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講和会議への道

「松岡さん、まだ生きてるかい?」

この松岡は、軍需省次官の松岡成十郎ではない。

元外務大臣松岡洋右である。

「吉田君か。

 なんか君にも大仕事が任されたと聞いたが」

結核で苦しい松岡洋右は、二年下の後輩・吉田茂に電話口で語る。

対ソ戦開始後、条約の日本側からの破棄という結果に責任を取って、東郷茂徳外相は辞任した。

現在は重光葵が外相を勤めている。

その重光外相の下、色々と動きが起きていたが、病床の松岡洋右は詳しくは聞かされていない。

「ええ、まあ。

 チャーチルに、ヒトラーとの戦争をやめさせ、かつスターリンとの仲介を頼む厄介な仕事ですよ」

そりゃ大仕事だ。

松岡はちょっと考えた末に言った。

「一つ助言してやるよ。

 僕はスターリンとの交渉で喋りまくったよ。

 僕は北進論者なのに、上手く日ソ中立条約を結べたよ。

 スターリンは僕を見送りに駅まで来たんだよ。

 それくらい上手く、相手を騙すくらいで丁度良い」

吉田は言う。

「まあ、私の主食も人ですからね。

 人を食って生きている以上、それくらいやってやりますよ」

 大日本帝国外務省から、英独講和と日ソ講和についての会議を開きたいから日程と開催地の希望があれば聞きたいという申し出がされた時、英国首相ウィンストン・チャーチルは

「一体何の事だ???????????」

 とクエスチョンマークだらけの状態になった。

 彼はドイツと講和したい等と考えていない。

 叩き潰してやる!と思っている。

 日本にも大した期待なんかしていない。

 ソ連を極東において抑えていてくれれば十分である。

 それが、こんな事を言って来たのは一体何なのか?




 日本では、蚊帳の外だった外務省が臍を曲げていた。

 旧商工省で今は軍需省の人間が持って来た英国との和平仲介を相互にするという話を、外交担当者が何も知らされていなかったのだ。

 イギリスに和平会議について相談するよう言われた重光葵外務大臣は

「外交は外務省の職務。

 勝手な事をされても責任取れん!」

 と、伝えに来た岸に文句を言った。


 だが、そこは「妖怪の総大将」と呼ばれる男、一筋縄ではいかぬ。

「これはネ、日本の外務省の発案なのですヨ」

「は?

 何を言っているのかね?」

「イギリスから和平の仲介を頼まれたなんて、陸軍の面目を保つ為の方便に過ぎんのですヨ」

「は????」

「イギリスもドイツも、何も言って来てはおらんのですヨ」

「…………」

「ですが、戦争は終わらせなければなりません。

 重光さんも、それはお分かりになるでしょう?」

「無論だ」

「であれば、日本が主導権を握り、先んじて動くべきです。

 世界平和の為に、日本が一肌脱ぐのです。

 そうする事で、日本の功績は世界史に残るでしょう。

 どうです?

 魅力的な話じゃありませんか?」

「……この事を陛下はご存知なのか?」

「何を仰いますやら。

 陛下には重光さんから奏上するのですヨ」

「そんな話があるか!」

「有りますネィ。

 今、この話を知る者は私と東條さんと重光さん、貴方だけです。

 貴方が外務省の代表として、この案件を取り仕切るのです」

 断れば、外務省抜きで話を進めかねない。

 外務省に花を持たせる代わりに、実務一切をやれ、岸はそう言っている。

「岸さん、あんたにもやって貰う事がある」

「何でしょう?」

「反対派を抑え込んで欲しい。

 知っているぞ。

 本来は内務省の管轄だが、あんたが裏から手を回して特高等を抑え込んでしまったという事はな」

「おお、確かそんな事もしましたかネ」

「白々しい。

 ともかく、ソ連との和平なんて、成ったとしても日比谷暴動がまた起こるだろう。

 政府の見る良い結果と、臣民が見る良い結果は違うのだからな。

 それを抑え込まないと、講和会議なんてやってられん。

 命を無駄に捨てるだけだ」

「……外務大臣ともあろう者が、命惜しさに保守に走るのか?」

 岸の声に殺気が籠る。

 重光も負けずに睨み返す。

「講和を纏めて来ても、恨まれて殺されたら元の木阿弥だ。

 ソ連はそれを理由に再宣戦布告しかねない。

 今回、こちらから仕掛けてしまったのだ。

 条約を破る形でな。

 相当な譲歩が無いと講和条約なんか纏まらん。

 私が死ぬのは構わんが、その後も、その次も暗殺されたり、暴動で条約が否定されたら犬死だ」

「理解しました。

 お任せ下さい。

 そっちの方は私が何とかしますので」


 こうして、裏事情も知った上で重光が動き出す。

 東條による情報統制がされる中、密かに重光は天皇に謁見し、和平について伝える。

 侍従長との摺り合わせで、陛下は話を聞いて頷くだけ、話を聞いたが承認も否定もしない、責任は負わないようにする筈であった。

 だが天皇はそのお約束を無視する。

「重光」

 と直接声を掛け、よろしく頼むぞと手を取った。

 天皇が承認した、即ち何か有った時に天皇も責任を負うという事だ。

 これで重光葵は、生命を賭けて英独と日ソの同時和平会議を開かねばならなくなった。

 失敗は許されない。


 重光は、この話のそもそもの発端、松岡を招いて事情を聞く。

 本当にチャーチルは何も知らない。

(私は歴史に残る詐欺師になるな)

 そのように重光は思う。

 だが、

(それならそれで良いか。

 和平を舌先三寸で勝ち得る、外交官の誉れではないか)

 と開き直った。


 自分で決めさせれば大失敗するが、明確な上からの指示通りに動くとなれば外務省は有能である。

 担当国に寄り添い過ぎて、相手に不利な事はしたがらない、言葉を変えて解釈を歪めて、出来る限り穏便に済ませたがる傾向がある省だが、この場合はイギリスにもドイツにも益が有ると信じているから、張り切って臨む。

 ソ連担当も張り切っていた。

 相手国に寄り添い過ぎると言っても、多少なら国益を渡しても「友好が買えるなら良いではないか」と思う連中でも、流石に自国に負けて欲しいとは考えない。

 友好を回復出来たら良い。


 このソ連も和平会議に巻き込む事は、石原莞爾及び堀悌吉との話し合いで出たものだ。




 東条英機と石原莞爾の会談は2回行われた。

 最初は情報を聞いた後、石原莞爾は

「一回じっくり考えさせて欲しい」

 と言って陸軍大臣室を辞す。

 二日後に現れた石原は、理論を紙に書いて整理していた。

 彼にとっても、ドイツの経済活動の根幹である河川が、あと数年で凍結して使い物にならなくなる可能性には衝撃であった。

 更に農作物が人口を養う程収穫出来なくなっている事。

 一方、日本の高温化による問題は、情報統制をしていても石原には色々と見えていた。

 だが日本の方が救いがある。

 氷河期では食糧が得られないが、熱帯は食糧が採れる。

 そして南半球はほぼ無事。

 そこから導き出されるのは

・イギリスは南半球、即ちオーストラリアに軸足を移すであろう事

・ドイツは八方塞がりで、南欧に活路を見い出す他に手が無い事

・食糧不足は隠していてもソ連で深刻な事

・日本はドイツ、ソ連に対しては食糧供給が可能な事

・ドイツが日本を攻撃する事は距離的に考えられないが、ソ連は絶えず極東を狙う事

 このようなものであった。


「インドの暴動だが、あれはドイツかソ連が後ろで糸を引いていないか?」

 石原はそう考えている。

 つまり、英独ソ共に足を引っ張り合っている。

 色々考え

「チャーチル、ヒトラー、スターリン、全員を呼ばんと話は纏まらんな」

 という考えに至った。

 それには、サンソム氏とやらが提案したバミューダ島は不適当だ。

 日英だけで打ち合わせするには良いが、きっとヒトラーとスターリンは来ない。

 もっと適当な場所を探そう。


「兎に角油断ならん連中だからな、餌で釣るなり、締め上げて脅すなりして交渉の場に無理矢理にでも着かせなければならん」

「石原予備役中将、脅す方は食糧だと思うが、餌の方は何だ?」

「英国には特に不要。

 あそこは外堀が埋まれば交渉の席に着く。

 ドイツには食糧。

 ソ連にも食糧。

 そうだな、ドイツには山東半島、ソ連には満州をくれてやれ」

 東條は驚愕した。

 山東半島は手放したとはいえ、第一次世界大戦で日本が奪ったドイツの旧租借地。

 現在も占領下にある。

 満州は、目の前の石原が強引な手法で切り取った地ではないか。


「満州は、今のままではソ連に奪われる。

 食糧が無いソ連には、極東の土地が是が非でも欲しい。

 絶対に諦めない。

 ならば交渉でくれてやれ」

「いいのか?

 君が苦労して立てた王道楽土の国じゃないのか?」

「そんなもの、もうとっくに形骸化しとるわ。

 東洋の合衆国とするつもりが、本家合衆国が消滅してしまった。

 あれを手放さなければ国が守れないなら、手放せば良い。

 まあ、俺としては残念ではあるが、俺が満州を奪った時と今では状況が違うからな」


 石原の思想部分は「欧州は滅びの時を迎えているから、東亜連盟で結束すべきだ」と主張する。

 しかし石原の現実思考部分は「だがまだ欧州の終わりまでには時間が掛かる」と見る。

 将来の為に、今打つ手を間違わない。

 現在の独断専行が過ぎて、収拾がつかなくなっている日本を、一回落ち着かせる必要がある。

 その状況を作ったのが「あんただ」と言われた以上、責任は取ろう。

 日本の状況を整理するには「敵が残った均衡による緊張状態」が良いだろう。

 将来の為に負けてはいけない。

 しかし、歪んだ形で勝っても、次の最終段階で負ける。

 まあ、こんな高度な思考を東條なんていう憲兵の親玉に語っても仕方あるまい、石原はそう思う。

 だから将来に備える為の終戦工作、終戦の為には満州でも支那でも一回くれてやれば良いという権謀術策、全ては方便だ。

 英仏ソだって陰謀を企んでいるのだから、こちらのみ正論で行っても負けるだけだ。

 心に一本の正道が有れば正当化される、石原の思考はそんなものであった。


 石原の思想混じりのソ連巻き込み案と同じ結論に、堀悌吉は理論のみで辿り着く。

 堀は、東条英機に意見を言える立場に無かった。

 だが、山本五十六から

「俺の代理として、東條さんと話をつけて来てくれねえか」

 と紹介状持たされて陸軍省に派遣される。


 山本五十六は、当時陸軍航空本部長だった東條英機が陸軍の航空隊について自信満々で話をした時、

「へー、君のとこのヒコーキも飛んだんだねー。

 そいつは大した事だー」

 と皮肉っぽく返して以降、相当にギクシャクした関係となっていた。

 また余計な事を言わないように

「俺の名代頼むよ」

 となってしまった。

 ただ、堀は海軍軍縮論者であり、統制に従って資源を有効利用せねば国がもたないという人間だから、案外現在の政府においては話が通じる。

 東條もそう感じたようで、

「軍需省次官の松岡って男が居て、君と同様に終戦について考えている」

「軍需省、というか商工省の松岡さんなら面識が有ります」

「ならば話が早い。

 彼と会ってその辺を詰めて欲しい」

 こういうやり取りから、二人は意見を交換する事となった。


「ソ連は隠しているだけで、食糧問題は深刻」

 堀が前提としている事項である。

「三十年、日本がソ連に対し抵抗し続ければ、ソ連は自壊する。

 僕が思うに、ソ連型の社会主義はあまり上手くない。

 それくらいしたら、ガタが来ているように考える。

 しかし、日本が三十年も戦い続けるのは不可能。

 先に日本の方が崩壊する。

 ならば、一度大幅譲歩する形でも良い、ソ連と妥協して戦争を終わらせよう。

 仮に彼等が満州を手に入れ、沿海州が穀倉地帯となっても、ソ連は遠からず崩壊する。

 それを待てば良い」

 堀はそのように未来を予見した。

 人口が多く、経済と工業の中心であるヨーロッパロシアと、遠く離れた穀倉地帯と化す極東。

 一見支え合うように見えるが、やがて破綻する。

「東の生産力では、ヨーロッパロシアの1億人以上の人口を養えないだろう」

 だが、先の事はともかく、今は日本をどうにかして救わないと。

「正直ね、ソ連は日本には勝ち切れない。

 彼等は海を渡って来られない。

 だから僕は、ソ連に国を奪われるという心配はしていない。

 僕が心配しているのは、戦争という経済行為で国が食われてしまう事だ」

 それは松岡も理解している。

「だが、戦争が終わると今度は日本はイギリスと、武器を交えぬ戦いをする事になる。

 僕は造船やら機関砲製造やらやっているから、資源の大事さはよく分かる。

 それらはアメリカ合衆国が無い今、イギリスから購入している。

 生命線をイギリスに握られている。

 座して放置すれば、やがて日本はイギリスの下に置かれる」

「……驚きましたよ。

 失礼ですが、元軍人の貴方がそこまで気づかれるとは」

 松岡は、北極で会ったイギリスの政治家や経済学者の話をした。

 彼等は堂々と「You イギリスの属国になっちゃいなYo」を言って来た。

 松岡の情報に、堀は一々もっともな話だと頷く。

 そしてまた、自分の考えを伝えた。


「さっきも言ったけど、僕は造船や機関砲を作って軍に納入している。

 旋盤機械、金型はドイツ製も多い。

 僕たちはイギリスが無いと物を作れないが、ドイツが無いと良い物を作れなくなる。

 日本にとって、イギリスもドイツも必要なんだ。

 そして、そのどちらかが勝ち過ぎないよう、ソ連の存在も必要。

 どこかの一人勝ちではなく、世界は均衡状態の方が良い。

 これが僕の考えだ」


 松岡は堀の考えを良しとした。

 彼が一番気にしていた、イギリスと日本の「売り手独占状態における強弱関係」。

 もしもイギリスの独占状態で無いならば?

 競争が起これば、独占が生む売り手と買い手の上下関係を無くする事が出来る。

 方針は「四強による均衡」を作る事。

 ソ連も引き入れて講和会議を行おう。

 まずは一回国家間の戦争を終わらせ、次いで気象との戦争を勝ち抜き、新たな国家体制を作って、次に来る「何か」に備える。


 この方針を岸や東條、そして重光にも伝える。

 確かにソ連抜きで、イギリスやドイツとだけ話し合ったって意味は無いだろう。

 ソ連も招く以上、大幅な妥協が必要不可欠。

 それは「どうせソ連は数十年と持たない」という理論で、我慢していれば良い。


 政府の方はそういう方針を良しとしたが、それで収まる程日本という国は大人では無かった。

 詳細な方針は伝わらずとも、講和を目指している事は次第に広まっていく。

 そして作用あれば反作用あり。

 強硬派・反対派がざわつき始めるのだった。

おまけ:

どうにも口が悪い人が多く、舌禍で恨み買ってる気がしてならない……。

その他にも

片岡直温蔵相「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」

→大蔵省・青木得三文書課長「通常通り営業しています。金策の目途が立ったそうです!」

→取付騒ぎ発生、鈴木商会倒産、昭和金融恐慌発生。


天皇「田中総理の言ふことはちつとも判らぬ。

 再びきくことは自分は厭だ」

これを侍従長が田中義一に伝え、責めを負った田中は狭心症を発症して死亡。


近衛文麿「爾後国民政府ヲ対手トセズ」

→日中戦争長期化。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 講話となれば反対派が必ず出てくるのが戦中日本の悪い面。 しかも何かと事件を実行するやる気だけはある。 最後の指摘が興味深い。 これほど舌禍ができるのなろもう一息で英国流の皮肉に到達出来そ…
[一言] 日本人は伝言ゲーム得意ですから(白目)
[一言] 国際連合が見えてきた気がする
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