ポスト・アメリカ消滅の経済学
北一輝は経済についても著述している。
・私有財産の制限、一家で三百万円(令和という時代では30億円程度)以上は国有化
・私有地の限度、都市の土地は価値が高騰するので全て公有地とする
・私企業の資本金を一千万円に制限、超過分は全て国家経営
・国有地になる農地は土地を持たない農業者に有償で配布
・労働者による争議、ストライキは禁止
・労使交渉は新設される労働省によって調整
・会社の利益の半分を労働者に配当、労働者に株主として会社の経営に発言する権利を認める
「これは国家間でも同様だ。
世界の資本家階級イギリスや世界の地主ロシアに対し、日本が無産階級として争うのだ!
国際間分配問題を正すのだ。
そして日本の為、オーストラリアや極東シベリアを取得するのだ!」
軍人は言う
「中々に素晴らしい!!」
北は二・二六事件で死刑となったが、この思想はどこかでまだ生きている……。
柴田敬は京都帝国大学経済学部に入学し、マルクス経済学と一般均衡理論の統合といった理論経済学を研究した。
その論文は世界で注目されたという。
助教授時代にハーバード大学に留学する。
オーストリア・ハンガリー帝国出身で、1932年からハーバード大学教授となっているヨーゼフ・アロイス・シュンペーターは、会う前から柴田を高く評価していた。
シュンペーターのゼミでは、需要と供給が均衡し、価格が落ち着いてしまった均衡状態からどう変えていくかを研究していた。
古典学派はこの均衡状態を「最適化された状態」と好意的に捉えていたが、シュンペーターは「経済が沈滞した状態」と解釈する。
沈滞を打ち破るには何が必要か?
物事の「新機軸」「新しい切り口」「新しい活用法」を開拓する事が必要だ。
シュンペーターはこれを「イノベーション」と名付けた。
イノベーション無き社会は、利潤が消滅していき、利子がゼロとなり、停滞してしまう。
シュンペーターは
「企業は、創造的破壊を起こし続けなければ、生き残れない」
と説いた。
このシュンペーターは北米大陸と共にどこかに消えてしまった。
そのゼミで学んだ柴田に意見を聞きたい。
北米大陸消滅後の日本は、市場が成熟した訳でもないのに、沈滞状態に陥っている。
アメリカ合衆国という巨大資本家の多数住まう国が消滅し、資源も今や簡単に手に入らない。
金が大量に消滅した事で、金本位制に基づく通貨の安定も見込めない。
管理通貨制度でいくしか無い。
資源が手に入らない事で大量消費社会への成長も無い。
企業も市場も成長が鈍る。
小さい市場に大量の資本が投下されてバブルが発生する事も無いが、企業と市場が成長しない為経済圏も拡大しない。
資源は管理が必要で、岸はそれには統制経済を敷くしか無いと考えている。
「マルクスは……」
と柴田の理論展開が始まる。
(この人が、あのケインズと互角に議論出来た学者なのか……)
松岡は、自分では説明されるばかりだった北極でのケインズとの会合を思い出す。
日本にも優れた人はいくらでもいるのだな、と今更ながら思った。
(実際には吉田茂駐英大使の紹介でケインズに会った時、ケインズは
「自分が本を書くと、日本から『翻訳させて欲しい』という申し込みが五、六通来る。
何なの?
こんな国、他に無いよ!」
と疲れて苛立った口調で言って、さっぱり議論にならなかった。
これ以降ケインズ批判の論文を柴田敬は書き続けていた)
その松岡の後ろの方に、田中角栄もいる。
質問とか議論は出来ない、ただ聞かせて貰うだけの立場だ。
異常な耳早の彼は、理研の大河内を通じて松岡や岸に頼み込み、この場に居させて貰う。
(聞いても分からないかもしれない。
だが、聞かないと分からない話かどうかすら判断出来ない。
俺のような者は、馬車馬のように働くだけじゃダメだ。
この先世の中がどう動くのか、知っておかないと)
鉛筆とノート片手に、椅子も与えられず立ったまま耳を傾ける。
一方、椅子が与えられているにも関わらず、同じように立って話を聞いている男がいる。
堀悌吉である。
山本五十六と海軍兵学校の同期で首席卒業、『神様の傑作のひとつ堀の頭脳』と同期からも言われた才幹の持ち主である。
軍縮に賛成し、その結果軍縮会議後に条約派追放人事で予備役に編入されてしまった。
現在は浦賀船渠株式会社の社長と大日本兵器の取締役をしている。
公共事業で業者仕切りの権限を与えられたとはいえ、まだ中小企業の社長に過ぎない田中角栄と違い、こちらは大企業の業界人で、議論への参加も期待されていた。
経済関係の縁で知ったのだろう。
民間人として東洋経済新報社の石橋湛山が、話がよく聞こえる席に腰を下ろしている。
彼は加工貿易立国論を唱え、植民地政策を批判している。
「マルクスの論の誤りは、技術進歩の結果利潤が下がる、としている事だ。
これは誤りだ。
技術革新を繰り返す事で企業は利潤を増やし、成長し、経済も拡大していく」
柴田の論である。
それから専門的な話がなされ、数式展開があり、それに対し頭の良い人が質問したり反論したりする。
黙って聞いているのは岸と田中だけである。
(俺には専門的な話の是非は事はさっぱり分からない。
だが、大体分かった)
尋常小学校までしか出ていないが、勉強は欠かしていない田中は、柴田の論を大雑把に解釈する。
マルクスは技術進歩すると生産機械に掛ける原価が増え、逆に人件費は減らされるとしている。
技術進歩は際限が無く、機械に掛かる原価は増え続ける。
人を減らし、給料を下げて搾取率を上げても、抑えられる人件費には限度がある。
減らせるコストには限度があり、機械の原価は増え続ける。
すると企業が得られる利潤も下がっていく。
そう考えた。
柴田先生は、技術の進歩によって効率が上がり、生産原価が下がるだけでなく、新しい価値も生まれると言っている。
つまり、技術が進歩すると儲けも増えるって事だ。
そうなると機械にかかる原価を差し引いても利潤が上がるって寸法だ。
もちろんマルクスの言っている事も完全な間違いではない。
短期的には機械を導入した時に金が掛かり、利潤は低下する。
次の技術進歩までに元が取れないとマルクスの言ったようになるが、柴田先生は十分元が取れるという考えのようだ。
俺のやってる土木に置き換えてみよう。
1万人がツルハシとモッコを持ってダム作ると、時間も掛かるし、やれる事も限られる。
だが何か良い機械を使えば、人数を半分に減らせ、短い時間で完成し、その上で大河内先生が求めている水力発電も良い奴を取り付けられる。
余った時間で次のダムを作りに行けるし、その時はもう機械を買わなくても使いまわせば良い。
俺は儲かるじゃないか!
そして仕事を与えなかった残り半分に、次の仕事を与えてやりゃいいんだ。
皆が得するんじゃないか!
田中はこんな感じに捉えた。
一方、岸は違う視点から考えている。
(資源が無い日本には技術の進歩は絶対に必要だ)
100トンの鉄から10両の自動車を作る技術よりも、100両作る技術が必要だ。
必要な数が20両なら、前者は200トン鉄を購入しなければならない。
後者なら購入する鉄は50トンで、20両を国内に回し、30両は輸出出来る。
同様に、1リットルのガソリンで1km走る自動車よりも10km走る自動車を作る技術が必要だ。
これが実現すれば、1リットルで5km走る自動車を作る国よりも、輸出で優越出来る。
(統制経済において、企業の利潤は二の次だ。
少ない資源を無駄なく使う管理が必要だ。
そして、技術進歩の為に金を掛けさせる。
そうしないと、ただ自分の欲と贅沢の為に儲けを使い切ってしまうのが人間だ。
だが、今の話だと技術進歩に金を掛ければ企業の儲けにもなるという事だ。
そうなら民間企業を随分と指導しやすくなるな。
きちんと、資源を節約するように指導すれば良い)
そう思いながら、岸は眼前の経済討論を聞き漏らさぬようにしていた。
岸の考えは読みづらい。
彼は統制経済においては、二・二六事件の精神的指導者として死刑になった北一輝の、半分以上共産主義に足を突っ込んだ「私有財産を制限する」経済論を
「中々良いではないか」
と評価していたりもする。
彼にとっては、財閥の資本独占をどうにかし、没収した過剰な資本を国が運用したいという思いもあった。
柴田敬も統制経済に片足以上突っ込んでいる。
この時期の経済学は「独占」というものにどう対応するかが、一つのテーマでもあった。
日本では失業が相次ぐ中、財閥による資本独占が起きている。
北一輝などは私有財産の制限で、それなりの補償はするが、過剰な資本は没収すべきとした。
柴田は不況時に
「不況になる→金融機関は貸し渋りをする→やがて金融機関に資金が集まり余剰となる→余剰資金状態が低金利を呼び、ますます経済は流動性を失う」
と分析した。
そこで通貨発行量を統制し、公社という国が経営と監査をする組織を作り、そこに国の指導で資金を投入する「国家資本主義」を考える。
こういう思考だから、岸も快く招いたわけだ。
なお、柴田敬は石原莞爾や、海軍の高木惣吉とも仲が良い。
柴田は高木惣吉から依頼され、国内総生産の測定法についても研究している。
そして今、柴田はアメリカ合衆国からの資源輸入が絶対に不可能となった状態を鑑み
「経済には、資源を食い潰していく事で次第に利潤を下げていくケースがある」
と感じ、その研究にも入っていた。
これも統制経済を目論む岸と、似たような思考と言えた。
この点は松岡にとっても興味深い。
彼は節約するという統制の方ではなく、資源を確保する役割を担っている。
通貨量について、それがもたらす為替について、言ってみればこれは今や「資源独占国家」となっているイギリスの言う通りにすれば、かなり楽なのだ。
しかし、その危険性について何となくは分かるが、明確に指摘して貰うには経済学者の知恵が必要である。
北一輝は「独占国家には戦いを挑め」と主張した。
松岡は総力戦研究所の研究結果で
「資源を独占する相手に喧嘩を売っても、勝ち切る事は困難」
「補給が長くなれば国が持たない」
と知った。
彼はイギリスとは宥和的にいくべきだという意見である。
だが、融和してしまってはならない。
イギリスの下流国家になってしまう。
イギリスは
「それで良いではないか」
等と平然と言う。
宥和的に関係を維持しながら、決して彼等の言いなりになってはならない。
その為にも勉強が必要だろう。
議論はまだまだ続く。
経済話でつまらないかもしれませんが、次話まではこの続きになります。
(その次はまたどっかの戦場)
次話は18時アップです。