欧州情勢は真に複雑怪奇
※ハンガリー王国はドイツの同盟国である。
独ソ戦にも参加し、相当の犠牲を出している。
一個軍が壊滅していた。
彼等は枢軸国を抜けようかとも考えていた。
だが、抜けずに最後まで独ソ戦に付き合った事で、不運には見舞われずに済む。
北極振動とは何か?
北極上空のジェット気流の蛇行である。
南極振動は有るのか?
有る、ただし今回は問題として扱わない。
どうも北極振動とは対となっていて、北極が正の時、南極は負となる。
北極振動における正とは何か?
北極と北半球中緯度の気圧差が大きく、北極の寒気が南下出来ない状態である。
逆に負の時、北極と北半球中緯度の気圧差が小さくなる。
北極の気圧が平年より高くなり、北半球中緯度の気圧が平年より低くなる。
するとジェット気流の蛇行が発生する。
大きく南に蛇行したジェット気流によって、北極の寒気が南下しやすくなる。
蛇行という事は、下がる地域もあれば上がる地域もある。
北極振動の負の状態になると、極端な寒冷化と極端な温暖化が同時に起こる。
北極観測の学者チームは、ジェット気流の北半球規模での蛇行と、蛇行によって北極上空の寒気が南下しやすい地域が出るという事を、共同宣言という形で発表した。
現在は、東欧~ロシアにかけて、東シベリアから東アジアにかけては南に寒気がせり出し、北大西洋、中央シベリアでは逆に北に気流が上がっている。
温暖化、熱帯化が指摘されていた日本では急な寒い冬が来る事で問題が起こる。
その話より先に、寒冷化した東部戦線が更に寒冷化する欧州では、情勢の変化が起こった。
世界大戦の枠組みを大きく変える変化である。
ヒトラーとスターリンは、自前の学者チームの報告と、国際観測隊の報告との整合性を見て、異常が確かであると判断した。
いや、正確には分からないが、そういう事にした。
この時期、イギリスはチャーチルの不手際で、インドの大暴動に忙殺されている。
日本では、独ソ休戦の仲介を任されているも、自分のとこの陸軍の暴走の後始末で忙しい。
もっとも、日本に頼んだ仲介なんてのは、目を逸らす為のものに過ぎないのだが。
ドイツ軍、ソ連軍ともに撤退命令と、配置転換命令が出る。
ソ連は、シベリア鉄道で極東に兵員が運ばれ始めた。
チャーチル発表を理解出来る者なら
(これは、温暖になる満州を攻撃する為か?)
と予測するのだが、ソ連の兵士はそういう事を全く理解していない。
「ドイツ野郎が祖国を侵しているのに、何だってシベリアに帰らないと駄目なんだ?」
「俺たち、何か悪い事でもしたのか?」
「いやいや、シベリア送りじゃなく、冬の間は避難するだけじゃないのか?」
ヨーロッパの冬が異常に寒くなったという事以外、何も分からないまま彼等は鉄道に揺られる。
ドイツ軍は、ソ連軍に勝てたという意識が強い。
自分たちは冬の寒さ、それも異常気象に苦戦しただけで、ソ連に負けてはいない。
逆に勝っている、
異常気象にだって、勝ちつつあった。
そう思う一方で、母国に引き返せる事は嬉しくもある。
誰が好き好んで、最近じゃ麦もろくに取れない、食えるものは凍死した家畜の肉か、凍死した(自己規制)くらいの、泥と寒さと疫病が跋扈する地に居たいだろう?
随分とドイツ本国も寒くなったとは言え、ソ連よりずっとずっとマシなのだ。
だが、東部戦線から引き揚げて来た彼等が送られたのは、ハンガリーであった。
「何故ここなのですか?」
兵士たちは苦情を言う。
「うるさい、黙って温泉に入れ」
「!!
了解しました!!
総統万歳!!」
ハンガリーはヨーロッパでも有数の温泉大国である。
東部戦線から引き揚げて来た兵士たちは、保養地で体を温める。
「総統の御恩情である。
家族を呼び寄せても良い」
「総統万歳!!
勝利万歳!!
これでまた戦えます」
「そうか、それは良かった。
命令有る迄臨戦態勢のまま待機を命じる。
まあ、兵の移動が終わるまでは戦いは無い、そうだ。
俺もそれ以上詳しい事は知らんが。
それまでは英気を養っておくように」
凍傷や戦傷、疫病に飢餓で要治療の度合いが高い者は、ドイツ国内の温泉地バーデンバーデンに移送される。
ここで治療を受け、軍復帰まで滞在させられる。
「あの、除隊は無いのですか?」
「今はまだ駄目だ。
それに、除隊するとここでの治療を受けられなくなるぞ」
「いえ、除隊など有りません!」
ヒトラーはベルリンからミュンヘンに、事実上首都を移した。
制度上はまだベルリンが首都である。
しかし、政府機能を全てミュンヘンに移動させている為、首都が移転したようになっていた。
これは、占領され、奪還したものの都市として暫く使い物にならないモスクワを、制度上は首都としつつスターリングラードで一切の政務を行っているソ連と似たようなものだ。
両国とも南に政府機能を移している。
「イスメト・イノニュとの交渉はどうなっている?」
ヒトラーはミュンヘンから自動車で2時間程のベルヒテスガーデンの山荘に居た。
暖房がガンガンに炊かれている。
その山荘で、彼はトルコの指導者の名を口にした。
偉大なケマル・アタテュルクことムスタファ・ケマル亡き後、二代目トルコ共和国大統領となったのがイスメト・イノニュであった。
彼は英仏・独が戦争状態であった時、双方の陣営から参戦を求められた。
だがそれに応じず、中立を維持している。
その後、独ソ戦が始まった後も、双方に味方しなかった。
「イスメト・イノニュは要望を受け容れました。
準備も整えたので、何時でも良いとの事です」
「良くやった。
それで、スターリンの方はどうなっている?」
「いまだ何も……」
「何をやっておるのか!
早急に手を打ちたまえ!」
「はい、総統!」
日本で大使同士の茶番劇が行われている。
休戦交渉でありながら、お互い譲歩を一切しない。
ほとんど罵り合いをしている。
これに外交では初心な日本の外交官が圧倒されていた。
仕方が無く、前外相の松岡洋右が現外相の重光葵に頼まれ、仲介役たる日本代表を任される有り様である。
当然、東京での外交は世界各国の新聞社・通信社が伝える所となる。
全く上手くいっていない、と。
独ソ休戦は有り得ない、と。
共産主義を体現した国と、反共産主義を国是としている国は居り合えないものだ、と。
「極東の喧嘩に目を奪われて、邪魔が入らん内にサッサと事を決めてしまおうか。
しかし、返事が無いから本気で休戦に応じる気は無いと思ったぞ、
ヨシフ・スターリンよ!」
「トルコはロシアの時代から戦争をした国だからな。
出向くとなれば、トルコの我々を敵視している者どもに情報が漏れないようにしたかったのだよ、
アドルフ・ヒトラーよ」
ここ、トルコ黒海沿岸の都市サムスンで独ソの独裁者同士の秘密会議が開かれていた。
お互い、ここに居る事は国内にも伏せてある。
「このジュガシヴィリって変名、読みづらくてかなわん。
もっとマシな名前に出来なかったのか?」
「私の本名だ!
侮辱するな!
このシックルグルーバーという変名の方がよっぽど読みにくいわ!」
「私の祖母の姓だ!
貴様、収容所に送ってやろうか!」
「貴様こそシベリアに送ってやるぞ!」
「ガス刑だ!」
「銃殺だ!」
「…………」
「…………」
「やめようか」
「そうだな、こんな事をしにわざわざ来たんじゃない」
2人の独裁者は世界地図を広げる。
ウクライナから東欧にかけて、でかく×印がされていた。
「ここには人は住めん」
「そうだな、穀倉地帯だったのも、昔の話となってしまった」
「両軍、ここから手を引こう」
「良いのか?
ドイツの生存圏とか言ってなかったか?」
「気候変動の結果、生存圏ではなく死の領域となった。
いや、冷たい死の国かな。
とにかく、もう要らん」
「そうか。
ソ連には必要だ。
穀物は取れんが、資源は有るからな」
「東欧は渡さんぞ」
「そこはおいおい決めよう。
とりあえず、ウクライナから東欧にかけて、しばらく非武装地帯としよう」
「そこに兵力を置いていても、凍死されるだけだからな」
「確かに約束するな?
お前は条約を破るから信用出来ん」
「ロシア人に条約破りを言われたくないな。
ロシア人こそ約束が出来ない代表だろう?」
「私はグルジア人だ!
ロシア人じゃないぞ」
「そうなの?
じゃあ、あの変な名前はグルジアの?」
「このオーストリア人が!
本気でぶん殴るぞ!」
「私はドイツ人だ!
二度とオーストリア人などと侮辱するな!
まあ私の方も、君の名前と国籍を侮辱したのは謝るよ」
「……意外と素直だな」
「話をサッサと進めたいんだったよ。
で、ここから両軍手を引いたら、後は無関係で良いな?」
「ああ、ソ連が向かう先にドイツが無い。
ドイツの同盟国はあるが……」
「構わない。
ソ連を東から攻めてくれるものと期待していたのに、中立条約なんかを結んで何もしなかった。
同盟を切る事は無いが、西から攻めて支援をしたりはしない」
「そうか、分かった。
ではドイツの進路は……」
「そこにもソ連は居ない。
ソ連の係累も居ない。
だから背後が安全である必要があった」
「分かった。
とりあえずそれで行こう」
「分かっていると思うが、私は共産主義を認めてはいない」
「当然だ、私とて祖国を侵略したドイツを許してはいない」
「だが利害関係が成り立っている内は……」
「戦わない方が得策だ。
兵士は自然に生えて来るものだが、それでも足りんからな」
「よし、ではそういう事で」
「明日、同時に発表だ」
こうしてトップ同士の話し合いの結果、急遽独ソ停戦が決定する。
全世界が驚かされた。
梯子を外された形の日本は、大恥をかく。
そして休養中の軍司令官たちに極秘命令が下る。
「ソビエト赤軍は、来年3月に満州国を攻撃する。
日ソ中立条約の有効期限は1946年4月24日だが、これは破棄するから問題無い。
直ちに準備に入れ」
一方のドイツ軍各軍への命令は
「鋼鉄協約を破棄する。
ドイツ軍は電撃的にイタリア、ギリシャに侵攻し、これを占領する。
ドイツの生存圏はエルベ川の東にはもう無い。
アルプスの南に在るものと心得よ」
こうして第二次世界大戦は、1939年から1940年にかけての英仏対ドイツの前期戦、1941年から1943年にかけて独ソが戦った中期戦が終わり、枠組みを大きく入れ替えた後期戦が始まる事になる。
次話は18時にアップします。
1943年編を終えます。