第二次世界大戦後期戦始まる
北アフリカでイギリスと戦った際、塹壕で発生したペストは、帰還兵を通じてイタリア本国に持ち込まれた。
だがムソリーニは独裁者ならではの手段でこれを封じ込める。
ヴェネツィアの潟にあるポヴェーリア島に重症患者を送り込み、帰さない。
やがて「死ぬまで幽閉された末期患者の亡霊が彷徨っている」と噂されるようになる。
なお、チャールズ・ファイザー&カンパニー・インクは多数の抗生物質を世に送る事なく、北米大陸消滅と共にこの世界からは消えている。
1944年1月、世界は衝撃の発表を受ける。
ヒトラー率いるドイツ帝国が、同盟国であったムソリーニ率いるイタリア王国に宣戦布告したのだ。
「イタリアはこのヨーロッパの危機に置いて、国境を閉ざし、苦しむ民衆を引き受ける事無く、自国の利益のみを図った。
さらに同盟国としての義務、ソ連との戦争においても勝手に軍を撤退させた。
イタリアはヨーロッパ大陸の裏切り者である!」
イタリアはこの宣戦布告の演説に、大いに文句が有った。
ヨーロッパの氷河期到来において、自国の民衆を守る事に何の問題が有るのか?
独ソ戦で「足手まといだから帰って」と言ったのはどこのドイツだ?
大体、同盟の義務違反とか言ってるが、北アフリカでもギリシャでもドイツは共同出兵しなかっただろうに。
しかし、文句を言っていても始まらない。
既にドイツ軍は国境を越えて進軍している。
ドイツ軍だけではない。
フランス・ヴィシー政府もイタリアを攻撃する。
独ソ戦に参戦し、その被害の大きさから枢軸を抜けようか迷っていたハンガリーも、ユーゴスラヴィア再分割の為に南下を始めた。
ムソリーニはイギリスに救援を求める。
ドイツ及びフランスの北方強国は、南方の温暖な地を求めた。
それはイタリアだけではない。
ヴィシー・フランスの本命はスペインである。
フランコ統領も対フランスで防戦を命じる一方、イギリスに救援を求める。
更にポルトガルも、明日は我が身と理解する。
ポルトガルはスペインと同盟して共同戦線を張る他に、永久同盟に基づいてイギリスに救援を求める。
イギリスの信用は地に墜ちていた。
チャーチル発表をギリギリまでしなかったのは分かる。
だが、言ってる事とやってる事に差がある。
口では「慎重に判断して発表した」としながら、実際には1940年から食糧集めや疎開先選定を始めていたではないか。
イギリスは信用出来ない。
信用出来ないのは分かっているが、もう他に頼れる国が無いのも事実である。
イタリア、スペインはポルトガル同様にイギリスに同盟を申し込み、ドイツからの防衛に立ち上がって欲しいと懇願する。
自分の帝国でインド大暴動を抱え、イギリスはやる気が無かった。
だがドイツはここで失策を犯す。
失策なのかな?
もしかしたらイギリスを戦争に引きずり込む為に、わざと情報漏洩したのかもしれない。
まず作戦計画でマルタ島、キプロス島を攻略し、イタリア領リビアを併合した後にエジプトを目指すというものが漏れた。
正直、イタリアとギリシャを奪っただけでは生存圏として不足である。
北アフリカまで得ないと意味が無い。
更に、インド大暴動を纏める革命家・スバス・チャンドラ・ボース、彼をソ連経由でインド入国させたのがドイツだという事も知られた。
ドイツはイギリスの権益を狙っている。
ヒトラーの方針はこの数年で変わっていた。
元々彼は、スラブ人の国で共産主義国家のソビエト連邦との戦いを前に、同じアーリア民族のアングロ・サクソン人の国・イギリスと事を構えたくなかった。
背後に敵を抱えたまま、ソ連との戦争をしたくはなかった。
だがチャーチル発表以後は違う。
東方に生存圏は無い。
南方にそれを求める他無い。
こういった気候変動において、一番得をしているのはイギリスである、ヒトラーはそう考えた。
彼等は数多くの海外植民地を有する。
真っ先に環境変動に関する研究を行い、手を打っている。
ドイツは、イギリスの意図的な情報封鎖によって、泥沼の独ソ戦から抜け出せないまま、手を打つのが遅れ続けた。
悪辣なイギリスから、植民地の全てとは言わない、北アフリカと中東くらいは奪ってしまおう。
このように変化した。
この時期、こういう考えは特におかしいものではない。
イギリスは第二次世界大戦前期戦でフランスが降伏した後、どさくさ紛れに一部のフランス植民地を接収した。
タイはフランス降伏後に、昔フランスに奪われた地を回復しようと戦争を仕掛け、一部を取り戻した。
ソ連は防衛上の理由という自国以外どこも得をしない理由で、フィンランドからカレリア地峡を奪う戦争を起こした。
アメリカ合衆国という、妙に正論に拘る国が消滅して以降、世界は割となりふり構わない感じになって来ている。
チャーチルは、実は戦いたくて戦いたくて仕方が無かった。
ヨーロッパが氷河期になるから、戦意を抑えて準備をしていたに過ぎない。
チャーチルは本来ヒトラーと妥協等したくはなかったのだ。
故に閣僚たちに問う。
「我々は戦えるか?」
陸軍と空軍は、動員が完了し次第戦争可能と回答する。
海軍は、現在移民輸送の為に世界に展開している為、集結に時間が掛かると回答。
軍としては
「準備が出来たら、ドイツなんて叩きのめしてやりますよ」
という事だ。
インド担当相は渋い表情である。
「陸軍の見通しは甘過ぎる。
貴兄はインド兵も計算に入れていないか?
今、インドの暴動は全土に拡大し、インドから兵士をヨーロッパに派遣する余裕は無い。
首相のインド政策に言いたい事は多数あるが、今はやめておきます。
ですが、まずはインドの暴動を何とかしないと、インド人部隊という大軍を我々は使えないのです」
第一次世界大戦で、イギリスは130万人ものインド人部隊を戦線投入した。
現在、そのインド人兵士は同胞であるインド解放戦線の暴動を鎮圧する為に展開していた。
インド担当相の渋面とは裏腹に、農漁食糧大臣は余裕がある表情だ。
「そのインドから絞るだけ絞ってくれたおかげで、食糧備蓄は十分です。
これについて、首相のやり方は正しかったと言えます。
十分に戦争するだけの量が、国内に蓄えられました」
保存食にすれば、海外からの食糧が止まっても数年戦い続けられる。
多少腐ったり、味が悪くなっても大丈夫だ。
何故なら彼等はイギリス人、飯が不味いのはいつもの事だ。
ロシア人にとって「冬が寒い」のとイギリス人にとっての「飯が不味い」は、外がそう言っているだけで、本人たちにはあえて話題にする必要も無い当たり前の状態である。
イギリスが世界を征服出来たのは、長期の航海や遠隔地での生活で、不味い飯でも耐えられたからだと言う学者もいるくらいだ。
燃料動力大臣と航空機生産大臣も余裕を見せる。
「確かに、首相が植民地から搾り取ってくれたお陰で、物資の備蓄は十分に有ります。
我々はあと十年は戦えます」
十年はジョークである。
そんなに長く戦う気は無い。
一同は爆笑する。
そんな中、笑っていない者もいた。
国民避難担当相である。
「兵器生産用の物資はともかく、民需用物資や食糧は国民の避難が予定通りで計算しているでしょう。
現在避難したのは全体の10%程度です。
国民は中々頑固で、我々の説得に応じようとしませんでした。
この上戦争が始まるとなれば、外国に逃げるよりも国内に留まって戦おうとするでしょう」
更に水差しの水を飲んで続ける。
「これから避難するとしても、オーストラリアも南アフリカも、更にはインドも遠過ぎます。
避難民を乗せた船は、きっとドイツの潜水艦に狙われるでしょう。
仮に難民船だと言っても、彼等は見境有りません。
海軍はこの避難船を全て、守り切る事が出来るのですか?
第一次世界大戦の時、どれだけの船舶がドイツの通商破壊で沈められたか。
物資はまた作れば良いですが、国民の命となるとそうもいきませんよ」
この3年、色々と準備を整えていたのはイギリスだけの話ではない。
ドイツも1940年当時より色々と準備が整って来ている。
1939年の開戦当時、ドイツの潜水艦は57隻、その内の26隻だけが大西洋に派遣されたに過ぎない。
独ソ戦に国力の大半を注ぎ込んだとはいえ、現在ドイツの潜水艦はU-VIIC型だけで420隻に達している。
ブロック方式で大量建造が可能になったのと、フランスを征服してその資源・造船場・港湾・人員を使えるようになったのが大きい。
当初は600隻の予定であったが、独ソ戦に伴い減らされた。
それでも十分過ぎる脅威に成長している。
北米大陸消滅時には竣工して2ヶ月であったドイツの「ビスマルク」級戦艦は、2番艦「ティルピッツ」までも完成し、慣熟訓練も終えていた。
幸いというか、北米大陸消滅時に建造中止となった「ビスマルク」次級のH級戦艦以降は、そのまま再建造はされていない。
敵がソ連だけになった事で、再建造の必要をヒトラーが感じなかった為であろう。
空母「グラーフ・ツェッペリン」は建造再開、完成・就役している。
空母国イギリスとの和平は成ったが、これにより航路が安全となり、日本の技術者がやって来て空母建造を指導した。
日本の指導により、対艦用の15cm砲は撤去され、より空母として洗練された兵装になっている。
ただし、イギリスが知らない事情で、この空母は役に立たない。
空母としては、日本の「蒼龍」級程度には使える。
だが、艦載機の調達を巡って空軍のゲーリングが横やりを入れた。
艦載機のパイロットを一切出さない、艦載機用に空軍機を回す事も無い、と。
この幼稚な意地を張ったゲーリングにヒトラーが配慮し、どうせソ連戦では大した使い道も無い事から、空軍の管轄にこの空母を置いてしまったのだ。
海軍戦略を全く知らないゲーリングが、浮かぶ飛行場としてのみ空母を使う思考しか持たない為、イギリスにとって大きな脅威とはなり得ない。
大体、空母の護衛艦隊も全く整備されてなく、ゲーリングは空母の単艦突入を考えるくらいであった。
国民避難担当相は、これらドイツ海軍による避難妨害を恐れている。
1940年7月から、北米大陸が消滅した9月を挟み、停戦の目途が立った10月までに連合国の艦船は220隻以上ドイツによって沈められている。
あの時よりも準備が整ったドイツが相手だと、更に被害が大きくなると予想された。
チャーチルはこれらの意見を聞いた上で、一旦会議を解散し、考える時間を作った。
彼は、軍事首席補佐官であるヘイスティングス・イスメイ中将と相談する。
そしてチャーチルはイギリス第一主義ながら、現実的な戦略を立てた。
「各亡命政府の軍をスペインに送り、防衛をさせろ。
あ、彼等はきっと私を信用しないから、私の本家にあたるマールバラ家の騎兵部隊も出そう。
王室からも誰か参戦して欲しい。
義勇兵として国民の参加も望ましい。
可能な限り、近いスペインやポルトガルに人を、まずは動かす事だ」
「イタリアは一時放棄させろ。
手が回らん。
だが、ムッソリーニを降伏させてはならん。
シチリアまで撤退させたら、地中海艦隊は全力を挙げてイタリアを支援せよ。
ドイツ軍をイタリア南部に足止めするのだ。
そして、マルタやキプロスは全力で守り抜け。
地中海艦隊で手が足りなければ、本国艦隊も回して良い」
「国民の疎開と陸軍の動員を同時に行おう。
つまり、兵士として徴兵し、任務として北アフリカ防衛に就かせる。
その家族も後方支援要員として任地に送ろう。
国の為に義務を果たすとあらば、否やも無いだろう。
そうして、なし崩し的に国民を外に移していく」
「まずは潜水艦の脅威が少ないスペインや北アフリカへ国民を移す。
空軍も本国艦隊も、総力を挙げて潜水艦からの脅威から輸送船団を守れ。
近距離ならばエアカバーも利くし、往復の時間も短い。
反復してより多くの国民を、兵及び軍属として南に移すのだ」
戦略は立った。
準備も整った。
改めてイギリスはドイツとヴィシー・フランスに対し、イタリア及びスペインへの侵略行為を停止するよう要求、無視されると宣戦布告を行った。
こうしてイギリス・イタリア・スペイン・ポルトガル連合とドイツ・フランス枢軸による第二次世界大戦後期戦が開幕したのであった。
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