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講和会議開催への切札

インド暴動は、全然結束が無く、民族・宗教・地域で対立しながらまだ続いている。

「どうしてここまで分裂しているのに、抵抗が続けられるのだ?」

「武器が多過ぎる。

 ソ連製、ドイツ製だが、敵対する陣営だろ?

 あいつら、我が連合王国に嫌がらせをする為に、それぞれがインド解放戦線の支部と結びついているのか?」

実際にはもっと深刻である。

対インドで、ドイツはイギリスの足を引っ張る、ソ連はインドに共産主義政権を、という思惑で手を組み、ここに関しては共同で支援を行っているのであった。

 人間も国家も理屈だけでは動かない。

 ソ連の弱みは食糧問題である。

 如何に人の命が軽い国であっても、政治の基本だけは抑えねば、再革命を起こされてしまうだろう。

 政治の基本、それは「人民を飢えさせない」事。

 戦争は、敵に占領されると自分たちの財産が全て奪われ、生命さえ危うくなる。

 だから「家族を、友人を生かす為に君の命が必要だ」が成立する。

 この場合でも民主主義国家は

「預けてくれた君の命、決して無駄死にさせるような事はしない」

 となる。

 独裁国家の場合は

「預けてくれた君の命、徹底的に有効利用させて貰う、死んでもそれは名誉の死だ」

 となるだろう。


 だが、政治が元で飢餓が発生すると、それは政権への不満となる。

 数年で回復するなら、警察なり軍隊を使って不満を抑え込む事でやり過ごせよう。

 長引く場合、それが人災でなく天災であっても何らかの手を打たねば政権は崩壊する。

 人民の反乱によって。

 中華帝国もヨーロッパ絶対王政も、これには勝てなかった。

 手っ取り早いのは、誰かに責任を押し付ける事である。

「私腹を肥やす大臣のせいである」と言って見せしめの粛清をするパターン。

「隣国のせいである」と言って侵略戦争を始めるパターン。

「反革命分子のせいである」と言って、これを機に政敵を一網打尽にするパターン。

「ユダヤ人のせいである」と言って民族絶滅政策を実行するパターン。

「ゴルゴムの仕業(以下略)。


 しかし、明らかに人災、政権の悪政が原因だと分かってしまうと、こんなものでは収まらない。

 現在まだ収拾の気配も見えないインド暴動がそうだ。

 イギリスの強引過ぎる食糧収奪と、それに加担した各民族の商人たち。

 その上更に、民族間の対立を助長してお互い殺し合わせて憎しみの目を逸らそうとした。

 バレてしまった為、一時期の飢餓から回復した今も暴動は続いている。

 大規模なのは軍隊の攻撃によって鎮圧されたが、地下に潜り、散発的にあちこちで忘れた頃に火は燃え上がる。


 深刻な食糧危機が目に見えているドイツとソ連、インド暴動が政策の足を引っ張っているイギリス、全ての国がどうにかしなければならないと思っていても、今やっている事を止められない。

 松岡が戦争終了の為の国際会議開催を提唱しても、本人を含めた多くが思っている事が

「果たして、こんな提案に乗って来るだろうか?」

 という疑問である。


 どこかの国によって有益な政策は、他国にとっては全く意味が無い、或いは逆に不利益を被るものだったりする。

 一見良いように見えても、それは毒饅頭で自分たちが致命的な失策を犯す第一歩かもしれない。

 そう疑えるのが一流の政治家であろう。

 二流なら短期的な損得を物を考え、三流ならホイホイついていって食われてしまう。

 三流未満なら?

 何の考えもせずに拒絶して相手を怒らせるものだ。


 チャーチルもヒトラーもスターリンも冷静な時は一流の政治家である。

 無論失敗、失政も数多いが、国民を統率し続けられる、外交で相手に一杯食わせる事が出来る政治家だ。

 何なら責任者不在で腰が据わらない日本が、一番政治家の能力的には低い。

 その彼等が、日本提案の国際会議なんかに参加するだろうか?

 理由をつけて拒否して来るのではないか?


 ソ連の泣き所は食糧問題である。

 だから、食糧問題を解決する為に講和会議に参加して欲しいと要請したら、これに乗るか?

 否。

 スターリンならこう言う。

「我が国に食糧問題等存在しない。

 仮に有ったとしても、自力で克服するから心配される筋合いは無い」

 自分たちの不利を認め、敵国の提案に乗る等、政治家として下手をしたら足を掬われる元となりかねない。

 スターリンであっても会議に参加せざるを得ない状況、そして彼の誇りや政治的立ち位置を失わせない条件を整備せねばなるまい。


「そこで、自分のように官から離れた者では出来ない事を、松岡さんに頼みたい」

 堀悌吉が松岡にそう伝える。

「何でしょう?」

「北極で今でも調査、研究をしている宇多博士……でしたよね……、その方と連絡取って下さい」

 すぐに現れた北米大陸消滅に伴う異変は大体調べた。

 まだ分からない部分もあるが、その時代の計測能力や分析速度の関係で、どうやったって分からないのは仕方がない。

 今、農林省水産局嘱託の宇多隆司博士が、ノルウェーのエクマン教授たちヨーロッパの科学者たちとやっているのは、長期予測の為のデータ収集である。

 気温というのは上がったり下がったりする。

 条件が複雑に絡み合っているから、短期間の動向では判断しづらい。

 この気候変動の研究を始めるに当たり、各国の科学者が日本の研究結果を有難がったのは、数十年に渡る詳細な記録であったからだ。

 データは質も重要だが、量は精度を高める上で更に重要であろう。

 北米大陸消滅から四年ちょっと、まだ十分なデータとは言えない。

 しかし、1941年に現在までの兆候で判断していた時に比べ、大分精度の高い予測が出来るようになっただろう。


「宇多博士はまだ北極にいます。

 欧州の学者たちと一緒にいる宇多博士より、その海域で海軍の気象観測員も調査をしていませんでしたか?

 堀さんは海軍の予備役なんですから、海軍に言ってそちらの結果を貰えば良いのではないですか」

「無論、友人の伝手を使ってそれは頼むつもりです。

 ですが、欲しいのは単なる記録、情報ではなく、それに基づいた予測なのです。

 それは海軍の観測員のではなく、学者先生の科学的な分析でなければなりません。

 恐らく学者先生は、たった四年じゃよく分からないと言うでしょう。

 科学というもので考えれば、まったくその通りです。

 しかし今欲しいのは、途中であっても、この先どうなるかの予測なのです。

 それがあれば、スターリンとヒトラーを交渉の席に引っ張り出せます。

 政治的に利用するのですから、政治に近い人間の仲介が必要という事なのですが」

「理解しました。

 ですが、その二人を引っ張り出す結果にならないかもしれませんよ」

「そこは話の持って行き方ですね。

 ただ、僕程度の科学的な知識で語るのも変かもしれないけど、

 この先悪くなる事はあっても良くなるとは考えられない。

 僕にはそれが、数年先なのか、数十年先なのか、数百年先なのかが調べられない。

 だから博士の判断が必要になるのです」


 電報を使い、北極に居る宇多にその旨が伝えられた。

 この電報はイギリスの電信ケーブルを使って届けられる。

 情報に関しては世界一収集能力が高いイギリスが、自国の通信線を使って送られる日本の公的指示を分析し、何を考えているのか分析にかかるのは目に見えている。

 だから外務省を通じ、予めチャーチルに「講和会議開きたいのだが」と打診しておいた。

 これによりイギリスの方も、自分たちで日本の予測について追分析を行うだろう。


 宇多博士は、旧知の松岡から講和会議に使う為の「今後の気候変動予測を、現段階で分かる範囲から出して欲しい」という依頼を無事に受け取った。

 この件について追伸で『他国ノ学者ニ諮ル事ヲ良シトス』とあり、言外にエクマン教授らにも伝えるようにと言っているのは、政治に疎い科学者であっても理解出来た。

 この中には、戦争中のソ連の学者も居れば、英独の研究者も机を並べている。

 北極で地球規模の変動を調査している彼等に、世界大戦は別世界の事であった。

 どうして優秀な頭脳や、優れた技術を持つ者を、政治の都合で切り離さねばならないのか。


「確かに一度、ここで中間報告を出して、政治家連中に判断を促すのも良いだろう」

 ほぼ議長的な立場に居るエクマン教授が一同にそう言うと、ソ連の学者ですら同意した。

 そして全員で計算を始める。

 彼等は、自分たちで出した計算結果に愕然とした。

・現在既に、東欧までが中央シベリアと同じ気候となっている

・10年以内に更に平均気温で10℃、中央シベリアから東欧にかけて気温が低下する

・15~20年後には夏でも融けない雪が出始め、東欧北部から北欧には雪原が出来る

・20年後以降はその雪原が次第に厚みを増して氷床へと発達していく

・50年後にはヨーロッパ地域の氷床でアルベド(太陽光反射率)が高くなった結果、

 北半球全体で気温が5~10℃、ヨーロッパでは20~30℃低下する


 この予測が会議開催への切札となる。

 ヒトラーもスターリンも、チャーチルすらもまだ考えが甘かった。

 猶予は数年なのだが、これは数年後に準備を始める事ではない。

 数年後までに対策を終えていないと危険という事なのだ。

 チャーチルは、早ければ数年で寒冷化が強まるという予測を既に貰っていたが、この時は「数年後から百数十年後までの範囲、二百年はかからないだろう」というもので、

「最悪の事態は想定するが、まあ数年は無いな、十数年だろう」

 という安心したい心理も働いていたのは否めない。

 具体的な数値を見ると、それだけで信用してしまうのは人間の悪い癖かもしれない。

 ヒトラーもスターリンも、自国の学者が送って来た中間報告に愕然となった。


「早く南方生存圏(ズュートレーベンスラウム)を!」

「早く満州(マンチュリア)を!」

 彼等は領土欲を強める。


 ここに漸く日本からの講和会議開催について正式な形で連絡が来る。

 日本の挙動から、そう動いているのは知っていたが、無視するつもりであった。

 特にソ連は、ジューコフ将軍による山下奉文将軍の第二方面軍への攻撃が始まっており、

「満州は実力で奪ってやる」

 という気分でいる。


 ここに

「ドイツには山東半島割譲の用意がある」

「ソ連には満州分割の用意がある」

 と非公式ながら打診があり、更に詐術的に

ソ連には「ヒトラー総統は承諾し、ソ連が来なければ日英独で世界秩序を決めるつもりのようだ」

ドイツには「スターリン首相は承諾し、ドイツが来なければ日英ソで世界秩序を決めるつもりのようだ」

 と耳打ちした。

(恐らくこれはハッタリだ。

 だが有り得ない話ではない)

 疑心暗鬼気質の独裁者は、自分の居ない場所で勝手に世界について決められるのを嫌がり、自分たちが勝手に世界の敵扱いされるのを恐れた。


「よろしい、会議には参加してやろう。

 交渉が纏まる保証なんか無いがな。

 日本に伝えよ、参加するが、会議でどのような結論が出ても領土割譲の約束だけは履行しろ、と」

 どんな結果になろうが、ドイツは温暖な(というより高温化した)中国における旧領回復、ソ連は労せずして満州の半分を得るのだ。

 ソ連は、合法的に半分を得たら、今度は軍事力で残り半分も得てしまおうと考えているし、全土を占領した後ならば満州でなく朝鮮半島を要求しようと考え、会議中も満州や東シベリアの日本軍への攻撃を止める気は無い。


「強引に開催を決めてしまったか。

 これでは私としても断る事は出来ん」

 チャーチルは葉巻から煙をプカプカふかしながら、苦笑いをしていた。

 あの極東の外交音痴が、よくやったものだ。

 チャーチルは、その裏に親日派の自国民が居るとは想像していない。


「おい、以前聞かれていた事に返事をするぞ。

 チョビ髭(ヒトラー)口髭スターリンも来るなら、トルコのイスタンブール辺りが良いだろう。

 そう日本に言っておけ」


 海外では評価が高くなった日本の講和会議開催までのやり方。

 しかし、本国では叩かれ始めた。

 こうして各国と妥協する為に色んな人間が動いていた事で、野党にも軍部にも新聞社にも、どういう方針かが大体分かられてしまった。

 朝野が騒ぎ始めた。

おまけ:

「何を勝手な事を!

 山東は我が領土。

 ドイツ等に渡す事は罷りならん!」

そう吠えていたのは、伊達順之助、仙台藩伊達政宗の子孫で馬賊の頭目をしていた男だ。

彼は、今でこそ日本軍に帰順して大人しくしているが、かつては山東自治聯軍に参加して暴れていた問題児である。

「俺の領土を守るのだ!」

伊達順之助は対日・対独戦争を宣言して蜂起しようとする。

だが、彼を見る馬賊たちの目は冷ややかであった。

(そもそもお前の領土じゃねえよ)

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[一言] ヒャッハー焼き討ちだー!(日比谷公園)
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