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松岡対東條対石原莞爾

成都を出た蒋介石は、順調に日本軍占領地を奪還していく。

面積だけは順調である。

なにせ、支那派遣軍は北の満蒙国境でソ連と戦っており、あれだけ苦労して占領した重慶、長沙、洛陽も放棄している。

だが蔣介石は先に進めなくなる。

洪水、それによる農民の逃散、食糧を求める者の群れと無視出来ぬものが次々と押し寄せる。

「正直、日本軍と和睦し、奴等の資金と技術を使って治水した方が良いんじゃないか?」

なお、日本の一号作戦(大陸打通作戦)において、各地の堤防を破壊し、洪水を人為的に引き起こして日本軍の足止めを図ったのは蔣介石の国民党軍であった……。

 松岡成十郎は、東条英機陸軍大臣のお気に入りである。

 これまで弱気な事を言った事は無い。

 慎重論を唱える事は有っても、代替案を用意していて、それは検討に値した。

 また、分を弁えていて、国や軍の方針に口を挟む事はしない。

 自分の職務の範囲内でのみ意見を言い、質問に答えた。

 その松岡が、上司である岸と共に東條を訪ねて来た。


「どういう用かね?

 生憎陸軍は今多忙だ。

 君だから時間を割いたが、それでも手短に頼む」

 如何に情報統制を敷いていても、陸軍には本当の情報が入っている。

 かつて中国で蔣介石軍相手に無敵を誇った支那派遣軍は、もう三割程しか戦闘可能な兵力が残っていない。

 関東軍の消耗も大きく、大興安嶺山脈北方の領土は回復したが、西方の満蒙方面は大きくソ連軍に侵食されたままで、押し返す力が無い。

 関東軍は満州において根こそぎ動員を始めた。

 兵力は何とか補充出来るだろう。

 だが戦力は低下が否めない。

 日本本土においても、大陸への軍派遣が決まった。

 樋口季一郎中将を司令官に第五方面軍が編制され、派遣準備に入っている。

 なお、第三方面軍は関東軍の根こそぎ動員で集められた兵力によって編制され、第四は欠番だ。

 更に支那派遣軍が抜けた占領地を守る為に第六方面軍が組織され、板垣征四郎大将を司令官とした本土防衛用の第七方面軍も編制途上である。

 そして今この瞬間も、フルンボイルに突貫工事で飛行場が作られ、そこから爆撃機や戦闘機がシベリア奥地空襲の為に出撃している。

 陸軍は陸軍省も参謀本部も各軍・師団司令部も息つく暇も無いような忙しさであった。


「単刀直入に申し上げます。

 戦争を終わらせる算段を伺いに参りました」

 松岡の余りの直球に、事前に打ち合わせをしていた岸信介ですら驚く。

 東條は驚いた後、不快な表情になった。

「私は君を信頼している。

 今のは聞かなかった事にしておこう。

 国の方針に口を挟む等、烏滸がましいとは思わんかね?」

 だが松岡も負けてはいない。

「繰り返し申し上げます。

 戦争は始めた以上、終わらせなければなりません。

 終わらせる手立てについてお伺いしたいのです」

 東條は松岡を睨む。

「私は君を信頼していると言ったよな。

 二回目だ。

 まだ許す。

 もう二度と己の分を超えた事は言うな。

 次はもう無いぞ」

「野球のように三振が許されるなら、そこまで使い切ります。

 分を超えてはいません。

 閣下も私が英国の外交官と情報交換するのを許していましたよね。

 その英外交官が、英国を介したソ連との和平について言って来たのです。

 日本にその意思が無ければ成り立たないとも。

 この事は自分の内に納めておく事は出来ない重要事項です」

 ちょっと攻め方を変えてみた。

 松岡は今まで、官僚としての本能で敢えて職分を超える事は言わないで来た。

 面倒事に巻き込まれるのも嫌った。

 だから、軍人の長の一人に「戦争を止めるべき」という進言をするのは、かなり緊張する事であったし、脳が半パニック状態となり興奮してしまう事であった。

 松岡も、興奮の余り説明不足だったと、やや落ち着いて悟った。


 すると岸が助け船を出す。

「松岡君、君ネ、私に言った説明が足りておらんヨ。

 東條さん、実はチャーチル首相が我が国にヒトラー総統との和平仲介を依頼して来たのですヨ」

(え?)

 松岡はそう内心思ったが、表情には現わさない。

 岸が言っているのは明らかに嘘である。

 適当なとこで戦争終了を考えろ、それにはイギリスを利用すれば良い、というのはジョージ・サンソムという個人が国を代表せずに、松岡の友人という立場で話したに過ぎない。

 チャーチルがこの事を聞いたら

「何の話だ????」

 と首を傾げるだろう。

 だが岸はこの辺老獪である。

 嘘を本当の事にすれば、大した問題ではないと考えている。

 この辺、独断専行好きな陸軍と相性が良い。


「チャーチル首相はネ、本当に困っているそうですヨ。

 あれだけ準備したのに、全くドイツに勝ち切れない。

 そこで松岡君との筋を使って、ドイツとの和平仲介を頼んで来たんです。

 もしそれがダメなら、英国側に立って参戦して欲しいと。

 松岡君はネ、国の事は自分じゃ決められないって断ったんですヨ。

 それこそ自分なんかが烏滸がましいって。

 そうしたら英国は、日本がドイツとの和平を仲介してくれたら、英国はソ連との和平を仲介しようって言ったんです。

 これは松岡君も、自分の中だけで片づけられない事案です。

 だから私に相談があり、東條さんと話してみようって事になったんです」

「ふむ……。

 成る程、理解した。

 だが、次官如きが国の方針に口を挟むのはやはり……」

「だからまず、東條さんと話をしに来たんですヨ。

 いきなり総理や陛下に奏上などしたら、それは越権行為です。

 まず東條さんに意見を聞いてみるのは、彼の職分を出てはいません。

 彼は国土復興と軍需物資調達の責任者なのです。

 閣下と話をする資格はあるでしょ?」

「まあ、資格云々の話はしておらん。

 確かに松岡君は私に話を伺いたいと言っていた。

 これは私も感情的になり過ぎたようだ。

 すまん」


 三者が冷静になって、ようやく具体的に話が出来るようになった。

 東條は戦争をどう続けていくかに頭を使い、終わらせる方は全く考えていなかった。

 だから、それを指摘されて感情的になってしまった。

 東條英機は軍官僚である。

 創造的な事は苦手だ。

 継続させる事は出来るが、変える事は不得手である。

 もしも「どう戦争を終わらせるか?」と聞かれても、答えられなかっただろう。

「勝って降伏させる、あるいは和議を申し込ませる」

 なんていうのは方針とは言わない。


 今回松岡によってもたらされた話は(岸がかなり強引に捻じ曲げて伝えたが)、

「もしも和平を望むなら会議に参加して欲しい。

 その場所で英独和平についてもお願いしたい。

 会議に来るか、来ないか返事が欲しい」

 というものだ。

 これなら回答が可能である。

 参加する。

 東久邇宮総理が参加し、もしかしたら東條も補佐役としてついて行くかもしれない。


 ここまでは良い。

 次に

「ソ連との和平条約は、どういう内容にすれば官民ともに納得するか」

 という問題について考える事になる。

 これについて考えるより先に、岸が

「東條さんも今日いきなりこんな事言われて困っているでしょう。

 陸軍大臣としての立場もあります。

 一旦我々は帰りますから、陸軍サンで考えを纏めた方が良いと思いますネ。

 東條さんが勝手に決めたら、それもまた越権行為でしょ?」

 その通りだ。

 東條とて軍の一員。

 独断専行を嫌う統制派としても、勝手な事は出来ない。

 一旦持ち帰って討議しよう。


 岸が追い打ちをする。

「甲案、乙案、丙案と3つ考えるのが良いですヨ。

 甲案は日本の要望を全部詰め込んだもの。

 きっと通らないでしょう。

 ですが、要求をしっかり伝えてそこに向けて踏ん張るのも交渉の技法です。

 乙案は現実的な落としどころです。

 丙案は最悪の妥協、これ以上は退けない線。

 大体交渉は、乙案からやや後退し、丙案よりは大分マシという辺りに落ち着きます。

 その為には甲案で突っ張る必要がありますので」

 東條は頷いた。

 陸軍の若手将校も、新聞社もそこから物事を見聞きする国民も、威勢が良い話を好む。

 最初から現実的な線で話を進めたら、

「東條閣下は臆されたか!」

 と激高して話にならない可能性がある。

 最初に好きなだけ高圧的な要求を出させておけば、以降は話がスムーズに進むだろう。


 だが、一週間後に東條から呼ばれた松岡が見たのは、頭を抱えている陸軍大臣の姿だった。

「甲案という強硬的な要求は纏まった。

 丙案の譲れない線も分かった。

 だが、現実的な要求が全く纏まらんのだ……」


 陸軍の参謀たちも、甲案、乙案、丙案の意味を理解した。

 甲案には、これでもかという凄まじい要求をしている。

 スターリンの謝罪とか、共産主義の放棄とか、ウラル山脈以東の割譲とか、まあ無理だろう。

 言うだけ言わせて、後で無理過ぎる部分を削った甲案(改)は参謀本部でも承認が得られる。

 次いで、朝鮮半島、樺太、千島を国境とする領土保全が「最低限譲れない線」として丙案として纏まる。

 現実的な落としどころの線が、個々で違い過ぎる上に、自分より下がった妥協点を言うと

「軟弱者が!」

 と罵り合いが始まり、結局甲案(改)と大差ないものになってしまった。

「沿海州、東シベリアの割譲、蒙古からの撤退と徳王政権の承認、賠償金の支払い。

 それを履行したならば、満州国での商取引を許可する…………」

「……こっちから先に手を出しておいて賠償金とか、どういう神経してるんだよ……。

 まあ、そうなったやり取りは見たのだが……」


 誰かが「日露戦争の時みたいに、賠償金は無理だろうな」と呟いたら、途端に「何を弱気な!」が始まってしまい、結果戦争吹っ掛けた側が「こちらの被害分と迷惑料出せ」と要求する事になった。

 東條が戦争の終わらせ方を思いつかなかったのは、日本から先制攻撃をかけた所にある。

 絶対に相手は許さないだろう。

 現在、スイス以外に中立国と言える存在はなく、第三者による調停も難しいと考えていた。

 だから「勝って、相手が音を上げるまで待つ」以外考えられず、それは無理とも思っていたのだ。

 故にイギリスからの仲介提案が出たと知り、内心松岡の手を取って踊りたくなる程嬉しかったのだが……。


「で、どうするんです?

 私を呼んだのは閣下の愚痴を聞く為ではないと思いますが」

 すると東條は頭を上げる。

「間もなく、陸軍で……いや、もう元陸軍だが、そこで中々頭が切れる男が来る。

 私の……大嫌いな男だが意見を聞いてみたい。

 鼻持ちならん奴だ。

 だから、君にもこの場に居て立ち合って貰いたくてな。

 きっと喧嘩になるだろうから」

(エライ所に呼ばれてしまった……)

 松岡は自分が頭を抱えたい気分であった。


 そして、その男は陸軍大臣室に入って来る。

 石原莞爾、満州事変を引き起こし、現在に至る独断専行でも戦功を挙げれば帳消しという陸軍の風潮を作ってしまった、「パンドラの箱を開けた男」である。

 井上日召、大川周明と共に、日本の「新秩序派」の理論的主導者と目されていた人物だが、石原だけは暴力による政権転覆や、これ以上の戦争拡大を望まず、故に監視の対象とはなっていたが、井上や大川のような収監はされなかった。

 その石原は東條の顔を見た瞬間、挨拶も無しで

「戦争を終わらせようと気付いた事だけは誉めてやる。

 だが、そんなものは最初から決めて始めるもんだ。

 君には戦争指導は無理だ。

 さっさと誰かにその席を譲り給え」

 と放言する。

 東條が表情こそ変えないが、明らかに怒ったのが隣の松岡にも伝わって来た。


 その後も石原は罵倒をやめない。

 東條を上等兵と呼び、まあ軍曹に格上げしてやると上から目線で言い、自分は既に死んだも同然の身なんだから死人に意見を聞くな、と言い放つ。

 もういい、帰れ!と東條が言いそうになる刹那、松岡が石原を制した。


「閣下は意見を求められたのに、罵倒しかしないのですか?

 始めた者が責任を取れと仰いますが、最初に満州事変をしたのは石原閣下でしょう?

 ならば閣下にも責任があるのです。

 閣下を見習って独断専行をし、始めたソ連との戦争です。

 こんな風になるとは思わなかった、だから知らん、は無責任じゃないでしょうか」

 東條の隣に居た、うだつが上がらない如何にもな官僚から、思わぬ事を言われる。

 石原は松岡の方をじっと見る。

「君は誰かね?」

「軍需省次官、国土開発省次官の松岡成十郎と申します」

「ほお、東條の腰巾着の……」

「今、英国がソ連との和平を仲介するという話が進んでいます」

「そんなの有り得んな」

「お聞き下さい。

 イギリスは氷河期到来に際し、国民の疎開を進めています。

 しかし、ドイツとの戦争に勝ち切れず、国民の避難が進んでいません。

 恒久平和でなくても良い、ドイツとの戦争を一旦終わらせたい。

 その仲介役を日本に依頼し、代わりにイギリスはソ連との和平を取り持つ」

「絵空事だよ。

 私は英国を信用していない」

「おかしいですな。

 閣下は信用なんて曖昧なもので判断するのですか?」

「何?」

「お互いに利用出来るなら、利用し合う。

 その際に自分の利益を考えるのは当然。

 イギリスの苦境を救う代わりに、こちらもイギリスを利用するのです。

 その手立てを聞きたいのですが、何か問題が有りますか?」


 石原は沈黙した。

 しばらく考えて、口を開く。

「分かった。

 俺が悪かった。

 東條さん、俺はあんたが嫌いだが、今は協力すると約束するよ。

 で、松岡君、君が持っている情報を聞かせてくれ。

 なにせ、そこの東條さんに失脚させられてね、ろくな情報を持っておらんのだ」

 こうして漸く、東條と石原の話し合いが始まった。

おまけ:

石原莞爾著『新最終戦争論』にて。

「余は以前、『世界最終戦争論』にて

 『戦争自身が進化してやがて絶滅する。

 一発で都市を壊滅させられる武器が登場し、

 それが地球を無着陸で何回も周れるようなものに搭載されるようになる。

 これでは戦争等お互い出来なくなる』

 と説いた。

 この論は今も正当と考える。

 だが、北米大陸消滅という事態を受け、その段階が変わるだろう

 単純に考えて、全陸地に占める割合の一割七分程が消えたのだ。

 穀倉地帯が消えたのだ。

 気候変動も相まって、地球は今の人口を維持出来なくなる。

 それまでの間、余剰人口を減らす戦争若しくは虐殺が世界で蔓延るだろう。

 効率的に人を間引く目的で、都市を一発で破壊する武器が彼等の頭上に降り注がれる。

 それが最終戦争となり、その後の世界は新兵器を撃ち合う恐怖と、それどころではない状況とで戦争が絶滅する。

 戦争絶滅は、人口と地球の食糧生産の均衡が成って以降の事となる」

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