一号作戦の結末
海軍の零式艦上戦闘機は、対米戦の為に長航続距離を求められたのではない。
設計要求時、求められたのは「〇〇km飛行可能」ではなく「〇〇時間飛行可能」であった。
昭和十二年当時、基地上空に滞空し続けられる性能が、敵爆撃機迎撃に有効と考えられた。
だが、それはパイロットの疲労を全く考慮していない考えである。
結局、敵を発見したらすぐに発進し、敵機の高度に達する事が出来る、上昇性能と加速性能の高い迎撃機が歓迎される。
だが、この初期の性能要求が長航続距離という結果を産んだ為、零戦は爆撃機の護衛機として最適の戦闘機となったのだった。
そして陸軍……
「長距離支援戦闘機、双発の方が良いとして単座のキ43は性能も悪いし、却下したけど
やっぱり必要なんじゃないか?」
「もしもし、こちら陸軍飛行実験部実験隊。
中島飛行機さんか?
まだキ43の試作機ある?
単座式の長距離支援戦闘機が必要かもしれなくてね」
「こちら中島飛行機です。
あの、増槽付けたキ44じゃダメなんですか?」
「こちら川崎重工です。
うちのキ61なら増槽付で2850km飛べますよ」
結局三式戦闘機キ61「飛燕」が採用される。
東京は、支那派遣軍を抑えきれずにいた。
統制の為に派遣した男が、止めるのではなく「さっさと勝って終われ」と煽っている。
確かにさっさと終わるのなら良い。
だが、政府は「また独断専行したのか! 止めろと言っているのだから止めろ」という立場、
陸軍参謀本部は「こうなってしまっては仕方がない、現場指揮官の判断に任せよう」という立場、
海軍は「支那方面艦隊は一体何をやっている!」というのと「もっとやれ」というのに分裂。
一致した指導が出来ていない。
逆に支那派遣軍と海軍支那方面艦隊の協力は密接になっていた。
支那方面艦隊司令長官は吉田善吾大将である。
彼は戦争拡大反対であったが、部下の使い方が下手な事を心配されるような人物であった。
若手将校が勝手に動き、第一遣支艦隊の牧田中将、第二遣支艦隊の原中将、更に参謀長の田結少将を担いで戦争に協力する。
支那方面艦隊は、連合艦隊付になる為の登竜門でもあった。
だから手柄を焦る者も多かった。
そして、支那方面艦隊には強力な戦力がある。
それは砲艦ではない。
零式艦上戦闘機と一式陸上攻撃機である。
この長大な航続力を持つ海軍機は、洪水の為に飛行場を設営出来ない陸軍を、漢口基地や上海基地から出撃して上空防御する。
更に長駆重慶まで飛行し、そこを空襲する。
以前、蔣介石に空軍力で支援しようとしたアメリカ合衆国は、それを果たせないまま消滅した。
支援の責任者であるシェンノート元大佐は消滅に巻き込まれなかったものの、彼には戦闘機もパイロットもいない。
アメリカ合衆国製戦闘機は、全てマッカーサーが新合衆国の為に集めてしまい、他国に供与する分は無かった。
中華民国として、既に購入済みのカーチス・ライトCW-21戦闘機、カーチスP-36ホーク戦闘機は没収されなかったが、最早新型への更新どころか修理用の部品調達すらままならない。
そして蔣介石は既に重慶から成都に移動している。
その為、重慶空襲に対して蔣介石は戦闘機による迎撃を禁じた。
専ら残留陸軍による対空砲火のみで防御する。
かつて護衛無しで爆撃機を重慶まで行かせて、手痛い目に遭った海軍は、用心の為に零戦を必ず護衛に付ける。
獲物を求める血に飢えた荒鷲たちは、重慶の空に全く敵が居ない事に、逆に怒りを覚えた。
擬装撤退や、爆撃機単独攻撃に見せかけるとか、囮作戦とか、様々に敵を誘い出そうとするも暖簾に腕押し。
やがて敵地上空でのアクロバット飛行や、低空スレスレでの威嚇等をしている内に
(連中は飛ばしたくても飛ばせないのではないか?)
と気づく者が多数現れる。
爆撃にしても、効いているのかいないのか、丸で手応えが感じられない。
現場で情報共有と攻撃目標のすり合わせの為に行われている陸海軍協議会で、海軍の航空関係参謀がその事を伝える。
陸軍も、長沙を攻略して中国最南端の仏印国境まで達するト号作戦を実行中なのだが、そこでも手応えの無さを感じていた。
この方面は、最初から海軍の協力が得られていた為、短艇や艀による部隊移動、物資輸送、空輸で前半・河南省で行われたコ号作戦よりは捗っている。
中国は南船北馬というように、長江以南は船での移動が重要であり、海軍からの積極的支援が受けられた事は有り難い。
これまで陸海軍はお互いを敵視しており、実際内地では東條陸相と山本五十六連合艦隊司令長官も不仲であったりする。
しかし現場ではそんな事も言っていられない。
現場では協力関係が成立していたが、今回は特に親密である。
故に陸軍も、海軍からの報告を聞き流さず、真剣に討議した。
「重慶攻略のハ号作戦を早めようじゃないか」
そう言ったのは、本来は発言権の無い筈の辻政信中佐である。
大陸打通作戦こと一号作戦は、まずコ号作戦で黄河流域に残る蔣介石軍の拠点を潰し、そこを安全圏とした上でト号作戦で河南から仏印国境までを南北に進軍して蔣介石軍の戦力を破壊し、背後や側面を衝かれる不安を無くした上でハ号作戦、即ち巴蜀こと重慶と成都を攻撃しようというものである。
何よりも重要なのは、便衣兵を含む「戦力の撃滅」なのだが、行けども行けどもそこに在るのは水に浸かった土地ばかり。
日本軍は敵ではなく水と戦っている。
「我々も移動には苦労しておるが、敵も同じだろう。
そして敵は居ないか、居てもしばらく抵抗するとすぐに降伏する。
そして一様に食糧を求める。
支那人どもも戦えないのではないか」
その分析は、辻ならずともしていた。
だが
「作戦を今から変更するのは……」
と腰が重い。
この一号作戦発動も、若手は確かに手柄を立てたい欲があったが、司令部の方は
「既に作戦に沿って動員が済み、配置が完了し、準備が整っていた。
それを今から変えると、準備が全て無駄になる。
だったら予定通りに動いた方が良い。
陸軍省も参謀本部も、それくらい分かるだろう」
という、もうちょっとだけ冷静な頭であった。
「貴官たちには臨機応変という言葉は無いのか?」
辻が激高する。
「貴様に言われんでも分かっておる。
だが、ハ号作戦を前倒ししようにも、兵力が無い。
当初の目的地に向けて進軍の最中である」
「ハ号作戦用の予備戦力が残っているではないか」
「それで足りるわけがないだろ!
一個軍(4個師団相当)と予備選力二個師団程を出さねば負ける」
「それはやり方次第だ。
電撃的に重慶を衝けば、勝てる。
ドイツ陸軍のやり方である」
「貴様はこの大地の何を見ている?
こんな泥沼で電撃作戦など、出来るわけがないだろう!」
「出来る。
海軍が協力してくれると言ってくれた」
「そうですな。
辻中佐から聞かれたのは、短艇が足りるか?でありました。
それは足りていません。
代替案として、短艇の発動機を使い、イカダや小舟を牽引する事なら可能です。
それでも今の作戦を中止し、そちらに分散させている短艇を集めねば、師団規模の同時輸送は不可能です。
今のように往復しての反復輸送では時間が掛かり過ぎます」
「あと、陸戦隊もやる気になっています。
陸戦隊の任務は上陸地の警備ですが、もう上海を守る事には飽きています」
「辻中佐、貴様は我々に諮る前に、既に海軍と作戦を決めておったのか?」
「海軍から、その誤解について釈明します。
作戦を決めてはいません。
出来るかどうかの数量を聞かれたので、その答えと代替案を出したまでです。
陸戦隊は、部下の方から行きたいという希望がありました」
「という事だ。
あとは司令部の裁可のみだ。
吾輩まで独断専行はしておらんぞ」
独断専行ギリギリではある。
(独断専行は今の時点でしていないだけだ。
却下すると、今度こそ独断専行しかねない。
それよりは作戦を認める一方で、多少修正を加えよう)
官僚的な判断の元、辻政信によるハ号作戦発動を早める案が承認された。
そして成功する。
何故なら、重慶も他の都市同様留守部隊が守ってはいたが、洪水と物資が乏しくなるに連れて逃亡し、少数が今も守っていたに過ぎなかったからだ。
その少数も、半数は義務を果たす程度の戦闘をした後、降伏するか逃亡するかした。
残る半数が必死の抵抗をするも、これは後続の到着を待つ事もなく、前衛部隊だけで撃破出来る。
海軍の短艇は航続距離は長くなく、燃料節約の為に兵員輸送時は手漕ぎをしたり、イカダで燃料そのものを運んで給油しながら移動していたので、電撃作戦で現地に行った部隊は多くは無い。
それでも重慶守備隊にしたら予想以上の進軍速度だったようで、初動の戦闘では混乱、市内に突入してからの戦闘では上記のように半数が投降や脱走、残る半数が抵抗という具合である。
洪水下の市街戦は制圧までに時間は掛かるものの、重慶の占領自体はあっさりと成功した。
『我、占領ニ成功セリ』
短く電報を送った辻と現地の前衛部隊長だったが、その次に送る電報については一旦協議が必要であった。
蔣介石、既に成都に脱出せり。
この内容は規定事実だ。
これについては双方問題が無い。
では、これを追撃するかどうかだ。
重慶侵攻の一番の目的は、蔣介石を捕える事であった。
出来なくても、撤退に追い込む。
撤退の途中であれば、追撃して戦力を撃破も出来よう。
だが、捕虜が言うには今年の初めにはもう成都に移住していた。
去年の秋から、洪水が度々起こる重慶を捨てる計画を立てていたようだ。
これは投降した将官から聞いた話である。
捨てた都市を守らされた以上、彼は義務さえ果たせばさっさと投降し、この情報を話して身の安全を買うつもりでいたのだという。
「今居る部隊で成都まで行けるか?」
辻のその質問に、
「無理だと考えます。
重慶も少数と見たから臨機応変に、後続の到着を待たずに攻められました。
そもそも我々は威力偵察と橋頭堡確保の為の部隊。
守りを固める都城を攻めるには足りません」
「いや、攻めましょう、辻参謀殿。
ドイツ軍のように電撃的に攻めれば、かの蜀の都とて落とせるかもしれません。
何よりも速さと敵の意表を衝く事が重要です」
と意見は二つに割れる。
「海軍はどう考えておられる?」
「燃料が足りません。
この重慶に補給拠点を作ってからの行動と考えていました。
我々は本来、後続の為にその拠点を設営する部隊でした。
思いもかけず戦功を立てられて嬉しく思いますが、それでも短艇の燃料がもう有りません」
「そうか……」
(いっそ、空挺作戦はどうだろう?)
辻は思いつくと、即座に行動に移す。
なにせ、彼が指揮権も無いのに共に行動し、臨機応変に攻撃を命じたこの部隊は、本来橋頭堡を確保して、受け入れ態勢を整える為の部隊なのだ。
ならば、空港を整備しよう。
重慶周辺には、水びたしとは言え軍用飛行場は存在する。
土嚢を積み、空港周辺を囲った上で、人力作業で排水を行う。
幸い、長江流域は排水がまだしやすい。
空港も低地にあるわけでもない。
そこを整備する人間が居ないから荒れているだけで、本来大雨でもすぐに使用可能に出来る。
ソ連の軍事顧問団が指示した事と、気候変動が急過ぎた為、実情に合っていない部分もあるが、正直日本軍の突貫飛行場よりもマシである。
『蔣介石、既ニ成都ニ逃ゲタリ。
攻撃ノ要アリ。
空挺作戦ヲ進言ス』
辻は現地の部隊長たちと話を纏めると、支那派遣軍及び北支那方面軍に打電する。
その支那派遣軍司令部、北支那方面軍司令部は辻の電報以上に驚くべき電報を受けて協議に入っていた。
蔣介石から休戦の申し込みが有ったのだ。
彼の戦意は挫けていない。
だが、二年前からの異常気象に閉口していたのも確かである。
独ソ開戦と共に、ソ連からの軍事顧問も引き上げて行った。
一旦休戦にしよう。
降伏でも講和でも無いが、正直「お互い」戦闘継続は難しいだろう。
中国における最上位の軍の意思決定機関・支那派遣軍司令部では、仏印国境までト号作戦の部隊が達した事を確認し、蔣介石の申し出を受諾する。
そして辻には
『蔣介石降伏。
我等勝利。
貴官ハ直グニ帰営アリタシ』
と騙す電報を送り、北京まで呼び戻した。
こうして大陸打通作戦こと一号作戦は
・洛陽・許昌・長沙を落とし内陸部を南北に貫通する:達成
・蔣介石軍の戦力を撃滅する:不達成、敵は既に後方に引き上げていた
・便衣兵の廃除:達成? 彼等は洪水の為に動く事が出来ない
・重慶、成都の攻略:重慶は占領、成都は不可能
・蔣介石の捕縛または降伏または殺害:不達成、ただし蔣介石からの休戦申し込みを得る
という中途半端な結果で作戦を終了させる事となった。
損害は日本軍も10万人以上。
人員以上に、泥に取られて動けなくなり、破棄した砲が痛い。
砲が移動出来なかった分、航空支援の比重が増した。
だが投下した爆弾、往復の燃料代に見合った戦果とも言い難い。
そして東京からの叱責が待っていた。
18時に次話アップします。
(前書きであんな事書いてますが、作者は「隼」好きです。
ただ、マレー作戦無かったら隼は採用されないままになるんじゃないかな、と。
陸軍、本命は液冷エンジン機で、しかも英独と関係が良いなら良質の部品輸入出来るだろうし。
あと、工員が大量に動員されていないとなると、誉エンジンも安定生産出来るかも)