの解放と独立を認める」
「占領地の領土割譲については個々に交渉で決める」
「これ以上の戦争を起こさないという平和宣言発表」
と要求していた。
それがいきなり
「現状維持」
で和平が纏まってしまった。
何はともあれ、外務省担当者はホッと肩をなでおろし、近衛総理はラジオで高らかに成果を謳い上げた。
日本国民は好戦的な感情から一転、
「近衛よくやった!」
と日の丸を振って喜び、外交団帰国時には万歳で迎え入れた。
「扱いやすい連中だ」
チャーチルは毒を吐く。
別に彼等の尽力の成果では無い。
日本というドイツとイギリス双方に都合が良い国を出汁に使っただけなのだ。
日本の名前されあれば、外交団なんて要らない。
まして総理大臣なんて何もしていない。
「さて、戦争はひと段落した。
あとは我が国の生存に関わる事だ。
海洋調査はどうなっている?」
そう聞くチャーチルに、情報部が、とある情報をもたらす。
「日本の科学者ウダが、スウェーデンのエクマン博士に問い合わせをしています。
海流の異常を示すデータと、その原因についてです。
ウダは赤道付近の海水温上昇が原因で、更にそれはアメリカ消滅に起因する、と推測しています」
チャーチルは考え込む。
チャーチルは日本を馬鹿にはするが、それは「能力がある癖に、活かし方も知らず、原理原則に拘る、狡猾さの無さ」についてだ。
海軍の強力さや、アジアで唯一の国際連盟常任理事国であった事等を見て、軽視はしていない。
ひとしきり考えて、命じた。
「日本の海洋研究がどのような結論を出すか、引き続きモニターせよ。
もしも彼等が我々と同じ結論に辿り着いたなら、こちらの情報も渡せ。
もしかしたら地球上で、連合王国と同じ立場で問題に立ち向かえる唯一の国になるかもしれない」
と。
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