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日本の手札

ネルチンスク空挺降下作戦は、僅かに二百人弱が増援に成功しただけだが、国内では大成功と報道されて国民の士気が上がる。

「空の神兵」として軍歌にもなった。

日本が空挺作戦を成功させ、喜びに沸いていた頃……


ドイツではヘリコプターであるフォッケ・アハゲリスFa 223を使ったヘリボーン作戦の実験が行われていた……。

「フルンボイル奪還に成功。

 山下将軍(ゲネラル・ヤマシタ)は健在なれど、その軍はほぼ無力化。

 第二極東戦線、沿海州に向けて進軍中。

 東シベリアではいまだ日本軍の抵抗健在。

 ザバイカル戦線は再びシラムレンの線に到達し、攻撃機会を窺っている。

 空の戦いは、いまだ日本軍健在なれど、赤色空軍の増強により次第に圧迫しつつあり」


 ジューコフ将軍からの報告は客観性に徹していた。

 事実のみを述べている。

 それでもスターリンには朗報であった。

 ナメてかかるには厄介な敵だが、やはりジューコフを派遣すれば問題無い。


 ではあるが、一回決めた事だ。

 イギリスに約束した手前もある。

 一回くらいは日本との直接交渉に顔を出してやろう。

 スターリンがやっと日本人の前に現れる。


「最初に言っておくが、君たち日本に選択権など無いぞ」

 スターリンがそう言うや否や、とある日本人がまくし立て始めた。

「おう、まずはわしの話を聞きぃや。

 生産性を見て欲しい。

 日本人が農作業をした場合と、貴国では無いが亡命ロシア人の効率、そして支那人労働者の効率については今から渡す表に書いてある。

 勤勉さから言って、わしら日本人が満州の農地を耕した方が収量が上、天災に対しても備えが出来ている。

 次に米と麦の収量の差についてじゃが……」

 池田という日本人が、一切口挟ませぬ勢いで、交渉(ネゴシエイト)ではなく説明(プレゼンテーション)をし始めた。

(この日本人は一体何なんだ?)

 そう思いながらも、スターリンは数字を見て、次第に興味を持ち始めていた。

 広島弁に、ソ連側の日本語通訳が混乱する。

 日本側のロシア語通訳も説明が追いつかない。

 専門用語が多過ぎる。

 それでも数字と説明文を見れば、何が言いたいのかは分かって来た。


「おい、言いたい事は分かったから黙……」

「まだ説明は終わっとらんのじゃ!

 次に強制労働させられた場合と、賃金報酬がある場合の能率の比較じゃ」

 池田は話す事を止めない。

 説明は次から次へと行われる。

 最初は「満州を占領して日本人を追い出すより、日本人に経営させた方が得だ」くらいに思っていたスターリンだったが、池田の説明はそんなレベルに留まらない。

 中国大陸の生産量の変動、日本とイギリスの経済の問題、日英が合体した欧州とアジアの経済圏が出来てしまうと、ソ連やドイツ中心の欧州経済圏を圧する可能性がある事、その日本はイギリスに対し資源上の独占を受けてしまうと従属的立場に落ちてしまう事、日本はそれを嫌っているからソ連からも資源輸入を考えている事、その際の貿易収支、等等。

 ソ連は、マルクスの唱えた「科学的社会主義」を標榜している。

 フランスであった「空想的社会主義」の対語だ。

 だから数字での説明は、聞かざるを得ない。

 更にスターリン個人は、饒舌な人間が嫌いではない。

 無論、饒舌に悪口を言われるとあの世行きだが、そうでないならお喋りな方が好まれる。

 むしろ無口な方が「何を考えているのか分からん」と考えてしまう。


 余談であるが、ロシアにおいてバー等で一人黙々と酒を飲んでいると

「あいつは何か良からぬ事を考えている」

 と思われるそうだ。

 ロシアにおいて無口とはそう見られるもの。

 だから「酒は楽しく飲め!」とばかりに、ウォッカ瓶片手に肩を組んで来る酔っ払いがよく現れる。

 この場合、相手が見ず知らずの外国人であっても関係ない、と実際にそういう経験をした人間が語ってみる。


「イケダとやら。

 君が言いたいのは、ソビエトと日本の講和だけでなく、

 ソビエトの為にも世界は我が国、イギリス、ドイツ野郎、そして貴国の均衡状態が良いという事だな」

「おう、よお分かったの」

 尊大な態度である。

 まあ、それは良い。

 スターリンは案外こういう人間が嫌いではない。

 だが、ナメてもらっては困る。

 では、この小癪な日本人に致命的な事を言ってやろうか。

「ソビエトは日本を恐れない。

 均衡の相手と看做していない。

 何故なら、日本にはソビエトの首都を攻撃する能力が無いからだ。

 イギリスのように世界経済に影響も与えられない。

 ドイツのような強さも無いし、技術力も無い。

 貴国は我々と対等に話していられるだけでも、有難いと思わねばならん」

 だが、池田という男に代わり、松岡という男が口を開いた。

「モスクワを攻撃される事をお望みか?」

 ふんっ、と鼻を鳴らしてスターリンが椅子にふんぞり返る。

「可能ならな。

 貴国には不可能だ」

「もし、出来たらどうしますか?」

「何だと?」

「閣下は我が国にモスクワ攻撃能力は無いと侮辱した。

 モスクワを攻撃出来たなら、謝罪は結構です。

 代わりに今の言葉を撤回し、もっと真剣に講和に臨んでいただきたい」

「ふん、良かろう。

 だが、万に一つもそんな事は出来ないだろうよ」


 そう鼻で笑いながら言ったスターリンだが

(一体どんな手札を持っているのか?)

 と日本の対応が気になってもいた。

 松岡という官僚、何か策でも有るのか、随分と自信満々な態度である。


 とりあえずこの日は、双方が要求を突き付け合って、後日の再交渉だけを決めて終わる。

 そして松岡は、電信を使って本国に連絡を入れた。




「そうか、スターリンはやはりそういう事を言って来たか」

 山本五十六連合艦隊司令長官は、堀悌吉と話していた。

「予想通りです。

 私がソ連の首相でも、首都を脅かさない敵なんて怖くはありませんからね。

 ところで、何を悠然としているのですか?

 艦隊は長官の命令でしか動きませんよ。

 向こうの準備もあるでしょうし、早めにお願いします」

「ああ、そうだな、了解した。

 小沢機動部隊に作戦開始と打電せよ」


 小沢機動部隊はイギリス沖に居た。

 なけなしの石油を使い、航続距離の長い艦で巨大な海を横断して来た。

 同盟関係にある為、ここまで来ればイギリスからの補給を受けられる。

 空母の甲板には作業員が多数並んでいた。

 小沢治三郎は、彼等に命令を出す。

「『ふ号作戦』発動。

 攻撃を開始する。

 目標はモスクワ近郊」


 空母の甲板では、風船の膨らませ作業が始まった。

 荒れる海の上で困難を極めるが、それでもコンニャク芋を接着剤に使った風船が打ち上がっていく。

 日本軍の風船爆弾である。


 いち早くジェット気流の存在を知っていた日本は、これを利用した大陸横断攻撃兵器を密かに開発していた。

 この爆弾は、昭和八年(1933年)には既に構想されている。

 満州東部国境地域からウラジオストクを直接攻撃しようと、陸軍が考えついた。

 昭和十四年(1939年)には関東軍に計画が持ち込まれ、極秘に開発が進む。

 更に北米大陸消滅前の昭和十五年(1940年)に、ジェット気流に乗せてアメリカ本土を攻撃する兵器として、神奈川県の陸軍登戸研究所での開発が決まった。

 その後北米大陸が消滅し、風船爆弾は標的を失うも、陸軍は開発を中断しなかった。

 標的をイギリスに変えて、研究が進む。

 もしかしてイギリスと戦争になった時、主力を東南アジアに向けるが、北大西洋と北太平洋が繋がった巨大な海を挟んで隣同士になったイギリス本国を無視も出来ない。

 直接攻撃する方法は無いものか?

 その後北極海調査隊からの報告で、気流の速度が変わった事を知り、ラジオゾンデ観察を隠れ蓑に密かにデータを取る。

 そして、日本近海からは無理だと分かる。

 この頃には日英の関係も良好になっていたが、それでも万が一に備えて敵地攻撃能力の研究は中断されなかった。

 やがてソ連との戦争が始まる。

 内陸深くにあるソ連の重要拠点を攻撃するのに、風船爆弾は使えないだろうか?

 上空の観測結果と元北米浅海(アメリカ合衆国跡海域)を目標にした実験の末、大西洋海域まで行けば強風となった上空の気流に上手く乗ってモスクワまで攻撃出来ると計算された。

 日本からの攻撃距離は、大体7700kmであった為、強風に乗るからもう少しいけるだろう。

 こうして空母から多数の風船がモスクワ目指して放たれた。


「さて、何発が辿り着くかな」

「一発でも十分です。

 我々に敵首都攻撃能力があると示さねば、ナメられておしまいです」

「成功して欲しいものだ」

 日本から元北米浅海を標的にした実験では、10分の1程度が到達していた。

 後は途中の海に墜落したのだろう。

 無誘導で、自動的に高度を維持する装置を搭載していたが、100%完全ではない。

 昼夜の寒暖差で水素漏れも起こる。

 そんな訳で、一割程度の成功率だが、使えると判断された。

 今回4隻の大型空母から、断続的に800発の風船爆弾が放たれる。

 80発程度がソ連の奥深くまで到達するであろう。

 その内、一発でもモスクワに到達すれば。

 そう願ってやまない。


 果たして、モスクワ直撃とは行かなかったが、そこを飛び越えた郊外のビセロヴォ湖で、奇妙なものが発見される。

 旭日旗の描かれた、訓練用爆弾であった。

 爆弾には

『日本より愛を込めて(From Japan with Love)』

 と書かれていた。


 モスクワは騒然となる。

 日本からの攻撃であった。

 メッセージ付きという事は警告なのだろう。

 だが、どこから投下された?

 日本軍機の目撃情報は無かったというのに。

 一斉に聞き込み調査が行われる。


 調べると、ヨーロッパロシアやウクライナ等に、旭日旗が描かれた爆弾が何発か落ちていた。

 モスクワ近郊に10発、それより西に23発。

(おまけでフランス、ドイツを含むヨーロッパ内に30発程。

 これはヒトラーに報告され、彼もこの謎の兵器に興味を持つ)


 そして、飛行隊の目撃情報も出る。

「おら、見ただよ。

 嘘じゃねえだ。

 空の上の方を真っ(つろ)い何かか飛んで山の方さ行っただ」

「あんれはオレンジ色の火の玉のようなもんが、あっちの空でボワっと出て来てなあ」

「あれは彗星だったかな?

 いや、違う……違うな。

 彗星はもっと、バァーって動くもんな。

 あなた、暑苦しいな。

 うーん……帰れないのかな?

 おーい、帰して下さいよ。

 ねぇ?」

 要領を得ない農夫たちの証言である。

 白い何かというのは風船爆弾そのもの、オレンジ色の火の玉というのは、証拠を残さない為に投下する際に自焼装置が働いたものだった。


 日本軍の「未確認飛行物体(Undefined Flying Object)」による首都攻撃は、スターリンに報告される。

「一体どうやって、日本はモスクワまで届く手を持ったのだ?」

「調査中です」

 スターリンは苛ついていた。

 日本の余裕顔は、これが有ったからだろう。

 忌々しい。

 正体の掴めぬ兵器とは、相手を不安にさせる。


 このネタバラシはイギリスからされた。

 日本はイギリスに、そうするよう依頼している。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花、という言葉があるが、分かられてしまうと途端につまらないものに感じられる。

 ならば、心理効果が続いている内に次の手を打とう。


「あれは、巨大なアドバルーンを使った爆弾です」

「風船?

 そんなものが使える訳ないだろう!

 虚偽の情報は迷惑である」

「ふうーー。

 信じられないなら仕方ありませんな。

 まあ、話を続けます。

 あの風船は、連合王国の沖合から放たれています。

 そのまま気流に乗って、ヨーロッパを横断してモスクワまで飛んでいます。

 話を聞くと、そこより遠くからだと無理なようです。

 いやはや、我々も最初は東洋人が何をおかしな事をしているのかと思いましたよ」

「待て。

 今、貴国の沖合と言ったな。

 何故妨害しない?」

「日本は我が国とは同盟を結んでいますから。

 無論、我が国は貴国とも友好関係にあります。

 しかし、我が国の領海外での作戦行動を妨害する義務は有りませんな」

「…………」

「で、どうでしょう?

 我が国としては、貴国には日本と停戦して頂きたいのですが。

 我が国の顔を立ててくれますよね?」

 申し出を断れば、影に日向に風船爆弾発射を支援するだろう。


 スターリンには思い当たる事がある。

 もしもこの爆弾に、化学兵器なり細菌兵器が搭載されていたなら?

 スターリンは、日本の長い手の脅威を悟った。


「まったく、東洋人は思いもかけない発想をする。

 イルクーツク直接攻撃といい、塩害作戦といい、この風船爆弾といい。

 いいだろう。

 チャーチルに免じて講和に応じよう。

 戦場を外交の場に変える。

 出来るだけ交渉で戦果を勝ち取るとしよう。

 あ、ジューコフには攻撃を続行させよ。

 軍事的にも奪えるものは奪っておかないとな」


 第二次世界大戦後半戦はまだ続く。

おまけ:

東久邇宮稔彦王は自嘲気味にぼやいていた。

「私は何をしにここに来たのだろう?」

チャーチル、ヒトラー、スターリンという顔に対し、東久邇宮は押し出しが弱い。

首脳会談を行う為に待機しているのだが、大日本帝国の総理大臣は指導力を全く発揮していない。

この場では松岡次官たちが頑張っている。

国内は岸軍需大臣が、代理総理として国政を牛耳っている。

戦争は東條陸相は事実上の総指揮官となっている。

名ばかり総理は、今日もイスメト・イノニュ大統領の隣でトルコ(チャイ)をすするだけの日を送っていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 風船爆弾を放ってる写真見たことあるけど けっこう作業スペースいりそうな物を 空母の甲板から・・・作業員の苦労がw 荒天時の発着艦より神経使ってそう(小並)
[一言] 風船爆弾の誘導にはちょうど観測していた上空の気流データが使えますな。
[一言] まwさwかwのwふw号w兵w器www そしてロシアにカミーユが潜みおるとは
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