心理戦
基本姿勢:
チャーチル「出席するだけだからな」
ヒトラー「私に良い条件じゃないと帰るぞ」
スターリン「会議をぶっ壊す為には、参加はせんとな」
つまり、散々に手を打っても引っ張り出せただけで、交渉はこれから。
”4大軍事大国の賭博遊戯。
チップは他国の領土”
”自国以外を交渉材料にして世界を分け合おうとした大国の傲慢”
イスタンブール平和会議は後世そのように言われる事となる。
英独が争っているのは、フランスやイタリア、バルカン半島等自国ではない場所。
日ソが争っている満州も元々満州族の土地。
仮にイギリスがドイツから総取りしても、それは西欧と北欧を解放するだけ。
仮にドイツがイギリスから総取りして北アフリカをも手に入れたとしても、ブリテン島には手も触れられない。
仮に日本が総取りしてモンゴルを共産主義陣営から奪っても、ソ連は衛星国を一つ失うのみ。
仮にソ連が総取りして朝鮮半島から中国まで自陣営に納めても、海を隔てた日本は無事。
唯一自領を奪われていると言ったら、沿海州と東シベリアを日本が占領しているくらいだ。
日本が呼び掛ける形で始まったこの会議だが、日本以外の3国は決裂する気満々である。
イギリスとしたら、大陸内諸国の面倒を見る気は無いので、ドイツがフランスとかオランダとかを解放すればそれで良し。
「だが、あのババリアの伍長はそんな事を認めんだろう」
最初からそう見ている。
まあ、もしこの条件を呑んだなら儲けものだ。
ドイツとしたら、イギリスがヨーロッパにおけるドイツの覇権を認め、資源輸出を再開したなら儲けものだ。
そこまでイギリスを説得した日本を褒めてやろうじゃないか。
「だが、あのチャーチルがそんな事など認めんだろう」
「それに、占領地を解放する気など無い」
ドイツとしたら、南方生存圏が無いと死活問題なのだ。
ソ連としたら、英独の顔を立ててやって来たに過ぎない。
沿海州を返還し、満州西部を譲渡するというなら、まずは貰ってやろう。
返して貰ったら、そこを拠点にまた攻撃すれば良い。
今、日本と戦争を止める必要は全く無い。
ソ連にとって、そここそ食糧を生産する新天地となるのだから。
外交では、相手国の為に働く「水先案内人」たる外交官が着く。
チャーチルには吉田茂、ヒトラーには大島浩が着いた。
押し付けられた形になるが、チャーチルも日ソの仲介を外交担当に命じる。
この辺、イギリス人は律儀なところがあった。
「会議は踊る、されど会議は進まじ」
戦後の交渉であれば、こんな感じで会食や舞踏会を行いながら進めても良いだろう。
だが、決裂する気満々の三者に対しては、速戦即決で挑んだ方が良い。
吉田茂はチャーチルに対し、搦め手から攻める。
吉田茂は、駐英大使時代から親交がある実業家の息子・白洲次郎を使った。
白洲はケンブリッジ大学に進学し、イギリス貴族や実業家と顔なじみであった。
白洲の助手として、財務省の宮澤が補佐をする。
彼等は、イギリスの経済に関わる者たちに
「イギリスが大陸諸国をドイツから解放するのは素晴らしい。
では、戦後復興と氷河期対策は勝ったイギリスが面倒を見るのか?」
と聞いた。
やらざるを得ない、それが勝った者の義務だと言う。
だが、あえて勝たずにドイツを残す方法ならどうだろう。
ドイツの衛星国となる欧州諸国だが、海外に植民地を持たない国はイギリスから食糧を購入せざるを得ない。
ドイツの宗主権を認める事で、戦後はドイツに任せる事が出来る。
イギリスはドイツに「投資」する事で、捨て銭ではなくて回収可能な資金運用となる。
ドイツという投資を返せる国を潰すのは得策ではない。
こういう話をした。
細部で色々と議論は有ったが、大筋では納得がいく話だ。
勝って全ての面倒を見るより、ドイツという返済可能な相手を残す。
そしてイギリスには、勝った後に徹底的に相手を追い詰めた結果、ナチス党政権を生んだベルサイユ条約の記憶がある。
より悪くなるより、気候変動・氷河期到来の今は現状維持が良いかもしれない。
このように根回しをした結果、吉田茂がチャーチルを説得する頃には上流階級にはこの日本案が知れ渡っていた。
「よくぞここまでやってくれた。
外交音痴の日本にしては見事だ。
その手腕に敬意を表し、一回だけ貴殿の申し分を飲んでみよう。
だが、ババリアの伍長が拒絶したらそれまでだ」
チャーチルは苦笑いしながら、吉田茂の説得に応じた。
チャーチルにしても、アメリカ合衆国が消滅した今、ドイツに完全勝利は無いと考えている。
負けはしない、だが今の気象・環境で勝っても意味が無いのも確かである。
荒廃したヨーロッパで大規模復興をする暇も無い。
チャーチルは、一回拒絶してみせ、その中で譲歩を示すという交渉法で吉田茂、ひいては日本に恩を売った。
そう、交渉が成立しても決裂しても、自分が譲歩したという恩は残すのである。
一方の大島は、ヒトラーにおべっか混じりの正論で切り込む。
ヒトラー相手には上っ面な駆け引きは逆効果となろう。
ドイツの宗主権が認められるのだから、各国を復活させた方が何かと便利である、と。
実際ドイツは、各地に傀儡政権を立てて、不要な地はそのまま統治させている。
更にこうも言う。
「今、態勢を立て直す為のもので、未来永劫続くものではありません。
総統も、ライン川が凍結し始めた今、工業生産の立て直しをしたいとお考えじゃないですか?
戦争経済という概念をお考えになった賢明な総統なら、きっとそのように考えておいででしょう」
それはその通りだ。
夏は使える以上、ルール工業地帯を捨てる気は無い。
だが、通年で生産と輸送を行える新しい工業地帯も用意する必要がある。
ヒトラーはその場所を、トリエステやプーラ(ポーラ)が在るアドリア海沿岸と考えていた。
だからイタリアとの戦争はヒトラーには必要なものだったし、ここを返還等出来ない。
「その辺の条件は呑ませましょう。
ドイツにとって必要なのですから」
「他にもまだ条件は有るが、良いのか?
日本はそれを、あのチャーチルに認めさせられるのか?」
ヒトラーがそのように言った。
要は日本の交渉に任せてみるか、という気持ちが芽生えたようだ。
ここまで来れば十分だ。
後は調整のみとなる。
……そこからが極めて面倒臭いのだが……。
さて、一番の難問、スターリンとの交渉である。
スターリンはイスタンブールまで来てはいるが、日本の代表と会おうとしない。
代理人に交渉をさせ、次の交渉ではまず否定から始める。
本人が出て来ないのだから、説得も何も無い。
どうもイギリスの代表とは会っているようだから、全く講和交渉に応じる気が無いわけではなさそうだ。
だが、これでは心の内が読めない。
ソ連の要求は
「日本は完全に満州・中国・朝鮮から手を引き、
樺太・千島・北海道を割譲し、
賠償金を支払う事」
というものだ。
ここから一切引こうとしない。
何度も大蔵省の池田が論破し、「持ち帰って話を聞いてくる」となっても、次の交渉では別人が来て上記要求を繰り返すのだ。
「いい加減、わしがスターリンの髭を引っ張って交渉の場に連れて来てやろうかの」
池田がこめかみをピクピクさせながら物騒な事を言う。
松岡は池田を抑えると、
「石原将軍の策を使ってみるか」
と言った。
その策を聞いた池田も
「中々酷いやり方じゃの。
じゃが、それくらいせんと動かんのかもしれん」
と言うが、表情は笑顔であった。
ある日の交渉で日本側はこう言う。
「日本側の要求を一顧だにせんと有らば致し方無し。
戦争続行である。
その際、満州及び東シベリア、沿海州、中国北部を焦土と化す。
貴国は一切の食糧を得られないであろう」
これが石原莞爾の策であった。
譲歩ばかりでソ連は説得出来ない。
脅してやれ。
焦土戦術はロシア以来の彼等の得意技。
やられた場合の痛手を、彼等はよく知っている。
数年以内に手をつけねば国全体が飢えるのに、ここで折角の東方が焦土となったらたまらないだろう。
「英独ソ全てが陰謀も策略も使って来ておる。
日本だけが大人しくしても馬鹿を見るだけだ。
俺は日本が正道から外れる事を望まん。
しかし、仏教には『方便』という言葉がある。
そこに辿り着くまでなら、多少の汚い事もせんといかん」
王道楽土実現という理想の為に満州事変という方便を使った石原はそう言う。
彼にとって誤算だったのは、理想有っても方便ではなく、方便自体を有るべき方法として模倣された事であった。
これに堀悌吉が追加で策を加えた。
「やれるものならやってみよ。
そのような脅しに屈するソビエト連邦ではない」
ソ連代表団は態度を強硬にした。
ここまでは予測通りである。
この反応を受け、傍受されても良い電報が、日本で戦争指揮を執る東條英機に送られる。
「土俵入リノ時」
そしてソ連軍の上に、奇妙な雨が降る。
日本軍の爆撃機は、爆弾でなく塩辛い水を撒き始めた。
「なんだ?
日本野郎は爆弾がもう無くなったのか?」
ロシアの兵士たちは嘲笑う。
この報告を聞いた黒海沿岸のグルジア出身・スターリンは思わず叫んだ。
「ら、らめえぇぇぇ!
そんな事したら、塩、吹いちゃうぅぅぅ!」
(※グルジア語です)
「同志首相、お気を確かに!
一体どうされたのですか?」
「すまん、思わずおかしな事を叫んでしまった。
諸君は塩害という事を聞いた事は無いのか?」
「知りません!」
「日本野郎め、農地に海水を撒き始めやがった。
農地なんてのは、焼いても灰が肥料になる。
踏み荒らしても耕せば良い。
だが、塩害を起こして塩を吹いてしまうと、作物は育たんぞ」
農奴の家系に生まれ、共産党では労農監査人民委員部部長の経歴があり、集団農場運営では失政をしてウクライナ飢饉を招いたりしたスターリンは、その度に農業についても学習していた。
国内にカスピ海、アラル海という塩湖を持ち、穀倉地帯は黒海に面するだけに塩害もあった。
ロシアは基本的に内陸国だからこの辺は疎いが、カスピ海、アラル海、黒海沿岸は気を付ける必要がある。
堀悌吉の策がこれであった。
ソ連は多少の焦土戦術には屈しない。
だから、多少じゃないやり方が必要だ。
田畑を完全に使い物にならなくする。
そこまでやらないと、彼等は強硬を押し通す。
全土を使い物にならなくするには、日本の爆撃機が何機有っても足りない。
一回海水を撒いたくらいでは、大した塩害も起こらず、除去も簡単だ。
表層の土を掘り返して捨てれば良い。
だが、こういう手段もあるぞと脅す、それが重要な事だ。
追い詰められたら何を仕出かすか分からない、そういう恐怖がある相手でないと、ソ連は交渉に等応じない。
果たして、この後の交渉でソ連は譲歩をして来た。
「日本の提案についても聞いてみる。
我々は今まで余りに強硬的過ぎた。
それでは日本も困るだろう」
上から目線での譲歩だが、十分な収穫である。
ソ連も、戦争で資源と人命を消費して奪った土地が、数年は回復不能な塩害の地になっているよりは、戦わずに無傷で手に入れられるならその方が良いと考えたのだろう。
やっとまともな交渉が始まる。
この間、ネルチンスクの南で山岳に籠って戦う日本軍第二方面軍への攻撃を、ソ連は止めていない。
日本も、爆弾に替えて海水をばら撒く事を止めない。
当地の人には傍迷惑なチキンゲームも始まっていた。
おまけ:
「同志首相、分析しましたが、日本軍の総力を挙げてもシベリア、沿海州、満州の農地全てに塩害を起こす程の海水を撒く事は不可能です」
「そうか。
そうなんだろうな」
スターリンは頷く。
「どうします?
また日本は無視し、イギリスだけと交渉する姿勢に戻しますか?」
スターリンは少し考えた。
「いや、会ってやろう。
わしを一瞬でも混乱させた事に敬意を表してやろうじゃないか。
それに……」
「それに?」
「あいつらは思いもかけない手を打って来る相手だと分かった。
確かに塩水の事は大した問題にならないようだ。
だが、そういう事を考えつく相手と認識し、対応せんとな。
思った以上に巧妙じゃないか」
珍しくスターリンが賞賛する。
そして言った。
「これで打ち止めなら大した事はあるまい。
だが、まだあと二、三枚は手札を持っているように思えてならんのだ」