海軍の宝だった男
主な海軍兵学校32期生:
堀悌吉(首席)、塩沢幸一(次席)、山本五十六(11番)、吉田善吾(12番)、嶋田繁太郎(27番)
「山本さん、この戦争をどう終わらせるつもりですか?」
堀悌吉が海軍兵学校同期の山本五十六連合艦隊司令長官に語り掛ける。
同期生で親友でもあるが、軍縮条約を巡る報復人事で予備役に追い込まれ、今は浦賀船渠株式会社や、その浦賀船渠が出資して作った大日本兵器株式会社の取締役と民間人となっている為、敬語を使うようにしていた。
ソ連海軍相手には艦艇数が過剰な日本海軍は建艦計画を大幅に変えた為、浦賀船渠は資源輸入の為の商船を建造している。
資源を買い付けたいのに、資源を大量に使って造船は矛盾する部分がある為、日露戦争の頃から在籍している艦を解体し、資材を再利用していた。
一方、大日本兵器株式会社の方は好況である。
ここの主力商品は、零戦用の20mm機関砲である。
スイスのエリコンFFL20mm機関砲をライセンス生産した九九式二号二〇粍機銃(海軍では口径40mmまでは機関銃と呼称)は、弾道延伸性が悪かった一号機銃と比べ、十分な性能を持っている。
一方、イルクーツク空襲から始まった東シベリア航空消耗戦、最近ではイルクーツクまでは行かずにチタまでとなっている、で使用される零戦二一型の一号機銃も引き続き生産されていた。
会社としては好調なのだが、それだけに堀には
(この戦争は危険だ)
と見えていた。
どうも消耗戦に突入し、工業力が物を言う戦いになったようだ。
特に石油と鉄という資源確保に四苦八苦している日本は、長引けば不利となろう。
かつてその頭脳明晰さから「神様の傑作の一つ」「兵学校創立以来、未だ見ざる秀才」と言われた堀は、総力戦研究所が出した結論にすぐに辿り着いてしまった。
もっとも、この「長期戦になれば不利」は日本の悪癖であちこちでバラバラに立ち上げた研究機関が、全部辿り着いた結論なのでそう珍しくはないだろう。
だが彼等はあくまでも諮問機関で、聞かれた事に答えたまで、こちらからどうすれば良いかの提案はしない。
そういう権限も無い。
だが堀の場合、官ではない分、そういう越権行為をしたら譴責のようなしがらみを持たない。
彼はすぐに、親友である山本五十六に彼の見通しを伝え、戦争の終わらせ方を考え、実行するように求めた。
山本五十六は、海軍大臣の座を狙っている。
暴走した者のせいで肩身は狭くなったものの、まだ健在の艦隊派軍人たちは、一連のウラジオストク海戦からカムチャツカ半島周辺海域制圧までの活躍をしている第二艦隊司令長官の南雲忠一中将を、すぐに大将に昇進させて連合艦隊司令長官にしたかった。
玉突き人事で、南雲の上官の山本は、それより上位に昇進する。
しかし彼の海軍大臣就任を危ぶむ者もいて、実現していない。
海軍「左派」と見られる山本は、現場に置いた方が良いと考えられていた。
反山本派は
「あんな男を海軍大臣にしたら、栄光ある帝国艦隊がガタガタにされてしまう」
そう憤慨する。
親山本派は
「かつて暗殺されかかった事があるし、彼は軍艦の上が一番安全だろう」
そう危惧していた。
だが、山本本人が政治の方に関心があるし、堀に言われて戦争終結に取り組む気も起きている。
確かに彼も「勝って終わる」程度にしか戦争の終わらせ方を考えていなかった。
彼は現場指揮官であり、戦争を終わらせる外交交渉等に責任を負う立場ではない。
彼にもそういう「自分の責任外の事にはタッチしない」という部分があった。
海軍大臣になったらそういう事を考える。
だが、連合艦隊司令長官の今は、余計な事を考えてはならない。
かつて山本が見学し、その国力に圧倒されたアメリカ合衆国は、例えば科学者が外交方針について意見を言ったり、技術者が軍に自分の知識を売り込んだりと、提案は自由であった。
イギリスにもそういう部分があり、越権行為は確かに嫌われるが、あまりにも融通が利かないという事はない。
日本は、飛鳥時代から「分を弁えない」「己の職権を乗り越える」「和を乱す」事を極度に嫌う。
ただ、時々それを乗り越える者が現れ、社会が変わる事がある。
そこまで大きくならずとも、例えば日露戦争の時は満州軍総参謀長の児玉源太郎が、
「早く戦争を終わらせろ!」
と参謀本部次長を怒鳴りつけたりして、終戦への作業を進めさせた。
現場の参謀如きの越権行為なのだが、児玉の場合は所属する派閥や、台湾総督まで務めた閲歴がものを言い、これが上手い方に働いた。
こういうガチガチなところがある反面、プロイセン・ドイツ陸軍の弟子である日本陸軍には独断専行の癖があり、勝手な戦争を起こして政府を引きずる癖もある。
越権行為を嫌う事はあながち間違いではないと言えよう。
ただ、事を起こす時は越権行為、独断専行をしていながら、事を収める時は縦割り行政、自分の職責を超えた事をしない、自分の権限を超えた部分の責任を負わないとなるから、
「結局どうして始まって、誰が責任者で、どう終わらせたら良いのか」
曖昧になってしまった。
それらを理解した上で、堀は山本に
「誰もやろうとしていないのだから、あんたが越権行為をしてでも、戦争を終わらせろ」
と発破を掛けていた。
実際の言葉はもっと穏当なのだが。
それで山本は、戦争終結に向けてどうしたら良いか、安全な戦艦「武蔵」に於いて立案し始める。
そして次第に山本の周囲には、堀が集めた人材が戦争終結を考える為に集まり出した。
堀は、軍需次官の松岡の事は知っている。
だが、彼もまた戦争終結に向けた行動を取り始めた事までは知らない。
そしてイギリスについては、松岡程深い付き合いが無い為、分かっていない。
堀はフランス駐在武官で、イギリスには行っていなかった。
だから、堀もまた
「ソ連との戦争を終わらすには、ポーツマス条約でアメリカ合衆国を仲介役にしたように、
この場合はイギリスを仲介役にしよう」
とまでは考え付くが、それをするとイギリスは自分の権益をも求めて来る事には疎かった。
松岡が単純に「イギリスを頼ろう」と考えないのは、それを知っているからだ。
具体的に「イギリスの経済に組み込まれろ、通貨の発行もイギリスと協議せよ、イギリス独占市場の一部となれ」と暗に言われている事まで知ったら、堀とて思い直すだろう。
だが、堀は変に情報が大量に入る官から離れている分、見えているものがあった。
イギリスもドイツも大変だという事は伝わっている。
その情報が溢れている中、ソ連の苦境は一切伝わらない。
情報が有る方を見てしまい、情報を漏らさないソ連については過大評価をしてしまっていた。
苦しいと言っていない以上、彼等は大丈夫なのだろう、と。
だが、そういう情報の奔流から距離を置き、実務に忙殺されていない堀には
「北に位置するソ連は、実際は遥かに大変なのではないか?」
という当たり前の事がすぐに思い当たった。
海の比熱の影響を受けて多少は温暖なイギリスですら農業は壊滅に近い。
なのに、どうしてそれより内陸で、北極に面したソ連が問題無いと言えよう。
(ソ連は食糧さえ与えれば妥協可能)
堀はそう分析した。
しかし一方で
(あの国の領土に対する執着は凄まじい。
また、日露戦争の恥を雪ぎたいという思いもあるだろう。
単に食糧を売り、満州を明け渡すくらいの大幅な妥協をしても、それで収まらないだろう)
そうも考えた。
こんなソ連を抑えるには、イギリスでは足りない。
(ドイツを使って、ソ連の背後を脅かすしかない)
幸い、日本はドイツの同盟国でもある。
ヒトラーは曲者だが、まだ希望はある。
堀が考え、山本にも伝えたのは以下のような案であった。
・英独を再度講和させる
・逆にイギリスに日ソ講和を仲介させる
・ドイツを生かす事でソ連の背後を脅かす
・世界を日英独ソの均衡状態にする
「うーむ、上手くいかないような気がする」
山本五十六は否定的だった。
ドイツは自己の都合で、簡単にソ連と手を組む。
独ソ不可侵条約の時もそうだし、一昨年のサムスン条約で独ソ戦を終わらせた時もそうだ。
ドイツにとって日本は利用する相手に過ぎず、日本の為に何かする事は考えづらい。
イギリスだってそうだろう。
「それは日本もお互い様ですな。
我々は独ソ戦の最中、ドイツに加担してシベリアを襲いましたか?
今もイギリス、ドイツどちらかの味方をしていますか?
日本にとっても、英独は利用する相手でありましょう。
それに、ソ連だっていつまでも戦う相手ではないですな。
ソ連も利用すべき相手です」
「ソ連を利用する、だって?」
「そうです。
ソ連を極東において押さえつける役割。
それがあるから、イギリスもドイツも日本に対して相当譲歩しています。
もしもソ連が無ければ、我々は欧州で戦争中の英独いずれかへの味方としての参戦を強要されていますよ。
イギリスからは資源を、ドイツからは技術を人質に取られ、どちらかを捨てねばならなくなる」
「なるほど。
狡兎死して走狗烹らるってやつか。
敵であるソ連が無いと、日本は独自の立ち位置を維持出来ない、というわけか」
「まあ、ソ連とていつまでも在るとは思いませんがね」
「おいおい堀君、なんて途方も無い事を言うんだ」
「国の基本は、国民を飢えさせない事ですよ。
今までスターリンはそれが出来ていた。
しかし、この気候変動でそれが出来なくなる。
スターリンの政治手腕や経済政策とは無関係にね。
スターリンはいずれ寿命か病気か、何であれ死にます。
永遠に生きられる人等存在しませんから。
スターリン死後、いつまで強権政治を続けられるか。
いずれソ連は、連邦を維持出来なくなり、適当なサイズと人口の国に分裂するのではないでしょうかね」
「……本当に先の話だね。
それで、そのソ連が永遠でないという話がどうこれまでの話に繋がるんだい?」
「失礼しました。
ソ連が在る内は日本の立場は尊重されます。
ソ連が消滅した時、その時の国際情勢がどうなっているか。
ドイツだって永遠ではないでしょう。
スターリンと同じく、あそこもヒトラーの個人的な資質に依存しています。
ヒトラー総統が死んだら、崩壊して元のフランスやイタリアが復活するのではないですかね。
イギリスも、もしかしたらヨーロッパの領土を全て捨てて、太平洋に移転するかもしれません」
「それで?」
「そういう変化の時はいずれ来ます。
それまでを猶予期間と見ましょう。
猶予期間の内に、日本はもっと強みを持つ必要があります。
それが何なのかまでは、今の僕じゃ分かりません。
ですが、食糧と生糸しか売り物が無い国ではいけないと思います。
その猶予期間を有効に使う為にも、戦争を終わらせた上で、英独ソを上手く利用しましょう。
向こうだって日本を利用しようとするのだし、こちらもそれくらい図々しくいきましょう」
なお、英独均衡は軍需次官の松岡も大体時を同じくして考えついていた。
理由は似ているが異なる。
やがて英独均衡主義の二人は、再び邂逅し、意見を摺り合わせる事となる。
その前に、堀は大日本兵器株式会社取締役社長として、20mm機関砲の大増産を行わねばならなくなる。
ソ連の冬季攻勢が始まった。
おまけ:
大日本兵器株式会社は、横浜市上大岡に工場を置く軍需産業である。
昭和十三年(1938年)に浦賀船渠の全額出資で創業した。
浦賀船渠は元幕臣の荒井郁之助・榎本武揚・塚原周造が中心となり、明治三十年(1897年)に設立された。
この浦賀船渠の工場は、ペリー来航後に時の浦賀奉行所与力・中島三郎助らが軍艦の建造を行った浦賀造船所の跡地に作られた。
江戸幕府の浦賀造船所に代わる大型造船所として横須賀造船所を作ったのが、やはり幕臣の小栗忠順で、横須賀造船所の辺りに横須賀海軍工廠も在る。
現在の取締役社長が、海軍をある意味追放された堀悌吉であった。
設立した者も、現在の社長も、ある意味政治の敗者というのも面白いかもしれない。




