新日本経済派の誕生
柴田敬は高田保馬に経済学を学んでいる。
高田保馬は経済学の一般均衡理論を紹介した最初の学者であった。
その均衡論の第一人者、北欧学派のグスタフ・カッセルの関数に間違いがあると柴田敬は主張する。
「カッセル氏は元々数学の正教授だ。
その彼の関数が間違ってるわけがないだろう!」
高田は柴田の論文を却下する。
しかし柴田は諦めず、何度も「カッセルの関数は誤り」という論文を高田に提出し続け、
ついに認めさせた。
やがて同様にカッセル体系の間違いを指摘する者が現れ、その先駆者の柴田は注目される事になる。
海軍出身の堀悌吉は、柴田敬の技術革新に留まらないイノベーションの重要さを、これまでの世界の海軍の歩みから理解していた。
むしろ経済学よりも、海軍におけるイノベーションの方が先だろう。
帆船艦隊に対し、蒸気船が出現する。
これにより帆船は一気に無用の長物となってしまう。
蒸気船の中からスクリュー推進艦が生まれる。
従来の外輪蒸気船は役立たずとなる。
そうして数年単位の進歩の果てに、イギリスは「ドレッドノート」級、所謂ド級戦艦を開発した。
これによって「三笠」級戦艦は前時代の産物と化してしまう。
しかし1906年に生まれた「ドレッドノート」は、1912年就役の超ド級戦艦「オライオン」によって早くも時代遅れとなった。
それが1916年のユトランド沖海戦で弱点を露呈する。
1920年には、従来型超ド級戦艦の弱点を克服したポスト・ユトランド型戦艦として「長門」が就役した。
堀から言わせれば、際限が無さ過ぎる。
日本では、超ド級戦艦「扶桑」型を建造中にユトランド沖海戦が起こり、すぐに弱点克服が課題とされた。
「扶桑」級の4隻は、完成前から弱点を持った戦艦となってしまった。
これは柴田の言う「イノベーション」、新しい価値や使い方が有ったから露呈した事だ。
超ド級戦艦の大型艦載砲は、これまで以上の長射程での砲戦を可能とした。
その結果、舷側装甲を厚くして防御していた戦艦の、高角度から降って来る砲弾に対する水平防御の弱さというものが、新たに出来てしまったのだ。
技術の進歩は、新たな技術の進歩の必要性を生む。
海軍はポスト・ユトランド型戦艦の「長門」型にも満足せず、更なる強力な戦艦を数多く揃えようとした。
それが八・八艦隊構想である。
今は海軍を離れ、企業人となっている堀の疑問は、イノベーションの必要性は認めるが、それが際限無く続けば、最終的にはそれが負担となって来ないか、であった。
経済学者に海軍の事を聞いても、知らないと言われるだろう。
だから一般的なイノベーションの繰り返しによる経済の拡大について意見をぶつける。
これに対する答えが、経済学の京都学派の創始者と言っても良い、高田保馬京都帝国大学教授からの意見聴取の中から出て来る。
彼は経済学の一般均衡理論を日本に紹介した学者である。
経済で言う均衡とは、超過需要も超過供給も発生していない状態、その時市場価格が変動しなくなった状態を言う。
これを古典学派は「最適化された良い状態」と解釈し、柴田敬は「沈滞状態」と見た。
高田の論には首を傾げてしまうものもある。
「人口減少対策として、都市の住民に課税し、農村に所得移転させろ」
という松平定信とか水野忠邦が江戸時代にやったような政策を主張したり、
「失業や国の衰退は過度な消費が原因である。
貧乏な生活こそが経済発展の基礎となる」
と主張し、同じ京都帝国大学の天野貞祐哲学科教授からは
「生活が低ければ低い程社会に貢献している、低い生活は即ち道徳と言うなら、
生活すらしない、死ぬ事が最大の社会貢献になるな」
と批判されていた。
だが、高田の論で堀にも響いたものがある。
「賃金が下がる事に、労働者は文句を言う。
賃金が下がっても、他の物価が下がったなら購買力で以前と変わらず、生活する上で困らない。
しかし、それでも賃金を下げると不満を持つ。
これは賃金がその人の価値を現す指標となってしまったからだ。
自分の価値が下がったように見えるから、人は賃金を下げられる事を嫌う」
高田は、だからそういう価値観を無くし、均衡して動かなくなった価格に囚われる事無く、自由に賃金を下げれば雇用も増え、失業対策になるという論に話を持っていく。
岸には割と響く論なのだが、堀が納得したのはそちらではない。
「労働者は自分の価値が下がったように見えるから、賃金引き下げを嫌う」
であった。
(そうだ、要は海軍の見栄が有るんだ)
海軍は、連合艦隊が世界有数の艦隊、イギリスの王立海軍やかつてのドイツ帝国の大海艦隊に匹敵する事を誇りにしている。
海軍の強さあってこそ、日本が世界の大国として認められるのだと信じて疑わない。
ある意味間違ってはいない。
確かに、戦艦の保有数がその国の強さを示していた時代が有った。
巨砲を作る冶金能力、巨艦を動かす機関を作れる技術力、こういう高度な機械を操れる高度な海軍軍人、その裏付けとなる経済力、即ち戦艦とはその国の総合力を量れるものであった。
(だが、今や誰に対して戦艦の保有数を誇るのだろう?)
ソ連への対策は必要だ。
ドイツやイタリアへの見得も外交上必要だろう。
だが、アメリカ合衆国が無く、イギリスも宥和的になった以上、現在の戦力は過剰だ。
彼の同期で、現在連合艦隊司令長官をしている山本五十六は
「戦艦は床の間の飾りである」
「戦艦は司令官の座乗艦として呉の沖に1隻、通信能力が高いから現場指揮に1隻、
2隻有れば十分だな」
なんて言っている。
海軍兵学校の後輩で仲が良い井上成美第四艦隊司令長官は、
「航空機の発達した今日、主力艦隊と主力艦隊の決戦は絶対に起らない」
「巨額の金を食う戦艦など建造する必要なし。
敵の戦艦など何程あろうと、充分な航空兵力があれば皆沈めることが出来る」
と言っている。
これも一種のイノベーションの結果の意見であろう。
(前ド級戦艦からドレッドノートへの発展は、確かにイノベーションとか言う、新しい価値の創造であった。
しかしドレッドノートから超ド級戦艦、ポスト・ユトランド型戦艦への発展は、従来の発展形に過ぎない。
新しい価値という意味では、航空機を使った海軍戦術の方が合っている。
技術は金が必要となる方への発展ばかりではない。
航空主兵は、より安く強くなる方への発展だ。
しかし、分かっていても艦隊の維持に拘る。
これは艦隊こそが国の威信そのものであるという、見栄を捨て切れないからだな)
堀とは違う部分で、高田保馬の論に感銘を受けたのが、田中角栄であった。
(大河内先生は、俺の故郷新潟に、柏崎工場を作った。
「農村工業」という考え、地方を衰退させず、地方でも職を得られるようにする。
そういうお考えから農村にも工場を数多く作られた。
俺はその考えに感動し、大河内先生の書生となるべく国を出たんだった)
地方にも工場を作る。
地方を衰退させない。
農村は人口の基盤である。
農村を疎かにはしない。
しかし、地方に分散された工場は、工業地帯に密集したやり方に比べ、物資の集積において効率が悪過ぎる。
柏崎で作ったピストンリングを、飛行機のエンジンを作る三菱の愛知工場に送り、それを東京で審査するとかなら、最初から東京近辺に纏めておけば良い事になる。
(それには全国を結ぶ道路と鉄道の整備が必要だ。
つまりは土木工事こそ肝心なのだ)
異常気象による風水害や土砂災害で分断されまくる現状の交通インフラ。
それをただ直す、より強固なものを作る、だけでは対症療法に過ぎない。
これを機に、物資輸送効率が良く、災害に遭っても壊れないだけでなく、むしろ他所の被災地をすぐに救助出来る、復興の効率を高める道を作れば良い。
彼には一生のテーマが出来たように感じられた。
松岡は個人的に、青山秀夫助教授に聞いてみたい事があった。
青山が昭和十二年(1937年)に著作した「独占の経済理論」という論文。
独占状態にあるものは、競争状態の場合と違い、需要ぴったりの生産しか行わない。
そして価格決定が出来る。
価格を上げれば利益は増す。
しかし、価格を上げれば購買意欲が減り、購入量が減る。
購入量が減ると利益もその分減る。
だから、利益を求めるものと、価格が上がると減る需要とでバランスが取れたところが価格の落着点になり、利益確定となる。
そこまでは彼も論文を読んでいた。
これは企業の場合である。
国の場合は違う動向を示す。
余剰であっても、高価であっても、植民地には強制的に買わせる事が出来る。
一方、需要が有っても敵対勢力には売らない。
相手を屈服させる為の戦略に使用する。
企業の場合と国の場合は別論理で考えた方が良いと思うが、如何に?
「まったくその通りですよ。
あくまでも独占状態での理論は、国家戦略や植民地支配、人種差別や強制力といった要素を排除して考えました。
それらは変動要素です。
特に国家戦略は時期によって変わります。
三年前に禁輸されていたものが、今はむしろ安く買えますからね」
「変動要素には為替もあります」
「……成る程」
「私が北極海で言われたのは、円をポンドと固定相場にせよ、ポンドの発行量に合わせて円の通用量も調整した方が良い、という事だった」
「安く買っていると思っても、円の価値を英国が決める事で彼等は損をしないように動く。
円が対ポンドで安い場合、高い場合、その時々の英国のやり方は変わりますな。
どうです?
共に研究しませんか?」
応じたい気分はあるが、彼は商工次官なのである。
研究成果を活かす側で、研究する立場では無い。
ブレーンとして相談相手になって貰えるよう、交友関係を築く事は出来た。
松岡は独占状態のイギリスから安定的に物資を得られるだけでは駄目だと考えている。
(イギリスが欲するもの、イギリスが買わざるを得ないものを日本も握る必要がある。
例えばイギリスが石油を禁輸する事で日本を屈服させようとした時、
逆に日本からも禁輸によってイギリスに損害を与えるものを持っていた方が良い。
それは禁輸という相手の手を打たせない事に繋がる。
だが、そんな物は今まだ無い。
精々食糧だが、それは他で代替可能な物だ。
武器にするには余りに弱い。
今はイギリスが日本の物資を『買ってやっている』という状態だ。
売る側としてもイギリスが主導権を握っているが、
買う側としてもイギリスが日本の首根っこを押さえている。
売らないぞ、買わないぞ、で日本は屈服してしまう。
もしくは戦争に打って出て、力で従わせるしかない。
それは経済官僚として敗北に等しい。
依存が長くなればなる程、イギリスに頭を抑えられてしまう……)
だから、イノベーションによって新しい武器を手にする。
イギリスが欲してやまない商品を作り出す。
(だが、出来るだろうか?)
経済的、物資的に支配下に置かれる前に出来れば良い。
そうする為に企業に発破をかけ、投資をする。
ではあっても、現在の日本は底力が無い。
基礎の技術力が丸で無い。
そこから強化するとなれば、一体何年掛かるだろう?
(イギリスに対抗する輸出国になる。
そうなるような政策を採る。
それでも出来ない場合が考えられる。
その時、出来ませんでした、もう打つ手は有りません、なんてならないようにするのが自分の役割だろう)
今回集まった人間だけで、日本というアジアの大国を動かす事は叶わない。
彼等は賛同者を増やし、政財界や軍部にも一大派閥を作ろうとしている。
この派閥は、外交においてはイギリスとの宥和を望む。
宥和しつつ、産業において対抗しようと考えた。
この派閥は次第に「新日本経済派」と呼ばれる事になる。
この新日本経済派は、単純な者たちからは理解されない。
特に右派グループからは「弱腰」「思想が無い」と批判される。
力を増す毎に、単に批判では無く、命を狙われ始める。
この新日本経済派にも片足を突っ込み、統制経済研究所にも片足を突っ込む、さらに軍部とも親しいという岸信介は、彼が望む形に自身を持っていく。
日本がどの道を採るとか、その選択権を握る存在。
あらゆる勢力に影響力を持ちながら、どこに属している訳でも無い。
瓢箪ナマズ、即ちとらえどころが無い。
その癖、重要な会合の時は必ずそこに居る。
岸はやがてこう呼ばれる。
「妖怪の総大将」と。
経済論、とりあえず終わり。
次話はまた戦争と外交です。
9月2日17時にアップします。