ザバイカリエ航空戦
ソ連空軍(赤色空軍)戦闘機:
・Yak-9D 最高速度533km/h 航続距離1360km 武装20mm機関砲×1、12.7mm機関銃×1
・Yak-9U 最高速度575km/h 航続距離 675km 武装20mm機関砲×1、12.7mm機関銃×2
・La-7 最高速度597km/h 航続距離 635km 武装20mm機関砲×2(もしくは3)
(最高速度は地表高度)
【参考】
・零戦21型 最高速度533km/h 航続距離2222km 武装20mm機関砲×2、 7.7mm機関銃×2
(航続距離は増槽無し)
満州国とソ連の北西国境から見て、南に在るのがフルンボイル草原である。
ここから国境の北側、ソ連領がザバイカリエ地方である。
ザバイカル戦線というソ連の軍集団は、この地名から名を取っている。
ここにはかつて、清とロシア帝国が国境を定めた条約締結地・ネルチンスクも在る。
ソ連の独裁者・スターリンはイルクーツク空襲の報に激怒した。
激怒直後にさっさと冷静さを取り戻す。
シベリア鉄道に損害を受けたが、修復可能だというからだ。
「一ヶ月もあれば修復可能です、同志」
「二週間でやり給え」
「おそらく無理です」
「そうか、では君も行って手伝って来るかね?」
「いえ! 二週間で完成する事でしょう!」
イルクーツク空襲は、物理的には大した被害を与えていない。
だが心理的な衝撃は大きかった。
イルクーツクという後方が安全地帯ではないと分かった。
ソ連軍は前線に兵力を集中している。
だが、後方が安全ではなくなった為、航空兵力を前線からイルクーツクの間にも展開させねばならない。
イルクーツクやシベリア鉄道沿線に対空陣地、飛行隊の拠点を置く。
前線からイルクーツクまでの間に、対空監視網も設置しなければならない。
そして、万が一そこの基地を空挺降下で攻撃され、破壊される可能性を考慮し、兵員も配置しておく。
ソ連軍は機械力、生産力、兵員動員力で日本軍に勝る。
しかし、その兵器も前線に行き渡らねば意味が無い。
いくら無傷に近かったキーロフを始めとした西シベリアの都市で生産しても、前線である沿海州、東シベリアに運ばねば宝の持ち腐れであろう。
そしてソ連には最大の欠点がある。
食糧が足りていないのだ。
穀倉地帯が寒冷化してしまい、すっかり不作になった。
その上独ソ戦の戦場となり、農民は逃散し、畑は戦車の履帯で踏み荒らされ、塹壕を掘られた。
機械は資源と労働力さえあればいくらでも作れる。
兵士はソ連の場合、湧いて出てくるようなものだし、損害なんて気にせず使える。
しかし、食糧だけは現状どうにもならない。
早く日本軍を破り、温暖な極東地域を奪ってしまわねば、数年で兵士も、工場労働者も、共産党員すらも飢えてしまうだろう。
有利に見えるソ連にも実は余裕が無く、兵器が前線に行き渡らない状態でも攻勢をかけざるを得なかった。
この兵力を、イルクーツク防衛の為に割かざるを得なくなったのは痛い。
ソ連の大地は分厚い縦深を持つ。
日本軍が最前線の部隊を打ち破ったとしても、奥の拠点までは攻められない。
それがソ連の強みであった。
しかし、まさかの超長距離航空攻撃が可能と知った。
イルクーツクまでの間に、安全地帯は無い。
日本はそれを計算してはいない。
単にシベリア鉄道というソ連の大動脈を断ちに来ただけで、それがソ連軍の部隊配置に負担をかけている事を余り高く評価してはいない。
日本軍はソ連軍を過大評価している部分がある。
ノモンハン事件の悪影響であろう。
ソ連の大軍はシベリアを埋め尽くす程居る。
油断してがら空きにしていたイルクーツクまでの間を、すぐに防御を固めて来るだろう。
だから日本は、その大軍の兵站を断つ。
報告によれば、まだ攻撃の要アリであった。
ソ連が準備を整える前に、反復して攻撃をかけるべきだ。
イルクーツク空襲と時を同じくして、チタⅡ駅にも空襲を掛ける。
更にタルスカヤ駅にも襲い掛かる。
損害を与えたが、四式重爆の打撃力不足のせいで、完全破壊には至らない。
空襲の結果報告を聞き、効果や彼我の損害について判定してから、作戦を修正して再攻撃を行う。
イルクーツク、チタ、タルスカヤ、そしてモンゴル人民共和国首都ウランバートルに海軍の零戦、陸軍の四式重爆の戦爆連合が空襲をかける。
二度目の空襲時、ソ連は今度こそ衝撃を受けた。
戦闘機隊の緊急配備を行い、草原や荒れ地を突貫工事で整地して簡易飛行場を作った。
そこに近くから戦闘機をかき集めて防空戦闘機隊を置く。
前線から重要拠点まで対空監視網を設置した。
その監視網から日本軍機飛来の報を受け、迎撃機を予め離陸させていた。
その戦闘機が見たのは
「護衛戦闘機がついている!」
という信じられない光景であった。
「日本にも長距離戦闘機はあるだろう。
だが、そんな鈍重な双発戦闘機は、単発単座の戦闘機の敵ではない」
ドイツだってメッサーシュミットBf110という長距離戦闘機を持っていた。
航続距離1400kmだったが、イギリスのスピットファイアに全く歯が立たず、対戦闘機戦闘は失格とされ、夜間戦闘機や戦闘爆撃機に転換されている。
このBf110ですら前線からイルクーツクの往復は不可能なのだが、単発戦闘機は更にその半分程度の航続距離しか持っていない。
エンジン1基で燃料搭載量も多くない小型機は、護衛機として長距離を飛行するには不向きである。
まして搭乗員1名だと、航法も自分で行い、疲れても誰とも交代出来ない。
近距離ならともかく、イルクーツク上空に小型単発単座戦闘機など、ある筈がない。
しかし零戦はそこに居る。
「敵は単発戦闘機です」
「そんなわけあるか!
小型戦闘機が長距離を飛来出来る筈がない」
「現実を見て下さい。
あれです!」
「信じられん。
確かに小型戦闘機だ。
しかも軽快な動きをしている」
「ここまで来て、戦って、そして帰るには相当の燃料を積んでいなければならない。
重くなる筈だ。
なのに、あんな空戦性能とか、有り得ない」
年式の新しいソ連軍戦闘機の方が、高速であるから有利な筈である。
しかしイルクーツクまで飛来したのは日中戦争でも活躍した熟練搭乗員。
ソ連軍のパイロットも、独ソ戦で経験豊富なのだが
……やって来た日本の戦闘機乗りは人外ばかりであった。
「随分と鈍重な戦闘機だ」
と液冷のYak-9戦闘機に対し、呑んでかかる。
「あいつは中々手強いな」
そう評価したのは空冷のLa-7戦闘機である。
そんな風にソ連軍を小馬鹿に出来る程、初期は余裕があった。
ソ連空軍は独ソ戦の戦訓から、日本軍機に対し低空での戦闘を仕掛けたのだが、これは零戦相手には悪手である。
低空から中高度にかけて、零戦は魔王的な運動性能を発揮する。
しかも搭乗員が揃いも揃って人外級。
バタバタと叩き落とされ、爆撃機は悠々と目標に爆弾を落としていく。
だがソ連軍はすぐに適応した。
ドイツ軍とは違う相手だと、数回の空戦で理解すると、一転して高速飛行による一撃離脱戦法に切り替える。
この戦法は、前線の日本陸軍機相手ではそれ程効果が無い。
前線の日本機は高速戦闘も対応出来るし、一撃離脱戦を仕掛けても横転してかわす。
だが、この謎の護衛戦闘機は軽快な反面、速度はそれ程出せないようだし、翼が大きい為か横転速度が遅かった。
「戦闘機を相手に、あえて空戦する必要は無い。
特に低速から中速域での格闘戦は厳禁だ。
戦うなら一撃離脱に徹せよ。
あの戦闘機が追って来たら急降下して逃げれば追いつけないようだ。
そして爆撃機の方を狙えば良い。
要は戦果を挙げる事で、わざわざ難しい敵を相手にしなくても、空襲を妨害出来れば良い」
ある意味ソ連軍の戦法は、ノモンハン事件の際の空戦基本戦術に立ち戻ったものだ。
日本陸軍はノモンハン事件以降、一撃離脱戦法という世界の趨勢に対応していた。
日本海軍も、ソ連空軍の指導を受けた蔣介石の空軍との戦訓から三二型という横転速度が高く、急上昇・急降下速度を上げた機体を開発したのだが、これは長距離支援には向いていない。
旧型の一一型/二一型でないとイルクーツク往復は困難で、この航続距離が長く、格闘戦に秀でた機体の裏返しの部分、軽くて急降下速度が稼げない、航続距離を稼ぎ格闘戦で有利に働く大型の翼が横転の際は抵抗を大きくしている、から発生する弱点をつかれた。
それでも互角以上に戦っていたのは、日本海軍の搭乗員がかなりの人外だった事による。
「見える、そこ!」
と未来位置を予測し、見越し射撃を平然とこなす者、
「なんだ、この圧力は?」
と背後から忍び寄る敵機を察知してかわす者、
「機体の性能の違いが、戦力の決定的差ではないという事を教えてやる!」
と常人なら気を失いかねない機動を行う者、
低速だから弾道が山なりになる零戦初期型の二十粍一号機銃を斜め上に撃ちながら長射程で当てる者、
ソ連軍パイロットの技術を一目見ただけで模倣出来る者、
野獣のような勘と加速特性の良い軽戦闘機の特性を活かした急加速やわざと失速させて姿を晦ます敏捷性で敵を翻弄する者、
天から見通す目を使って、絶妙な機動により相手に自分に付き合わせて失速に追い込んだり、射撃の際に同士打ちを招く変態技を持つ者、
そして
「僕は影だ」
と、全く察知されずに敵の背後に回り込む者等、異常能力者とかキセキの搭乗員とかが数十人同時に揃っていたのが当時の日本海軍航空隊なのだ。
だがソ連空軍の機体数は千機を超える。
それらが全てシベリアの戦場に来た訳ではないが、倒しても倒しても補充されていく。
「まったく切りが無い」
初期の方は五日置きや、短くても三日置きの出撃だったのが、次第に毎日に変わる。
疲労がどんどん蓄積していく。
疲労が溜まれば、異能の方も鈍ってしまう。
彼等が空戦時に使いこなして能力を高めている異常集中状態の継続時間は、疲労蓄積と共に短くなる一方だ。
そして零戦の防弾装備の貧弱さも問題となる。
繰り返しになるが、イルクーツクまで出撃する零戦は初期型で、航続距離と引き換えに徹底的に軽量化されていた。
斉斉哈爾からイルクーツクまで護衛任務につくには、分かっていても防弾装備を増設出来ない。
それを知ったソ連軍は、空戦を避けていた姿勢から一転、積極的に攻撃を仕掛けるようになる。
一撃を食らった零戦は火だるまになり、熟練搭乗員が失われていく。
まあ、脱出した者が居ても、敵地奥深くなので捕虜となってしまい、脱走して戻る事も出来ない。
ソ連軍は、数ヶ月に渡る空戦で、どんどん対応していく。
逆に日本海軍戦闘機隊の消耗は増していく。
奇策は何度も繰り返し使うものではないという事だ。
だが、ソ連はまだ日本軍機について錯覚していた。
どうしても零戦の航続距離を信じていない。
「あれは、ザバイカリエ地方のどこかに秘密基地があり、そこから飛ばしているのだろう」
後方、モスクワではそう判断し、イルクーツクを安全にする為に謎の日本軍秘密基地の捜索を命じた。
そんなものは存在しない。
いくら探しても出て来よう筈がない。
ソ連軍は余計な事に労力を注ぎ込んでしまう。
こうした後方にも兵力を分散させ、防空やら秘密基地捜索やらを行い、そこへの物資輸送もしなければならない上に、空襲によるシベリア鉄道断線や輸送遅延が増えた結果、
「食糧が足りない。
敵を倒して奪おうにも、日本軍だって余り食糧を持っていない」
「ハバロフスクは弾薬不足。
もう抗戦出来ない」
「日本軍の空襲が頻繁過ぎて、我々の戦闘機の消耗も激しい。
部品を早く送って欲しい」
と前線が悲鳴を上げ始めた。
そしてソ連も日本と同じ無茶な事を言い出す。
「ドイツとの大祖国戦争も、物資不足、食糧不足の中で勝ち切ったではないか。
あの時と比べて、ザバイカリエの寒さは然程ではなく、沿海州は温暖だ。
むしろ戦いやすいだろう。
あの時戦って勝っているのだから、今甘ったれた事を言うのではない!」
ここも前例をもって、前線の要望を無視し始めた。
独ソ戦の時と違い、前線と首都の距離は数千km、工業生産拠点からもそれだけ離れている。
そしてスターリンは、ドイツよりは日本を甘く見ている。
遠く離れた場所からでは、実情を把握出来ない上に、物資輸送も時間が掛かる。
スターリンはさっさと日本に勝って日露戦争の恥を雪ぎ、満州を奪って新たな食糧生産拠点とし、モンゴルに続いて中国をも衛星国とし、日本は可能なら全土、まあ現実的な範囲で北半分、最低でも北海道を奪ってやりたい。
その捕らぬ狸の皮算用が、前線の実情との乖離を生んでいた。
ザバイカリエの空と陸では、両軍がどんどん擦り減っていた。
おまけ:
海軍の零戦隊に、連合艦隊から差し入れがありました。
「お、シベリアか」
「よし皆、シベリアを食って敵機も食ってやろうぜ!」
搭乗員及び整備員たちは士気を高めた。
羊羹または餡子をカステラに挟んだ菓子「シベリア」は明治後半から大正初期に作られ、どこのパン屋でも売られていたものである。