意見の統一
「おい、お前宮澤だったか?
わしと同じ広島っちゅう事で覚えとる。
戦争保険の担当者が、何を外交官みたいな事しちょるんじゃ?」
大蔵省主税局長になったばかりの池田が、職務そっちのけで奔走する後輩の宮澤を問い詰める。
「ある意味、戦争保険の職務の一端ですよ。
戦争が終わるか、更に激しくなるかで利率が大きく変わりますから。
あと、僕は本籍は広島でも東京生まれです」
「細けえ事ぁどうでもいいんだよ!
何じゃ?
戦争が終わる?
面白そうな話じゃの。
どうじゃ、今晩飲みに行かんか?
わしがおごるけえ」
……その晩、池田は戦争工作とそれに伴う「イギリスの経済的属国にならない為の方策」という興味深い話と、宮澤の凄まじい酒癖の悪さ及び毒舌に衝撃を受けるのだった。
「……という事で、別に未来永劫ソ連と仲良くやっていくわけじゃない。
敵として残し、緊張感を保つって面もある。
まずはこのおかしな世界で生きる為に、戦争やっとる場合じゃないから、止めるっつー話だ」
三木武夫の説得に、河野一郎は
「分かるわい。
分かってはいるんだよ。
だけど、まだウンとは言えんのだ」
そう返す。
「どうしてじゃい?
党利党略なんてつまらんものの為か?」
声を荒げる三木に、河野も反論する。
「党利党略だけじゃねえよ。
今がおかしな時代だって事は分かるんだよ。
だけど、それでも譲歩し過ぎてないか、って話だ。
俺も鳩山の親父も、協力する事に異論は無い。
だが、その協力の内容が売国だったら目も当てられん」
国民の「仕方ねえな」「俺たち何も分かんねえもんな」という気分とは別に、党人政治家たちはまだ反対を貫いていた。
河野は党利党略を否定したが、実際のところ党利党略はある。
政府の言う事に賛成したら、野党の存在価値は低下すると思っている。
そういう感情もあるし、混ざり合う形で「政府の言う事は本当なのか?」と疑問に思うところもあり、拙速に賛成には転じられない。
三木の理による説得は、河野一郎だけでなく他の者にも伝わらない。
彼等とて分かってはいる。
分かっていても、引く事は出来ない。
それが出来たら、昭和初期の政党政治の混乱も無かった。
彼等は、自分たちが政権交代前に与党として実行した政策すら、野党になって実施者が他人になった途端に反対する。
そういう生物なのだ。
一方、陸軍大臣としても、参謀総長としても東條英機は若手の跳ね返りを説得するが、こちらも効果が無い。
これは東條には向いていない事だ。
彼は人事権を使って反対派を左遷するような高圧的対応は出来るが、説得というのはほとんど出来ない。
若手将校を幾ら戦地とか僻地に左遷しても、この場合次から次へとより過激な者が現れかねない。
誰かがリーダーとして「満州を死守すべし」と言っているのではない。
陸軍の体質として、弱気を許さず、押し切れという精神論が蔓延っている。
だから大量粛清しようとも、次を生むだけだ。
彼等の集団としての意識を変えないと、いたちごっこに終わる。
そして終戦工作に入る松岡と堀悌吉も頭を抱えていた。
説得は他人に任せている。
災害に対する公共事業計画やその実行に際しての官僚の操縦は、田中角栄が裏で行っている。
表では松岡に次ぐ立場の者にさせているが、実際にその者をレクチャーしているのが田中である。
彼はいつの間にか多数の頭脳集団を持っていた。
新聞社の経営者であり、理研財閥とも繋がりが深い。
帝大卒のエリートが彼の下に送られ、或いは彼自身がスカウトする。
最初は低学歴の田中に反発する彼等も、いつの間にか「角さん」「角栄さん」と呼んで彼を支えていた。
その辺りは代理人が居るから良い。
問題は、ソ連との和平条件であった。
イギリスとドイツを講和させる方針は立っていた。
両者とも気候変動への対応と経済的な利害で飲み込んでくれる可能性が高い。
問題なのはチャーチルとヒトラーの意地くらいだろう。
ドイツにヨーロッパ大陸全体の支配権を認める。
その代わり、各国を復活させる。
各国の天災被災者に対する保護は、各国政府にやらせる。
これだとドイツの持ち出しは減るから、ドイツには利がある。
また、ドイツに占領された国の主権を復活させれば、イギリスの面子も立つ。
その上で、この北半球規模の気候変動に対処するには、各国バラバラにやっていてはダメだ。
ここはヒトラーの統一的な指導が必要かもしれない。
つまるヨーロッパ全体での国家社会主義実行。
ヨーロッパ規模の統制経済、もしかしたら通貨統合。
かなりドイツの権限が大きいが、国を復活させての欧州統合をさせるのだ。
イギリスはこの欧州統合体を商売相手とする。
イギリス自体は軸足を南半球や東洋に移すだろう。
イギリスも、一回フランスやノルウェー等を復活させる事で、彼等の面倒を見る事はドイツに押し付けられる。
その上で食糧を売れば良い。
これに対し、ソ連が呑む条件は考えつかないでいた。
満州を譲渡する。
スターリンは言うだろう「実力で取るからそんなのは戦争を止める理由にならない」。
食糧を輸出する。
スターリンは言うだろう「占領後自分たちで生産するからそんなのは戦争を止める理由にならない」。
戦争を止めねば何年でも抵抗するぞ。
スターリンは言うだろう「やってみるが良い、我々は決して屈しない」。
ドイツが背後を脅かすぞ。
スターリンは言うだろう「もう彼等にはそんな気は無い、騙されない」。
どうやってもスターリンは退かない。
彼とて、下手をしたら数年で食糧が尽きるのは分かっている。
満州や極東を抑え、そこで農作物を生産しても、剛腕で抑え込まねば十年程度で国が崩壊するという予測が立っている。
満州や極東がずっと戦乱なら、数年で破綻だ。
それでも彼は退かない。
そうでなければ、ソ連のトップにも立てなかっただろう。
「日本は決してソ連に勝てない。
しかし、日本は決してソ連に負ける事もない」
堀はそう断言する。
大陸の日本軍が全滅しても、海軍が残っている。
ソ連海軍は恐らくあと十年経っても、大日本帝国海軍に勝つ事は出来ないだろう。
だから千島以南、台湾以北は守り切れる。
日本が諦めなければ、ソ連とて勝ち切れない。
「だが、その先にあるのは……」
共倒れである。
それを避けようと日本が折れる事も出来ない。
やれば政権が崩壊しかねない。
何とか政治的に「譲歩」程度で済ませねば。
「屈服」はどんなに理由をつけても、全ての国民と軍人が怒りを爆発させてしまう。
八方塞がりを打破したのは、石原莞爾であった。
彼は若手将校、ひいては陸軍に蔓延る強硬論をどうにも出来ない東條を嘲笑する。
東條は怒りに震え、それを松岡が両方を落ち着かせる、いつかの光景を繰り返した。
相変わらず上から目線だが、石原はこう対応策を出した。
「そもそも、若手の連中は現場を知らん。
東京の参謀本部や、後方の司令部にふんぞり返って、偉そうに作戦と称する何かを命じているだけだ。
俺に倣ってと嘯いているようだが、俺は満州では自ら軍を指揮したぞ」
「それは本来参謀がやってはならんのだが」
「細かい事言うなよ、憲兵の親分。
あんただって、察哈爾作戦で自分で指揮をしただろう?
言っちゃなんだが、俺はあの現場指揮で、あんたを多少見直したんだぞ」
(なんでここまで上から目線なのだ)
察哈爾作戦の時の東條は兵団長というれっきとした指揮官だった為、参謀が勝手に指揮をしたのと一緒にされたくはない。
東條は一々苛つくが、話を聞き続ける。
「俺に倣い、あんたを弱腰だと罵る若手将校たち。
彼等に現場を見せたらどうだ?
あんたは人事権を持っているのだろう?
配置換えとは言わない。
聞けば、満州の戦況は小康状態らしいな。
山下さんが北にソ連軍釣り上げたお陰だが、長くは持たないだろう。
今の内に、彼等に前線視察を命じて欲しい」
特に幼年学校上がりの高級参謀は、自分たちは作戦を立てるもの、一般の士官学校からの将校が現場を指揮するもの、という謎の特権意識を持っていた。
彼等が現場を体験するのは、実績作りの時以外は、競争に負けて左遷された時となる。
だから、如何に東條が前線勤務を命じても、素直には従わない。
だが、作戦立案の為の前線視察なら理解するだろう。
「ついでに俺も現役復帰させ、現場を見させてくれ。
言ってる俺自身も、現状を知らんのだから」
この辺りは、思想家でありながら優秀な軍人でもあった石原のまともな部分であろう。
「あ!」
松岡が思い立つ。
「政治家や新聞社の人間にも、前線を見せられませんかね。
慰問とか、激励とか、理由は何でも良いので」
「なるほど、松岡君、それは良い考えだと思うよ。
政治家も国会内の論理でばかり動き、世界を知らないからな。
どうだ東條サン、あんた手配してくれんか?」
「私の職権ではない。
松岡君、岸大臣に話を通しましょう。
私も総理やお上に話しておきます」
そしてもう一個、対ソ連の交渉についても石原は妙案を出した。
堀がそれを微調整し、東條が現場に指令を出す。
その詳細は、スターリンの前で披露される。
こうしてかなり強引に、参謀本部による通遼の視察、フルンボイルへの参謀旅行が決められた。
また鳩山一郎や中島知久平、尾崎行雄、三木武吉等の前線激励も行われる。
これが効果覿面だった。
前線は悲惨の一言である。
確かに陸軍軍人たちは士気を維持し、持ち場を守っている。
しかし戦場には、破壊された戦車や砲の残骸が散らばっている。
フルンボイルや斉斉哈爾の飛行場では、搭乗員たちが参謀や政治家を気にする余裕もなく、愛機の傍で倒れ込んで寝ていた。
新京や奉天では、新規徴収兵の訓練と、前線に送る為の物資の手配が行われていた。
だが、頼りないが数だけは揃う兵士に比して、物資の量が少ない。
(これは全戦線に行き渡らないだろう)
軍事の素人の政治家たちですらそう感じた。
彼等はやっと、日本の実体がお寒い事を知る。
知識として知るのではなく、実感した。
ある程度は情報を仕入れ、想像をしていた石原莞爾ですら
「これは大変だ。
作戦どうこうで解決出来るものではない」
と愕然とする。
戦場に遺棄されたソ連軍戦車や装甲車両を見るにつけ、彼には日ソの工業生産力の差が見えた。
更に遺棄された数。
ソ連戦車は大量に破壊された。
逆に日本の戦車の残骸は少ない。
それなのにソ連軍にはまだ多数の戦車があり、日本軍にはほとんどまともに動く戦車が無いという。
鹵獲した敵戦車を修理して使っている。
穴が開いていたりするが、それでも「言っちゃなんだが、自軍の戦車よりも頼りがいがある」そうだ。
物量の差がとんでもない程開いているという事だ。
あと一戦は兵士の努力や作戦で勝てるかもしれない。
二戦もなんとか出来るかもしれない。
三戦以降はもう無理だろう。
勝つと言っても、日露戦争のロシア軍同様、一旦攻撃を止めて後退し、準備を整えるものに過ぎない。
日露戦争の時は日本軍が敵陣に踏み込んでいったが、今はソ連軍に攻め込まれて失った地すら、全部は回復出来ていない。
「このフルンボイルより更に先、ネルチンスクに山下将軍の第二方面軍がいます。
そちらも視察なさいますか?
戦闘に入ったそうですが、行くなら飛行機を手配しますよ」
これはただ聞いたのではない。
かなり厭味が含まれている。
そういう役割が必要なのは分かっていても、前線勤務の者は、安全な東京で口だけ出す者に一言言ってやらねば気が済まない。
東京からやって来た彼等は、軍も官も民も全てがこれを固辞した。
そして東京に帰ると、陸軍も国会も空気が変わる。
何とか戦争を終わらせよう。
負けてはいない、だから今の段階で収めよう。
悔しいが、政府の言っている事は間違っていない。
難癖つけていても、かえって国の害になるだけだ。
こうして国内が何とか「政府に任せる」で意見統一された頃には、既に講和会議参加者は数機の一〇〇式輸送機に分乗し、台湾、シンガポールを経由しながらトルコを目指していた。
おまけ:
「なんだ、このクワガタ。
どこから入った?
追い出せ!」
一〇〇式輸送機のとある機の中で、昆虫が紛れ込んでいて、ひと騒動になっていた。
「捕まえましたよ。
でも、虫如きに臆病ですな」
「なんか、『旅の中止を暗示』しているような気がして、気持ち悪かったのだ」