一号作戦発動
陸軍参謀本部作戦班長の辻政信中佐はポツリと言った。
「そろそろ前線に行きたいな。
支那派遣軍に赴任されるよう働きかけようかな」
チャーチル発表により、大日本帝国は一旦全ての軍事作戦を中止する。
そう各地に命令を出した。
無理もない。
様々な前提が崩れたのだ。
政府は既に前々から知ってはいたが、公表されたのを機に戦線の整理に入る事にしたのだ。
だが、この時期の日本国民は案外愚かであった。
「寒くなると不作になるのは分かる。
だが、温かくなるのの何がいかんのかな?」
「確かに雨が凄いし、台風で洪水も出ている。
でも、そんなもんじゃねえの?」
「凶作よりはマシなんじゃね?」
変に天災慣れし過ぎて、危機感の方が余り無かった。
物事を点でしか考えていないのもある。
確かに被害を受けた地域は可哀想だ。
だが日本は広いんだし、他が無事なら全体としては何とかなるだろう。
交通の遮断、発電所の停止、流通が滞る事が引き起こす事を正しく理解出来る日本人は少ない。
就労人口の半分は農業従事者である。
冷害には敏感でも、物流というものは今一ピンと来ない。
台風が来ると、橋が流されても「困ったなあ」程度であり、用水路が溢れるとなると急いで見に行って流される、そんな具合である。
農民とは別な意味で、陸軍も気候変動に鈍感だった。
支那派遣軍により大陸打通作戦は、もう発動寸前だったのだ。
それを今更中止になど出来るか!
「叩くなら今しかありません。
石原将軍だって、満州事変で勝って出世したんだ。
手柄を立てちまえばこっちのもんよ。
敵を倒すには早いほどいいってね」
こう言う若手将校に
「やめるんだ!」
と止める者はいない。
独断専行、命令違反でも戦功を立てれば良しとする。
ドイツ陸軍譲りの悪い癖である。
かくして、大本営や陸軍参謀本部の中止命令は無視され、大陸打通作戦こと「一号作戦」は予定通り発動された。
動員兵力41万、戦車800両、自動車12000両、馬匹70000という規模である。
目標は最終的には重慶・成都。
蔣介石の息の根を止める作戦であった。
中国は、東西に大河が流れている。
満州の方の黒竜江は置いといて、日本軍の作戦地域で見てみよう。
北から黄河、淮河、長江、珠江である。
これらの大河には支流も存在する。
三国志の時代、荊州と呼ばれた地域には2つの巨大な湖が存在する。
大阪府の2倍の面積の鄱陽湖、琵琶湖の4倍の面積の洞庭湖である。
この2つの湖に流れる河川もある。
日本軍はこういった地理は学習していた。
作戦にはそれを反映させている
筈だった……。
そう、豪雨続きの事態を想定していない。
昨年、散々洪水に苦しめられたのに、それを考慮したものに更新されていなかった。
ある意味仕方ない部分もある。
日本の河川は、大洪水を起こしても比較的早く水が引く。
氾濫の後に流路が変わるというのは稀だ。
それだけ日本が急峻な地形をしているのである。
これが、延々と平坦な地形が続く中国で異なる。
日本の常識は通用しない。
昨年、日本軍は自分の支配地域の被災地で、堤防を修復したり、住民を避難させたりした。
だが排水は出来ず、いまだに水に浸かっている場所もある。
作戦で出動した各部隊は、これが中国全土で発生している事に驚く。
「なんじゃこりゃあぁぁぁぁ」
後方の司令部で参謀が絶叫する。
「どうした、蔣介石軍に腹でも撃たれたか?」
「そんな冗談言っている場合じゃない。
前線各軍からの報告を地図に書き込んでみた」
「どれどれ……。
なんだと?
新しい湖が出来ているのか?」
水に浸かった地域、その拡がりを地図上に書いてみたところ、ほとんどの地域がダメであった。
とりあえず、深さは浅いところで膝まで、深いところは足が着かないが、平均して人の胸辺りまでであり、湖というよりは沼と言って良いだろう。
「装備を頭の上に乗せれば、歩いて渡れぬ事は無いそうだ。
だが、これでは戦車と自動車が移動出来ん!」
「補給は馬匹頼りか……」
「あとは空輸だ」
「大変だな」
「それに、砲の運搬部隊が音を上げている。
水だけでなく、泥で足が取られ、予定の三分の一も進んでおらぬ」
洪水で大量の黄砂が溢れ出る。
黄砂は砂(粒径が62.5μm~2mm)ではなく、0.5µm~5µmと微細でシルト・粘土の類である。
これが大量に流れている為、黄河はあのような色をしている。
それが今だ乾かぬまま、深い泥となり、日本軍の足を止めている。
「それで、敵軍の抵抗は?」
「それはまだ報告に上がっていない」
「敵さんも、この雨に難儀しているのかな」
「違いない」
実はチャーチル発表があった時、蔣介石は重慶に居なかった。
彼は既に成都に移っていた。
何故か?
重慶は長江の他、嘉陵江、岷江、沱江、涪江といった河川が市内を流れる。
これらが氾濫を起こした。
昨年の洪水被害がまだ回復していないのに、今年も冬からずっと雨が続く。
「この雨は、日本軍を寄せ付けぬよう、天が味方したのだ」
そう言いながらも、自分が水に浸かるのは嫌である。
蔣介石は、より上流の成都に拠点を移した。
成都も四川の名の通り、錦江、沙河、清水河等多数の河川が市内を流れる。
だが上流にあるせいか、洪水の被害はそれ程でもないようだ。
「成都に首都を移すとは、我々は正しく劉備玄徳のようですね!」
そう言った部下は射殺された。
劉備玄徳の蜀漢は、ついに中原を回復する事なく滅亡したからだ。
まあ、成都に移りながらも全土を取り戻せた唐の玄宗を例えに出しても、やはり射殺されただろう。
安史の乱で成都に逃げた後で唐は長安を取り戻すも、既に「盛唐」と言われた時期は過ぎ、あとは衰退していく一方だったから。
呉起県(延安)にいる毛沢東率いる中国共産党は、敵軍より前に水と戦っている日本軍と蔣介石軍を他人事として見ていた。
ここ陝西省北部は雨が少ない。
モンスーンベルトからも外れ、温暖化・豪雨化の影響は余り受けていない。
西安の南の秦嶺山脈が、気団や雨雲を遮っていた。
ここから毛沢東は、ソ連と連絡を取っている。
「チャーチル発表の後、ソ連の態度が変わった」
毛沢東は周囲に話す。
「以前は、蔣介石に力を貸し、日本との戦争を長引かせよと言うばかりだった。
だが今は、戦力を温存し、ソ連侵攻の時を待て、に変わった」
「同志、それはいつになるのでしょう?」
「分からん。
ドイツとの戦争を終わらせてからだと言っているが、一体いつになるやら。
だが諸君、我々中国人は悠久の時を生きた民だ。
待つ事くらいどうって事は無い。
それに、待っていれば国民党も日本も弱っていくのを見られる。
我々は雨の少ないこの地で、高みの見物と行こうじゃないか」
毛沢東たちは放置し、日本軍はひたすら南下を試みる。
日本第12軍は、やっと第一目標である許昌(三国志の許都)に到達した。
許昌は城外に水路を掘っている。
これが溢れ、広大な水城となっていた。
「こいつは難儀だな……」
日本軍の砲の到着が遅れている。
その為、先行して航空攻撃が開始された。
「師団長殿、白旗です。
奴等あっさり降伏しました」
許昌守備の呂公良少将は、蔣介石に援軍を求めていた。
だが返って来た返事は
「我に派遣可能な戦力無し。
そこを死守せよ。
文句はあの世で聞く」
であった。
「よし、死んでやる。
あの世では俺の方が先達だ、こき使ってやるぞ、蔣介石め!」
とはならず、素直に戦意を喪失した呂公良は、敵が優勢だったなら降伏しようと決めていた。
戦おうにも、自軍も水攻めに遭ったようなもので、部隊は戦意阻喪している。
「存外だらしないですな」
酷な発言ではあるが、自分たちも腰まで泥に漬かるような中を前進し、水はそこら中に溢れているのに飲料用は得られず(飲むと病気になる)、補給も遅れがち、略奪しようにも勝手に焦土化していて何も得られない、そんな中を重い装備を人力で運びながらやって来た日本軍には言う資格があるかもしれない。
「では次の目標だが……」
物資集積基地の盧氏県が次の攻撃目標だが、今の状態で進めるかどうか。
「どうでしょう?
本隊はこの許昌に留め、補給と砲の到着を待ちましょう。
一方で元気な者を選抜し、支隊を編成してこの先の道の調査と、可能ならば盧氏県への攻撃、威力偵察を行うというのは?」
第12軍司令官・内山英太郎中将はその策を承認する。
第37師団歩兵第226連隊を中心とした支隊が編成され、先発した。
本隊はここで休養を行う。
後方の司令部からは、遅延への文句が来ているが、既に地図が役に立たない以上、偵察と態勢の立て直しは必要である。
そんな許昌に、偵察支隊から報告が届く。
「盧氏県の敵基地、水没しています。
多くの航空機が泥水に漬かり、倉庫の食糧はほとんど有りませんし、残ったものは腐っています。
これでは使い物になりません。
住民に話を聞いたところ、守備兵はまだ使える物資を持って逃げ去ったとの事です」
「盧氏県の住民は、我々に食糧をくれと言っています。
なんでも、蔣介石軍が持って行ったとの事です。
如何しましょうか?」
「……つまり、先に進んでも現地調達出来る見込みが無いという事だな」
内山中将と第12軍参謀たちは頭を抱える。
蔣介石軍の物資集積基地がそんな具合では、現場での物資獲得は無理だろう。
「敵の計画では無い事だけが救いだな」
もしこれが蔣介石の計画であったなら、日本軍はロシアに踏み込んだナポレオンの二の舞であっただろう。
だが、蔣介石軍の方がもっと自然災害に対応出来ていない。
彼等は洪水で苦しみ自国民から食糧を没収し、そのまま撤退していった。
いや、撤退と言えるのか?
兵営に戻らず、半分賊というか、野良というか、盗賊団のような制御の外れた兵士の集合が幾つも出来ている。
こういった報告を受けている支那派遣軍司令部では『作戦失敗』の四文字が頭にちらつき出している。
だが、それを認める事は出来ない。
この作戦は、東京のあらゆる命令を無視し、独断で始めたものなのだ。
戦果を挙げれば、命令違反の罪は帳消しとなる。
しかし戦果が上がらないとなれば……。
「なんとしても重慶の蒋介石を倒せ。
成都までとは言わん。
補給は何とかする。
海軍に頭を下げてでも短艇を借りてみる。
それでこの戦争は終わる。
勝って終わろうじゃないか!」
支那派遣軍司令部の参謀たちはそのように発破をかける。
そして前線の各部隊は、文字通りの泥沼を突き進むのであった。
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