いわゆる軍国主義者たちの宴
在華ソビエト軍事顧問団というのがあった。
スターリンは国民党・蔣介石の方を支援している。
中国共産党は国際共産主義運動コミンテルン、特にパーベル・ミフの影響力強かった。
コミンテルンは世界での共産主義革命を目指しており、スターリンからしたら邪魔でもあるし、利用価値もある、複雑な存在だ。
ただ、中国共産党に影響力を持つミフは、スターリンによって粛清されている。
1943年、瑞金で毛沢東は主流派のミフ派を排除し、実権を握る。
このような事があり、親コミンテルンの共産党よりも、国家を代表する方と看做している国民党の方をスターリンは支援していた。
1942年にこの在華ソビエト軍事顧問団が撤退する。
その軍事顧問の一人、ワシリー・チュイコフは回想する。
「ソ連は中国共産党を支援すべきだったって思うだろ?
でも中国共産党は弱いから、戦争指導も出来ないし、大衆を味方にするにも時間が掛かるだろう。
とても蔣介石にとって代われるとは思えない」
ソ連は今、独ソ戦で苦戦しているが、中国への浸透も欠かさない。
その相手は、共産党ではなく国民党であった。
(蔣介石の息子の蒋経国はモスクワに留学しているし)
日本には時々、現在の国家変革を志す社会思想家が現れる。
その極端な思想に共鳴した者は、しばしば暗殺・テロに走る。
幕末には尊王攘夷という思想から思想家が江戸幕府打倒を説いた。
それを受けた「志士」が「天誅」を実行する。
井上日召の思想に感化された血盟団も暗殺事件を起こす。
その思想は仏教的神秘主義と、皇国思想・国家改造要求である。
井上日召の思想の元には、田中智学という宗教家が居て、その者が考え出したのが「全世界を一つの家にする」八紘一宇の思想である。
二・二六事件の理論的指導者とされる北一輝もそうだ。
面白い事に、皇道派青年将校の一部が心酔したのは、天皇制を批判した思想家の理論だった。
クーデター未遂事件である三月事件、十月事件、そして五・一五事件と関与し、昭和七年から禁固五年で収監された大川周明もそういった思想家の一人である。
大川は国家改造だけでなく、亜細亜主義にも関わっていた。
彼はインド独立運動家のラース・ビハーリー・ボースやヘーラムバ・グプタを匿ったりし、インド独立を支援している。
そんな彼にとって、第三次日英同盟を締結し、イギリスのインド支配に協力する形となっている今の政府は許し難い。
同じように、インドのボース、グプタを援け、中国の孫文、朝鮮の金玉均、フィリピンのアギナルドらを支援した組織として玄洋社がある。
この玄洋社は、かつて大隈重信暗殺未遂を起こしている。
戦争前にはこうした思想家が目立つ。
実際の戦争になると、現実が優先して思想家の出る幕はほとんど無い。
大体の思想家は実務能力には欠けている者が多いのもある。
そんな中で石原莞爾は毛色が違う。
彼は現役の軍人として、自らの思想を満州事変という形にした。
この満州事変で彼が処罰されなかった事が、現在の独断専行でも戦功を挙げれば帳消しという陸軍の体質を決定づけてしまった。
元々プロイセン陸軍にその傾向があったものの、それは部隊の進退に対する臨機応変な対応レベルの話で、一現場部隊が国家を開戦にまで引っ張り込むのは問題が有ろう。
石原は兎も角、他の思想家は日中開戦後は出る幕が無くなっていた。
石原ですら、現実が彼の思惑を超えてしまい、退役にまで追い込まれている。
しかし政府が戦争収束の方に動き始め、彼の出番を再度作ってしまう。
戦争中には砲声にかき消されるが、戦争が無ければ彼等のデカい声は目立ってしまうのだ。
「チャーチル発表は欧州白人に対する天罰である」
大川周明はそう叫ぶ。
「プラトンはその著作で神の怒りに触れ、一夜で沈んだアトランティスを記した。
あれは荒唐無稽な話では無かったのだ。
現に北米大陸が一夜にして消滅した。
そして欧州はこれから悲惨な運命が待っている。
まさに神の怒りに触れたと言えるだろう。
アフリカの黒人を奴隷とし、亜細亜を植民地とした。
神の怒りに触れない方がおかしかった。
その欧州の最悪の国である英国と手を組む等、日本もまた神の怒りを買いかねない」
「神の怒りと言った。
これはプラトンだけでなく、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、インド哲学全てで描かれている。
儒学においても、徳を伴わない行いには天譴がある。
どうやら北米大陸消滅と欧州氷河期を見るにつけ、本当に存在する事態なのだ」
「神の怒りというものの正体は、具体的に何かは分からない。
どんな力が北米大陸を消したのかは分からない。
だが、何が神の怒りというものを呼ぶのかは分かる。
己が神となろうとした時、神の怒りは下る。
白人は有色人種の上に立ち、自らが神の如くに振舞った。
では我々日本人はどうするべきであろうか?
四海兄弟。
世界を一つの家族と見て、皆が栄える世を作るべきなのだ。
その為にはまず、亜細亜を欧米の植民地から解放する。
国作りを知らぬ者たちを善導する。
そして自立が成った亜細亜の兄弟たちと共に世界を支えようではないか」
元々の信奉者から、徐々に若手将校たちに思想が拡がっていく。
政治的な事には無関心と思われた海軍の将校たちも、陸軍の将校たちと共に大川の講演を聞こうと席を並べる。
「仏罰である!
アメリカは仏罰に触れてこの世から消滅したのだ!
聖人の言葉は正しかったのだ!
であれば、日本も正しい仏法に則った社会を作らねば、北米や欧州と同じ道を辿るぞ!」
そう叫ぶのは僧侶である井上日召だ。
その井上日召と同じ宗派であるが、石原莞爾は別な切り口で欧州を切る。
「最終戦争が起こるのは予言の中に在る。
だから東亜諸民族の団結、即ち東亜連盟を作る必要がある」
「人類の思想信仰の統一は、結局人類が日本国体の霊力に目醒めた時初めて達成せられる。
更に端的に云えば、現人神たる天皇の御存在が世界統一の霊力である。
世界人類をこの信仰に達せしむるには日本民族、日本国家の正しき行動無くしては空想に終る」
この仏教を元にした思想は、プラトンやイスラム教の思想を取り込んだ大川周明の思想と親和性が高い。
大川周明の国家改造思想と、井上日召の皇国思想・国家改造要求も近い。
やがてこの三者の信奉者は重なっていく。
「今、欧州は滅びの時を迎えている。
これは天が与えた機であり、これを逃せばかえって日本が咎を受けるだろう。
日本は天命に従い、英仏蘭の植民地支配から亜細亜を解放する。
これが正義の戦争である」
この経済的な理由でも、政治的な要求も、民族の悲願も関係の無い、思想が先に立った戦争思想が次第に蔓延り出した。
陸軍も海軍も、それを本気で信奉しているのと、軍備削減を避ける為に敵を欲する俗な理由を隠す為の建前とが混ざり合い、若手が熱狂していく。
一方、海軍には海軍に接近する思想家も居た。
京都学派と呼ばれるグループに属する者たちである。
京都帝国大学の西田幾多郎、田邊元及び彼らに師事した哲学者たちがそう呼ばれる。
その思想は「西洋哲学と東洋思想の融合を目指す」であり、四天王と呼ばれる哲学者たちは「近代の超克」を提唱した。
彼等はこう言う。
「西洋は行き詰まった。
東洋こそが今後の中心たるべき」
「東洋の国であるが西洋化した日本で、西洋哲学を受け入れるだけではなく、如何に内面で折り合うか」という命題は、日本の中でもっとも西洋化し、機械文明を戦力保持の前提としている海軍の一部軍人の心に刺さったようだ。
彼等は鉄の塊で石油によって動く軍艦という機械を操るプロであるからこそ、日本独自の思想で海軍を運用すべしと主張する。
故に
「一日本国の為にのみ働くのではなく、大東亜という地域の為に働く海軍」
とか
「合理性でのみ判断せず、大義を判断の基準とすべし」
そう言って、艦隊の保全を必要なものと訴える。
このように主張するのは若手であり、実際に艦隊を保持し続けたい将官級は影に隠れて出て来ない。
その議論を挑まれる側は、将官で有りながら顔も意見も晒されている。
海軍の多数決で
「他に人材が居ないから連合艦隊司令長官留任。
海軍大臣就任はまた次回」
とされた山本五十六は、若手に議論を吹っ掛けられると
「石油残量と相談してから私の所に来るように」
と突き返す。
井上成美第四艦隊司令長官などは
「そうだな、従来の西洋の考え方は超えねばならん。
だったら私の航空主兵論に賛成しろ。
あれは西洋のどこも実現してはいないのだぞ」
と論破に掛かる。
こうした海軍の「西洋超克論者」も、やがて大川周明・井上日召・石原莞爾らの信奉者たちと混ざり合う。
やがて彼等は
「大東亜新秩序研究超党派会合」というものを立ち上げた。
若手陸海軍の将校に、思想家、大学教授、一部の外交官や新聞記者等が参加した。
講演会を度々開き、その後は酒席に移って怪気炎を上げまくった。
講演会の後、講演者の大川、井上、石原は居ない。
彼等の居ない席で、気を大きくした者たちが威勢の良い言葉を吐き、どんどん自分解釈の大東亜論を拡大していく。
そして彼等は
「東洋を西洋から解放する。
その為の尖兵となって日本軍が働く。
東亜に西洋思想を超克した王道に基づく理念に基づいた国家連合を立ち上げる」
という方針を掲げた。
……ぶっちゃけ、満洲国設立時に石原が言った思想と大して変わらない。
喧嘩を売る相手が中華民国からイギリスに変わっただけである。
政府にとっては現実を見ない、潰してやりたい思考である。
特に東條陸相にとっては、政敵とも言える石原莞爾が絡んでいる。
好ましくない。
……特高が勢力を弱められたのと、そもそも軍人が立ち上げた会合だから内偵が行われていないが、この会合にはコミンテルンと関係の有る者も混ざっている。
かつて近衛文麿が立ち上げた昭和研究会で、東亜協同体論を述べた尾崎秀美がコミンテルンの手先であった事からしても、そう言った者が入り込みやすい。
しかし、陸海軍だけでなく、流石に参加こそしていないが、政治家にも賛同者がいて彼等を盛り上げている。
軍備を減らされたくない、その本音を隠すには丁度良い。
矢面に立つのは若手で十分。
その矢面に立つ連中を、出来るだけ長持ちさせたいし、その主張を政府に呑ませて、実は自分たちが望む現状以上の軍備を維持させたい。
この西洋超克論、それが先鋭化した「弱体化した西洋を叩き出せ」という論が、次第に持て囃されていく。
この辺り、目立つ天誅や攘夷を手下にやらせて、その裏で彼等を利用しながら討幕気運を高めていった幕末の志士連中と、構図は同じである。
下は過激だが、上になる程冷めて現実的だった幕末の長州の末である岸信介は、そういう熱気には浮かされていない。
彼は、部下で一番現在の事態を把握している松岡次官と共にある経済学者を招き、相談している。
京都学派とは、大東亜思想を語る哲学者グループだけでは無い。
新しい経済について研究している学者たちもいる。
その中の柴田敬、高田保馬という京都帝国大学教授が商工省に招待された。
高田はこの三月に退官していた為、教え子の青山秀夫助教授も連れて来た。
これから彼等が議論するのは、経済が静止状態にある社会からの成長戦略について、である。
それは資本や資源をイギリスに握られかねない今後を見据え、日本独自のやり方でどう対抗していくかを考えるものである。
威勢の良い事こそ言っていないが、彼等もまた西洋の超克と、日本独自の方針を模索する者であった。
次話は30日17時にアップします。