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アジアにおけるチャーチル発表の受け止められ方

※昭和十二年(1937年)のラジオ普及率は都市部で48.2%、郡部で14.3%。

近衛文麿は組閣当夜にラジオ放送をする等、ラジオを上手く使い、人気を集めた政治家であった。

 1943年4月2日のチャーチル発表。

 それはヨーロッパに氷河期が到来するという衝撃的なものであった。

 深刻に受け止めた者、現実に大寒波が何度も来たのに「そんな事は有り得ない」と否定する者、意味は分からないが「とにかく政府のせいだ」と暴れる者、「神の思し召しだ」と受け入れてしまった者等、様々なヨーロッパ諸国の政府と民衆。

 これがアジアになると様子が違う。

 まずもって、リアルタイムでラジオ聴取を命じられていたのは日本だけで、他では発表の内容が広まるのに時差があり、しかもヨーロッパよりも緩い受け止められ方となった。


 中国は温暖化の影響で豪雨や猛暑に襲われている。

 だが、一般民衆はラジオとか持っていない。

 都市部の住民は兎も角、農村では村長が持っているかどうかだ。

 よってチャーチル発表は丸で知られなかった。

 たまに駐屯する日本兵と仲が良くなった者が情報をまた聞きする。

 しかし、中国の日本兵自体も学が無い者が多く、よく分かっていない。

 だから

「なんでも、欧州では氷河期が来るそうだ」

「氷河って何だ?」

「雪……とも違うし、なんて説明したらいいんだ?

 雪が川のようになったもの、かな?

 とにかく、とんでもない事が起きたみたいだ。

 西洋はもうおしまいかもしれない」

「そうか、大体分かった」


 村に戻って

「この世界もまた〇〇によって破壊されてしまった!」

「おめえ、一体何言ってんだ?」

「川に雪が流れたそうだ」

「それの何がおかしいんだ?」

 こんな感じで、伝言ゲームの誰もが正確には理解出来ていない。


 その一方で、欧州の状況に自分の政治生命が掛かっている蒋介石は、香港発の放送を聞いて衝撃を受ける。

 それは気候変動に衝撃を受けたのではない。

 イギリスが自分どころではない、自国の事で精一杯だというのを理解出来たのだった。

 チャーチル発表はイギリスの事を中心に発表していた為、極東の高温化についてはサラッとしか触れていない。

 気候変動に蔣介石が鈍感なのも仕方がない。

 大体、通訳からして「ヨーロッパが大変だ」と言うばかりであった。


 どこぞに潜伏している中国共産党。

 ここにはソ連経由で詳細がもたらされる。

 イギリス発、香港で要約されたラジオ方法については毛沢東も鈍感だった。

 大体、ヨーロッパの気象変動なんか中国にどう影響するというのか?

 こっちは戦争及び政争中なのだ。

 しかしソ連の情報で、やっと波及効果について理解する。

 ヨーロッパが寒冷化する。

 ソ連は極東に軸足を移さざるを得ない。

 その時、隣国である中国も社会主義国家である事が望ましい。

 毛沢東は

(なるほど、共産革命の時が近づいている)

 と感じたのだった。




 インドでは、国内のイギリス人向け放送をインド人も聞いていた。

 彼等も気候変動については鈍感である。

 多くのインド人は「ざまあ見ろ」程度であったが、昨年以来暴動を続けているインド解放戦線は

「イギリスが弱体化している。

 独立の好機である」

 と俄然盛り上がり始める。


 理解してみれば、ベンガル暴動はイギリスの余裕の無さの現れであった。

 だからあれ程までに食糧を集めるのに必死だったのだ。

 という事は、食糧がイギリスの生命線である。

 更に暴動を劇化させ、イギリスに麦一粒も渡さぬようにすれば、イギリスは弱るであろう。

 インド解放戦線は各地に散って、暴動の準備に入った。


 マレー、仏印、蘭印、フィリピンは実利計算に入る。

 マレー、仏印は植民地政府の管轄である。

 本国の危機ではあるが

「これは食糧を売って儲けるチャンスだ」

 そう算盤を弾く。


 蘭印は本国政府からの意向で日本に接近する。

 日本にも石油を売る。

 日本人は横暴ではあったが、おかしな事に極端に安い値段に値切らない。

 量と納期を優先し、出来ないと言うと罵倒して来るが、その為には資金が必要と説明すると、納得すればブツクサ文句を言いながらも、誤魔化さずに期日までに払って来る。


「そういえば、鎖国を解く前も日本人はそういうところがあったそうだ」

 オランダ商人の一人が総督府の官吏に話す。

「強欲で、欲しいものは売れとうるさい。

 だが一方で大金でもきちんと支払う。

 知ってますか?

 『婦人下着大全』を彼等は大金を払って買っていったのですよ?」

「なぜそんな本を?」

「さあ?」

 オランダ人は日本人の本フリークぶりをよく分かっていない。

 とりあえず、付き合い方さえ間違わなければ大儲け出来る相手なのは確かだ。

 オランダは江戸時代の二百数十年、そうやって儲けて来たのだから。


 フィリピンのマッカーサーは、移民受け入れを表明した。

 新合衆国は人口を増やしたい。

 現地人だけ居ても意味が無い。

 ヨーロッパからの移民を大量に受け入れ、かつてのアメリカ合衆国のような白人社会をもう一度作りたい。

 フィリピンの他、ハワイ、キューバも白人移民を受け容れる。




 アジアとは言い難いが、オーストラリアとニュージーランドはチャーチル発表に衝撃を受けた。

 ほとんど白人国家の両国は、田舎者らしいのどかさは有ったが、学術知識はそれなりにある。

「南半球は大丈夫なのか?」

「我々にも被害が及ぶのではないか?」

「結局、我々は暑くなるのか? 寒くなるのか?」

 どうやら南半球に影響は無いと知ると、こちらも実利計算を行う。


 オーストラリアは白豪主義、白人至上主義である。

 イギリスから大量に移民が来るのは大歓迎だ。

 この国は領土の割に人口が少ない。

 労働力が足りていない。

 白人の移民は、労働力不足で入れている有色人種を追い払う。

「間もなく真の人間がやって来る。

 汚い有色人種(カラード)は国に帰れ!」


 オーストラリアは本国の方針と異なり、反日であった。

 有色人種排斥には日本人も含まれる。

 移民でなく商社の人間にも、石を投げつけたり、唾を吐きつけて国際問題となる。

 折角本国が気を使っているのに、思わぬ所から日本の反英感情を高めていた。




 さて大日本帝国である。

 日本はチャーチル発表の後、間を置かず東久邇宮談話がラジオ放送された。

 それはヨーロッパの危機と同じように、アジアの危機を嚙み砕いて説明したものである。


『昨今、帝国内地、外地は未曾有の危機に瀕せり。

 当地に起こるは温暖化に非ず、高温化なり。

 既に黒潮の流れ強く、三陸沖の漁場や北に移動せり。

 水蒸気が増え、台風や梅雨の豪雨はしきりに風水害を起こす。

 気温の上昇は農作物の豊作をもたらす。

 されど、風水害がそれを台無しとす。

 勢いを増した嵐は高波を発し、港町をしばしば襲う。


 これらはチャーチル翁の言う欧州氷河期と表裏一体のものなり。

 欧州は冷え、その分東亜は熱せらる。

 これこそチャーチル翁の言う、地球の熱循環の変動である。

 それ、人為にて変える事能わず。

 新たな環境に国を合わする事こぞ肝要なり。


 政府は食糧増産、治水、鉄道道路の整備、堤防工事を優先して行う。

 支那、蒋介石の横暴許し難くあるも、後回しにすべきものなり。

 軍備はこれより抑制せざるを得ず。

 これよりの戦争は国が相手に非ず、地球そのものが敵と看做すべし。

 帝国臣民、一丸となりてこの国難に対処すべし』


 そして翌日の帝国議会で、この件が改めて報告される。

 一部

「我々より先にラジオ放送をするとは、議会軽視である」

 という声も聞こえたが、流石に本会議では与野党全員が黙って聞き入った。

 臨時で天皇臨席が宮内省より通達されたのも、緊張感を高めている。


 議会での報告では、昨晩の放送内容以外に、何時から知っていたのか、何故公開しなかったのか、どのように調査をしていたのか、どこと協力して調査していたのか、そういった詳細な事が初めて公開される。


「正直、余も信じ難き事にて、公にするのを躊躇する内容なり。

 今も正直、信じ難き事であり、英国の欺瞞情報で有れば良しとも思う。

 なれば余一人陛下に辞表を提出し、責を負えば良き事である。

 されど、情勢はそれを許さず。

 昨年も一昨年も激甚災害が帝国を襲う。

 既に今年二月にも先島諸島に台風が来たる。

 早急に手を打たねばならぬ時が来たのである」


(あれ?

 ここで解散を発表するのじゃないのか?)


 岸は原稿を閉じて席に戻る総理を見て、不審に思った。

 ここで解散・総選挙に打って出れば反対意見を言う者は悉く落選するであろう。

 別に形に拘る事なく「大政翼賛会」の理念が実現する。

 しかし、東久邇宮はハンカチで汗を拭きながら、しきりに天覧席の方を気にしている。


(そういう事か。

 陛下に阿り過ぎているなあ)


 近衛文麿は、天皇に対応策を聞かれた時に心ここに在らざる態度を取り、叱責された。

 直後に辞任をしたのだが、その際天皇の激怒っぷりは凄まじいものがあった。

 早急に政治の空白を埋めよ、という意向に沿って生まれたのが東久邇宮内閣である。

 その時と今とで事情は違うが、政治の空白を作りかねない解散総選挙を、天皇臨席の国会で口にする事を憚ったのであろう。


 質疑応答の時、やはりその事を聞かれる。

 宮様に直接の反論は出来ない為、内務大臣の田辺治通や農林大臣の井野碩哉(ひろや)

「我々を信じず、機密を抱えられていたのは甚だ遺憾であります。

 それはもう終わった事として、今後の事を聞きたく思います。

 今次内閣は近衛内閣からの留任者も多く、非常事態に対応出来るか甚だ疑問であります。

 近衛総理の時とは情勢も随分変わっております。

 ここは一度政権の人事を一新しては如何でしょうか?」

「大政翼賛会以外の政党が解散した時に行われた歪な国政選挙でした。

 挙国一致の為にも、改めて国民に信を問うた方が良いのではありませんか?」

「こうなれば在野の識者にも協力を頼むがよろしいでしょう。

 人事の一新が必要と思います」

「予算の使われ方がこれで良いのか、確とは分かりません。

 これは国民に問うた方が良いのではないですか?」


 閣僚が答弁していたが、そんな中、急に総理が壇上で話し出す。


「既に昭和十七年に選挙を行っている。

 国難の時に、またも選挙を行う余裕があるだろうか?

 余は国政の空白を作らぬ為にも、今居る人員で難局を乗り切りたい。

 皆々の協力を願うや切である」


 確かに一理はあるのだが、汗を拭きながら、チラリチラリと天覧席を窺っているので、どういう心境で喋っているのか一目瞭然であった。


 かくして天皇の前で発言した事により、解散総選挙は消滅した。


 そんな中、松岡は議会から大臣室に戻った岸に呼び出される。

「君をネ、商工次官に任命する。

 拒否は許さないからネ」


 松岡はイギリスが望んだように、国政の意思決定に近い場に座らされてしまった。

次話は18時にアップします。

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