ネルチンスクの戦い
その頃欧州の空では
「ふん、ソ連の戦車に比べて貧弱、貧弱ぅ!」
ルーデル魔王が英戦車を駆逐しまくっていた。
そして戦闘機の方では……
「なんでジェット戦闘機に乗らないんだ?」
「訓練は受けたよ。
だが、俺はBf109Gの方が好きなんでね」
エーリッヒ・ハルトマンがあえて陳腐化したレシプロ機に乗って、英軍機を撃墜しまくっていた。
「やっぱりBf109Gはいいよなあ」
ハンス・ヨアヒム・マルセイユが、ハルトマンの判断を支持していた。
山下奉文将軍はハバロフスクを降伏させた事から、ソビエト連邦に「ソ連人民の敵」と名指して批判されていた。
もっともこの称号の最上位「ソ連人民最大の敵」はドイツ軍の人外パイロットなので、それよりは恐れられていないようである。
山下奉文を嫌っているのは、敵であるスターリンよりも、自国の最高位である天皇陛下である。
天皇は、二・二六事件で信頼する大臣たちを「君側の奸」等と呼んで相次いで襲った青年将校に対し激怒し、
「朕自ら近衛師団を率いて鎮圧に当たらん」
とまで言ったという。
その青年将校たちを擁護したり、彼等の自決の様子を見て頂きたい等と言った山下を、天皇や側近たちは毛嫌いした。
ハバロフスクを落として沿海州全土を制圧した山下だったが、天皇からお褒めの言葉一つかけられていない。
山下を通り越して、その配下の軍司令官、師団長たちには感状が下賜されたのだから、相当に嫌われていると言って良い。
なおこの第二方面軍は、司令官が山下大将、作戦参謀に辻政信と服部卓四郎、隷下の軍司令官に牟田口廉也、富永恭次という陣容である……。
服部卓四郎は、一昨年の一号作戦「大陸打通作戦」を計画した参謀である。
現在は再蜂起したとはいえ、一時は蔣介石を屈服させて中華民国に勝利した功績から中央に戻っていたのだが、この度の対ソ戦で現場復帰を希望し、実現した。
その服部卓四郎とノモンハンで共に作戦指導をしたのが辻政信である。
彼等の関係は深い。
一号作戦において辻の現場介入、独断専行には服部卓四郎の後押しがあった。
辻も「ノモンハンの復讐戦である」と広言し、前線勤務を希望して第二方面軍参謀と成りおおせた。
(ちょっと問題児が集まり、山下も大変だろう)
皇道派の山下奉文と統制派の東条英機はライバル関係にあった。
だが、流石に陸軍大臣及び陸軍参謀総長として軍政及び作戦指揮で戦争を統括する東條は、私怨で人事も出来ない。
しょっちゅうしているが、今回はそうもいかない。
自分が信頼し、腹心でもある牟田口廉也中将、富永恭次中将を山下の下に置く。
山下を助けろというものだが、一方で山下が活躍しても、その手柄を完全に山下のものにはさせない下心も有った。
第二方面軍は、沿海州制圧作戦では順調過ぎる程に勝ち進んだ。
この勝利は作戦指導というより、火力の恩恵による。
日本国内で使用されずにいた重砲群。
これを海上輸送で占領したウラジオストクに陸揚げし、そこから制圧下のシベリア鉄道を使ってハバロフスクまで送る事が出来た。
このソ連軍のお株を奪う大火力が、物資を失い補給も途絶えた第一極東戦線を圧倒する。
そして既に語ったようにハバロフスクを降伏させ、第一目標を果たしたのである。
この方面軍には次の任務が与えられる。
それが、第一方面軍と共に反時計回りに進撃し、ソ連軍第二極東戦線やザバイカル戦線の側面を衝く事であった。
第一方面軍は大興安嶺山脈の南側、第二方面軍は山脈の北側を進軍する。
第二方面軍の方が敵地を進む事になる。
当然、補給の問題が生じる。
ここで牟田口中将が策を披露する。
「シベリア鉄道沿線を進みましょう。
そして敵のシベリア鉄道を利用し、こちらも物資を輸送する。
我が軍の空襲はチタより西側が多く、今まで浦塩まで輸送していた線路は無事です。
これを使えば、火砲の輸送も楽になりましょう」
まあ、沿海州制圧戦でも使った手であり、荒野を進軍するよりも鉄道沿線を進む方が、読まれやすいが補給の苦労は少なくなる。
「私はこの作戦を『煉獄作戦』と名付けました。
我が軍の火砲による炎の呼吸で、ソ連軍など煉獄に叩き落としてやりましょうぞ!」
おお!という声が司令部に上がり、拍手も起こる。
「ちなみに吾輩は炭焼きの家系の次男坊なのだ」
「??
辻中佐、何故突然そんな事を言い出した?」
「いや、なんか炎の呼吸とか煉獄とか聞いたら、言って置かねばという気持ちが起きてしまってな。
すみません、気にせんで下さい」
こうして敵の鉄道を逆利用する形で、第二方面軍はシベリアを進撃する。
日本軍らしからぬ大火力部隊に、いつしか山下奉文は「シベリアの炎虎」と謳われるようになった。
だが、この軍は進む程に苦戦をするようになる。
単純な話だ。
敵地に進めば進む程、補給線が長くなり、物資が届きにくくなるからである。
輸送用のシベリア鉄道は、次第に無限列車となっていく。
それとソ連軍の強さは、素早い適応能力である。
ノモンハンでは、日本陸軍航空隊の格闘戦に対応し、一撃離脱戦法に切り替えた。
独ソ戦ではドイツ軍の電撃作戦に対応し、国土の深さを利用して戦った。
今戦争の日本陸海軍による長距離爆撃も、奥地にも防空隊を置いて対応した。
優れた対応能力を持つが、基本方針としてチタより東は後で取り返すから捨てるソ連軍の作戦指導により、大した戦力が居ない。
それでもしぶとい陣地戦で足止めを図って来る為、物資消耗が増大する。
鉄道輸送も、沿海州攻略時にソ連軍は機関車を爆破して使用されないようにしていて、第二方面軍は各地から使える機関車を集めて共食い整備で直して使っている。
シベリア鉄道は広軌、日本が使っているのは国内が狭軌、南満州鉄道が標準軌で合う機関車が無い。
故に使える機関車が1台しか無く、これを往復させて輸送を行っていた。
これが理由で、第一方面軍が既に大興安嶺山脈においてソ連軍第二極東戦線と戦闘に入った時も、ザバイカル戦線が満州深くに攻め込み、支那方面軍を苦境に追い込んだ時も、第二方面軍は予定よりまるで進捗していない、チタより800kmも東のマグダガチに居た。
「第二方面軍は一体何をしておるのか!
友軍が危機に陥っておるのだぞ!」
東京から叱責の電話が入る。
「ここは輜重と火砲を切り離すべきです。
重砲による炎の呼吸は出来なくなりますが、電撃的に突き進み霹靂一閃でソ連軍を切り崩しましょう」
富永恭次がそう主張する。
山下もそれを是とし、これまでの火力による制圧戦から一転、とにかく敵陣を突き進む電撃的進行に切り替えた。
これまでの山下の戦い方に適応していたソ連軍第二極東戦線の後方部隊は、急激な戦術転換に対応出来ず、突破を許してしまう。
30日で600kmを踏破、42回の戦闘に勝ちながら突き進むという強行軍の末、ついにネルチンスクに辿り着き、2日の戦闘でここを陥落させる。
ネルチンスクはチタの200km東に位置する。
マグダガチからネルチンスクに至るまでの「シベリアの炎虎」山下奉文軍の突進速度から計算すれば、200km先のチタには10日もあれば辿り着いてしまう。
ソ連軍は恐怖に駆られた。
チタⅡ駅を落とされると、ここから分岐する支線も麻痺をする。
まさしく悪夢であった。
これが勝ちつつあったザバイカル戦線が一旦後退し、第二極東戦線がチタ防衛の為に撤退した理由であった。
第二極東戦線が戦っていた大興安嶺山脈の戦場の方が、ネルチンスクよりもチタからは遠い。
ソ連軍も歩兵を無理矢理車両に詰め込み、戦闘車両も輸送用車両も乗り潰す勢いで必死になって戻って行った。
だがソ連軍に悪夢を見せた第二方面軍だったが、ここから先には進めなくなる。
ソ連軍が、まるで日本軍かのような捨て身を抵抗を始めた。
まるで独ソ戦で、強力なドイツ軍に対した時のように。
ソ連軍だって必死なのだ。
どんどんチタ方面に戻って来る第二極東戦線の各部隊。
疲れていた第二方面軍は、ナリン=タラチャの手前で進軍を停止。
ネルチンスクまで後退して火砲や後続部隊の到着を待つ事にする。
そんな山下に、強力な敵が襲い掛かろうとしていた。
ついに赤軍の英雄、ゲオルギー・ジューコフが直接指揮を執る為、モスクワを発った。
ドイツとの戦争で、ソ連解釈では勝利を収めた立役者・ジューコフは、やはりノモンハンで日本軍と戦った経験がある。
これまで、これ以上功績を立てさせたくない為、英雄の極東への派遣を渋っていたスターリンだった。
日本軍はそれ程大した相手ではない。
だが山下の強行軍を見て
(日本軍、侮りがたし)
と考えを改める。
それで赤軍の至宝に再度働いて貰う事とした。
満身創痍に近い日本軍の前に、ソ連でも最上位に近い強敵がやって来る。
「日本軍は確かに弱くなかった。
敬意を表する。
だが、どう足掻いても日本ではソビエトに勝てない。
さあ始めようか。
宴の時間だ!」
イルクーツクに着任し、そこに司令部を置いたジューコフは、参謀たちにそう語った。
ジューコフと共に、第一ウクライナ戦線のイワン・コーネフ元帥もやって来る。
かつて日露戦争ではロシア帝国軍のクロパトキン総司令官とグリッペンベルク第2軍司令官は不仲で、グリッペンベルクの足をクロパトキンが引っ張り、激怒して帰国する等という事態を引き起こした。
今度のジューコフとコーネフは、司令官と副官の関係だった事もあり、極めて関係が良好である。
政治将校であるニキータ・フルシチョフもジューコフやコーネフの邪魔をしようとはしない。
フルシチョフとジューコフも、独ソ戦以来関係良好であった。
そして第一ウクライナ戦線は8個軍が属し、それだけで関東軍総軍と同等の兵力である。
戦車の数では比較にならない。
桁が違う。
大軍ゆえ、いまだ全軍が到着はしていないが、ジューコフは第二極東戦線も指揮下に置いて立て直しを行うと、ネルチンスクの包囲を始めた。
手持ちの戦車部隊をネルチンスクの東方、つまり山下の退路を断つ形で進出させる。
「ただちに逃げ……転進しましょう。
ここに留まっていては、包囲されてしまいます」
事態を把握した富永が、真っ青な顔で山下に進言する。
「いや、わしはここから退かん」
山下はかぶりを振る。
「どうしてですか?
撤退は恥ではありません。
こんな寒村では、ソ連の大軍に対抗なんて出来ませんよ。
関東軍の航空偵察によると、イルクーツクには相当数が続々と集結しているそうです。
戦車の数もかなりのものだそうです」
「そのようだな」
山下も関東軍が慌てて送って来た敵情報告は目にしている。
シベリア鉄道だけに頼らず、その西方から大軍が野を埋めるような規模で進行しているという。
航空写真も見た。
恐るべき規模だ。
「幸い、徒歩の部隊もいるようですし、全軍到着には時間が掛かるようです。
今ならまだ間に合います。
ここから後退し、しかるべき都市に籠って戦うべきです」
「それは何処かね?」
「ハバロフスク……」
「おいおい、1400kmも逃げるのかい?
追撃されて全滅するぞ」
「ですから、今の内に撤退すれば……」
「ここから下がれば、我々は助かるかもしれん。
だが、わしが敵の司令官なら第二方面軍が下がれば、それを追わずにフルンボイル方面に転進する。
そうして第一方面軍、第四軍を叩き、山脈を突破して満州に突入する。
第二方面軍が助かって、満州の友軍全てが敗れたらその方がお国の為にはならん。
わしはここに踏み止まり、敵の攻撃を食い止める。
まあ、ネルチンスクでは心元ない。
シルカ川を渡った所に防御陣地を築き、そこで戦う」
第二方面軍は防戦態勢に入った。
山下は懐の遺書を触りながら、誰にも聞かれないように独り言を吐く。
(確かに戦略上の理由はある。
だが、根底には陛下に対する意地でやっている部分もある。
陛下、どうか我が忠誠をお認め下さい。
我ら、人柱となりてお国を守りますゆえ、どうか世界に冠たる大日本の君主であられませ。
つき合わせる皆には申し訳ない。
ここで死んでくれ。
我らが死ぬ間に、きっと友軍が何とかしてくれよう。
時間を稼ぐのだ、殺されても死なず、死んでも鬼となって戦い続けるのだ)
こうして山下と第二方面軍はシルカ川を防衛線として、ジューコフ軍を迎え撃つ。
そして……富永恭次は
「東條閣下に報告せねばならん!」
と言って、軍を置き去りに前線から逃亡した……。
おまけ:
富永「ところで辻中佐、貴様に妹はおるか?」
辻「教えてやらん!」
(四人兄弟とあるものの、ネット探してたら「祖母が辻の妹」って書き込み見つけまして)