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玉砕

関東軍では、参謀本部から受けた

『ソ連に”これ以上攻め込んだら塩害で農地使えなくしてやるぞ”と脅す作戦を実行せよ。

 効果が無くても良いから、相手が理解出来るように実行せよ』

という命令を受け、敵偵察機から見える場所に海水のプールを作ってみせた。


「こんな作戦、効果あるのですか?」

「心理戦だ、やらんよりはマシだろ」

「海水撒くとか塩撒くとか、相手に通じますかね?」

「君は知らんのか?

 かの古代ローマはカルタゴを滅亡させた時、その跡地に塩を撒いたのだ。

 もう作物を取れなくするという事だ。

 古代より知られた行為だな」

それを聞いていた知識がある兵士が呟いた。

「……日本がローマの立場なら良いですが、カルタゴの方に見えてならないんですけどね。

 上の方(東條)はとち狂ったんじゃないですかね」


その兵士は懲罰で最前線送りとされた……。

上層部の作戦を批判した罪と、

より重大な機密を漏洩した罪で。

 軍事用語で、全滅とは損耗率100%の事ではない。

 3割を失えば戦闘不能として「全滅」とする。

 5割を失った場合、それは「壊滅」と呼ぶ。

 10割に近い損耗は、「殲滅」と呼ばれる。

 負傷気絶しての捕虜や、投降・逃亡者も出る為、100%というのはまず無いが、それに近いものだ。

 この「殲滅」はある時、日本において別の呼ばれ方をされるようになる。

「玉砕」と。


 『北斉書』列伝の一説

「大丈夫寧可玉砕、不能瓦全」

(立派な男子は、玉が砕けるように名誉・尊厳を保持したまま死ぬべきであり、

 名誉・尊厳を失って瓦のようなつまらないものとして一生を全うすることは出来ない)

 これが語源である。


 第二方面軍はジューコフ元帥率いるソ連軍の猛攻を受け、既に「壊滅」を通り越していた。

 だが、一向に降伏しようとしない。

 ジューコフは

「最早降伏しろとは言わん。

 そこで死ね!

 お前たちが立派に戦ったという事だけは、語り継いでやろう」

 と、こちらも殲滅モードに入っている。


 補給を断たれ、半包囲され、物量を叩きつけられてなお、山下奉文とその配下は戦い続けている。

「我々がここで戦うのを止めれば、その皺寄せが友軍にいく。

 我々が持ちこたえている時間だけ、友軍は立て直しの時間を稼げる。

 立て直しさえ出来れば、不敗日本軍は戦える。

 我々の死は決して無駄ではない」

 言ってて自分自身信じていなかったりもするが、それでもこうして士気を鼓舞している。


 関東軍の参謀に返り咲いた石原莞爾は、ここの軍への増援を命じる。

「無理です。

 遠過ぎます」

「その遠過ぎる場所に兵を送ったのだ。

 やれん事など無い!」

「辿り着く前に迎撃され、一人もネルチンスクまで着かないでしょう」

「空挺でやれ。

 空挺降下なら可能だろう」

「空挺で大軍を運搬は出来ません。

 輸送機を動員し、数百人を乗せるのが精一杯です。

 その輸送機が、敵機の迎撃を受けて途中で失われる可能性があります。

 敵の対空砲火で多くが降下中に撃たれます。

 百人程度が降下出来て、十数人が味方と合流出来たら良い方です」

「君はさっき、一人も着かないと言った。

 だが空挺なら百人程度は上空まで到着出来ると言ったな。

 ならやるべきだ」

「たった十数人の援軍でどうなると言うのですか?

 それにそれだけ無事ならまだ良い方です。

 生き残りは一人、二人になる可能性が高いです」

「一人か二人でもやるべきなのだ」

「全く意味がありません」

「意味はある。

 孤軍は援軍が来れば、それだけで士気が上がる。

 残酷なようだが、第二方面軍には一分一秒でも長く北で支えていて欲しい。

 兵の逐次投入は兵法の愚策である、全くその通りだ。

 無謀な作戦だ、全くその通りである。

 だが、今は愚策であっても、決して司令部は彼等を忘れていないと知らせる事が重要なのだ。

 それがあれば、第二方面軍は戦える」

「……石原閣下の仰る通りです。

 直ちに作戦を形にします」

「俺も行くぞ」

「は?」

「俺が言ったのだ。

 俺が責任を取るべきだろう。

 俺はこの通り病気で杖などついておる。

 戦場じゃ全く役に立たんが、俺が助けに行って、空中で撃たれて死んだとなれば、他の死地に赴く兵への慰めにはなろうよ」

 石原莞爾は病弱で、中耳炎や膀胱腫瘍などを患っていた。

 かつての「強硬右派捕縛」の時に逮捕されなかったのは、他の右派指導者と違って暗殺等の手法への反対と戦時統制への賛成だった事の他に、病気で入院が必要だった事もあり、陸軍内の共感者が必死に捕縛を止めた事もあったのだ。


 病人・石原莞爾の空挺降下というのは周囲が押し留めた。

 そして、石原莞爾の言う事は関東軍も参謀本部も理解している。

 既にフルンボイルの第四軍に補充を行った上で、北上して第二方面軍を攻囲する敵を背後から攻撃するよう命令が出ていた。

 空いたフルンボイルには第一方面軍が兵力を分けて防衛に当たる。


 一方、脱出した富永恭次はハバロフスクに辿り着くと、東條に救援要請の連絡を入れると共に、周囲の兵力を集めて自身も救援の部隊臨時編成に取り掛かっていた。

 沿海州を防衛する部隊や、新規で日本から送られて来た師団を集め、ネルチンスクまでは行けずともその周囲に展開するソ連軍第二極東戦線への攻撃を目論んでいた。

 彼は臆病からハバロフスクまで下がったのではなく、確かに彼なりの防衛構想と戦闘意思は有ったのだ。

 だが、そんなのは伝わらない。

 彼は救援部隊を編成した時点でお役御免となる。

 誰が敵前逃亡した指揮官の下で戦いたいだろう。

 富永は本国に召還され、代わって河辺正三が司令官となった。

 河辺は情に厚い。

「この作戦には、日満の運命がかかっている。

 一兵一馬でも注ぎ込んで、山下を押してやろう。

 そして、山下と心中するのだ」

 彼は富永が集めた部隊に加え、本来沿海州を守る為の兵力まで使って第二方面軍救援の為の軍を進発させた。


 山下奉文とイワン・コーネフの戦闘は、双方持てる戦術の全てを使って行われていた。

 山下も作戦参謀の服部卓四郎も辻政信も、知略の限りを尽くしている。

 にも拘らず戦況は押されっぱなしである。

 見た目には一方的にやられているようにしか見えない。

 戦っている当事者であるコーネフ第一ウクライナ戦線司令官は

「気を抜くな。

 油断していると思わぬ反撃を食うぞ。

 特に伏兵が居そうな地形には要注意だ。

 泥の中に、戦車に轢かれるのを覚悟で敵兵が伏せていると思え」

 と気の緩み等ない。


 拳闘(ボクシング)に例えると、東洋では無敵を誇った王者が、最強の世界王者に歯が立たずにボコボコにされている図式である。

 玄人目には中々激しい戦術の出し合いをしているのだが、外からは一方的に殴られているようにしか見えず、片方はギリギリで耐えて立っているだけだ。

 関東軍司令部も参謀本部も、山下の敗北は明らかだと見ている。

 だがタオルを投げない。

 逐次投入であっても、増援を送っている。

 山下が踏ん張って、ソ連軍を北に留めている、その作戦意図を理解しているからこそ、必死の延命措置を施していた。

 ここに損切りが出来ない日本の弱点が出ていると見るべきか……。


 いや、一人独断で損切りをした男がいる。

 第四軍に代わってフルンボイル防衛を任された栗林忠道である。

 彼は命令通りにフルンボイルの飛行場防衛に赴くが、兵力の半数以上、特に工兵を後方に残した。

「大興安嶺山脈に通行不能な防衛線を築く」

 それが彼の判断である。

「敵は第二方面軍を包囲したまま、フルンボイルを攻撃すると見た。

 補充されても定数の六割程度の第四軍は撃破されるだろう。

 そして平地のフルンボイルは守りにくい。

 敵が放棄したとはいえ、疲労困憊の我が軍があっさり奪還出来た事からも分かる。

 ここでの防御戦は行わず、我々は山岳に籠って戦う」

 周囲は反対する。

「中将殿は臆されたか!

 敵を恐れ、友軍を見捨てるのですか?」

「友軍を守る為にこそ、防御陣地が必要なのだ。

 友軍は撤退して来るだろう。

 その時、収容出来る拠点が必要だ。

 そして、山脈も突破された時、全友軍が危機に陥る。

 我々の死に場所は、後方のあの山岳地と心得よ」

「死ぬ気、なのですか?」

 栗林は間接的な回答をする。

「俺は騎兵だ。

 騎兵の役割は、己の死をも恐れぬ突撃で、敵に打撃を与える事だ。

 かつて『日本騎兵の父』秋山好古将軍は、騎兵学校のガラス窓を拳で叩き割り

 『これが騎兵だ』

 と血塗れの手を見せて言った。

 己の犠牲と引き換えに、味方の作戦に貢献する。

 それが騎兵なのだ。

 だが、勘違いしてはいけない。

 突撃して死ぬのが目的ではない。

 犠牲を出してでも、己が死んででも、味方の為に働くのが目的なのだ。

 この場合、我々は第二の山下将軍となり、山岳で徹底的な足止めを行う。

 可能な限り友軍を収容し、後送する。

 戦い方は変われど、兵種が廃止されようと、それが騎兵の本懐である」

 部下たちは納得した。

 納得出来ずとも、司令官がここまでの覚悟を決めた以上、従う。

 半数は後方で、かつて第四軍が構築して戦った陣地を強化し、更なる頑強な陣地を作る。

 残り半数はフルンボイルの防衛に当たるが、この部隊は守るというより、撤退する際に友軍を連れ帰る部隊と言えた。


 果たして栗林の読みは当たる。

 イルクーツクのジューコフは、ネルチンスクの山下軍の反撃が衰えている事を確認すると、引き続き山下攻撃の兵は残しつつ、第二極東戦線には東進、第一ウクライナ戦線には南下、更にザバイカル戦線とモンゴル軍にも東進を命じる。

 彼の使命は満州制圧と沿海州奪還であり、短期間の目標としても、今も散発的にイルクーツクを空襲に来る日本軍の航空基地フルンボイルの占領である。

 山下を打ち取って良しとするのでは、赤軍の名が廃るというものだ。


 最早第二方面軍は、バラバラになって、連隊ごと、大隊ごとの防御陣地を守るのが精一杯。

 彼等が頼みとした砲もほとんど沈黙し、数門小型の山砲が神出鬼没な奇襲をかけて来る程度である。

 司令部は生きていて、まだ組織的な抵抗は行っているし、戦闘意思も残っている。

 だが、もうソ連軍の背後を脅かす力は残っていない。

 安心して山下に背中を向けたイワン・コーネフは、山下救援の為に北上して来た武藤章の第四軍を捕捉、大軍を以ってこれを包囲する。

 ハランゴル湖の付近で会戦となるが、第四軍はついに損耗率九割、つまり玉砕となる。


 傷を負った第四軍司令官武藤章は、残った僅かな部下たちに言った。

「せめて戦車だけでも封じられると思い、湖畔を戦場に選んだのだが、本当にソ連の戦車はこんな湿地でも動けるのだな……。

 俺の失敗だ。

 諸君たちを俺の失敗で死なせてしまうのは、痛恨の極みである。

 俺は最後の突撃を敢行するが、諸君たちは付き合ってくれるか?」

「もちろんです、閣下」

「共に死にます」

 こうして司令部自ら突撃をかけ、全員戦死した。


 第四軍玉砕。


 第二方面軍はまだ生き残っている。

 臨時河辺軍も第二極東戦線と衝突し、敗北した。

 だがこちらは撤退戦で嬲り殺されながらも、まだ東シベリアに留まり、戦闘を継続している。

 沿海州の方へ後退する毎に連絡線が短くなり、物資と兵員の補充が成される為、まだ戦えそうだ。

 ネルチンスク近郊には日本陸軍四百人の空挺部隊が降下する。

 ジューコフがこの戦場は勝敗が決したと見て、他に兵力を転じたのも功を奏す。

 75%が失われるも、九割喪失という予測より遥かに多くの兵力が生き残って戦線に加わり、第二方面軍残存部隊を大いに鼓舞した。

 第二次空挺降下も同程度の損害を出しつつも、増援に成功。

 多少ではあるが物資の補充もなされ、第二方面軍はまだまだ戦い続ける。


 この空挺降下を行ったフルンボイル飛行場に、第一ウクライナ戦線が押し寄せる。

 そして、脱出する日本軍の飛行機を無視し、村落に雪崩れ込む。

 そこには、毒を飲んで自殺した重傷者が残っていただけだった。

 ほとんどもぬけの殻。

 第一ウクライナ戦線は更に前進を続ける。


 ネルチンスクから300km、その間に第四軍は玉砕するまでの戦闘を行った。

 時間は稼げた。

 フルンボイルの航空隊、更には第四軍の負傷からの復帰兵や更なる増援をも統合し、臨時フルンボイル兵団長となった栗林は、突貫工事ながら広域を守れる大興安嶺山脈要塞を作り、そこに籠った。

 その結果イワン・コーネフは、フルンボイルの先で想像以上の抗戦に直面する。

おまけ:

消耗は凄まじかったが、まだ日本軍航空隊は東シベリアの空で優勢であった。

ソ連軍も空戦においては必死となる。

独ソ戦で活躍した部隊も東方に移動する。


ある日、胴体の黄色の帯を描いた日本海軍新型戦闘機・紫電改を操る菅野直大尉は、白い百合を描いたYak-1bと遭遇する。

凄まじく攻撃的なYak-1b相手に、菅野は

「面白いぞ、バカヤロー!」

と喜んで応戦する。

見ていた他のソ連軍パイロットが

「なんだ、あの無茶苦茶な操縦は?」

と驚くアクロバティックな飛行で、ついにYak-1bの背後を取った。

菅野の目は、Yak-1bのコクピットに居るのが女性である事を確認する。

「女か!

 女なら大人しく紅でもさしておれ、バカヤロー!」

そう叫びつつ

(なんか、本当は俺の台詞じゃない気がするぞ、バカヤロー)

と変な気になっていた。

その邪念のせいか、紫電改の20mm機関砲はコクピットには当たらず、敵機の翼に当たってそれを吹き飛ばす。

きりもみする機体から脱出に成功したリディア・リトヴァク上級中尉は

「なんか知らないけど、凄く馬鹿にされた気がして腹立たしい」

救出後、そのように言っていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「硫黄島の闘将」栗林忠道大将がこの世界ではどんな防衛戦を見せてくれるのか楽しみです。 しかし、西竹一大佐がいたとしても、戦車ではソ連に勝てそうにないという点が苦しいですね。 [気になる点]…
[良い点] アメリカ無き状態で日ソが全面戦争したらどうなるのかが実に良くわかる展開が良いですねえ。 帝国海軍が健在でも、沿海州を灰にしても、なお満洲国は本気になったソ連軍に対して維持できないと思ってい…
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