ドイツにもイギリスにも頼り切れない日本の事情
ドイツ主要メーカー
・クルップ社エッセン工場:Ⅳ号戦車製造 所在地ルール工業地帯(ライン川水系)
・クルップ社子会社グルゾン工場:Ⅳ号戦車製造 所在地マグデブルグ(エルベ川水系)
・アルケット社シュパンダウ工場:Ⅲ号突撃砲製造 所在地ベルリン(エルベ川水系)
・ヘンシェル社:ティーガー重戦車製造 所在地カッセル(ヴェーザー川水系)
・フォルクスワーゲン社:車両製造 所在地ヴォルフスブルク(ヴェーザー川水系)
・ダイムラーベンツ社:車両製造 所在地シュトゥットガルト(ライン川水系)
・モーゼル社:銃器製造 所在地ネッカー(ライン川水系)
・ワルサー社:銃器製造 所在地ルール工業地帯(ライン川水系)
・ラインメタル社:砲製造 所在地デュセルドルフ(ライン川水系)
・メッサーシュミット社:航空機製造 所在地アウグスブルク(ドナウ川水系)
・フォッケウルフ社:航空機製造 所在地ブレーメン(ヴェーザー川水系)
・ハインケル社:航空機製造 所在地ヴァーネミュンデ(独立水系のヴァルノウ川流域)
・ユンカース社:航空機製造 所在地デッサウ(エルベ川水系)
・バイエルン発動機:エンジン製造 所在地ミュンヘン(ドナウ川水系)
・ブローム・ウント・フォス社:造船(戦艦ビスマルク建造) 所在地ハンブルク(エルベ川水系)
・ドイチェヴェルケ社キール工廠:造船(軍艦多数建造) 所在地キール(バルト海沿岸)
・シーメンス社:電子機器製造 所在地ミュンヘン(ドナウ川水系)
ドナウ川水系以外、大体凍結する。
「ドイツの経済戦力は、現状なら持って十年。
もしもヒトラー総統がそれまでに新たなやり方を打ち出されなければ、
ドイツの重工業は壊滅するでしょう」
この周囲を驚愕させる発言は、秋丸次朗中佐からであった。
帰国を果たした駐在武官より事情聴取をし、それを秋丸中佐が纏め上げて発表したのだ。
その発表は議場の全員を驚愕させる。
欧州の寒冷化について人一倍知っていた松岡ですら、ここまで断言された事に驚いたくらいだ。
農業と違って、鉱工業は寒くても何とかなる。
人さえ住めればどうにか出来る。
実際、ヨーロッパ人は資源を探して、どんな辺境にも赴き、見つければ自国のものと主張している。
科学の発展は、人間の居住範囲を拡大させたのだ。
だが、
「ライン川を始めとしたドイツ国内の河川が完全に凍結すれば、現在のドイツの工業は壊滅します。
そうなるまで期間は、十年と掛からないでしょう」
この説明に納得がいった。
報告者も秋丸中佐も気象や水利の専門家ではない。
この報告も、現在見たままを述べていて、十年後もそれ以降も年間を通して完全に凍結はしないのだろうが、その予測までは出来ない。
それこそ数年の観測ではなく、十年以上の観測をするか、もしくは高度な計算装置であらゆる情報を数値化したもので演算しないと分からないだろう。
現在のドイツの気候に近い中央シベリア、ツンドラ地帯でオビ川、レナ川、エニセイ川は夏季の4ヶ月くらいは解氷しているし、ソ連も結氷し始めや春先は爆破して氷を砕いて利用しているのだから。
ドイツもそういう使い方は出来る。
まあ、そういう細かい事ではなく、盲点だったドイツ国内を流れる河川の凍結が指摘された事に意味があった。
作った物は運ばねばならない。
または原材料を運んで来ないとならない。
製鉄でも機械工業でも真水が必要である。
日本という周囲を海に囲まれた国では想像出来ない程、ドイツにとってライン川は重要な意味を持っていた。
これが麻痺するという事だ。
秋丸機関が以前の情報で纏め上げた「対英総力戦」の結果は
「日本はアジアでイギリスに勝てる。
この勝利はドイツがイギリスに勝つ事に連動する」
「日本単独では、イギリス全体に勝つ事は出来ない。
どこかで終戦工作をする必要がある」
であった。
これと総力戦研究所を始めとした各種研究機関が、バラバラに調べながらも出した
「資源を確保するならイギリスとの関係維持は必要不可欠」
という意見があり、それらを統合した結果
・イギリスとの関係を重視し、戦わず、ドイツは見捨てる
・ドイツを勝たせる為に、積極的にイギリスと戦い、資源地帯も占領する
が主だった意見となっていた。
つまるところ、ドイツがイギリスに勝つ可能性が高い事を前提とし、どちらに恩を売った方が日本の価値を上げられるか、という計算をしている。
ここに秋丸機関からの新情報
「ドイツ必敗」
が加わり、親独派だけでなく親英派すら戸惑ってしまった。
ドイツと天秤にかけて、都合良い条件を引き出そうというくらいの策謀は、親英派だってする。
むしろ腹黒紳士と付き合いが長ければ長い程、ごく自然にそういう駆け引きはやるべきものだ、と慣れてしまう。
だが、イギリスの勝ちが確定しているなら、余計な駆け引きはマイナスにしかならないのではないか?
天秤にかけるような駆け引きではなく、全面協力を前提に恩を高く売りつけるような交渉こそ重要かもしれない。
「だが、ドイツが短期決戦で勝てば良いのではないか?
ドイツ軍の力を持ってすれば、イギリスもイタリアもスペインも敵では無い。
あっという間に欧州全土を支配し、対策はそれから考えれば良いのではないか?」
この疑問は陸軍から出された。
だが、秋丸中佐は首を横にする。
「東部戦線が余計でした。
あれでどれだけの兵力が失われたか。
今のドイツ軍は、ソ連との開戦前のドイツ軍では有りませんぞ」
独ソ戦は凄まじい消耗戦となった。
あの人の命を、刈っても刈っても勝手に生えて来る雑草程度にしか思っていない独裁者二人を休戦させる程に激しいものだった。
兵士や兵器だけの問題ではない。
戦場となっていたヨーロッパロシアやウクライナの地が、年々不毛の地に変わっていき、多くの難民が出るし、食糧の現地調達が敵わなくなった。
ドイツもソ連も、寒冷化の影響で食糧生産力が低下している。
そんな中で、不毛の地に居る大軍に食糧を輸送し続けた結果、戦地以外の国民すら飢え始めてしまった。
その両国に食糧を売り、戦争させ続けたのがイギリスなのだが、そこまで日本は知らない。
表向き、ドイツとソ連はスペインとイタリアから食糧を買い続けていた。
その食糧供給元にドイツは侵略戦争を仕掛けている。
これは
「資源が欲しいなら、イギリス植民地を奪って我が物としてしまえ」
という日本の姿に重なって見えた。
一方のイギリスは、なりふり構わないチャーチルの食糧及び資源獲得政治と、国民疎開政策で、この事態に対応出来る態勢になっている。
亡命政権である自由フランスのアルジェリアとチュニジア、今やイギリス同盟国のイタリア領リビア、そしてイギリス影響下のエジプトと、北アフリカは全てイギリス陣営だ。
ドイツがイギリスに勝つには、地中海の制海権を手に入れ、スエズ運河を掌握する事が必要である。
優勢なイギリス地中海艦隊と、まだ多数の戦艦を有するイタリア艦隊の前に、ドイツが地中海の制海権奪取するのは困難だろう。
地中海の制空権をかけた戦いが、マルタ島のイギリス空軍、シチリア島のイタリア空軍とドイツ空軍の間で行われているが、ドイツの戦闘機は高性能故に資源を必要とし、何時まで高品質な状態で大量生産出来るやら。
ではドーバー海峡を渡りイギリスを占領すれば良いが、可能か?
これも難しい。
「ドイツが勝つには、東部戦線が非常に余計でした。
イギリスを潰す事に専念していれば、昭和十五年(1940年)の時点で勝てたかもしれないのですが」
陸軍秋丸機関は、本来非常に親独的である。
イギリスに勝つ為にドイツの協力が必要、この結論が全てであった。
その為に同盟国ドイツの経済戦力を調査したのである。
その時も
「独ソ戦が早期に決着し、ソ連の資源を使えるようになる事が必要」
という条件を付けていた。
だがドイツは、彼等が言う二、三ヶ月での勝利を得られなかった。
三年に渡る独ソ戦で、ドイツは大いに消耗してしまったのだ。
残念だが、秋丸中佐はそれを言わざるを得ない。
氷河期化対策を怠ったドイツは、準備万端のイギリスに絶対に勝てない。
イギリスとの協調しか無い、一同がそう諦観しかけた時、反論をするものが居た。
松岡商工次官である。
「ドイツの敗北について、口を差し挟む気は無い。
話を聞いて必然だと思う。
だが、ドイツをこのまま負けさせる事も無いと考える」
この意見に秋丸中佐は
「意見を聞きます。
小官も、何が何でも英国と手を組めという結論を出させる為に意見を述べたので有りません。
ドイツは早晩工業が壊滅するという事実を伝えねばならなかっただけですから」
と答えた。
松岡は、イギリスへの完全な依存関係になるのを危惧した。
イギリスの悪意とかは関係無い。
独占企業というものは、消費者のニーズとかは無視し、自分の都合で物事を決められる。
国と国の関係でそうなってしまえば、それは属国化を意味する。
現在のイギリスも問題を抱えている。
インドで暴動が起きていて、その鎮圧に手間取っていた。
この暴動は、インド独立運動家のチャンドラ・ボースが行っているが、その後ろにドイツとソ連が居る事までは、松岡も知らない。
イギリス大使館のカウンターパートであるサンソム氏も、聞いていない事には答えないし、ドイツ大使館もわざわざ言わないから、想像もしていなかった。
ただ彼は、商工業の専門家だけあって、それが貿易において影響している事を掴んでいる。
イギリスはインドの穀物をあてにしていたが、暴動で予定量の確保が出来ない。
そこで日本から米を大量に買い付けている。
温暖化により東北地方や新潟の米収穫量が増え、更にやはり温暖化した朝鮮半島や台湾からも米が流入し、普段なら米の値段が下がって米農家は豊作貧乏になるところである。
だが、香港経由でイギリスが大量に米を買っている為、米価格は高値が維持されていた。
これにより、今まで悲哀を味わって来た東北地方の米農家は、一転して好景気に湧いている。
しかし、このインドの暴動が鎮圧され、インドからの穀物だけで間に合うようになればどうなるか?
日本で、高く買ってくれる事を見込んで大量に作られた米は、今度は暴落に転じる。
好況を見込んで、朝鮮半島や台湾からも買っていれば尚更だ。
資源を買うだけでなく、商品を売る場合でも、顧客が絞られてしまえばこういう危険が生じる。
(むしろ、食糧が採れなくなるドイツの方が、商売相手として安定するかもしれない)
松岡はそう考えた。
経済学者の柴田敬は言う
「価値創造が必要だ」
それは技術の進化という意味では無い。
それまで無価値だったものを、価値ある物に転換する事がイノベーションである。
今まで、遠く離れたドイツが日本の食糧を必要とするとは考えなかった。
事情が変わった今は、それが成り立つ。
むしろ主要貿易相手であるイギリスの方が、日本の食糧輸出無しでも国民生活を維持させられる。
今がインド暴動と、戦争中という事で特殊なだけだ。
そして松岡は通貨の問題にも触れる。
軍部はこの問題ではポカンとしていたが、何となく言いたい事は理解して貰えたようだ。
イギリスとの貿易量を増やす、それによって為替の手間を省略する為、ポンドと円を固定相場にする。
イギリスは既にそう求めて来た。
まだ駆け引きの段階であり、日本の反応を見定めている。
円とポンドでは、どちらの通用量が多いか?
ポンドである。
故に円はポンドの事情に引き摺られる。
そして経済政策の上で、自由に通貨量を増やしたり減らしたり出来なくなる。
固定相場なのに、通貨量を勝手に変えれば問題が生じるのだ。
こうして通貨を自由に発行出来なくなっても、独立国と言えるだろうか?
面白い事に、親独派の秋丸中佐がドイツの問題点を並べ、
親英派と言える部類の松岡がイギリス傾斜は危険だと説く。
ドイツの思わぬ欠点を指摘され、思考が停止していた岸信介、東條英機も、この光景に
(面白いものだ)
という感想を持っていた。
秋丸中佐も松岡も、基本的な部分で
「背後にソ連の軍事的脅威を抱えている」
という部分では一致していた。
故に、必ず負けるドイツに肩入れして前後を敵に挟まれる事態を避けたいという意見と、
ソ連を前にイギリスを敵に回すのは反対だが、過度な依存は日本を属国にするという意見、
この議論に割って入った者がある。
東郷茂徳外相である。
「ソ連との戦争を前提にしないで貰いたい。
中立条約によって非戦は維持されている。
少なくとも2年は問題無いでしょう。
その2年の間で、ドイツかイギリスかを選択した方が良いと思います。
こちらから外交上の信義を破り。国際社会に不評となるのは戦略上も避けた方が良いでしょう」
外務省にはこういう意見の者は、全部では無いが少なくも無かった。
更に総理大臣も勤めた海軍左派の重鎮・米内光政が親露派である。
陸軍の中にも北進論ではなく南進論を説く者も居る。
親露派、親ソ派や外交における慎重派が意見を言い始めた事で会議は長引き始めた。
次話は26日17時にアップします。